生駒のアラ還の独り言

医療業界のあることないことを独断と偏見で綴る

公益法人制度改革と医師会の悩み

2010-12-24 17:27:17 | 日記

去る12月22日、日本医師会が定例記者会見の資料として「公益法人制度改革への対応に関するアンケート 調査結果」なるものを公表しました。
 *詳しくは日本医師会HPの定例記者会見資料をご覧ください*

このアンケートは、日本医師会が都道府県医師会(47箇所)と郡市区等医師会(892箇所)に向けて実施したものです。回収数は、それぞれ47箇所(100%)と654箇所(73%)でした。郡市区等医師会の回収率は低いものの、2013年11月をエンドとする公益法人制度改革に対する医師会の苦悩振りが見えて取れます。

2013年11月までに、医師会のような「特例民法法人」は、以下3つのうちの一つを選択することになります。なお、その詳細についてはここでは触れません。医師会としては従来主張してきた「公共性」とか「公益性」が欲しいに違いありませんが、実態はどうもそうではないようです。
1.公益法人
2.非営利型一般法人
3.その他一般法人

今日は、特に身近な地域の医師会である郡市区等医師会(例えば、生駒地区医師会とか生駒市医師会)の動向に焦点を合わせてみようと思います。

アンケート問1:現時点での新制度下における貴会の方向性についてお聞かせください。
回答は次のとおりでした。
 ①公益社団法人と回答した医師会は46(全体のわずか7%にすぎませんでした)
 ②非営利型一般社団法人と回答した医師会は367(全体の56%に達しました)
 ③残りは検討中等でした。

アンケート問1-1:公益社団法人への移行を決めた理由等についてお聞かせ下さい(複数選択可)。
回答は次のとおりでした。
 ①公益社団法人になることの社会的評価の高さに魅かれたため(63%)
 ②税制上の優遇に魅力を感じるため(43%)
 ③一般社団法人への移行では会員の理解を得られないため(9%)
  *①②は結構まともな回答ですが、なんせ母数自体が少ないので医師会全体の意見としては極少数
     意見でしかありません

アンケート問1-2:非営利型一般社団法人への移行を決めた理由についてお聞かせください(複数選択可)。
回答は次のようなものでした(多いもの順)。
 ①将来に亘り、継続して公益認定基準を満たせるか不安なため(45%)
 ②公益社団法人になることのメリットを感じないため(44%)
 ③認定基準の内、公益目的事業比率を充足できないため(42%)
 ④公益認定取消し時に財産を失うリスクがあるため(40%)
 ⑤公益社団法人に比べ、自由に様々な事業を展開できるため(30%)
 ⑥認定基準の内、収支相償を充足できないため(24%)

というアンケート結果です。私も驚きです。 公益法人を目指す地方医師会が如何に少ないか。その理由もお粗末なこと。
ヒエラルキー構造の頂点に君臨する あの「日本医師会」も、目論見違いに大混乱しているのではないでしょうか。だから、この資料はできれば公表したくなかったに違いありません。

要は、全国の地域の医師会の少なくとも半数以上は(私は最終的に70%以上の出来上がりになると感じています)、自己の利益を守りたいがために「公益」の名を捨てざるをえず一般法人にしかなれないということです。

ここ生駒市でも、市立病院開設計画反対の医師会やそれに同調した市会議員が、医師会の「公益性」や「公共性」を声高に叫びました。また医師会は、「徳洲会を指定管理者とする市立病院とは連携をしない」とも言い切りました。

公益法人の認定を断念せざるをえないようなエゴ丸出しの医師会の主張を、誰が本気で聞き入れるのでしょうか。このアンケート結果からしても、そんな上から目線の発言は失笑を買うだけでしょう。
賢明な市民は見切っています。その見切りの裏づけ資料がこれです。
大半の地域医師会は、これからは「公益」を主張できなくなるのです。
生駒地区医師会や生駒市医師会はどうするのでしょうか。でも、どちらでもよいことです。
公益法人になろうが一般法人になろうが、医師会の実態はこんなものだということは理解していただけたと思います。

今回の公益法人制度改革をきっかけに、その化けの皮が剥がれました。化けの皮の下は単なる「自己利益擁護団体」だったことが万人の目に晒されることになります。
市民にとっては、大変有意義なことであろうと考えます。

 

 


とある小学校の話です

2010-12-22 11:05:39 | 日記

関西の小さな町の小学校です。1学年1クラスしかありません。5年生のクラスは生徒数24名。
1ヶ月前から、放課後毎日3時間、全員でハンドベルの練習を積み重ねてきました。24日クリスマスイブに、公民館で開催されるクリスマスコンサートに参加します。ハンドベルで3曲演奏する予定です。

ところがです。この2~3日前から、インフルエンザで6人が相次いで入院してしまいました。重症のようで、コンサート当日の参加は絶望的です。残りの18人の生徒達は混乱しました。6人も欠けては音楽が成り立ちません。

「どないしょ。けど、どないしょうもないわな」
「そやな。24人で練習してきたんや。1人でもおらんようになったら無理やで」
「音が6つも出んようになるんやで。音楽として成りたたんやないか」
「客席からブーイングやで。恰好わるいで。俺 降りるわ」
「そやな。うちもギブアップや。出演断ろう。な、そうしよ。そのほうがええと思う」

そんな諦めムードが支配的になっていたとき、一人の女子生徒が言いました。

「なんでそんな話になるねん。うちは嫌やで。今まで24人全員で毎日毎日必死で練習してきたんやで。こないあっさり諦めてしもてええんか。うちは嫌やで。うち一人でも参加する」

長い沈黙が続きました………

「ほんま言うとな、俺もやりたいねん。6人抜けて格好悪い演奏になるかもしれんけど、諦めて逃げるよりはよっぽど格好ええと思う」

「うちもそう思う。ほんで入院してる6人にも顔立つしな。演奏会やめたゆうたら、連中の病気が悪化するかもしれへんし」

「言うとおりやな。うちもやる」 「俺も」 「うちも」 「おれも」 ………

「よっしゃ、おれに任せとけ。6人分を俺が引き取ったる。任せとけ」
「おまえな、そりゃ無理ゆうもんや。一人で7人分のベルは不可能ちゅうもんや。スーパーマンでも無理や。ドラえもんやったら可能かもしれんけどな」

「一人二役ゆう言葉を習うたわな。あれや あれで行こう。上手いのん6人で二役頼むわ。これは適材適所やな。ええ言葉やな」

それからは、半徹夜の猛稽古が続きました。
そして24日当日、クリスマスイブのコンサート。立ち見席の出るほどの大盛況。そのなかで、病室の6人の気持を背に18人は、細かいミスはあったもののほぼ完璧な演奏を終えました。盛大な拍手が鳴り止みませんでした。

客席へのお礼も兼ねて、担任の先生が挨拶に立ちました。
「病気の生徒が6人出ました。18人だけでは無理と思い生徒達は混乱しました。本日のコンサートを辞退しようとしたこともありました。私は何も言いませんでしたが、生徒達自身で切り開いてくれました。入院中の6人分をカバーしてくれました。入院中の6人も喜んでいると思います。一人二役を見事にやり遂げました。
生徒達みんな立派でした。本日はありがとうございました」

どこかの市議会さん。見習いたいものですね。

 

 


生駒市議会のがっかり度(もしくは諦め)

2010-12-17 21:37:13 | 日記

今日、生駒市議会の企画総務委員会が開催され、報酬は12%強の削減、定数24は現状維持が決めれたようです。21日の本議会も同じ結論になるはずです。
概要は市長日記をご覧ください。
(市長日記)http:http://www.city.ikoma.lg.jp/blog
冷静な表現に努めてはいるようです。

外圧に押されたうえで、仕方なしに妥協した結果がこんなものです。定数削減のほうは一体どこに消えてしまったのでしょうか。議会内でまともに議論した形跡はありません。
報酬と定数を別個のものして扱っているようです。両者を一体として議論せずに何を議論するつもりなのでしょうか。
これも議会不信を募らせる典型です。

また、十数回にわたった先だっての市民との意見交換会は一体何だったのでしょうか。参考にさせていただく と言いながら、どう参考にしたのでしょうか。アリバイ作りのために市民は利用されたのでしょうか。
今日の委員会の結論を見る限り、議会の常識・良識を疑うばかりです。節操の無さ と言ったほうが良いのでしょうか。
議会に対する「不信」と、言い様のない「諦め」しかありません。

今まで何度も言ってきましたが、組織には「自律」と「自浄」が不可欠です。これなくして信頼はありえません。企業も同じです。これの欠如した企業は、中長期的にみれば倒産します。馬鹿な役員会のために職を失う社員はえらい迷惑です。だから企業ではガバナンスを必死に議論しているのです。

それに反して議会のレベルはどうでしょう。機能不全に陥っているとしか思えません。
議会は企業でいう取締役会です。最高意思決定機関です。企業の役員会と同じで、お粗末な議会故に痛い目に会わされる市民はたまったものではありません。
自律・自浄の欠落した議会は、行政に適度に張りついた「小判鮫(こばんざめ)」です。

議会(もしくは議員全員)に明確なレッドカードが突きつけられているということに、今になっても気が付かないのでしょうか。気が付かない振りなのか、鈍感もしくは感性の乏しさなのか。いずれにしても要職には不適性でしょうし、組織としての存在価値が問われても仕方ないものと思います。

こうした如何ともしがたい状況を指して、ある人は「立ち腐れ」と評しました。”言いえて妙”ですが、笑えない評です。

個々の議員で不適性な人物が存在するのは仕方ありません。選挙で選ばれた議員なのですから。でもそれをカバーしたうえで議会組織を機能化・正常化・真っ当化させるものこそが、ガバナンスであり自律・自浄なのですが、これが完全に欠落しているのが今の生駒市議会です。

汚い言葉が多くなりました。私も反省しますが、その前に私程度の人間にここまで言われる議員も議員なら議会も議会です。。
一般質問も結構ですが、何はさておきこのガバナンスや自律・自浄について一度徹底的に議論されることを議会に望みます。
もって議会の解体的出直しを望みます。むしろ、思い切って一度解体してみてください。推奨します。

でないと、議会に対する不信の連鎖に収拾がつかなる事態に今後なりかねません。
これは議会の不幸というよりも、市民の不幸です。

いずれにしろ議会がこんなお粗末な状況なのですから期待もなにもできません。ご苦労なことですが市長に頑張ってもらうしかありません。


 


本日、生駒市立病院に開設許可

2010-12-15 17:00:20 | 日記

本日付けで、奈良県知事から生駒市立病院の開設許可が出ました。
病院開設に向けて、いよいよ正式にスタートを切ることになりました。
年越しも懸念されていましたが、年内に決着できて本当に良かったと思います。
ご担当の職員の方々のご苦労に感謝するばかりです。

しかしながら、開設許可はスタート台に立っただけの話です。
これからこそが正念場です。
やるべきことが山積しています。クリアすべき課題も山積しています。

議会改革の話をここ何回か取り上げました。
批判を中心にした話でしたが、批判自体を目的にしているわけではありません。むしろ、議会に市政への加担をもっと深めて欲しいという願いからくる議会改革を願う立場です。

二元代表制の一翼を担う議会としては、市長や市行政へのチェックは言わずもがなです。しかし、議会で議決したのだから”後は宜しく”では困ります。

この市立病院開設計画でも然りです。
9月に関連議案が可決されましたが、その後議会としての動きが見えてきません。一部議員が本議会で代表質問をされていましたが、議会として本計画をどう後押ししようとしているのか、その意思たるや全く不明です。

特に医師会との関係改善を懸念する議員も多くいますが、そうした議員こそ率先して関係修復に尽力すべきではないでしょうか。そうした議員からは、市長の医師会に対する姿勢が高圧的だ とか 市長が話し合いをしようとしない という市長批判もありました。

であるならば、自分で解決するのは無理でも、少なくとも市長と医師会の間を取り持つくらいのことは、当然のこととしてやるべきではないでしょうか。今のところそうした動きは聞いていませんし、むしろ足を引っ張るような真反対の動きさえ感じられます。

私は反対だ とか私は慎重派だ とかの個々の議員の考えはありますが、市立病院開設は僅差とはいえ生駒市議会の総意として決定したことです。
決定した以上は、計画を成功させるために議員・議会が総力を挙げて行政を後押しする。これこそが議会の在り方だと思います。

従来型の議会では先ず無理でしょう。だからこそ議会改革が不可欠なのです。
自らが決めたことは市長と共に、考え、悩み、動き、市長と共にその結果責任を負う。
こんな議会にして欲しいと思います。
私は権力闘争に明け暮れる国会の話をしているわけではありません。市民に密着した地方議会の話をしているわけです。

せっかく開設許可が下りたのに、今の議会の言動や責任感では不安が募って仕方ありません。


生駒市議会主催の市民との意見交換会

2010-12-04 17:08:21 | 日記

本日開催された掲題意見交換会の感想です。

今日が11回目の開催でしたが、今までの10回の会でも議会に対しての厳しい意見が大半と聞き及んでいます。今日も同じく厳しい意見が殆どでした。

私の率直な感想は、議会に対する不満や不信からくる「不安」です。

議員定数や報酬の削減は、一丁目一番地の話です。何年もかけてやることではないし、未だに議会の総意が得られていないし、周回遅れの類似団体や職員との比較論です。ましてや今更市民の声を聞くような悠長な話ではないでしょう。

厳しい言い方をしますが、「小学校のホームルーム」以下のレベルです。
こんなことでさえ総意を纏めきれない議会に不安を抱くのは私一人でしょうか。

危機管理、ガバナンス、自律・自浄という根っこの問題です。

そろそろ最高裁の有罪判決が出そうなS元議員の件。
議会では全員一致で辞職勧告を決議しましたが、結局は辞職させることは出来ませんでした。高裁の実刑判決後も、大手を振って議会に出るわ、委員会委員にも就任するわ、という非常識がまかり通りました。

犯罪を犯した議員を辞職させることのできない生駒市議会に対する不信が、未だに生駒市民の心の奥にくすぶり続けています。実力行使で議場から締め出すこともできたでしょうし、最終的には議員が自主解散する手もあったと思います(極端ですが…)。
議会全体として、信を問われていたのです。こうした受止め方ができない議会の感性のお粗末さです。

これは議会の存亡に拘わる事件で、致命的な議会の危機でした。
自律・自浄のできない議会、危機感のない議会、ガバナンス・統治の欠如した議会に対して、市民は不信感をつのらせたのです。

会派や各議員によって政策は当然異なります。政策をめぐっては議会内で大いに議論をやってもらえば結構です。しかし、政策論争とこの事件とは全く次元の異なるものです。

現山下市長はスーパーマンではありますが、オールマイティではありません。議会の統治まではできません。第二のS元議員や第二のN元市長が今後現れないという保証はありません。その時、今の議員や議会で大丈夫なのか ということです。

これが私の不安であり危機感です。
信頼回復が先ずスタート台です。その第一歩として早期の条例改正が必要でしょう。
「実刑判決が下された議員は、その時点で議員の職を失う」といったような…。
 *冤罪議論や支持得票数議論は枝葉末節でもありここではしません

今後の生駒市の行政においては、市立病院案件をはじめとして課題が山積です。よって二元代表制の一翼を担う議会への期待は想像以上に大きいものがあります。私も期待したい一人です。だからこそ時には辛口を言います。
でも残念ながら現状の議会ではそれはどうかな と感じますが、皆さんの気持ちは如何でしょうか。