天下人ならぬ田舎人

いつも故郷を想い、心は永遠に田舎人が、今伝えたいことを伝えます。

大国実頼の子孫

2009-10-26 22:31:27 | 日記・エッセイ・コラム

やっぱり、そうか。
昨日の天地人のドラマの冒頭で、大国実頼の子孫を紹介していましたが、中学時代の同級生の大国さんのお父さんのようです。大国さんのお父さんは、自宅に大がかりな天体観測の施設、いわゆる天文台を備えています。南陽市は天体観測に適していて、そのために引っ越してきたとも聞いています。

同級生の大国さん(女性)は、成績優秀、スポーツ万能、明朗活発です。珍しい苗字なので、家系がすごいのかなとなんとなく思ったりもしていました。

中学時代のことですが、彼女が私に「数学を教えてほしいと」と頼み込んできたことがありました。私はたまたま数学のテストでいい点数を取り、それを聞きつけての行動なのかわかりませんが、正直、私は「聞く人間を間違っていない?」と心の中で叫んでしまいました。その場は、質問された内容に答えることができたのでボロを出さずに済みました。

北海道への修学旅行では、些細なことから彼女を怒らせてしまったことを今でも覚えています。いろんな観光地を周ったのですが、その見学よりも彼女とのトラブルのことを鮮明に覚えています。たぶん彼女はもう覚えていないでしょうけどね。

中学の時は、大国実頼や直江兼続の存在などまったく知らず、彼女とはクラスメイトとして普通に接していましたが、今思えば、大国実頼の末えいがすぐそばにいたなんて信じられません。


直江兼続と高畠

2009-10-18 15:57:58 | 日記・エッセイ・コラム

山形県東置賜郡高畠町に日本三大文殊の一つとして「亀岡文殊堂」があります。「三人寄れば文殊の知恵」と言う言葉で有名な文殊菩薩を祀っている神社(天満宮)です。地元の受験生は必ず祈願しに訪れる場所になっています。

直江兼続が米沢に移封後、この亀岡文殊堂で詩歌の会を開き、その詩歌が奉納されています。

8月の山形帰省の際に、亀岡文殊堂を訪れました。そのときに、その詩歌の原本を写真に撮ったものを展示していました。詩歌の内容までは理解できませんでしたが、直江兼続はじめ、弟の大国実頼や前田慶次といった武将の名前を確認することができました。

上杉家復興と新しい町造りに取り掛かる時期に、詩歌の会を開くことは、窮屈さの中にも希望を見い出し、上杉家臣団の決意を新たにするための直江兼続の(いい意味での)演出ではなかったのかと個人的に思っています。

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直江兼続と米沢

2009-10-12 17:43:25 | 日記・エッセイ・コラム

事実を忠実にドラマ化するのが大河ドラマではないと思いますが、脚色により多少事実と異なる内容に仕上っていますので、直江兼続と米沢について補足します。

上杉景勝が会津若松に国替えになったとき、直江兼続は豊臣秀吉の意向で米沢城主になっています。これは疑いのない事実です。関ヶ原の戦いの後、徳川家康が上杉景勝をその米沢に移封を命じるわけです。上杉景勝は、自分の部下が治める米沢に追いやられたわけですから屈辱的な移封といえるでしょう。直江兼続も同じ気持ちだったでしょう。

話が変わりますが、お盆休みで山形に帰省した際、米沢に行き、上杉博物館で行われている「天地人博2009」や上杉神社を見学してきました。上杉博物館には、織田信長が上杉謙信に送ったと伝えられる「洛中洛外図屏風」や数多くの資料が展示されていました。また、大河ドラマに関するものも展示されていました。

上杉神社周辺は、私が高校生だったころに比べて、きれいに整備されびっくりしました。上杉神社の隣に米沢工業高校があったのですが、高校は他に移設し、その跡地は伝国の杜と称し、公園や上杉博物館になっていました。

上杉神社も以前にはなかった、上杉鷹山の銅像が建立されていました。以前のブログでも紹介しましたが、米沢の人間は、米沢の基礎を築いた直江兼続よりも九代藩主(初代藩主を上杉謙信とする場合は十代藩主)上杉鷹山の藩政改革の功績を称えます。それは、藩主かその家臣かの違いもあるのかもしれません。ただし、上杉鷹山は、直江兼続を師と仰ぎ、その精神を受け継いで藩政改革に取り組みましたので、上杉家または米沢の人々に直江兼続の心が宿っているのではないでしょうか。

今思えば、米沢に行く前に、直江兼続のゆかりの地についてもう少し調べておけばよかったと後悔しました。「天地人博2009」の会場に行けば、「愛」の兜が観られるのかと思っていたら、それを所蔵しているのは、上杉神社稽照殿であることがあとでわかりました。また、直江兼続や前田慶次が愛用した甲冑や武具は、宮坂考古館に展示されていることもあとでわかりました。これから米沢を訪問される方は参考になさってください。

私は、今回の訪問で、米沢は上杉の城下町であることを再認識しました。

注意:「愛」の前立てはレプリカで、フラッシュ撮影しないことを条件に撮影許可が下りています。

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