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48歳で一型糖尿病を患うも、べつだん普通に生活している男のブログ

僕は栄養失調で死にかけた3

2009年10月08日 | Weblog
 金曜日に再度病院に行き、採血したあと胃カメラを飲みました。胃カメラの検査員も数人いてラッキーなことに若い女性の検査員で、横に立つ看護婦も若い人でどちらも美人でした。たまにはいいこともあると思い、胃カメラを飲みました。胃カメラは3回目で、2回目の時に往生してえらい目に遭ったので今回も緊張で震えが来ました。もちろん胃がんの恐怖も手伝っていましたが… 検査員は恐らく新人なのでしょう。カメラを動かすのに体も動き、私の体にぶつかってきました。看護婦も、私を励ますように私の太ももを押さえていました。若い女性2人とのスキンシップにもう中年の私はその久しぶりの感触に至極幸せでした。胃がんでもいいやとどこかで思いました。
 検査が無事終わり、萎縮しているが異常はないと検査員は教えてくれました。次、胃カメラ飲む時も先生やってくれと頼んでおいたのは言うまでもありません。
 内科医の診察が始まり、採血の結果赤血球が増えそうな予兆があると言いました。胃も腸も異常なしとのことでした。
 私はそれを聞いて一息つきました。
 先生は次の出張も行ってもよいただし栄養のある物を食べて気をつけなさいと言ってくれました。
 出張開けに骨髄の検査結果が出るからほとんどはっきりするだろうと言いました。ペコリと頭を下げて診察室を出ました。
 恐らく、不摂生による栄養失調でしょう。
 運転中に気を失ったり、ホテルで動けなくなったりして危うく死ぬとこでした。
 今もしんどいですが、ほんまにしんどかったですね。
 
 おわり

僕は栄養失調で死にかけた2

2009年10月05日 | Weblog
 最悪胃がん、輸血は必至と医者に言われ、週末の二日間私はショックで打ちひしがれていました。恥ずかしい話ですが、実は家でごろごろしている私をずぼらものと思った嫁は怒って田舎に帰っていて、今一人暮らしなのです。
 一人の夜、準死の宣告を受けたような気分になっている私はデフレスパイラルのように落ち込んでいくのでした。
 長い週末が空け、月曜日になりました。車の運転は危険だし、乗って帰れるかわからない(入院で)のでバスで行きました。バス停はすぐそこですが、ふらふらしました。二日間食事がのどを通らなかったので悪化していたのでした。
 病院に着き、受付後問診から始まりました。問診担当の看護婦は紹介状を読み、私に尋問した後診察は13:00頃になるといいました。まだ九時なのにえらい待合時間です。病院は老いた患者があふれかえっていました。
 看護婦は待合室で待っていると疲れるし、何かあったら大変だということで内科の処置室の簡易ベッドを私にあてがってくれ、ここで寝転んで診察を待つようにといわれました。VIP待遇です。
 採血も大きな病院は採血室でするのですが、私の場合は寝台でしてくれました。 診察を最優先でするにも採血の結果が必要なので、結果が出るまで待つことになり、ベッドで老人に囲まれ寝転んで松本清張の本を読んでいました。
 途中エコーを撮ったのと、トイレに一回行きました
 血液検査の結果が出たのでしょう。診察室に呼ばれました。
 若い先生でした。時刻は13時を少し回っていました。
 私は先週言った医者に胃がんか大腸がんでそこから出血している可能性が高いといわれたこと、輸血は必至といわれたことを伝えました。
 医者はまだはっきりしたことはいえない、血液検査のもう少し細かいところの結果が出るまで寝転んで待っていてくれといわれました。
 疑われる病名は大きいのに診察はあっという間です。もちろん慎重に前の医者のように簡単なことは言えないのでしょう。もう少し寝転んで待つことにしました。
 3時前に先生が私のベッドまで来て、骨髄と胃カメラの検査をする その結果ではっきりわかるといいました。それらの結果は金曜日にわかるとのことでした。
 そして先生はしっかり食事しているのかバランスは悪くないか聞いてきました。 私は通風持ちなのでプリン体のものは食べません。 酒を飲むと食事はほとんどとらず朝も食べないし、昼も麺類などの炭水化物が多いと正直にいいました。
 先生の話ではお酒のみがこんな症状になる、その大きな原因は栄養不足で君もそれかもしれない。とりあえずビタミンBの飲み薬と点滴で処置して、金曜日に胃カメラを見て、そのときには骨髄の結果が出るはずだから最終的な診断は金曜日にしよう。といって尻に針を刺して骨髄液を抜き取り、その後点滴を始めました。

 栄養失調という直る可能性の高い病名が出てきてうれしくて、骨髄液を取る注射の痛みもなんともありませんでした。(次はもういやですが)
 そして金曜日を迎えることになります。
 つづく

僕は栄養失調で死にかけた

2009年10月04日 | Weblog
 半年ほど前から疲れやすくなり、昼休みも寝たくなり、休みの日もどこにも行きたくなくソファでゴロゴロするようになっていました。嫁からはうっとうしいとののしられる始末でしたが、何もする気が起こらないようになっていました。大阪にいる時は電車通勤なのですが、駅へ行くだけでぜいぜい息が切れ、症状は悪化の一途をたどっていました。
 酒飲みなので、きっとそのせいで肝臓が弱っているのだろう、だから医者に行けば酒を飲むなと言われるのは明白と思いいきませんでした。
 シルバーウイークに一日サーフィンに行きました。パドルで沖に出るだけでぜいぜいと息は上がり、なかなか落ち着きません。あまりにしんどいので浜に戻ると立っていられず、砂浜に倒れ込みました。
 潮時と思い、連休明けの木曜日に会社の近所の循環器系の内科にいきました。先生にしんどくてたまらない、何のやる気も起こらないと伝えました。血液検査のための採血をし、肝臓用の点滴を一本打ってもらいました要は採血の結果まちです。看護婦は一週間したらまた来てくれと言いました。
 次の日の金曜日、会社に、行った内科から電話があって電話をくれとの事でした。電話すると、あなたの血は人の三分の一しかない、今日医者にこいというのです。 慌てた私はすぐに医者に行きました。医者は「赤血球が人の三分の一しかないし、他の数値も異常である。いつ倒れてもおかしくない。紹介状を書くので明日の土曜日もやっているこの病院に行きなさい。すぐ入院になる筈だ。」と言いました。一週間かかると言われていた結果がもうでていました。
 仰天した私は間違っていてもいいから考えられる病名を聞きました。医者は「胃がんから大腸がん、白血病いろいろ考えられる。まず輸血するだろう」と強烈なことを言いました。私は目の前が真っ暗になりました。が、気を取り直し、入院するなら家のある堺の病院出来れば◯◯病院を紹介してほしい。土曜日診察なくても月曜日まで家で安静にするからそうしてほしいと頼みました。
 先生は快く応じてくれました。身辺の整理はしていったほうがいいか聞きましたが、それには答えてくれませんでした。
 長い土日の始まりでした。

 次回につづく