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48歳で一型糖尿病を患うも、べつだん普通に生活している男のブログ

少しは役に立ちたい

2021年01月29日 | Weblog

 長年ダラダラとくだらないブログをやってきました

 最近はてんでほったらかしでした

 時が流れ、私もいい歳になってきました 半隠居の身、時間もたっぷりあります 少しは社会の役に立ちたいと思うようになりました

 そんな時マンションの管理人室からインターホンが鳴り、管理人室に来てくれと管理人に言われました

 伺うとインシュリンの件でした 話を聞くとどうも管理人は糖尿病ではなく、何かの治療で使う薬の副作用で血糖値が上がり、インシュリンを打つようになったようです

 

 私の場合1型糖尿病で、糖尿病内科で診察してもらっています 専門医です

 初めてインシュリンを打つ時、事細かく教えてくれました 思えば発病してもう八年になります まだ生きています

 ところが管理人は別の病気なので糖尿病専門医ではありません そのせいなのかインシュリンの扱い方も血糖値の測り方も通り一遍のことしか知らず(私から見れば何も知らない状態と言っていい)困って私がインシュリンを打っていることを知っていたので意見を求めたのでした

 夏場は冷やす事や血糖値を測るときの突き刺しのメモリの合わせ方、管理人の指の皮の厚さに適したと思われる針の目盛り等いろいろ教えてあげました

 教えると言うのは楽しいものです 以前菓子問屋で営業していた頃、部長に「人は知識を教えたがるから、得意先の顧客が何か教えてきたら『ふむふむ、なるほど、勉強になります』と素直に話を聞いて持ち上げろ」と教えてもらったことがあります

 管理人の要請に答えて気をよくした私は、ブログに書けばひょっとしたら誰かの役に立つかもしれないと思い出しました

 それでこのシリーズを始めたのです

 第一話、針の処分方法 私の場合

 私はどこで注射を打っても消毒綿も針も全部持って帰ります 他所で捨てません 堺東の高島屋のトイレに 注射針等捨てないでください とお願いの貼り紙がしてあります

 ひどい人がいるもんです  トイレの屑入れに注射針を捨てるなんて おそらく〇〇な人が平気で自分さえ良ければいいと捨てるのでしょう まともにやってる我々にとって最も迷惑な人です 同じ病の者として許せない

 

 打ち終わった注射針、私はジュースの紙パックに集めてたまったらホチキスで栓をして病院に持っていって処分してもらっています

 ペットボトルを使う人が多いが、石油由来の材質今の時代にそぐわない ガラスは重いし割れる

 紙パック履けっこう頑丈で軽いし環境にもいい 是非お試しを


ありがとう今村豊

2021年01月26日 | Weblog

 大昔の話です

大学を卒業しても定職につかなかった私は若いのにダラダラと過ごしていました

 ふっと競艇にでも行こうと思い立ち、住之江競艇場に向かいました ネットも携帯もない時代です えらい苦労をして競艇場に着きました 当時は千円単位、百円単位と投票が分かれていて、千円単位の発売所しか見つけられなかった私は、あっという間にスってしまいました

 しかし何故かハマり、ちょくちょく行くようになりました

 舟券購入の方法(当時はお釣りも出ない)や、競技方法、選手だんだんわかってくるとなかなか面白い やがて記念レース、記念レーサーを覚え始めました 記念レースとは各競艇場(全国24場)で年に一二度行われる祭典のようなレースで全国の有力なレーサーが出場します その上に鳳凰賞、選手権(ダービー)、MB記念、笹川賞と4大レースがありました それに賞金王が始まって間もない5大レースの頃です

 

 大阪の私、地元選手も気になりますが、全速ターンとほぼオール6コースというレーススタイルの山口出身の今村豊選手のファンになりました

齢も近い

 やがて休みの日には(もう働き出していた)住之江や尼崎、琵琶湖など今村選手の出場するレースには行くようになっていました

 不利な6コースからまくるレースはものすごかった

 ただ住之江は当時は軽量ボートで全速ターンができず苦戦していました

 軽量ボートはインが有利、大口投入者のために軽量ボートを採用しているとのこと 

 その頃はバブル絶頂でボンと大金を貼る人が多かったのでしょう

 

 平成元年の春、笹川賞が山口県の下関競艇場で行われることになりました 今村選手の地元です

 笹川賞はゴールデンウイーク開催なので私は密かに行くことにして計画を立てました

 当時自動車を持っていなかった私は、マウンテンバイクをフェリーに乗せて大阪南港から門司を経由して下関に向かったのでした

 

 当時競艇場においてあった無料パンフレットに今村選手の特集が組まれていて、今では考えにくいのですが、およその住所と自宅の写真が載っていました 奥さんとペットの犬のパトラッシュと過ごしていると書いてありました

 

 私は下関競艇場だけではなく、今村選手の自宅に伺う計画を立てました 火野正平みたいに輪行で厚狭駅へ行き、そこから自転車でパトラッシュの餌を土産にサインをもらおうと向かったのです 駅からだいぶ遠かった

 玄関先に手紙と犬の土産、白色紙と私宛の自宅宛の封筒を置いてその場をさりました

 数日後、律儀な今村選手はサインを送ってくれました

 ずっと黙っていましたが、もう引退したしいいだろうと思いここに書きました

 人生の途中、家族を持つとき一旦競艇断ちをしていましたが、時が流れ事情も変わり、懐かしさもあって数年前から競艇を再開していました

 ハマり出した頃の競艇選手はほぼみんな引退していましたが、今村選手は健在でした 嬉しかった

 今は便利です 競艇場に行かなくてもネットで全国24場の舟券が買えます

 正直一昨年の徳山の名人戦で引退するのではないかと思っていましたが、舟券と一緒でこの予想は外れました

 ただ徳山が最後というのは当たりました 

 前触れもなくサラッとやめるところがすごい 一言事前に言うと大騒ぎになるからでしょう 大物は違う

 今までありがとうございました ご苦労様でした

 しかし寂しい 

 写真は徳山競艇場に貼ってある写真 多分平和島ダービー優勝時と思う