岡倉天心は福井藩の武家の子として横浜に生まれています。
東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に大きく貢献し、
また日本美術院を創設しました。
近代日本における美学研究の開拓者で、英文著作で美術史、
美術評論家として活動、美術家の養成など広範囲な活動を行い、
明治以降に於ける日本美術概念の成立に寄与しています。
1890年、東京美術学校第2代校長に27歳で就任、
この頃が最も活動がさかんでした。
同校での美術教育が特に有名で、福田眉仙、横山大観、下村観山、
笠間市に木村武山記念館があります。
菱田春草「落葉」茨城県近代美術館蔵
菱田春草、西郷孤月らを育てたことで知られています。
下村観山「太原之露」茨城県近代美術館蔵
岡倉天心生誕150周年 没後100周年記念
復興支援映画が製作されました。
1898年、東京美術学校を排斥され辞職。
同時に辞職した横山らを連れ、日本美術院を上野谷中に発足させました。
1901年 - 1902年インド訪遊、タゴール、ヴィヴェーカーナンダ等と交流。
1906年、美術院の拠点を茨城県五浦に移しています。
1910年、ボストン美術館中国・日本美術部長。
日本が招聘したアーネスト・フランシスコ・フェノロサは、
アメリカ合衆国の東洋美術史家、哲学者で、岡倉天心が
通訳をし親交が高まっています。
1913年 新潟県赤倉温泉の自身の山荘にて永眠。
同日、従四位・勲五等双光旭日章を贈られました。
墓所は豊島区駒込の染井墓地で遺言によって
分骨され五浦にも墓があります。
映画も出来たのですか、当時の様子が良く解るでしょうね。
立派に再建されて好かったです。
いつかは訪ねたいと思っていますが、
なかなかチャンスがありませんね。
90%は偽物なんですよね(^^ゞ
一度本物を、じっくり見てみたいものです。
でも多分、偽物が入ってても分からないと思います(^_^;)
映画も制作したのですね、これは分かり易いでしょうね。
金色の天心像が中に鎮座してました
いろいろな場所で活躍してる方だったんですね。
天心が東京英語学校から東京美術学校に移った事は初めて知りました。
映画天心是非みたいです。
欠かせない人達ですね。
とても詳しく調べられているので頭が下がります。
お墓も前より綺麗になっていました。
映画は楽しみにしています。
今日は笠間の木村武山記念館に行き遅くなりました。
五浦の六角堂と勿来の関は近いので
桜の季節に来てください。
紅葉の季節もよいですね。
案内します。
最近は何でも・・・は見ていません。
オリンピック切手は価値が無いですね。
映画は当時のことが分かって面白いと思います。
谷中に東京美術院を造っています。
六角堂は谷中と赤倉と五浦の3か所ですね。
金ぴかが好きだったのでしょうか?