室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

誕生日祝い・上げ膳

2009-11-06 11:00:31 | Weblog
昨日は、不肖、ワタクシの誕生日でございました。

どこへ行っても年齢不詳、『企業秘密』で通してきましたが、さすがに“ビジン薄命”とは云えない感じになってまいりましたか・・。まあ、毎日が通過点。だから身の丈に合った与えられた事を、ひとつひとつ可能な限り誠実にやらせて頂くのを悦びとして歩いておりますので、皆さま、これからもよろしくお願いいたします。

写真は、いつもながらの“上げ膳”でございますが、お赤飯です。一割の《ささげ》を入れた(小豆ではない)無水鍋で炊いたい赤飯です。

あと、一昨日の“ガッテン”でやっていた「疲労が取れる食品」の鶏の胸肉です。パルメザンチーズをかけてソテーしてあります。生協の粗挽きウィンナー、イトーヨーカ堂の焼き鳥、豚汁、などです。ビールはヱビス500ml缶。ケーキは買わず、先日の引き出物のバウムクーヘンがちょうど賞味期限ぎりぎりで、美味しく頂きました。

それにしても、“ガッテン”でやっていたFF物質。何なんでしょうねー?
《疲労》と《疲労感》の違いについて、警告するかのように強調していましたけど。過労死に至った方々は、《疲労感》無く、疲れに気づかずにいて過労死まで行ってしまったんでしょうか? 私は、番組の持っていきかたが「怪しい」と思いました。

確かに、疲れた筈なのに、気分よく前進して《疲労感》がないままでいる事はよくあります。でも、その本来の疲労度にもよるでしょうが、やはり、《疲労》より《満足感》などから出るアドレナリンなどから、ヒトは元気が出て、希望が湧いて、健康につながるという研究をして欲しいと思います。

「無理しなくていいんだよー」って言われると、限りなくナマケモノになって、人生愉しくなくなって、どーでもよくなって、かえってそっちの方がよほど不健康じゃありません?

『病は気から』の方を解明して欲しいです。まあ、全てはバランスでしょうけどね。

お陰さまで大変へるしーな祝い膳でございました。

明後日は(すでに明日だ)すき焼きだ~!

ベートヴェンブラームス

2009-11-04 21:39:29 | Weblog
バイオリンの小笠原伸子さんの『サロンでバイオリン協奏曲を聴くシリーズ』の伴奏役をずっとご指名いただいております。

今日は、小笠原さんが「永年の夢だった」という《ベートヴェンブラームス》の日でした。
つまり、ベートヴェンのバイオリン協奏曲を演奏して、15分の休憩の後、ブラームスのバイオリン協奏曲を続けて演奏したのです。

「ふーん、それがどーした?」と思われるなら(誰も思わない…)どんなもんか、一度やってみんさい!(…ってケンカ売るなー

ベートヴェンのピアノ編曲版スコアが35ページ(ペータース版)。ブラームスは51ページ(シャーマー版)です。

「ふーん、それがどーした?」と思われるなら・・・、いや、まあ、ピアノの方はまだ、さほど大したことはありません。

それより、ソリストは暗譜で、この大曲2曲を弾き切るのですから、これはもう、大変なことです。

しかも、どのカデンツァも即興で弾いていました! これもなかなか出来ない、大変なことです。リハーサルの時も毎回変わるので、カデンツァが終わって戻ったのがわからなかったり、「帰って来たか?』と思ったたら通り過ぎて行かれた時もありましたが、本番までには帰還状況が分かるようになりました。

コンチェルト(協奏曲)の伴奏は、試験やコンクール、オーディションなどでは、曲全体を弾くことはまずありません。序奏、間奏、後奏、どれも大幅カット。ソロ楽器が演奏し始める殆ど直前から弾いて、間奏は飛ばし、おしまいもソロ楽器が終わったらチャン、チャン、はい終わり…というのが普通ですが、この『サロンで聴くシリーズ』では、端から端まで、オーケストラ部分をカットすることなく、全部弾きます。

でもね、これが愉しいんです。ティンパニになったり、弦楽器群のピチカートになりすましたり、オーボエのソロを弾きつつオケの様々なパートを拾って弾いたり、フル・オーケストラのテュッティになったり、ファゴット2本のつもりになったり、ホルンの合いの手を入れたり・・。

やればやるほど、「いい曲だー!」 二人で、何度そう言い合ったことか。

小笠原さんは高校生の頃に、アイザック・スターンやシェリング(たぶん)が、オーケストラ伴奏でベートヴェン&ブラームスを続けて演奏したのを見て、「いつかやりたい!」と思ったのだそうです。

天に向かって神々しいほどの《真理》を謳うベートヴェン。地底までえぐるような大きなウェーブで《情念》を詠うブラームス。スタイルの時代が当然違うのに、ブラームスがベートヴェンのバイオリン協奏曲を踏まえて作曲したのは明らかで、ちょうど「ブラームス交響曲第1番はベートヴェンの第10番だ」と言われる関係に似ています。コンチェルトというより、シンフォニーを弾いているような気分でした。 ホント、名曲だ!

小笠原さん、お疲れさまでした。
そして、合わせて80分も聞かされたお客様たちも、お疲れさまでしたー!

文化の日・富士

2009-11-03 11:00:17 | Weblog
富士山が好きでね…。 
今朝は、超・快晴! 一昨日の“春一番”(みたいに温かかった)に引き続いて、夕べの“木枯らし一号”(とは、聞いてないけど)で、ホコリが全部、吹き飛ばされたみたいで、クリアな富士山です。


そう、夕べは風が強くて、目にゴミが入り、地下鉄の中でコンタクトレンズを外しました。それも、発車前に慎重に。先ず右目のコンタクトをケースに入れて、今度は左のコンタクトを外して、ケースのふたを開けるのに、なるべくレンズに指紋をつけないように淵をつまんでいるのだけれど、角度が悪くてふたが開けづらくて、アッ!

・・・と、行方不明。

お札が2枚、飛んでゆく情景が脳裏をかすめ、「働けど、働けど我が暮らし楽にならざり、ジッと手を見る」石川啄木の言葉を思い出しつつ、「いや、諦めてはイカン!」

たぶん、バッグの中に落ちたに違いない、と思い、メガネをかけてバッグの中を慎重にさがしましたが、これは全部出してみないと分からない。とりあえず、後悔しないように座席周辺も手で探って、床も光るものが落ちてないかずーっと見てるうちに、バスに乗り換える駅が来てしまったけど、この状態では降りられない。20分歩くことになる先の駅まで捜索を続け、バッグの中に在る、と信じることにして地下鉄を降りました。

風が吹いていて、タクシーに乗りたいところだけど、お財布を出した時にコンタクトが車内に落ちる可能性もあるので、歩くことにしました。明るいドリンク自動販売機の前で、慎重に玄関の鍵を取り出して、とにかくそのまま、そのまま、家に着きました。

自室の床をまずガムテープで掃除して、うすピンクの風呂敷をひろげ、バッグの中身をひとつひとつ取り出して並べます。
んー、無いなあ。全部出して、バッグの裏布の隅々までガムテープで小さなホコリまで掃除しながら「これで、もし見つかったら、神の存在を信じよう…」と心の中で思いました。

あ~あ、やっぱし無いか…。  抱えて掃除していたバッグを床に置いた瞬間に、バッグのふちに、光るまあるいモノが・・!

「神様!」


今度、街で「アーナタハ、神ヲ、シンジマースカー?」と声をかけられたら、「ハイ!」と言おう。

こんな話、公表しちゃっていいの?

蓮田 太陽の里~風のコンサート~

2009-11-01 11:58:32 | Weblog
11ガッツー!

えー、カレンダーも残り2枚となり、ちょっと空元気を出してみました。


昨日は、埼玉の福祉作業所、蓮田の太陽の里へ伺い、“なかま”の皆さん、スタッフの方々、ご家族や近隣の皆さんの前で演奏をして、得難い時間を過ごしてきました。

これは東京室内管弦楽団事務所のチャリティで、今年で4回目。今年は、バイオリニストの小笠原伸子さんと一緒に伺いました。

気持ちのよい爽やかな秋晴れ。大きな窓の外は畑や林の風景が広がる環境の中、会場内は、皆さんの目には見えない一途な期待感のウェーブが飛び交って、独特な雰囲気です。

小笠原伸子さんと私も、いつもに増して伸び伸びと、自由に空中を舞う思いで、愉しく演奏させて頂きました。

演奏に先立ってお昼食をご馳走になりながら、所長さんをはじめ、皆さんから色々なお話をお聞きしました。『障害者自立支援法』が4年前にできて以来、職業訓練を受けるにも自己負担がかかり、結果的に諦めざるを得ない子供が大勢出たり、世をはかなんで自殺するケースがいくつもあったりしたそうで、『障害者自立支援法』の廃止に向けて今までも運動していらしたけれど、政権が変わったことで皆さん、とても期待しているそうです。

所長さんのお話の中で、特に印象に残った話があります。
「体の自由が利かない、思っていることが口にできない、という事は、障害者だけの事じゃないんです。普通の人でも、例えば死が近づいた時にはそうなるんです。早いか遅いかなんです。」

色んな状況の中で、一生懸命生きている色んな方たちに間近に接して、こういう方たちが笑顔でいられる社会こそが良い社会なので、子供時代に国民の誰もが接する機会を持つべきだなーと思います。

“なかま”の皆さんに喜んで頂けて、こんな機会を頂けて、幸せな一日でした。