古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

古事記・日本書紀に取り込まれた謎の紀年

2016-10-11 14:45:37 | 歴史
こちらが、Wikiで紹介されている 三韓征伐 です。
所々に神功皇后 摂政5年(205年または325年)とか
神功46年(246年または366年)       二つに年代が表示されています。
これが、紀年です。十二支の様に12の倍数で年数を数えることがあります。
日本書紀の古い天皇では、神武天皇の紀元前660年に調整するために、所々に
60年、120年の年をわざとずれして表示しているという考え方です。
編者が神功皇后を卑弥呼に比定したため干支を2運繰り上げたという説です。
 そうすると、神功皇后が新羅征伐をしたのは346年(神功26年)ということになる。
何と、宋書や広開土王碑、七枝刀の記録の時代と非常によく合致します。
勿論、妊婦の妃が出兵すると思いませんが。

以下の年代で話を進めてみましょう。
200年代後半、卑弥呼に死後、争いが多数勃発、新羅が生産する鉄は飛ぶように売れていく。
宗像一族は沖ノ島、狗邪韓国経由で鉄を輸入、出雲一族は新羅経由で鉄を輸入
ヤマト王は、彼らに三韓(馬韓・弁韓・辰韓)を管理するように命令を出す。
これが三韓征伐の実態であった。
300年代になると、百済が強力化し馬韓、弁韓、帯方群を支配、辰韓は新羅となります。
楽浪郡以北は、高句麗が支配します。
鉄の産地は新羅です。出雲一族は新羅を支配することで、財を得ます。
百済とは、高句麗からの防衛もあり、同盟国になります。
369年 百済より七枝刀がヤマト王権に贈られます。
ヤマト王権は、百済防衛のために軍を送ります。(たぶん、大伴氏ではないでしょうか)
396年 高句麗は百済を侵略、倭軍を追い出す。
400年 高句麗は新羅を侵略、倭軍を追い出す。
404年 倭軍は、半島へ水軍を送り、高句麗の帯方群を攻める(水軍と云えば宗像一族)
     倭軍大敗するが、任那・加羅に陣地を置き、常に百済奪還を試みる。
421年 倭軍は、大国 宋 と友好関係を築き、救援を求めるも、又もや将軍の位を与えるのみであった。
478年 武王が百済から兵を引き上げる。宗像一族の勢力が衰え、筑紫一族が権力を付ける。
     筑紫一族は、ヤマト王権に秘密のまま、朝鮮半島と交易を行い、大きな財宝を得る。
526年 倭国が新羅討伐に出兵
     新羅が筑紫碧井に救援を求める。
527年 筑紫添井の乱が起こる。筑紫碧井が滅びる。

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