ヒジュラ暦1426年シャアバーン(8月)27日 ヤウム・サブティ(土曜日) |

うわぁ、本物のパルミラだあーっ! v(^o^)/



昭和30~40年代の日本人が「ああ、憧れのハワイ航路」という歌を聞きながらハワイにあこがれたように、私にとっては「ああ、憧れのパルミラ遺跡」なのであった。
そのパルミラ遺跡が今、目の前にある。感激だ。

パルミラといえば、一時期ローマ帝国を脅かした「沙漠の女王」ゼノビアを生んだオアシス都市である。
「沙漠の女王」という響きに、なんともいえない古代へのロマンというか、郷愁を感じてしまう。
ローマ時代後も、ビザンチン時代、イスラム時代とパルミラは続いてきた。
しかし、そんな感傷にひたる間もなく、観光は始まるのであった。
遺跡の中心地から離れた場所にある、いくつかの墳墓群に入場観光。
まずはエラベルの塔からである。
西暦103年に建てられた、エラベル一族の墓らしい。
誰だ、それ?
と思ったら、単なる金持ちだった。
地上4階、地下1階の塔墓で、管理人が11時くらい(非常にアバウト)に鍵をあけるので、それを待ち構えて入場。
「縦に9つの棺が納められる溝が並んでいて、全体では200体くらいの遺体を収容できます…」などという説明を聞いている人はあまりいない。
スペイン、イタリア、フランス、アメリカの各グループも一緒だったので、塔内は大変な混雑である。我先にと、写真を撮るエゴ丸出しの姿があちこちで見られる。スマン、私もだった。
自由見学の時間になった。
どうやら人間には「とりあえず登っておこう」という共通の本能があるようで、国籍に関係なく、みな頂上を目指す。
目指すのはいいんだけど、頂上にはなんの囲いもなく、しかも強烈な風が吹いている。さらに、頂上へ上がれる足場(階段ではない)は1箇所しかなくて、しかも狭い。
そこに人々が殺到するのだから、危険極まりない。
驚いたのは、そのような場所で添乗員さんが客の写真を撮り始めたことである。
落ちたら間違いなく死ぬ。
いや、何もそこまでしなくても…。
私にはマネできない。ああ、添乗員に生まれなくて本当によかった

驚きのあまりワケのわからないことをつぶやいてしまった私であった。
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エラベルの塔の全景。結構地味。 | エラベルの塔の頂上でビビる私。 |
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頂上から塔の内側を覗いたところ。 | 強風が吹き続ける、塔の頂上で…。 |