ヒルネボウ

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腐った林檎の匂いのする異星人と一緒 11 見るなの世界

2020-12-09 17:34:08 | 小説

   腐った林檎の匂いのする異星人と一緒

      11 見るなの世界

 

私は何も見なかった。

聞かれたら、そう答える。

私は何も見なかった。

目覚めたのは夜明け前。月の支配が終わろうとしていた。だから、何も見なかった。

やがて上る朝日を見なかった。朝靄を見なかった。朝靄の草原を見なかった。草原に一本だけ生えている大樹を見なかった。差し交す枝の下で二人が出会うのを見なかった。一人の手からもう一人の手に渡される鍵を見なかった。鍵に合う鍵穴を見なかった。扉が開くのを見なかった。扉の向こうを見なかった。

私は何も見なかった。

飛べない鳥を見なかった。溺れる魚を見なかった。白い鰐を見なかった。洪水を見なかった。虹を見なかった。受領書を見なかった。細工に没頭する少女の固い背中を見なかった。腐乱した屍に湧く蛆虫を、蛆虫を舐め取る異星人の長い紫の舌を見なかった。鮫を見なかった。荒れた海を渡る船の帆を、逆巻く波を、巨大な蛸を、沈む島を、皹割れる大地を、噴き上る溶岩の炎を見なかった。流星群が降り注ぐ山脈を、燻り続ける山火事を、広場に置かれた断頭台を、切り落とされた首が納まるはずの麻袋を、歓呼の声に自ら酔い痴れる群衆を、裾の解れた背広のポケットから決して重くはない財布を掠め取る少年の指の黒い爪を、割れた爪を、ベルトを締め直す老い耄れが食い縛る残り少ない黄色の歯を、天と地を結ぶ竜巻の列を、砂漠の落雷を、薙ぎ倒された麦畑を、輝く湖面を、首長竜を、銀色の爆撃機を、茸雲を、崩れ落ちる校舎を、議事堂を、橋を、熱で歪む線路を、緩やかに倒れる塔を、転がる鐘を見なかった。涸れた井戸の底を見なかった。

私は何も見なかった。

鉄鎖を見なかった。事務机の角に残る指紋を見なかった。椅子が産んだ卵を、二本足で歩く案山子を、タクトを、鉛の兵隊を見なかった。時計を見なかった。焼け跡を見なかった。礎石に寄り添って咲く小さな青い花を見なかった。よろよろと歩き廻る半裸の老女の萎びた乳房を見なかった。痩せ衰えて前のめりに倒れて首を折る廃馬を、夕暮れに突っ立つ杖を、闇米の数粒を見なかった。糞尿の沼を見なかった。血塗れの手帳を見なかった。腕だけの腕、脚だけの脚、唇だけの唇を見なかった。折れた笛を見なかった。塗料の剥げかけたジャングルジムを、期限切れの定期券を、黒鍵が数本抜けたホンキー・トンクのピアノを見なかった。夢を見なかった。くるくると舞いながら飛んでゆく番傘を見なかった。雨を見なかった。太陽を見なかった。太陽を覆う雲を見なかった。

私は何も見なかった。

私は鏡を見なかった。背後からやってきて、追い抜き、振り返り、大きく両手を広げる人を見なかった。

私はあなたを見なかった。

あなたの目を見なかった。

(終)

 


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