調整中

48歳で一型糖尿病を患うも、べつだん普通に生活している男のブログ

打ちっぱなしで予定終了

2007年12月31日 | Weblog
 新年三日の日のゴルフに備え、今日は打ちっ放しに行って、最後の微調整というか、悪あがきというか それで今日の予定は終了です
 今年は大掃除の手伝いもせず、”丸投げ”です
 打ちっぱなしの帰りにスポニチを買って、スミノエ競艇のネット投票で餅代稼ぐ予定です
 競艇は展示航走の見極めが収益の基本です 私に言わせるとスタート練習に重点を置くギャンブラーはまだまだ “青い” ですね
 詳しく説明したい気もありますが、苦労して知り得たノウハウ、もう少し大事に小さな胸にしまっておこうと思っています

 話が飛びまくりましたが、皆様よいお年をお迎え下さい
                                            平成十九年大晦日

女子高生と行った修学旅行2

2007年12月30日 | Weblog
 関空に集合でした 夜の21:00頃の離陸予定だったと思います けれども関空の集合時刻は17:00頃でした 異常に早いのです けれども、すぐに理由が分かりました 事態に対応できるようになっていたのです
 関空の駅前広場で点呼が始まりました と同時に細かい最後の注意事項等の説明があり、そして私が随行カメラマンという事で紹介されました
 女子高生は皆制服です オーストラリア入国後すぐにホテルに向かう手はずで、それ迄は制服行動と念を押されていました
 そしてみんなパスポートを持っているかの確認と荷物検査が始まりました
 信じられない事に1人の女子高生がパスポートを家に忘れている事が判明しました びっくり仰天です
 けれども、担任の先生やその他の先生は驚く事もせず、黙々と対応していました そうです こういう事態をあらかじめ想定していた教師陣は、速やかに対応できるよう異常に早い集合時刻にしていたのです

 極端な話、とりに帰っても間に合うような集合時間でした
 その子の場合は、親族がパスポートを持ってきてくれるという事で一件落着です

 海外に行くのにパスポートを忘れる というのに絶句し、そしてそれをあらかじめ察知し、速やかに処理した人たちを見て、教師という仕事は大変だなあと、わたしは驚いて、感心してしまいました

 さて仕事の始まりです ええとしこいているので、女子高生から嫌われると仕事になりません この点は旅行中、重々気をつけていました 幸いな事に、女子高生達も楽しい旅行で気分がいいのも手伝って、私を心地よく迎えてくれました
 空港のカウンターですこしスナップ撮影し、時間がたっぷりあるので本屋に行ったりして時間をつぶしました 次の集合は飛行機乗り場です そこに離陸の30分ほど前に集合との事でした
 やがて乗り込みが始まりました パスポートを忘れた子も段取りを完了し、無事乗る事ができました
 飛行機の座席は後ろの方になっていました 正確に言うと後ろに押し込められたのです 後日のミーティングで私は知る事になるのですが、昨年の反省から旅行会社が、他の乗客に迷惑をかけないよう後ろの席を手配したのです
 
 これは正解だったとしか思えません

 スチュワーデスが機内で写真をとってもいいという事なので、離陸迄写真を撮りました やがて離陸の時が迫り、私は席に座りました 副校長の横でした

 無事に離陸し、シートベルト解除のランプがつきました

 ゴングのようでした

 カサカサという動く音で始まり、やがて得意の黄色い声が響き渡ると、ほぼ一斉に動き出した彼女らは思い思いに場所に陣取り、機内後部は瞬く間に混乱しました 体が若くて柔らかいのでしょう 座席と座席の間に三角座りをしだしたりしています もちろん通路は彼女らに征服され、その機能を失っていました
 一部の生徒はどこで着替えたのかパジャマ姿でした それで寝てりゃいいものをパジャマでウロウロするのです 強烈です
 先生達の注意が始まりましたがなかなかおさまりません 制御不能です 当然スチュワーデス代表から、仕事ができないと公式に苦情が来ていました 
 もう傑作な世界です 私にとっては対岸の火事ですから、その異様な光景をすっかり楽しんでいました
 隣の副校長も口で注意していますが効果ありません あちこちで黄色い声が増大し、音楽迄聞こえてきました
 後で知ったのですが、昨年の旅行で、去年使ったホテルから宿泊拒否されたとの事でした 航空会社からも注意の上、許可が出たそうです
 これは学校側の先生方は知らない事で、この旅行で添乗員で来ていた旅行会社の人に、わたしはそっと教えてもらったのです

 機内食が運べない とか常にもめていました
 
 撮影できないので座席に座っていましたが、いつのまにか私は騒ぎになれ眠ってしまいました

 やがてオーストラリアが近づいてきました

 つづく 


パセリ7

2007年12月29日 | Weblog
 今日やっと仕事が終わりほっとしています 気が緩んでしまっていた私は本日堂々と遅刻してしまいました もう昨日の段階でやる気がキレてしまっていました 社長すんませんでした
 正月になれば酒も飲めます 待ちに待った解禁です それにゴルフもあります 久しぶりの友人と行くので会うのも楽しみですし、プレーもどうなるか楽しみです

 友人にゴルフ好きのトラック野郎がいます 私より年上でもう50近いと思います 昔会社が一緒で、そこをやめてトラック野郎の道を選んだ奴です パンチパーマをあてていて、一重まぶたで人相が怖く、体系もゴリラのようで一見すると怖い男です しかし実際は優しくて、気さくな男なのでずっとつき合いしています 彼もゴルフが好きでよく行きました

 奈良にコマカントリーというゴルフ場があります 昼ご飯がおいしいゴルフ場で、一度行くとみんなまた行きたがるゴルフ場です そこでトラック野郎と他の友人二人と私、合計4人でコマでプレーしました

 トラック野郎はパンチパーマなので、黒いパセリとあだ名されていました パワーはあるので、当たればすごい飛ぶのですが、小技 特にパターは下手です そして大酒飲みです プロドライバーには思えませんが

 夏の終わりの暑い日でした 午前のプレーを終え、昼の食事となりました 私と黒いパセリは朝のスコアの悪さを紛らわそうとビールをがぶがぶ飲みました 残る二人は友人とはいえ後輩なので、我々二人は遠慮無しのやりたい放題です 運転もなしですからなおさらです
 昼のプレーが始まりました すっかり出来上がった二人はスコアは二の次で、仲間のプレーをののしりながらホールを重ねました 茶店でも飲まな損という感じで飲みました

 南コースの最後のロングです パセリは3オンしました たいしたものです その頃には4人とも暑さと疲れとでふらふらでした それに二人は酔っています そんな中での3オンでした
 他の物はそのロングをダボやトリプルであがりました 3オンしたパセリは「セブンパットの10!」と答えました

 その日から黒いが消え 7 がつくようになったのです



巨足

2007年12月28日 | Weblog
 今日、靴を買いに行きました 行ったのは大きな量販店です
 私は、衣料品を買うのが嫌いです 何が嫌かと言うと試着がどうも気に入りません めんどくさいし、店員としゃべるのもウっとうしいのです 
 だから、買う服と言えばジャケットやシャツの試着のしない物で、気に入ったのを買います だから、ズボンなんかは滅多に買わないので服は上ばかりです
 最近はパタゴニアなんかのカタログでいいのを通販で買ったりしています ますます服屋にはいきません
 
 ズボンとともに問題なのが靴です こればかりは試着しないとどうにもなりません
 タイトルにあるように私の足のサイズは28(公称値)あります 28でも入らないメーカーもあります 最近は28のサイズをおいている店が増えましたが、それでもデザインで気に入ったのをなかなかゲットできません 入る靴がなかなかないのですから
 でかい足に悩みます 体の違う所がでかければ幸せな悩みだったかもしれませんが
 
 羽振りのいい頃はよく海外に行っていたので向こうで買ってきました 向こうに行けば私のサイズは標準に近いのでしょう 気に入った靴のサイズは必ずといっていいほどありました だから困りませんでした

 時が流れ、もうほとんど海外に行く事はなくなっています もうあの世だけかもしれません
 それで、靴の供給が止まり、困っているのです

 今日も靴屋に入り、気に入った靴のサイズがあるかどうか店員に尋ねました 優しそうな店員でした 案の定ありませんでした 店員はこれならありますと違う靴を持ってきました デザインは気に入りませんでしたが、私の足にフィットしました もう入る靴があっただけでよかったと思い、それにしようかと値札に目を通すと、予算の倍以上でした
 素直な私は正直に予算オーバーの旨店員に伝えました
 優しい店員は最初の選んだ靴の大きいサイズが他のチェーン店に無いか調べてくれました
 近くの店に奇跡的にあり、あすこの店に取り寄せてくれるとの事でした 私は一つ大きな不安がありましたが、店員の手配に敬意を表し、明日くる約束をしました

 大きな不安  それは取り寄せてもらった靴が入るかどうかです

ゴルフ インパール作戦

2007年12月26日 | Weblog
 一時はゴルフにはまりました 当時の会社の同僚らにゴルフを勧め、みんなで楽しんでいました しかし、サーフィンをやりだすとそちらにウエイトが移ってしまい、ゴルフはつき合いだけの物になり、最近はほとんど行かなくなってきました
 同僚達も最初は誘ってくれましたが、私がゴルフに気が入ってないのが判るようで、お呼びもかからなくなってきました それはそれで私自身喜んでいました ゴルフは数字が残るのでイヤなのです もちろん、気が入っていればスコアを縮めようと努力するのですが、そんな気がぷっつりとなくなっていました

 妹が結婚して新しい弟ができました 彼はゴルフが今面白くてたまらないらしく、今年の夏、困った事に彼は義理のパパ つまり私の実の父にゴルフに行きたいと嘆願したのです
 必然的にお呼びがかかりました 一年ぶりのゴルフです 正直行きたくなかったのですが、新しい弟の手前やむなく同行する事にしました
 ゴルフへの気持ちがぷっつりと切れている私は、打ちっぱなしも行かず、ぶっつけ本番で挑みました 

 当日の一番ティーで私はボールがないのに気づきました 仕方なく弟に3球もらいました それを見ていた父が、「ボールもないんか」と私に噛んできました
 表面上は精一杯楽しそうにしてるつもりですが、心の中ははなからやる気ありません
 私は太平洋戦争のインパール作戦で日本陸軍が、食料と弾薬等の補給を、なんとやっつけた敵からぶんどって進むという、劇的というか近代戦争では考えられない作戦をふっと思い出し、「ボールはコースに落ちているOB球を拾って使うわ インパール作戦ですわ」と言いました

 キャディが吹き出しました

 そんなゴルフなのでスコアもめちゃめちゃで途中から記録も放棄しました
 
 それ以来、弟は私の前でゴルフに行きたいとは言わなくなりました

 ところが最近、先日のブログにも書いたのですが、スイングにヒントを感じ、ためしに打ちっぱなしにいってみるとビシバシと球が飛ぶのです
 
 急にコースに行きたくなりました 現金な話です 
 正月の3日ゴルフ予約しました ちなみに義理の弟に声をかけましたが、彼は丁重に断ってきました
 また報告できそうならブログに書き込みます


女子高生と行った修学旅行1

2007年12月25日 | Weblog
 数年前、写真館のアルバイトを私はしていました 冠婚葬祭の撮影のアルバイトで、趣味がてら楽しんでやっていました その写真館は得意先に私立の女子高校を持っていて、卒業アルバムを筆頭に、文化祭、体育祭その他行事を撮影していました 当然、社員の方が担当で、仕事をこなしていました
 高校には修学旅行があります 大きな学校は修学旅行を2~3隊に分けて行います そのため、カメラマンも1隊に一人つけないといけません 
 その年はオーストラリアに2隊に分かれて行く事になっていました つまり最低カメラマンが二人いるのです
 海外の修学旅行はその学校にとって2回めという事でした
 具合がいいのか悪いのかちょうど人手が足りなくて、私に声がかかりました

 女子高生 なんと響きのいい言葉でしょう 甘く楽しいイメージが先に立ちます 

 簡単でない仕事というのは理解していました さんざん社長から注意と念を押されました 大丈夫かいな とみんなに言われました

 もし、撮影に失敗したら、彼女達人生一度の思い出の記録がグンと減ります 公式集合写真なんかなくなってしまいます そういうリスクの上、ちょうどフイルムからデジタルへの移行期で、その年の修学旅行からコストの安いデジタルに撮影手段が変わる事になっていて、そういう不安もありました

 それでも甘いイメージに誘惑された私は断らずに受けたのです

 本決まりになり、学校の打ち合わせに参加し、挨拶をすませ準備を整えました 昨年行ったカメラマンに様子を聞きました 昨年は海外第一回目ということでかなり苦労したようでした 行程に若干の無理やアクシデントがあるとしわ寄せが我々にも来ます かなり段取りよくやらないとということでした
 ちなみに一回目は夜景か天体観測かのプログラムがあり、夜中に生徒達を外に連れ出して、それでかなり混乱したとの事で、今回はそれで懲りたのでしょう 日の高いうちに宿舎に彼女達を確実に収容して、宿舎から朝迄外へ出れないようにしていました
 それと移動が多すぎてかなりヘビーな旅行だったという事で、今回は一つのホテルの滞在型となっていました
 これは行く前、私は物足りないと思いましたが、現実は大変助かりました
 
 いよいよ出発の日がやってきました 関空からのカンタス航空だったと思います オーストラリアの航空会社だった事は間違いありません クルーも大変だったでしょう

 私は機内での光景に度肝を抜かれました
 つづく

茶色い近鉄電車

2007年12月24日 | Weblog
 近畿日本鉄道 JRを除くと日本で最大の私鉄です 私はあまりよい思い出はありません
 数年前、伊勢に友人らと数人でサーフィンに行きました 行きは車で走りましたが、私はその日の午後に大阪で用事があったので、近鉄特急で大阪に帰る段取りをしました そこ迄してもサーフィンを少しでもしたかったのです 朝5時頃からサーフして、9時頃にあがって、10時頃の特急で大阪に帰る段取りです 特急の予約もし、一緒に来た連中はサーフィンに夢中になって、駅迄送ってくれるはずも無いと思い、タクシーも予約しました 段取りは完璧です
 限られた時間サーフィンを楽しんだ後、うしろ髪を引かれる思いでポイントを後にしました ボードだけは友人に貸して、荷を少し軽くしました
 駅に着きました 鵜方の駅です ホームに入り、たしか3号車だったと思います ホームにデジタル数字で号車の止まる案内が出ていたので、私はそれに従い3号車の表示板の下で特急を待ちました
 板が無いと行ってもウエットスーツや着替え、それに今はやりの赤福のお土産と結構荷物になっていました
 アナウンスとともに特急電車が入ってきました しかし3号車は遥か向こうに止まりました 
 アクシデントを感じた私は表示板を見上げました 数字が即座に変わりました もう覚えてませんが6号車かなんかになったはずです

 近鉄やな

 と私は思いました ぼんくらの駅員が次にくる電車の表示をしないと行けないのに、前の出発した電車のままにしていたのです
 平日で、午前の上り特急で鵜方から乗るのは客は私だけでしたから被害は私だけでした

 サーフィンを途中で切って仕事に帰るそんな心境です 駅員にさんざん噛み付いてやりました

 近鉄は私はこんな経験多いのです 

 近鉄南大阪線というのがあります 終着駅は阿部野橋駅です
 他の鉄道は天王寺となっています 一社だけ呼び名が違うのです それが近鉄です
 阿部野の部という字も厄介で、阿倍野区の倍という字とも違うのです これが近鉄です

 その阿部野橋駅の自動改札ででも不愉快な思いをしたことがあります 天井からつり下げられている自動改札の表示は◯なので、そのの自動改札機にむかうと×がついていて入れません 出口専用になっているのです それなのに天井の案内は入口◯なのです
 直ちに駅員を呼びました 通れないとアピールすると、アホな駅員は『これは出口用になっているから入れないですわ ここに×がついてるでしょう」と改札機の機械のランプを指差しながら言いました もちろんその言葉には「ええとしこいてこんな事もわからんのかい」という感情がたっぷり入っていました

 私は軽く駅員の肩をたたき上を見上げさせました 通行OKの◯が爛々と輝いています

 攻守交代です さんざん嫌みをいってやりました そう近鉄です

 だいたい阿部野橋駅の朝のラッシュ時は、入口の改札機の配置設定が悪く、電車が着いて降りる客が殺到すると入口の自動改札が降りる客に囲まれ乗る事ができません 入口を端に寄せる等工夫が足りないのです 日頃乗っている方ならよくお分かりだと思います ターミナル駅で段取りが悪くて一時入構できないのです
 もっと知恵使えばいいと思うのですが やっぱり近鉄です
 
 私は幸い沿線住民ではないのですが
 

 

考える を考える

2007年12月23日 | Weblog
 思えば大学入学の頃から飲み始め、ほとんど毎日のように酒を飲んできました
 学生時代は酒飲みゼミと周りから言われ、教授や関係者の皆様には大変ご迷惑をおかけしました この場でお詫びいたします
 ただ、教授自らもかなり飲んでいたような気もしないわけではないですが
 大学時代に酒を覚え、学生時代も社会人になってからもそれが原因で結構失敗しました
 しかし、それでも酒とのつき合いを断つ事はせず今日に至ったのです
 40歳を超え、γーなんとかの肝臓の数値も300を超え、それでも飲み続け、朝起きるのに大変な苦労をし、日が沈むと中毒者のように酒を求める生活に嫌気がさし、12月の頭からおもいきって酒を断ちました もう3週間以上になります (ノンアルコールビールは除外)
 二月一杯迄やめる予定です(正月三が日は免責除外)
 体のだるさはあまり変わりません 厳密に言えば少し楽になった程度です
 けれども、一番変わったのはシラフで夜じっくりと考える事が続いてるという事です 高校時代以来の夜の思考です
 ほんのこの間迄はイヤな事や面倒な事は酒を飲んで大雑把に処理してきました
 
 酒はけっして悪い物ではないと思いますが、私の場合限度を遥かに超えていたようです 
 シラフで夜、読書や仕事、趣味のサーフィンや碁、果てはゴルフのスイング迄考えます 決して良くない頭ですが、時間をかけて考えていると少しずつわかってきた事があります
 「今までわからんかったんかい」と言われるかもしれませんが、なんともうしましょうか一皮めくれたというのでしょうか、ちょっとした今迄超えようともしなかったハードルを飛び越え、その先に広がる世界を知ったような気分です

 酒を飲まない人はとうに会得しているのかどうかはわかりません まわりみち、酒を飲んできた今迄も私にとって役に立っていると思うからです
 そう思わんとつらいし

 日頃のブレイクしたブログから今日はしんみりしちゃってまっすね

 実は、ゴルフのスイングである点を夜中気づき、今日打ちっ放しに行って実践してみるとうまく行ったからなのです
 単純でいいでしょう しかしそれだけでここ迄ブログ引っぱるのだから、少しは成長したのかもね
 それに酒を飲んでたらこう毎日は当然書けないでしょう

 

潜入!○○書店

2007年12月22日 | Weblog
 会社の帰り道に○○書店があります 今迄入った事はありません 準24時間営業みたいな形で夜中じゅうやっているみたいです
 恐らく、エロ関係の品物が大半を占める店だとは察知していました ちなみに経理課のKさんがその店に入ったり出たりするのを同僚にも目撃されています
 今日、私も好奇心とHな思いにかられ、入店してみる事にしました
 入ってすぐはジーパン等の衣料品や普通の書籍がおいてありました 小学生の子供も客でいました

 18歳未満立ち入り禁止ののれんがあります 私は躊躇無く突入しました

 色々おいてありました 薬局で売っている物迄あります
 一番びっくりしたのは体操服が売っていた事です
 どう書けばいいのでしょうか 例えば、 中学生や高校生の親御さんが娘に新しい体操服を買ってやろうと思って、来て買うようなシチュエーションではありません

 いろんな需要があるのでしょう

 18歳以上のコーナーは入り組んでいてひろく、強烈で目の保養になりました 経理のおっさんが入り浸るのがよくわかります
 なにも買いませんでした 正確に言うと金がなく、何も買えませんでした
 私の財布は入れているとすぐに使ってしまうので、札を入れないようにしています ちょうど「太陽にほえろ」のゴリさんが自分の拳銃に玉を入れていないのと同じ理屈です これはちょっと古すぎるかな

 秘境巡り たまにはいいもんですね


交通渋滞解決の切り札

2007年12月21日 | Weblog
 最近は大阪は不景気であまり聞かなくなりましたが、大都市の車の渋滞をどうするかで新聞紙面をにぎわした事があります 東京なんかは首都ですしこの時代でも渋滞に難儀してるかもしれません
 車のナンバーの末尾の偶数奇数で、その日走ってよい車を半分にするという提案を見聞きした事があります
 もしこれが法律化されるとわれわれ長期出張をする人間は一台では今まで通り回れなくなります
 ナンバーを二つ用意するか、出張日数を倍にして半分は駐車場待機となりますね そうなれば今度は駐車場が足りなくなったりして…
 
 いっそ提案ですが奇数日偶数日に男女で分けたらどうでしょうか

 そうなると当然男女の運転できる人間を企業は確保するでしょう 男女雇用機会もこれで完璧です
 長距離トラックや長期出張する我々をはじめ、運送業界、営業関係みんな男女ペアになって動き出すのではないでしょうか 雇用機会の倍増です
 そのうち愛が芽生えて少子化、晩婚化の解決になるのでは
 
 いやいや おかまがふえたりして 
 間違えないでくださいね 車両事故のおかまのことではないですよ