生駒のアラ還の独り言

医療業界のあることないことを独断と偏見で綴る

奈良県保健医療計画(案)へのパブリックコメント

2010-02-23 12:46:53 | 日記

 先日、奈良県は2年遅れで全国で最後となる保健医療計画の案を公表しました。パブリックコメントを募集していますので、私も意見をメールしました。その内容は以下のとおりです。

 第5節 3.具体的な取組策(救急) についてです。
 「救急患者を断らない医療体制の確立」のため、管制塔機能等々の施策を掲げていらっしゃいます。それはそれで結構なことで、是非とも前向きに進めて頂きたいと思います。 しかし救急を断る根本原因への踏み込みが弱すぎると思いますし、結果 施策も形だけのものになっているように思えてなりません。 二次救急病院が自分のミッションを忘れて、「ベッド満床」とか「医師不在」といった言い訳にもならない言い訳で救急を断る原因は様々ですが、私経験上以下のような理由があると思っています。
1. 救急は赤字で採算が取れない。よって救急は極力やりたくない。
2. 特に、休日や夜間は人手も足りないし、また救急のための人手は置きたくない。 3. そもそも、医師数等もぎりぎりで回しており、救急に人を回す余裕はない。
4. しかし、急性期病院を名乗っている以上、形だけでも救急告示病院の看板は欲しいし補助金も欲しい。
5. 医療過誤が怖い。
6. 当直医師は医局派遣の若手で経験も少なく、救急患者には対応できない。
7. 医師が救急受入を了解しても、看護師他のスタッフが多忙とか何とかで嫌がる。 8. 専門外。指先の火傷 程度なのに、内科医なので処置できない もしくは しない。
9.他諸々の理由。
10.致命的なものは、社会の公器たる意識が無い もしくは希薄なこと。
 こうした様々な理由が複雑に絡み合った結果救急患者のたらい回しが発生するわけですが、こうした根深い理由はそう簡単に解決できるものではありません。 県としての医療体制の確立とは「仏を作る」ことなのでしょうが、「魂を入れる」こととは別の話だと思います。現在の奈良県(全国レベルでも同じですが)の公的病院や民間病院は、社会の公器であるという自覚がないままに、救急の万全受入という社会的使命を放棄しています。こうした現状のお粗末な意識レベルは、そう簡単に改善されるものではなく、結局“仏は作れども魂が入らず”ということになります。そう考えておいたほうが良いと思います。
 そこで少々乱暴な提案をします。性悪説に立った荒療治の話ですので医療界ではご法度かもしれませんが、今が今の酷い状況なのですから県民は理解してくれることと思います。
1. 救急告示病院は、24時間365日対応を原則とする。
2. 輪番病院は互いに協力のうえ、特に圏域内の救急患者は100%受け入れる。 3. 救急告示病院の「救急患者拒否率」を固有名詞で公表する。公表には抵抗があるかと思うがこれくらいのショック療法が必要な状況。少なくとも県の段階で把握する。
4. 拒否率改善を県が指導し、改善が見られない場合は救急告示病院の指定を取り消す。
 以上 独断と偏見の提案ですが、現下の“弛みきって社会的責任を忘れた”救急病院を再生しなければ、そもそもの地域医療崩壊は決して止まりませんし、その再生はあり得ません。 性善説で自主性に任せておくわけにはゆきません。地域医療の末期的状態を憂える一人の県民として申し上げた次第です。今回の計画の実行は待ったなしの最後のチャンスで、この機を逃すと未来永劫地域医療再生はないと思います。私は生駒市の住民ですが、計画中の生駒市民病院はこの医療崩壊を再生へと導いてくれる先導役になって呉れると思っています。