●日時 2008年4月30日 10:00~12:00
●場所 株式会社エバ本社会議室
●株式会社エバについての詳細は こちら
●インタビュアー 塾長 三潴 克彦(みつま)
●江場康雄氏 プロフィール
1941年名古屋市生まれ。
名城大学薬学部在学中に父が病に倒れ会社が
倒産。卒業後すぐに江場商店を設立。両親を亡く
した1972年、江場医療ガス(株)設立。1985年、
(株)エバに社名を変更。代表取締役を務める
傍ら様々な文化活動の支援を積極的に行う。
いのちを巡る旅~出逢いに育てられて~
“いのち”の現場に出逢って ―本文より
会社を始めた当初、深夜に産婦人科から電話をもらった。
今すぐに酸素ボンベを持ってきてほしい、と。深夜に重い
腰を上げ、現場に駆けつけると体中が浅黒くなった未熟児の
小児が横たわっていた。衝撃的だった。
数時間後、元気な赤ん坊の声が病院内に響いた。私が届けた
酸素ボンベでその未熟児の小児が救われたのだ。看護婦さんと
その子の母親から何度も「ありがとうございます」と言われた。
その瞬間に、私の中で何かが変化した。
そして、私の“いのち”を巡る旅が始まった。
―私たちの仕事は、一本の酸素ボンベを医療機関へおとどけ
することから始まった。
本当に何も無い状態から始めた事業ですが、現在は大きく
分けて3つの事業を行うまでになりました。
まず、医療ガス事業です。患者さんの“いのち”を守る酸素を
はじめとした医療ガスの供給サービス事業です。
もちろん24時間、365日体制です。
次は、在宅医療事業です。呼吸に疾患をもった患者さんへ在宅
酸素療法のサービス、機器のお届けからメンテナンス、さらに
旅行支援、患者さん同士のネットワークづくりなど、患者さんの
QOL向上のためのお手伝いをさせていただいています。
そして、医療設備事業です。医療現場では様々な高い機能が
必要とされています。私たちは、そのような医療の現場での
設備の設計、施工、保守のサービスを展開し、さらに病院内外
の環境デザインを提案しています。
―父の会社が倒産。生きていくために会社を始めた。
私は名城大学の薬学部に通っていました。しかし、当時は
ひどい学生でした。学校の授業には相性が悪いものもあり、
雀荘へ出入りしたり、気の合った仲間と部室で時間をつぶし
たりしていました。
当然、試験も追試、追追試と、相当ひどかったですね。
単位が危なくなると、先生の部屋、自宅へ夜討ち朝駆け、
とにかく成績は低空飛行でした。
そんな謳歌していた学生生活も大学3年生の時に親父が病に
倒れ、会社も倒産と、今まで何不自由なかった生活が突如、
一転しました。
家からはお金がどんどん無くなっていくのがわかりました。
母親の着物や私物を切り売りしていたことも覚えています。
そうして、贅沢ができない生活に陥っていきました。
大学卒業と同時に、食べるため、生きるために個人で仕事を
始め、1年半後に伯父から50万円を借りて会社、有限会社
江場商店を設立しました。
仕事をはじめたといっても、経営のこと、営業のこと、医療
ガスのことさえまったくの無知の状態でした。営業に行っても
名刺の出し方も、話し方も、何もできず、「よろしくお願い
します」、「お願いします」の挨拶だけで終わるという情け
ない営業マンでした。
しかし、しばらくして自分に誓いを立てました。「会社を出た
ら、注文をいただくか、商品を買っていただくか、何か仕事の
お話をいただくまで、帰らない」と。とにかく、20代は無我
夢中に走りました。でも最高に充実した楽しい日々でした。
―生と死の瞬間に出逢う。私の中で何かが変化し、
“いのち”を巡る旅が始まった。
創業のころ、ある寒い冬の深夜に産婦人科から、今すぐに酸素を
持ってきてほしいと電話をもらいました。
深夜に思い重い腰を上げ、酸素ボンベを車に積んで産婦人科に
駆けつけました。待ち構えていた看護婦さんの案内で2階の
新生児室へ。そこには、保育器の中に体が浅黒くなった未熟児が
横たわっていました。
早速酸素を取り付け、流量設定して帰りかけたところ、看護婦
さんにお茶やお菓子をすすめられたので、それをいただき、さて
帰ろうとすると、2階から悲鳴のような、「ウワー」という声が
聞こえました。
未熟児室に呼ばれ、産婆さんから聞かされました。「あなたが
持ってきてくれた酸素でこの赤ちゃんは助かりましたよ」と。
まさに“いのち”との出逢いでした。衝撃的でした。
「私が届けた酸素ボンベであの赤ちゃんの“いのち”が、…」、
「もし拒んでいたら、どうなっていただろう」、と、思いが
駆け巡りました。
とにかく未熟児が救われたのです。その赤ちゃんのおばあちゃん
が手を合わせ、私に向かって拝むように、頭をさげていました。
突然、私の胸は熱くなりました。
正直、当時の私は本当に生意気で、人の言うことを素直に聞く
ことなんてできないような人間でした。しかし、その瞬間に、
私の中で何かが生まれたのを感じました。
また、私が会社を始めて10年ほど経った時に両親を相次いで
亡くしました。母は父の看病疲れもあったのかも知れません。
そして、父はその三ヶ月後に後を追うように亡くなりました。
創業からしばらくして、思ったことですが、私たちは、生老病死
を避けて生きることはできません。私は、仕事で、そして人生で、
様々な生と死の瞬間に出逢うことで、“いのち”について深く
考えるようになり、以来、“いのち”を巡る旅が始まったのでは
ないかと思うようになりました。
―“いのち”という音の響きに何か深いものを感じる。
数多くの“いのち”を巡る現場に出逢ってくることで、私は
“いのち”という言葉を漢字で書かなくなりました。なぜだか
理由はよくわからないのですが、漢字では「音」が伝わらない
気がするのです。“いのち”と同じく“こころ”も漢字で書か
なくなりました。
ひらがなで書くことで、何か伝わるものがあり、深い意味があり、
人の“こころ”に訴えかける何かがあるのではないかと思います。
―出逢いによる世界の広がり。私は本当に素晴らしい
出逢いに恵まれた。
事業を始めて20年くらいした時、事業以外に大切なことが
たくさんあるのだと感じるようになりました。それは、素晴らしい
出逢いのお陰ではないかと思います。
まさに絶妙なタイミングで様々な出逢いをいただきました。
まず“こころ”についての師匠である日本BE研究所所長を
されている行徳哲男先生との出逢いです。
先生との出会いによって私は「考え方」より、「感じ方」が
大事であることを知りました。
次に、経営に関しては一倉定先生との出逢いです。先生からは
お客さま第一主義を徹底して教えられました。経営に関して、
深く見直す機会を与えていただいたのです。
さらに、牟田学先生から経営実践学を学び、多くの先輩と仲間
から人間学を教えられました。
あなたの財産は何か?と問われたら、私は、間違いなく、
「運の良さと、人との出逢いです」と答えます。
本当に素晴らしい出逢いに育てられ今日があるのです。
ありがたいことです。
―人間は植物に助けてもらっている。そのことを理解し、
環境問題に取り組んでいくことが大事だと思う。
近ごろ現代人の呼吸のことが気になります。特に最近では、
呼吸が浅くなっているように思います。
呼吸、「息」についてもっと意識してほしいです。深い息、
長い息、肺に満たされる息、そして心にしみ込む息と、…。
息とは自らの心と書きます。ですから、息子は息の子、つまり
自らの息がかかった子なんだ、と勝手に思い込んでいます。
「マイナス」CO2、二酸化炭素の「減少」と、否定語で環境
問題が成り立っているような気になります。それよりも、
「プラス」O2、きれいな酸素を増産しよう!なんて肯定語での
啓蒙運動はいかがでしょうか?
人々が健康で楽しく仕事をしようと思うと、やはりきれいな
酸素が身の回りにもっとたくさんあった方がいいと思います。
毎日の生活で、働く環境のなかに緑をドンドン取り入れる
べきです。部屋から、家から、街からと緑化していくことです。
また、植物は元来人間を守ってきてくれました。TVの横に
観葉植物を置くとおくと、ブラウン管からの放射線や熱を
吸収してくれているのがわかります。その他にも、火事、震災
など、植物は数々の局面で人間を災害から守ってくれいます。
人はお金が無くなっても、生きていけます。しかし、緑、森が
なくなると数分も生きていけないのです。植物は、無言で人間を
守ってくれているのです。
ですから、植物、そして酸素についてもっと人は理解を深める
べきだと思っています。
社内の一風景。植物が安らぎを与えてくれる場所でした。
自然と共存している会社。そんな印象を受ける外観でした。
―森や林にスーツやネクタイは似合わない。障がい者、高齢者、
子供は森がよく似合う。ここに深い意味があると思う。
私は雑木林には背広が似合わないと思っています。
背広で雑木林や森を歩くと、何か違和感があるんです。
背広は街やオフィスに似合うんです。
ところが、なぜか障がい者、高齢者、子供は雑木林などの自然が
豊かな場所によく似合います。人間は自然と共に生きてきました。
そして、自然の恩恵を受け、助けてもらいながら歩んできました。
このよく似合うというところにとても重要なことが隠されている
のではないかと私は思っています。
―私たちにできることは何か。“いのち”を育める環境創りを
行うことが私たちの役割だと思う。
いま私は、「農」についてとても興味を持っています。
現在、ある先生の指導の下、中国上海と北海道でプロジェクトを
進めています。無農薬、無肥料であり、水を大切にする自然療法
です。そこで大切にすることは、「農」に心を通わすことと、
「学び」、教育です。
中国、上海での農園づくりでは、他人からは、「なぜ中国?」
「ドンキホーテだよ」と言われます。しかし、今の中国は、天は
曇り、地は荒れ、川や海も危なく、まともな水が飲めない状態
なのです。
中国の奥地の農園で目にしたことですが、作物の買い付け業者の
要求と指導で、農作物の生産性を上げるために肥料、農薬を大量に
使用し、のどかな循環型農園が、荒れに荒れた非循環型の農地に
変わっているのです。
これは日本も同じです。やがて中国の農地が疲弊することは明らか
で、その最大の被害者は日本人なのです。
そういう状態にしたのは、先進国であり、日本の私たちなのです。
この現実に対して何かできることはないか、という問いかけから、
この夢事業は始まりました。
この上海と北海道のプロジェクトを完成させて、持続可能な社会
への橋渡し、“いのち”と“こころ”が安らぐ循環を創造したい
と思っています。
わが社は、医療事業からスタートしましたが、これからは健康、
環境問題を視野に入れた取り組みをしてまいります。
自分たちの子供、孫の世代が安心して暮らせる社会を創るために、
とにかく行動しよう、という思いが原点です。
出逢いに“いのち”の繋がりを感じて
あなたは神様がいると思いますか?と問われたら、私は、
「ハイ、存在します」と答えます。
では、その神様はどこにいますか?と問われたら、私は、
「人の出逢いのなかに、存在します」と答えます。
多くの出逢いが私を育て導いてくれました。
その出逢いの瞬間瞬間に神様が宿っていたと、思うのです。
ということは、神様は“いのち”であり、“いのち”に
よって、人と人は繋がっていくのでしょう。
“いのち”には、縦軸と横軸があります。
縦軸は、地球誕生、いや宇宙誕生からつづいて、今ここに
ある数十億歳、百数十億歳の“いのち”です。
横軸は、出逢いによって結ばれた仲間たちとの繋がり、
今ここの“いのち”です。
◆本日は大変素晴らしいお話をありがとうございました
****************************
最初に江場社長にお会いしたのは20年ぐらい前で
私が会社を創業したての頃である。
「静かな方」が第一印象であった。
話し方も静かなのに、その内容は深く、力強く、説得力があり
話に引き込まれたことを今でも覚えている。
会社は1964年創業なので40周年をこえている。
最近はちょっと成功すると自慢話をしたりノウハウを
発表するのが風潮になっている。そんな本も多く、
読む人も多い。ベストセラーになって何十万部もうれている。
30年以上継続する企業は少ない。稀である。
しかし、江場社長は自慢をしない。いたって自然体である。
ここ2回ほど支援しているイベントで、社長のお話を
聞く機会があった。自社がどんなに社員に恵まれているか、
社員の自慢を毎回話されていた。
周りの人々との出逢いに感謝されていた。
あたりまえのように自然に話されていた。
社長は感動の押し売りをしない。
自分が体験したもの、面白いものを紹介してくれる。
人でも物でも「これいいよ、自分の目で確かめてみたら。」
と薦めてくれる。
表現力も半端ではない。ウィットに富んでいる。
面白い話や変わったものが好きなのである。
今回のインタビューで特に印象に残った言葉を
挙げてお礼の結びとさせていただきます。
「いのち」「こころ」はひらがながいい。
漢字では伝わらない気がする。
植物(自然)を守ろうはよく聞く言葉。それも大切ですが、
植物(自然)が人間を守っていることを忘れないこと。
森や林にはネクタイ・スーツが似合わない。
森や林にはお年寄りや子供が似合うと思う。
貴重なお話をありがとうございました。
この出逢いに感謝いたします。
塾長 三潴 克彦(みつま かつひこ)
****************************
今回インタビューに際してお忙しい中ご協力いただいた
株式会社エバの管理部 大塚 美沙様にこの場をお借りして
お礼申し上げます。お陰さまでスムーズに進行いたしました。
電光石火の対応ありがとうございました。
江場社長が社員自慢をされていること、実感できました。
大塚 美沙 様 ご協力ありがとうございました。
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今回お話を伺った江場社長は大変温かく強い印象を受けました。
そして社長の口から発せられる言葉はとても重く、深いと感じました。
“いのち”の現場に長年携わられて来た社長の世界観は聞き手を
圧倒し魅了するパワーに溢れていました。
人を大切に思う気持ちと高い志を持たれ、仕事に現在なお精力的に
打ち込まれている姿には感銘を受けるばかりでした。
私は今回のインタビューを通じて江場社長から多くの素晴らしい
ものをいただきました。
本当に素晴らしいお話をありがとうございました。
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
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