生駒のアラ還の独り言

医療業界のあることないことを独断と偏見で綴る

「生駒市病院事業推進委員会」を崩壊させるな

2010-03-30 17:42:31 | 日記

 「生駒市病院事業推進委員会」にかかる条例修正議案が否決されたことは先日の記事の通りです。今日は、議会、審議会や諮問委員会等における民主主義についてもう一度原点に立ち返ってみたいと思います。
 条例修正議案の主旨は、特定の委員(=医師会代表委員3名)にのみ拒否権を持たせる条例は改正すべき ということでした。私はもう少し突っ込んだ話をします。
 医師会代表は拒否権を有しており、その他の委員との不公平さを生んでいるということは当然のことですが、それがどういう影響をもたらすかという点こそが最大の問題点なのです。即ち、拒否権を有する委員がいつ何時 辞任という最強カードを切ってくるのか、もしそのカードが切られたらせっかくの委員会が開催不能の事態に陥ってしまうということを心配し、他の委員は拒否権を有する委員に対しての舌鋒が鈍るもしくは言いたいことも言えないことになります。”物言えば唇寒し”です。
 そこには民主主義は全く存在しません。
 民主主義では、少数意見の尊重が大事です。しかし参加メンバーが自由に発言できる保障があることの方がもっと大事です。よって、一委員が他委員の議論を封じてしまうところに、民主主義の観点からこの条例に致命的欠陥があると考えます。条例自体が憲法違反であるという意見もある識者から聞いたこともあります。 
 民主主義を否定するような条例を作った市議会は、改めて条例を全員一致で早急に修正しなくてはなりません。議会としての最低限の良心もしくはモラルの問題です。
 もし仮に生駒市議会に拒否権を持った議員が1名居たら、その他議員はどうするのでしょうか。議会も市行政も絶対成り立たないでしょう。自らのこととして考えてください。推進委員会も同じことなのです。
 会議体というものは、賛成・反対はあるでしょうが、それぞれの意見を徹底的に戦わせることこそが原点です。これを保障できないような条例は、そもそも推進委員会を否定していることに他なりませんし、当然の帰結として推進委員会は崩壊してしまいます。
 市長のやり方が強引だとか、議長の推進委員会の進め方が強引だとかの 愚にもつかない表面的な反論はそろそろ止めた方がよい。推進委員会でも議会でも、手続論に明け暮れるのではなく、今こそ本筋論を戦わせるべき時なのです。議会や医師会は、こうした愚行を何年続けていますか。
 生駒市議会議員の各位におかれては、もう一度胸に手を当ててよく猛省のうえ、条例修正を決断頂きたいと願うものです。市議会議員として最低限ではあるものの良識を示せる最後のチャンスです。市議会議員改選もあと1年に迫っていますよ。


市民や患者の気持ちとかけ離れた生駒市議会議員

2010-03-25 20:42:16 | 日記

 今日生駒市議会が開催され、医師会代表のみが別格の権利を有する歪な「生駒市病院事業推進委員会」を正常なものに戻そうという条例改正議案が、9:14で否決されました。
 議会代表推進委員に就任予定のI議員がその反対討論を行いました。(生駒市議会の録画を是非ご覧ください)
発言の中身は、市民病院自体を否定する医師会の意向をそのままなぞったようなものでした。
 市長の進め方が強引だとか、医師会の不信感を強めたのは市長の姿勢だとか、「公共的」団体の医師会(*医師会は公的団体ではありません。議員たるものは曖昧な表現は不可です)は不可欠だとか、あたかも医師会なくして生駒市行政は存在しえないような内容の発言でした。市長の生殺与奪の権は医師会にあるのだ、医師会の意向を無視した生駒市行政はありえないのだ という医師会を代弁する主張です。一方自分自身の市立病院に関する発言はありませんでした。また、患者や市民の気持を踏まえた発言も皆無でした。
 市長や市民・患者の意向に反して、どうしてそこまで医師会に追従する必要があるのでしょうか。
山下市長憎しもあるでしょう。徳洲会憎しの医師会へのへつらいもあるでしょう。しかし、案件は市民や患者の切実な願いの市民病院案件です。議員のレベルや見識の問題は以前にも指摘したことですが、腐っても議員なのですから、腐ったなりに市民の意志を反映すべくその職務を全うして欲しいものです。でも守旧派議員連中にはどだい無理というものでしょうか。
 地域医療崩壊の元凶は、結構こうした"無知・無恥"な守旧派議員連中にあるのかもしれません。

 本日は余りにもお粗末過ぎた話でした。次回は、もう少しましな話をしたいな と思っています。


「公立病院改革ガイドライン」の読み方は

2010-03-20 17:24:22 | 日記

 平成19年12月に、総務省は「公立病院改革ガイドライン」なるものを出しました。
その冒頭で次のように述べています。
「公立病院の役割は、地域に必要な医療のうち、採算性等の面から民間医療機関による提供が困難な医療を提供すること(例えば、①過疎地②救急等不採算部門③高度・先進医療④医師派遣機能)」。
 医療提供は原則採算性を重視する民間中心とするが、その足らないところを補完するのが公立病院の役割とするとも説明をしています。
 私はこれはおかしいと思います。特に②の救急等不採算部門について疑問点を以下に掲げてみます。
1.厚労省と立場が違うとはいえ、救急を何故不採算部門だと断じるのか不可解。
2.病床稼動アップ等病院経営全体の観点で考えれば、救急部門単独を抜き出して赤字と決め付けるのはおかしい。「損して得とれ」という表現は誤解されがちだが、そういうこと。
 例えば、東京のある病院は、救急搬送をお願いするため地元消防署に営業を掛けていると聞き及んでいる。
3.救急部門は急性期病院の大看板のようなもので、救急を嫌がるような病院は自ら「急性期」から撤退すべき筋の話なのに、このガイドラインが、救急を避けたい救急病院をいびつな形で温存することに繋がる懸念がある。
 生駒市医師会の主張(以前の記事をご参照ください)がまさにこのガイドラインの悪乗りになってしまっている。民間救急病院の甘えを助長するようなことは止めてほしい。
4.救急部門が赤字で、そのために民間医療機関が救急医療を提供できないのなら、総務省として厚労省に救急の診療報酬のアップを迫るべき筋の話。
 *迫った結果かどうかは不明だが、この4月の診療報酬改定では救急の点数が  大幅にアップされることになりました。
 *ただ、これでたらい回しや救急車立ち往生の事態が解消されるかどうかは疑問が残ります。
5.公立病院の改革という限定された視点ではやむを得ないが、一方の民間医療機関の経営努力を促す視点が抜けてしまっている。地域医療崩壊の原因は、公・民共にあるのだから。
 *少なくとも公立病院の役割を「補完的役割」とするのは困ります。民間医療機関では不可能な地域医療再生の中心的役割を果たして貰わなくては困ります。
 
 高級官僚や識者の方が纏めた格調の高いガイドラインですので、私のような人間が批判するのは間違っているのかもしれません。 …反省…
 
 別件です。いつもお叱りを受けていますが、医療機関における経営者(もしくは経営)と勤務医(もしくは過酷な現状)の問題は分けて考える必要があると思います。またの機会に記事にします。


生駒市議会議員の見識?ではなく

2010-03-18 21:31:40 | 日記

 以前にも採り上げた話の蒸し返しです。
 3月16日、生駒市議会の市民福祉委員会が開催され、病院事業推進委員会関係の条例改正議案が3対2で可決されました。これはこれで大変良かったと思いますが、反対派議員1名の反対理由は、生駒市民として余りにも恥ずかしくてここでは割愛します。どなたかに聞いてください。もう1名は発言さえもしませんでした。
 生駒市民病院開設案件については、特別委員会・市民福祉委員会・本議会等で何年にも亘って採り上げられてきましたが、賛成派議員の広く深い議論に対して、反対派議員の議論の狭さと浅さはひどいものでした。理路整然とした反対理由が一切無いのです。為にする反対、手続き上の反対、古参土着議員が反対だから反対、医師会が反対だから反対 等々です。
 反対派議員のこのお粗末は何なのでしょうか。
私が思うに、支持母体の医師会の意向に逆らえないこともあるでしょうが、こうした議員のお粗末さの根本は、地域医療の喫緊の課題を全く理解していないこと、理解しようとしないこと、さらに しようにも理解できないことにあります。要は 議員の感性と能力に問題があるのではないかと思います。以前には”見識”を問いましたが、そんなレベルの話ではありませんでした。
 とすると、こんな反対議員に旗色だけの宗旨替えをしてもらっては結果として困ることになりはしないか と変な心配すら覚える始末です。
 本議会は、3月25日開催のようです。そこでどんな話になるのか見ものです。

 話の筋が見えない方は、過去の記事をご参照ください。

 


日経新聞「医療・介護制度改革研究会」の提言は

2010-03-15 16:25:10 | 日記

 3月15日付日経朝刊に、掲題研究会の提案が掲載されました。日経内部スタッフと外部専門家との協同作業の結果のようで、なかなか中身の濃い提案だと感じました。ただ内容は過去に各方面で採り上げられているものが大半で、お詳しい方は”ああ、あの人の話だな”と思われたでしょう。
 制度疲労が現場の混乱と国民経済的にも非効率性を生じさせている以上、抜本的な制度改革が不可欠だという主張はその通りだと思います。
 医療や介護業界の利害関係者がそれぞれのスタンスを頑なに固持したたま、結局は診療報酬改定の微調整でお茶を濁してきた経緯があります。医療・介護は究極のライフラインなのですから、本来は行政が強権発動をして当然の筋の話であるにもかかわらず今の惨状を来たしてしまったのです。社会主義国家ではないので、原則自主自立の医療経営は結構ですが、一方では上記した「究極のライフライン」という性格上また社会資源であるという性格上、それなりの行政介入も許されてしまるべきです。
 ハード面でも地域医療連携というソフト面でも、現状は余りにも無駄や非効率が多すぎます。それを改善できなかったのは、個々の医療機関の責任というよりも行政サイドの責任だと思っていますが、残念なことにいままでは国・都道府県・市町村にそれだけの識見やノウハウがなかったため、一現場の視点からひいては国民経済的視点までもを一元的に捉え、日本国全体の医療・介護システムの再構築ができなかったということなのです。また役所や役人としては、例えば「終末期医療」といった悩ましいテーマにも公然と問題提起がしにくかったに違いありません。
 しかし国や地方の財政が破綻する危機に至った以上、患者も含めた国家としての議論を深め、早急に結論を得る必要があります。待った無しの時です。
 過去の踏襲では各医療機関も厳しい状況に追い込まれるでしょうし、患者にとっても弊害ばかりを押し付けられる結果になります。
 この際各利害関係者においては、「先ず全体ありき」で新しい抜本的制度改正に取り組んで欲しいものです。