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書評 松尾剛次『[増補]破戒と男色の仏教史』(平凡社)

2024-02-25 00:06:44 | 評論

   書評

    松尾剛次『[増補]破戒と男色の仏教史』(平凡社)

 

男色文化に関する専門書が見つかった。

観音の化身としての稚児

九歳から一四、五歳くらいの童子を師僧らが犯していたという現実は、現在の価値観からすれば、児童虐待といえ、きわめて衝撃的でおぞましいものです。しかし、当時の僧を非難するよりも、それが当時の官僧らの文化であった点に注意を喚起したいのです。そうした文化の背後にあるものに注意すべきなのです。

というのも、官僧世界は、松岡心平(『宴の身体』岩波書店)らが指摘するように、稚児を観音の化身とみ、稚児を犯すことは、その聖性に結縁(けちえん)することになるという観念まで生み出していたからです。こうした中世官僧世界の「想像力」が、稚児を担い手とする能・立花(たてばな)・茶といった日本文化を創造し、育んでいった面も忘れてはならないのです。

とこで、天台宗では稚児を観音としての聖性を付与する儀礼としての稚児(ちご)灌頂(かんじょう)が行なわれ、その後に初めて稚児を犯すことが成されたとされます(辻晶子『児灌頂の研究』)。辻は広範な「児(ちご)灌頂」の史料収集を踏まえて、稚児灌頂儀礼の実態を明らかにしましたが、一四-一五世紀には稚児灌頂は過去の儀礼となっていたと考えています。しかし、先述した一四世紀半ばの天台宗寺院鰐淵寺の事例を考えるならば、その時期においても、稚児との男色関係は継続されていたことは確実です。とすれば、児灌頂儀礼は廃れるどころか行なわれていたと考えられます。ようするに、「児灌頂」儀礼の史料は「知」のためというより、現実的な必要性が存在したから、筆写されたと考えられます。

(同書「第二章 破戒と男色の中世」僧侶の間に広がった男色)

この程度のことは、日本で育った人なら、漠然とではあっても知っているはずだ。現在の日本の知識人は、「文化の背後にあるもの」を隠蔽しているのに違いない。あるいは、自覚したくないのかもしれない。カマトト? 

本書は、僧侶集団における女犯や男色の問題に注目しましたが、こうした事柄は、けっして僧侶集団に限られたものではなかったのです。ある意味、それは俗世間の反映であり、貴族、武士において、男色などが一般化していたがゆえに、僧侶集団においても、そうしたことが、いわば文化として存在したと考えられます。

(同書「平凡社ライブラリー版 あとがき」)

庶民にも広がっていた。

   芳町

鳶の者、はじめて野郎を買い、床になり、若衆に向つて、「モシちつと大屋へでもあづけやせうか」。

(『鹿の子餅』)

(興津要編『江戸小咄』所収)

どっちが稚児だろう。

学者にすぎない私がいうべき立場にはないのですが、現在の日本仏教にも戒律復興が必要と思われるのです。すべての宗派がそうあるべきだというのではなく、少なくとも律宗を標榜する宗派は戒律復興に真剣に取り組むべぎ時期に来ているのではないでしょうか。

(同書「おわりに」)

勿論、「いうべき」ではない。著者は研究者から知識人に成り下がっている。同書全体の信頼性を損なう。

通読する気になれない人でも、「解説――「文化」として読む中世寺院の性」本末文美士)だけは読みなさい。

GOTO 『夏目漱石を読むという虚栄』〔5300 BLぽいのが好き〕夏目漱石を読むという虚栄 5310 - ヒルネボウ (goo.ne.jp) ~

(終)


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