古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

古代日本を知る 四つのカギ

2017-03-19 13:02:56 | 歴史
古代の日本を知る方法は幾つもありますが、まとめると
1、文書(史記)の類
  ・魏志倭人伝を筆答に中国の史記
   但し、中国目線で、呼び名に対して当て字が使われているの難解です。
   卑弥呼の死後、台与(トヨ)以降の紹介が無くなります。
   中国から贈られた二つの金印「漢委奴国王」と「親魏倭王」
  ・日本の歴史書 古事記・日本書紀
   こちらは天皇家目線です。
   漢字が普及したのが、聖徳太子時代、仏教伝来
   それ以前が、神話になっていて信ぴょう性も低い(難解)
  現代でも漢字に音読みと訓読みがある様に、当時の言葉は中国語とは全く関係がない言葉だったでしょう。
  これも後に、漢字に当てはめたり、ひらがなが出来たりします。
  共通の文字を持たない倭国ですので、互いの意思や情報の伝達は人間同士の会話になります。
  卑弥呼の祈祷の結果を伝えるのも言葉です。
  各地の王や役人が貢物を持って卑弥呼の宮殿を行き来したはずです。
  意外とこれが平和な日本でありえた時代を作ったのではないでしょうか。
  絶対にいたはずの卑弥呼、絶対にあったはずの邪馬台国 この二つが最大の謎です。

2、各地で発見される遺跡、古墳や土偶、埴輪など土器類
  ・吉野ケ里の様な遺跡が近代に発見されています。
   こちらも文字がない時代です。木造建築物も柱を立てた後の地面の跡しかありません。
   奈良の五重塔など奈良時代以降は意外としっかりわかるのですが、それ以前は難しい。
   頭に入れておく必要があるのが、失われた遺跡が多数あるという事です。例えば
   ・博多湾にあるべき奴国の遺跡
    近代の開発が遺跡を埋めてしまった、再度、掘り返して調査するなど出来ません。
   ・同様なのが大阪から奈良、京都に至る地域です。
    不思議なことに京都では古墳が見つかっていません。二つの判断があります。
    1、古代の京都市には、古墳を作る様な豪族がいなかった、文化が無かった。
    2、平安時代に古代遺跡跡地を再開発した。
    多分、2だと思います。
    古代の遺跡が発見されるのは、どうしても田舎町になってしまいます。
    中国文化の影響は大きく、西洋の石造り建築やガラス文化は無いようです。
    今も昔も変わらないものに日本の地形があります。
    大陸の文化は、九州に伝わり、徐々に東へ浸透したことは間違いありません。
    農耕や弥生式土器類が最初で全国に広がります。
    後に伝わったのが青銅ですが、九州、中国地方から近畿へ広がったようですが、
    鉄製品については、近畿に普及するまでに結構年数がかかっています。
    九州北部、中国出雲が支配していたのではないでしょうか。
    卑弥呼の邪馬台国は、鉄器を独占した倭国連合の国との力関係のバランスが崩れた為と思います。
    近畿のヤマト朝廷の武器は、文字だったのではないでしょうか。

3、古くから伝わる文化、儀式など
   代表格は、神社と神楽でしょう。
   しかしこれも古事記などと同様に平安時代などに決まりごとが出来ます。
   やはり、天皇家主導のもとに造られています。
   その中に、卑弥呼の時代と結びつける物を探す作業になります。
   例えば、天皇家の三種の神器 刀、鏡、勾玉 です。権力や力の象徴が刀は理解出来ますが
   鏡や勾玉は、他国では似たような事例がありません。
   神社の総本山とされる、伊勢神宮と出雲大社から、古代の思想や権力構造を読み取る事が出来ます。
   日本神話の天照(アマテラス)が卑弥呼なのか???この疑問の決着をみつけられるか。
   大変興味があるところですね。
   神社の巫女=卑弥呼説は有力だと思うのですが、如何でしょうか。

4、日本各地の地名と古代の国々の関係
   魏志倭人伝に登場する末盧国(マツロ)=松浦半島、伊都国(イト)=糸島半島 この辺りは確定でしょう。
   大国であった、奴国 と 邪馬台国が見つからないのです。
   これも後の律令制度で、地名を漢字2文字にすることになります。
   奴国は、筑紫国、邪馬台国は倭国(ヤマト)になり、後に 
   和=>大和(ヤマト)になったのでしょうないでしょうか。

他にも、人のDNAや稲のDNAの調査、地方の方言など参考になります。
九州でも、北部の博多弁や佐賀弁は伝わりますが、薩摩弁は別格です。
九州北部と南部で交流が無かった時代があると思います。
長崎弁も独特ですが、江戸時代の鎖国制度の影響もあるようです。


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