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夏目漱石を読むという虚栄 1330

2021-02-07 21:55:28 | 評論

   夏目漱石を読むという虚栄

 

1000 イタ過ぎる「傷ましい先生」

1300 あらすじすらすらすらと読めない

1330 「下 先生と遺書」のあらすじ

1331 自殺の動機は不明

 

「遺書」の間違ったあらすじが専門の事典に載っている。

 

<先生は新潟の素封家の一人息子で、二〇歳で両親を一度に失い、叔父が財産を管理していたが、信頼していた叔父に遺産を詐取されてしまった。

(『日本近代文学大事典』「夏目漱石」瀬沼茂樹)>

 

「先生」に鉤がない。「二〇歳で」は間違い。「両親を亡(な)くしたのは、まだ私の二十歳(はたち)にならない時分」(下三)だ。「ならない」は方言か。「一度に」も間違い。時間差がある。「詐取」の証拠は皆無。被害妄想かもしれないのだ。

この後、Sは二度と故郷に帰らない。両親の墓参りさえしない。変だろう。

 

<しかし下宿の娘に対する愛で、親友のKと争い、これを裏切り、死にいたらしめた。

(『日本近代文学大事典』「夏目漱石」瀬沼茂樹)>

 

「しかし」は無視。「下宿の娘」は〈「下宿の」女主人の「娘」〉の略で、静のこと。静の母は「未亡人(びぼうじん)」(下十)だった。〈「愛で」~「争い」〉は意味不明。二人が静を奪いあうわけはない。なぜなら、Kは〈Sは静を愛する〉という物語をSから聞かされていなかったからだ。しかも、〈静とKは愛しあう〉という物語は、まだ始まってもいなかった。「これ」はKか。「裏切り」は意味不明。「死にいたらしめた」なんて、とんでもない。「Kは正(まさ)しく失恋のために死んだもの」(下五十三)ですらない。「Kが私のようにたった一人で淋(さむ)しくって仕方がなくなった結果」(下五十三)というのが真相のようだが、「私のように」がどのようにだか不明で、しかも、「結果、急に所決(しょけつ)したのではなかろうかと疑が(ママ)い出しました」(下五十三)と続くから、Kの自殺の動機は確定していないことになる。

 

<先生は娘と結婚し、遺産でつつましい生活をつづけながら、罪の意識にさいなまれていた。

(『日本近代文学大事典』「夏目漱石」瀬沼茂樹)>

 

「娘」は〈静の母の「娘」〉だ。Sは静母子と暮らす。マスオさんだ。妻方居住婚。「遺産で」は舌足らず。「遺産」と「つつましい」は無関係。金の話なら、〈つましい〉が適当。「つつましい」はつつまし過ぎる表現。〈引きこもりがちな〉などが適当。「ながら」は機能していない。機能させたければ、〈「罪の意識にさいなまれ」「ながら」「つつましい生活を続けて」「いた」〉が適当。「罪の意識」があるのなら、「罪滅(つみほろぼ)し」(下五十四)を続けながら生きていけない理由が不明。Sの語る「私の罪」(下五十二)の物語は空っぽ。Pの語る「一人の罪人(ざいにん)」(上三十一)も意味不明だ。

『こころ』は意味不明だから、あらすじは作り話になりがちだ。その作り話が日本語としてなっていない。惨め。

 

1000 イタ過ぎる「傷ましい先生」

1300 あらすじすらすらすらと読めない

1330 「下 先生と遺書」のあらすじ

1332 詐取は被害妄想

 

Sの叔父による財産詐取事件は、怪しい。被害妄想みたいだ。

 

<ここでしかしほぼ確実にいえることは、叔父が自分を欺いていると疑うようになった彼の心の動き自体は病的であったであろうということである。というのは彼は叔父の態度の変化にある日「俄然として」「何の予感も準備もなく、不意に」気付いている。彼は叔父の態度が変化したのは、自分が変化したためであるとは考えなかった。彼は自分のことは全く棚に上げた。だからこそ叔父の態度が(ママ)「不図変に思い出した」のである。このようにふと周囲の様子が変わったということは、よく分裂病の患者が病の初期に述べることである。恐らく彼の場合もそれに似たことが起こっていたのではなかろうか。このように考えることが正しいとすると、彼が叔父に欺かれたという話は一種の妄想体験であったということになるのである。

(土居健郎『漱石の心的世界』)>

 

不図系の言葉は、他にもいろいろ出てくる。

 

<土居さんの解釈は『こゝろ』という作品から想定される事実とは合致するけれども、漱石という小説家が『こゝろ』をこのように書いたという事実とは合致しないのです。或いは同じことですが、読者が作品に読み取るものと合致しない――というのは、作者は、殊に漱石のようなすぐれた作者は、常に自分が書いていることと、読者が読み取るものの両方を意識しながら、筆を進めて行くからです。すぐれた作家では、彼が書こうとしているものと、読者の読むものは一つなのです。これがうまく行っているのが傑作なのです。

(大岡昇平『小説家夏目漱石』)>

 

「還元的一致」(N『文芸の哲学的基礎』)みたいなことを、大岡はへたくそに述べている。しどろもどろ。「還元的一致」も意味不明だが、大岡の「合致」はもっとひどい。

「作品から想定される事実」は意味不明。「という小説家」は意味不明。「このように書いたという事実」は意味不明。二つの「合致」の実態は不明。ひどい悪文だ。

「同じ」かどうか、私にはわからない。「読者が作品に読み取るもの」は意味不明。〈N=「すぐれた作者」〉という前提を、私は信じていない。「常に」は力み過ぎ。「自分が書いていること」と、自分の想像する「読者が読み取るものの両方を意識しながら、筆を進めて行く」のは、ごく普通の気配りだ。小説家の仕事に限らない。ただし、小説などの場合、この「読者」は、実在する誰彼ではない。書き手が想定するところの架空の読み手だ。

「書こうとしているもの」は、「このように書いたという事実」と同じか。「彼が書こうとしているもの」つまり〈「彼」がまだ書いていない「もの」〉が、どうして、「読者が読むもの」と並べられるのか。妄想としてさえ無意味だ。

「これ」の指す言葉がない。「うまく行っている」という証拠がどうやって得られようか。「うまく行っている」という印象は大岡の自己暗示によるものでしかない。錯覚。

 

1000 イタ過ぎる「傷ましい先生」

1300 あらすじすらすらすらと読めない

1330 「下 先生と遺書」のあらすじ

1333 三角関係はなかった

 

 ほとんどの人が〈「遺書」では三角関係が描かれている〉と誤読するらしい。

 

<下宿先の娘をめぐって親友の「K」と三角関係になった「先生」は、親友を出し抜いて先に求婚し恋人を得るが、親友が自殺したために終始罪悪感に苦しみ続け、明治天皇の死に次ぐ乃木大将殉死事件を機に、ついに自殺するという内容。

(『日本歴史大事典』「こゝろ」佐藤泉)>

 

「三角関係」は意味不明。一人の女を二人の男が同時に好きになっただけで〈三角関係〉という言葉を使っていいのなら、ストーカーは大喜びだろう。

『冬のソナタ』(韓国KBSテレビ)の場合、ユジンとミニョンとサンヒョクの関係は〈三角関係〉と呼べる。ユジンはサンヒョクと婚約しているのに、ミニョンと愛しあうようになったからだ。しかし、高校時代のユジンとチュンサンとサンヒョクは三角関係になっていない。この頃のユジンは、サンヒョクを幼馴染としか思っていなかったからだ。なお、チュンサンは、恋愛感情とは別の理由でサンヒョクを敵視していた。

『こころ』と似たような設定の『友情』(武者小路実篤)でも、杉子と大宮と野島の間で三角関係は成り立っていない。大宮に対する杉子の恋心は一度もぶれたことがないからだ。

『坊っちゃん』の場合、「マドンナ」の気持ちがまったく描かれていないので、三角関係について考えることはできない。『こころ』でも同様だ。少女静の気持ちはまったく描かれていない。このことに気づかない人は、小説を読む能力が悲惨なほど不足しているばかりか、言葉による一般の情報を処理する能力が決定的に不足しているはずだ。

そもそも、〈明治の普通の少女が恋をする〉などということは、ありそうにない。静は普通の少女ではなかったのかもしれないが、そんなふうには語られていない。

「出し抜いて」は誤読。立場を反対にして考えてみよう。KがSを「出し抜いて先に求婚し」ていたら、どうなっていたろう。〈Kは「恋人を得る」〉という展開になったのか。いや、こんな問題は無意味だ。「恋人を得る」という言葉が意味不明だからだ。Sは、静と自分の関係について「最も幸福に生れた人間の一対であるべき筈(はず)」と語った。静とKが結婚していたら静は不幸になっていた「筈(はず)」だ。だったら、SがKを排除したことは正しい。

「罪悪感」は意味不明。近頃の〈炭水化物を食べると罪悪感に襲われる〉のそれと同じで、自傷の罪が原因か。「人間の罪というもの」(下五十四)という言葉は出てくるが、言葉だけ。「終始罪悪感に苦しみ続け」の「終始」と「続け」は重複。「乃木大将殉死事件」が「機」になったのなら、乃木も死に値する罪を犯したのだろうか。いや、そういうことが問題なのではないのだ。乃木の自殺とSの自殺に共通する動機は「罪悪感」ではない。彼らが「罪悪感」を抱いていたとしても、「苦しみ続け」た理由は別にある。それは「明治の精神」に関わる何かだ。羞恥心だろう。

「遺書」はSとPの架空対談であり、その聴衆がいる。彼らを、Sは「外の人」(下五十六)や「他(ひと)」(下五十六)と呼んでいる。彼らを〈R〉と書く。Qの次だからだが、〈reader〉の頭文字ということにしておく。Rは二十歳前後の男で、朝日新聞の購読者だろう。

 

(1330終)

 

 

 


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