29日(火)、一頃定番コースでしたが久々に走ってきました。
(芦屋のライト坂~芦屋霊苑横~六麓荘町日の出坂~苦楽園~鷲林寺~五ヶ池)
走るだけだと何の面白味もないので、昔の歴史が残る所を休憩♪がてら走りました。
ここは六麓荘町の交差点から、日の出坂を上って行く途中にある六麓荘緑地で皆さんもよく知っている所ですね。
坂の途中なのでここで止まる人はほとんどいません。私も初めて止まりじっくり観 . . . 本文を読む
2016年3月26日に開業した北海道新幹線が昨日今日とニュース等で華やいでいます。
そんな中で同じくJR西(JR神戸線)が同じ日に開業したのが摩耶駅と東姫路駅があります。
国鉄からJR西に変わってからJR神戸線で開業したのが、20年前の甲南山手駅(1996年10月)に続き、9年前のさくら夙川駅(2007年3月)、それに8年前の須磨海兵公園駅(2008年3月)と合わせて5駅の開業となりました。
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宝塚と言えば宝塚歌劇団の町、神戸と言えば最近悪いイメージのニュースが多いです。久しぶりに神戸から宝塚へ走ってみました。毎回同じ鳴尾御影線から旧国道を走って武庫川橋に到着、悪いことに工事中のネジが刺さるハプニング。ここは旧中国街道の小松の渡し(西新田の渡し)場があった所です。*左岸(尼崎側)から呼ぶのが正式で西新田の渡し(西宮側は小松の渡し)。武庫川橋から右岸道路を走り、武庫大橋から左岸道路へと走る . . . 本文を読む
大坂の陣による豊臣氏の滅亡後、畿内大名の所領配置は大きく変化、政治的軍事的要所には有力な譜代大名が配置された。そのひとつに元和3(1617)年の戸田氏鉄入封による尼崎藩の成立がある。神戸市域の東部沿岸地域はほぼ尼崎藩領である。また所領が入り組んでいるのもこの地域の特徴であり、市域でも幕府領・明石藩領・旗本領などさまざまな所領があることが確認できる。さらに明和6(1769)年には幕府は西摂海岸寄り . . . 本文を読む
前回からの続きです。
自宅から鳴尾御影線(夙川で一旦途切れる)を走って行くと与古道町公園前の交差点にたどり着きます。
今日は中国街道を忠実(寄り道が多い)に神崎川の神崎の渡しがあった所まで走ってみました。
先ずは正念寺南筋の旧国道が中国街道の始まりです。
東川に架かる宝橋と本町橋を斜交いに走っていきます。
阪神今津駅横から新川橋をへて鳴尾北の幼稚園から鳴尾神社へ寄り道。
阪神電鉄の八幡 . . . 本文を読む
今回は有馬道起点と西国街道が交わる本住吉神社前から西国街道を東へ走り、浜街道との合流地点を経て、更に西国街道と中国街道の合流地である西宮与古道町から中国街道を神崎川(神崎橋)まで走ろうと思います。
西国街道や中国街道と言っても普段通行している道に何ら変わりがありませんが、目的は昔の人々が街道周辺の景色がどのように映ったのか携わったのか、そんな現代版の景色を取り入れながら探してみました。 探すの . . . 本文を読む
今回は地元の東灘から更に灘区の歴史ある道標等を巡ってみました。
その前に、前回行けなかった平野城(御影村城)址にまつわる場所へ寄ってみました。
(前回写真)阪急御影駅北側にある石碑。
ここは平等山中勝寺と言う寺院です。(御影町群家)
永正2年(1505)平野秀満が祖先の平野城城主、備前守平野忠勝の菩提寺として平野山忠勝寺を開いた寺院です。
昭和初期の火災後再建されて現在の平等山中勝寺に改 . . . 本文を読む
前回は神戸西国街道まわり道(西国浜街道)で東灘区の歴史街道をたどってみましたが、今回はまだブログで取り上げていない東灘の歴史にまつわる地の石仏、石碑や道標等を自転車で巡りました。
「東灘区の紹介」。
1950(昭和25)年4月1日、まず御影・住吉・魚崎の三ヶ町村が神戸市に合併し、ここに東灘区が誕生したのである。そして、半年後の10月10日に残りの本庄・本山の両村も合併し、現在の区域になった。(東 . . . 本文を読む
天気は良いが風があって毎日寒い。
温もる為に渦が森台へ上った後にお昼まで近場ポタ。
最初に訪れて所は御影の天神様で馴染みの綱敷天満神社。
綱打神事(1月8日)で打たれた大綱を三巻き半にされた注連柱。
天満宮と言えば神使の牛、それに神紋の梅。
石屋川側にはお稲荷さん。
灯籠の1つには菊花紋(右)と奥の灯籠には梅紋。天神様の梅もやっと見ごろになりました。
この後は . . . 本文を読む