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信心

2022年04月19日 | 教学ノート(一)

2022-03-31 

大白法(平成26年2月16日)第879号

【教学ノート】2ページ 

 「信 心」

 日蓮正宗の信心は、一切の誤った教えを捨てて、日蓮大聖人様が顕わされた本門戒壇の大御本尊様を信じる心を言います。

  天台大師が法華経の経文を解説された『法華文句』には、

  「無疑曰信」(法華文句記会本 三七六㌻)

と説かれています。これは「疑い無きを信と曰う」と読みます。信心とは、仏様の教えに対する疑いのない清浄な心を言うのです。

 また、大聖人様は、信心について、

  「仏法の根本は信を以て源とす」 (御書 一三八八㌻)

 と仏道修行の根本であり、成仏の源であると仰せです。

  このように、信心とは仏法の基本であり、清浄な心で御本尊様を信じることによって、私たちは幸せな人生を送ることができるのです。  

  大聖人様は、この信心の姿勢について、

   「法華経を信ずる人あり、或は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり。聴聞する時はもへたつばかりをもへども、とをざかりぬればすつる心あり。水のごとくと申すはいつもたいせず信ずるなり」

 (御書 一二〇六㌻)

と、信心を火と水に譬えられています。

 火のような信心とは、教えを聞いたときは、火が燃えるように勤行や唱題に励みますが、火はいずれ消えてしまうように、やがて止めてしまうような姿勢を言います。

 それに対し、水のような信心とは、水が止まることなく流れ続けるように、常に勤行・唱題に励む姿勢を言います。

 私たちは、どのような時にも惑わされることなく御本尊様への止まることのない信心を心がけることが大切であり、勤行・唱題や部の活動を一生懸命取り組もうという気持ちを持って続けていくことが大切なのです。

 また、大聖人様は、私たちの信心と生活の関係について、

  「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(御書一二二〇㌻)

と仰せられています。

  みやづかいとは、仕事のことですが、皆さんに当てはめれば勉強やスポーツなどになるでしょう。要するに、仕事や勉強など、生活のすべてが御本尊様のためであるとの確信をもって、信心に励みなさいと説かれているのです。

 私たちは、常日頃から信心を中心にした生活を送ることが大切であり、その功徳によって自分自身の命が変わり、さらに自らの命が変わることによって周りの環境や状況をよりよい方向に変えていくことができるのです。

 

 

 🖊「信心」について

 御法主日如上人猊下御指南

「普段から朝夕の勤行をはじめ唱題会・部会等に参加して、まじめに取り組んで信心を鍛えている人は、少しぐらいのことには微動だにもしません。大きな障害や困難にぶつかっても、普段の信心の結果が発揮され、必ず大御本尊様の大きな功徳をいただき、乗りきっていくことができるのであります」(大白法795号)

 

 

 


はじめに

2022年04月19日 | 教学ノート(一)

2022-04-02

大白法(平成26年1月16日)第877号

【教学ノート】1ページ 

  「はじめに」

 

 今回から始まる「教学ノート」とは、日蓮正宗の信仰を正しく行うために日蓮大聖人様の教えを学ぶノートです。

 この「教学ノート」の’’教学’’とは、一般的な教育と学問・教えることと学ぶことなどの意味ではなく、 「日蓮大聖人様の教え、日蓮正宗の教義を正しく学ぶ」という意味です。 

 前御法主日顕上人猊下は、大聖人様の教えを学ぶことのすばらしさを、 「仏法の教えを少しずつ学び、 身につみ知るとき、今まで見えなかったものが見え、識らなかったものが明らかとなって、法の悦びに心が 高まる。まさに真の遊楽であり、あらゆる人の実生活に即した尊い大光明である」

(大日蓮587号)と仰せです。

 私たちは日蓮正宗の信心を根本に、しっかりと学校で教わる勉強と一緒に仏法の教えを学んでいくことで、本当の幸せを知ることができるのです。

 さて涅槃経には

 「信ずるものにして慧無くば顛倒して義を解するが故に、法を聞く者にして仏法僧を謗ぜしむ」

   ( 御書 二九一㌻)

と説かれ、信心がある人でも正しい智慧がなければ、教えを誤って理解してしまい、仏様・教え・僧侶(仏・法・僧の三宝)を非難することになってしまうと説かれてます。本来敬うべき三宝を非難することは、大きな罪となり、絶対に幸せにはなれません。

 せっかく大聖人様の正しい教えに巡り会うことができたのですから、「教学ノート」を通して御書や御法主日如上人猊下の御指南を拝読し、しっかりと正しい知恵を身につけ、信心をより強固なものにすることが大切なのです。 

 さらに御法主上人猊下は、

「やはり教学、学問というのは最終的には一つの行動として現れなければならない。(中略)『学は之れを行うに至って止まる』という言葉があります。学問というのは行動に出て初めて完成するという意味であります。(中略)ただ学問として、知識として内に秘めるだけで理として持っているだけではなくして、広宣流布のためにしっかりと役立てていく実践行動のための教学こそが大事ではないかと思います」

(大日蓮726号)と仰せです。

 したがって、ひとえに「教学ノート」を1ページ1ページと読み進めて大聖人様の教えを学び、さらに、身につけた教学をしっかりと日々の信心修行や実生活、さらには広宣流布のために役立てていくことが重要なのです。

 

 

 

 🖊ポイントと復習

 ここでは、毎日の教学のポイントをまとめたり、または、以前に学んだ用語が出てきた時などに、必要に応じて復習を兼ねて簡単に説明します。日頃、疑問に思ってることを書き留めて自分で調べて予習をしておくと、さらに楽しいですよ。