タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

四国三十六不動霊場20・・・

2022-05-29 11:01:45 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

第三十番「七宝山宝積院 妙音寺」・・・覚えてません (^_^;)

ウィキより、伽藍の画像もウィキより、

妙音寺(みょうおんじ)は香川県三豊市豊中町にある真言宗大覚寺派の寺院。山号は七宝山。詳しくは、七宝山 宝積院(ほうしゃくいん) 妙音寺[1]と号する。本尊は阿弥陀如来(国の重要文化財)。四国八十八箇所第七十番札所本山寺奥の院、新四国曼荼羅霊場第十九番札所、四国三十六不動尊霊場第三十番札所、さぬき三十三観音霊場第十八番札所。

御詠歌:讃州の 宝を積みて たつ寺の 末の世まで 利益残せり」

童子名 吉祥妙童子 (きちじょうみょうどうじ) 御真言 おん びだまや そわか

Myouonnzi 01.jpg

ではまた。次の札所「大物」です。

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四国三十六不動霊場19・・・

2022-05-28 16:52:17 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

第二十九番「七宝山持宝院 本山寺」・・・四国88箇所第七十番の「本山寺」です。個人的に、「ほんの少しだけ御縁があります」。札所が変わったんですね。

ウィキより、伽藍の画像もウィキより、

本山寺(もとやまじ)は香川県三豊市にある高野山真言宗寺院で、山号は、七宝山(しっぽうざん)院号は持宝院。鎌倉時代再建の本堂は国宝で、本尊は秘仏馬頭観音菩薩四国八十八箇所霊場第70番札所四国三十六不動霊場第29番札所[1]

本尊真言:おん あみりと どはんば うん はった そわか

ご詠歌:本山(もとやま)に誰か植江(うえ)ける花なれや 春こそたをれたむけにぞなる

納経印:当寺本尊、導(みちびき)不動、阿閦如来、五如来、本尊馬頭明王」

童子名 宝藏護童子 (ほうぞうごどうじ) 御真言 おん まか きゃらば そわか 

第29番札所の移転(遷座)と納経について

令和2年4月1日より、本山寺が四国三十六不動霊場会に加入することになりました。
それに伴い、29番札所は不動寺より本山寺に移転(遷座)いたします。

新29番札所 本山寺
(高野山真言宗・四国霊場第70番札所)
香川県三豊市豊中町本山甲1445

私が巡拝した時は、「不動宗 大本山 明王寺」という札所でした。

不動宗とは、聞きなれない宗派です。

四国36不動の札所には、「拝み屋さん」ぽい札所と、「修験者さんの個人経営」ぽい札所があったのを記憶しています。

ただ、「四国88箇所霊場」の札所である本山寺が、四国36不動霊場に加盟したのは、結構びっくりです。大物の加盟ですが、よく、四国88箇所が許可したなと。

いや、よけいなことでした。

五重塔と本堂

私の御朱印帳は、元の札所の御朱印ですので、「今の札所」の本山寺の御朱印ではありませんから、御朱印は今回は掲載しません。

ではまた。

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仏像の「開眼」・・・

2022-05-28 07:44:53 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

仏像の「開眼」(かいげん)。

要するに、「魂入れ」の作法である。

高野山などに行けば、お土産屋さんに、「高岡銅器」の「金色の仏像」が、結構売っている。(最近はあまり、お土産屋に行かないのでわからないが・・・)

諸観音像・諸如来像・不動明王像。前は、見事な「倶利伽羅不動 (くりからふどう) 」さんや、「愛染明王像」も売っていた。

当然、「魂は入っていない」。(仏壇店でも売っている所ある)

仏像は、仏師が精魂込めて作った仏像であれ、金仏 (かなぶつ・・・鋳型で鋳造する仏像) であれ、お寺で「開眼作法」をされなければ、ただの「像」である。

開眼作法・・・真言宗では、作法自体は、そう長くないので、すぐ終わる場合もあれば、法要とかで、長い作法をしてくださることもある。

真言宗智山派寺院・・・成田山新勝寺 (大本山・別院) ・瀧谷不動明王寺とかでは、所定の「開眼料」を支払えば、「お護摩」の時に、「開眼」もしてくれる。

護摩と開眼は、作法が違うのであるが、護摩の時に修されると、お護摩の炎で仏像を「あぶって」もらえる。

高野山の奥之院でも開眼してもらえる。こちらは、護摩とは関係ないと思う。南院では、特別護摩申し込めば、お護摩の時に「開眼」もしてもらえると思う。(特別護摩は三万円以上)

ただ、一般人が「守護仏ほしい」なら、真言宗や天台宗の名刹寺院で売っている、既製品の、「御守り」「御札」「お軸」(真言宗なら弘法大師) を買って持つ方が無難。

仏像を開眼」されれば、仏さまなので、毎日、お水・お仏飯をお供えし、日々、灯明と線香は御供養しなければならないので。(もっとも、既製品でも、「お軸」などは開眼済なので、やはり日々御供養しなければならない)

そういう意味では、既製品の「御守り」が、一番無難である。

高野山でも、お四国霊場でも、ずっと持っていられるタイプの「弘法大師御守り」

は、売っている寺院はある。密教に素人の一般人には、ペンダントタイプの御守りや、ストラップタイプの御守り、ブレスレット念珠がお勧め。いずれも、千円~1万円程度。肌守りもお勧め。ただ、肌守りは、一年経過した後又は、劣化したら返納して、新しい肌守りを購入する。

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御神籤 (おみくじ) の引き方・・・

2022-05-27 18:10:13 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

神社・仏閣にある、「おみくじ」。

その発祥は、前述しているが、

比叡山・延暦寺、横川 (よかわ) の、

元三大師堂。(がんざんだいしどう)

ウィキより、

古代においては祭政に関する重要な事項や後継者を選ぶ際に意志を占うために籤引きをすることがあり、これが神籤の起源とされている[1]。多くの神社仏閣でみられる現在のおみくじの原型は元三慈恵大師良源 (912 - 985) の創始とされている(比叡山の元三大師堂は「おみくじ」発祥の地として知られる)[2][3]。元三大師が観音菩薩より授かったとされる五言四句の偈文100枚のうち1枚を引かせ、偈文から進むべき道を訓えたのが原型とされる。籤に番号と五言四句が記されているのはこの偈文100枚が由来である。」

・・・神社でも寺院でも、同じようなタイプのおみくじが多いが、

それは、おみくじ製造の七割が、山口県周南市にある「女子道社」で作られているのも原因の一つである。

さて、巷には、「大吉が出るまで、何度も引き続ける人が」いる。(かつて私も、悩みがあった時は、そうしたことがある)

これは・・・ダメ。NGでは無いが、「最初に引いたおみくじが、神仏から授かった御指示」なので、それが「凶」が出たからと言って、大吉出るまで引き続けるのは良くない。すなおに「凶」をいただくのが道理。

神社でも、寺院でも、最初にちゃんと神様仏様をお参りした後に、引く。

「お聞きしたいことがあれば念じて」、何もお聞きしたいことが無く、ただ、その年の運勢を知りたければ、素直に引く。

そして、おみくじの中にある項目の、お聞きしたい項目を見る。恋愛なら恋愛。健康なら健康と。ただ、時の運勢が知りたいだけなら、全部読む。

「凶」や、良くない結果が出れば、引いた神社・寺院の「おみくじを結ぶ所」に結んで帰る。

「大吉」「吉」など、良い結果が出れば、「御守り」として持って帰ってもいい。

諸説ある中、良い順は、

①「大吉 吉 中吉 小吉 半吉 末吉 半凶 凶」

②「大吉 中吉 小吉 吉 半吉 末吉 半凶 凶」

私は、今までの経験から、中吉や小吉より、「吉」の方が、内容が良い御神籤が多いため、①を取る。

天台宗の寺院で、住職から昔教わったのが、

おみくじの上部にある四行・・・(無いタイプもある) の、

位置関係は、「引いた人の年齢」に対するアドバイス。

一番右行は、「若い幼い人」、右から二行目は、「青年の年の人」、右から三行目は、「中年から晩年」、一番左の行は、「晩年」の人へのアドバイス。

下部の項目は、それぞれの「総合」「売り買い」「病気」「生き死に」「恋愛」「待ち人 (恋では無い) 」「その他」。

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動物実験と因果・・・

2022-05-27 17:16:48 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

もともとは、キリスト教世界の国々から始まった動物実験。

しかし昨今、そのキリスト教世界の国々は、「残酷だ」と考えを改め、代替実験に切り替えている。

日本は、「動物実験の廃止を求める会 JAVA」の活動で、企業 (食品・化粧品ほか) の動物実験は、だいぶ少なくなってきた。(かつては、大手企業も、犬・猫も実験に使っていたが、犬や猫は痛がるため、表情を変えないウサギを使っていた企業もある)

https://www.java-animal.org/animal-testing
 
しかし、医療関係・医薬品関係者は、いまだに「動物実験」を、止めない日本。
 
仏教とは真理そのものであり、宗教ではない。その「真理そのものの仏教」の視点から見てみよう。
 
「人類のため」「人々の健康のため」と、人間の手で繁殖を繰り返し、動物実験をし続けて、用済みになれば、捨てる。
 
これを繰り返していくと、その因果応報から、
 
「人類には、常に新種のウイルスが出現して襲い掛かり、常に新しい病気が出現」していくのを、永遠に繰り返すことになる。
 
昔50歳、今は80歳が普通に生きられるようになったからと言って、
 
誰しも死は訪れる。
 
どれだけ健康な人間であっても、年老いたら必ず病気になる。
 
そのことから目を背け、「人類のため」と、動物実験を繰り返すのは、これ以上無い愚かなことである。
 
タイヘンな苦労の中、活動を続けている、JAVA 「動物実験の廃止を求める会」の方々に感謝を申し上げます。
 
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