ヒルネボウ

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モロシになりそう。 ~ドロンパ

2024-09-10 21:48:08 | エッセイ

   モロシになりそう。

                                                                                                                   ~ドロンパ

「論破はいけない」と言う人々がいる。だが、「論破はいけない」と断定するのも論破の一種ではないのか。だったら、自己矛盾だろう。

パワハラ政治家の弁解を論破してもいけないのか? いけないのかもしれない。反論は自由でも、論破は禁止なのかもしれない。だが、論破を避ける反論など、お遊戯、ままごと、馴れ合い、癒着だ。

彼らの禁じる「論破」の真意は何か。〈ほぼ暴言〉か。フワちゃんの「死んでくださ~い」は論破だ。暴言ではない。

「論破」を禁じる彼らは本心を隠蔽しているのだろう。例えば、〈「教育勅語」を論破してはいけない〉と言いたくないから、「論破」だけを抽出して…… 

ああ、嫌だ。考えたくない。

彼らの胸中を察しようとすると、頭がおかしくなる。苦しい。

「困ったときがチャンスです。頭の良くなる、えへん、チャンスです」(出典忘失)

困ったときは『広辞苑』だな。

議論して他人の説を破ること。言い負かすこと。

(『広辞苑』「論破」)

「言い負かす」のは罪か? 

ことばで争って相手をへこます。言いふせる。「先輩を―・す」

(『広辞苑』「言い負かす」)

「へこます」について調べよう。

相手をやりこめる。へこませる。「親を―・す」

(『広辞苑』「凹ます」)

「やりこめる」について調べよう。

論じ詰めて相手をだまらせる。言いこめる。言いふせる。「子供に―・められる」

(『広辞苑』「遣り込める」)

相手が「先輩」や「親」の場合、「論破」は不道徳なのかもしれない。「先生を―」(『明鏡国語辞典』「凹ます」)のもよろしくないらしい。

では、相手が目下なら、どうか。パワハラになるのかな。

被告人の供述が論理的に破綻していても、証拠がない限り、疑わしきは罰せずということになるのか? あるいは、論破しないまま、罰してしまうのか? 被害の証拠がありさえすれば、自称被害者の説明を論破してはならないのか? 

裁判は別か? 別だとしたら、なぜか? 

議論によって相手の説を破ること。「邪説を完膚無きまでに―する」

(『明鏡国語辞典』「論破」)

この例文の「論破」には、「綿密なデータを示し、彼の説を論破した」(『類語例解辞典』013-08)の場合と同様、マイナスの価値は含まれていない。

「彼女は相手を論破することに快感を覚えている」(『オーレックス和英辞典』「論破」)という場合、よろしくないのは「彼女」の心根であって、「論破」そのものではない。この文の前提には〈「論破」をしてもいいけど、悪用はいけない〉という考えがある。

さて、「説を破る」とは、どういうことか。

他の説を言い負かすこと。ときやぶること。ときふせること。論破。

(『広辞苑』「説破」)

曖昧だ。

「政道を輔佐し輔佐し、邪法を説破(セッパ)させ給ふべし」(『太平記』)という例文が『日本国語大辞典』「説破」)に挙げてある。「説破」は「説得」の同義語だ。『新和英大辞典』「説伏」)参照。

よく話して納得させること。「―力がある」

(『広辞苑』「説得」)

こんな説明は要らないよね。要るかな? 

コミニュケーションによって、受け手の理性や感情に働きかけ、相手の自発性を尊重しながら送り手の意図する方向に受け手の意見、態度、行動を変化させること。

(『ブリタニカ国際大百科事典』「説得」)

この「説得」は洗脳みたいだ。催眠とか、詐欺とか。とにかく、怪しい。

〈思想改造〉を意味する中国語に由来。程度の差、手法の巧拙はあれ、あらゆる教育が洗脳である。

(『百科事典マイペディア』「洗脳」)

『夏目漱石を読むという虚栄』〔7300 教育は洗脳〕参照。(未定)

中華人民共和国成立後、数年間にわたって旧体制の知識人などを共産主義体制に適合的な人間に改造する作業が繰り広げられたが、こうした作業を中国外の反対者は、非難の意味を込めて洗脳brain washingとよんだ。その後、このことばは、共産主義社会における強制的な政治的社会化を意味する用語として西側諸国に定着した。

(『日本大百科全書(ニッポニカ)』「洗脳」)

「洗脳」は悪口だ。つまり、もともと、マイナスの価値が含まれている。しかし、「論破」は、そうではない。この違いは大きい。知識人は、この違いを無視するのだろう。そんな知識人と話し合いはできない。彼らは、言葉の意味やニュアンスなどを勝手に取り替えたり作り替えたりするからだ。

情けない、ああ、こんなことを書いてしまうなんて。

「論破」について、私なんかより、もっと、きちんと知っている専門家がいくらでもいるはずだ。彼らは沈黙を守っているのだろうか。あるいは、何か発信してはいるのだが、無視されているのだろうか。どちらでもなくて、専門家は知識人を軽蔑して〈馬鹿と阿呆の絡み合いに関わるものか〉と気取っているのだろうか。

知らない。私はほとんど何も知らない。調べる気もない。とにかく、五月蝿い。

もう、へとへとなんだよ。

要するに、〈反対してくれてもいいけど、優しくね〉ってことかな? 

“Killing me softly”

「論破」の反対語は〈悩殺〉かな? 

いくら考えても、結論など、出そうにない。

でも、苦しいから終わる。

もろ死にそう。

(終)


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