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■起業家育成塾トップインタビュー

夢を生きる方々に学生がインタビュー

ミワ エルマノス株式会社 三輪 緑四郎 会長

2009-07-17 07:00:00 | インタビュー記事

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経営の第一線でご活躍されてきた三輪緑四郎氏にこれまで
歩まれてきた軌跡からご自身で設立された会社や仕事観など

幅広くお話を伺いました。

  
  
◆ミワ エルマノス株式会社の事業内容を教えてください
 
ミワ エルマノスのメイン事業は、商社と投資です。
昭和42年の3月に創業し、今から10年程前まで精力的に事業を
展開してきました。現在は、私がこれまで培ってきた経験や知識を
少しでも次の世代にお伝えし、活用していただければと思い、
ベンチャー企業の創業者などに対して、ご支援をさせていただいて
います。
 
 
◆どんな商品を扱われていたのですか?
 
主に新しい技術や商品に関わるものですね。また、それらの事業を
行っている企業に投資を行ってきました。私は創業して以来、ソフト
ウェアや半導体、レーザーなど、次の時代を担う技術や商品に可能
性を感じ、会社で扱ってきました。
 
   
◆新しい技術や商品をどのように見つけるのですか?
 
まず、当たり前ですが、調べることから始めます。創業間もない頃、
大学の研究機関に問い合わせて、教授に直接お話を伺いました。
また、東京にある各国の大使館に足を運び、海外の動向をお聞き
しました。そうするうちに、人を紹介していただいたりするので、
人脈が拡がっていき、情報も手に入りやすくなりましたね。
 
 
◆投資を行う際のポイントは何ですか?
 
まず、必ず成功するというケースはわからないと思います。
常に最悪の事態や損失を想定して動くことが大切です。数字で
見える部分と人の気持ちという見えない部分の両方をよく考えて
行動することが重要です。
 
  
◆逆に投資はどんな時に失敗しますか?
 
投資は失敗することの方が多いと感じますね。おそらく原因は、
「欲とプライド」なのではないかと思いますね。欲がありすぎると現実
を見る目が、欲によってぼけてしまいますし、プライドが高すぎても
判断に狂いが生じますね。引き際を投資を行う前によく決めておく
ことが大切です。
  
今お話させていただいたことに関して、私は小学校までの基本的な
生活が非常に大切ではないかと思っています。良いものは良い、
悪いものは悪いという判断ができない幼少期に、きちんと家庭や
周囲の環境から判断基準を教えられた人は、大人になってから
事業を行ったり、投資を行う際、適切な判断ができる人間になると
思いますね。ですので、投資を検討させていただく場合、経営者の
人となりを見たり、その方についての周囲の声を聞くことを常に
心がけてきました。
  
人間は弱いと思います。残念ながら大きくなり、たくさんのお金を
持つと人が変わってしまうこともあります。非常に真面目にコツコツ
やられていた方が、株式公開し、莫大なお金を手にしてから、
どんどん変わっていってしまったこともありました。
  
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◆会社を始めたきっかけは何ですか?
 
独立したい、自分の力を発揮したいという思いは昔からありました。
母が花が好きだったので、独立したら花屋をやろうと考えていた
こともありました。しかし、小さい時から、発明家になりたいと思って
いたこともあり、新しい技術や商品に関する事業をするように
なりました。
 
 
◆会社を創業されるまでについて聞かせてください
 
大学を卒業して、興服産業株式会社(現:興和株式会社)に入社しま
した。興服産業という会社の創業者は、服部兼三郎という方で、
その後、私の父の三輪常治郎 が会社を引き継がせていただきました。
  
創業時は、繊維を中心に扱っていましたが、終戦後、付加価値が
高い医薬品や光学機器に関する商品を扱うようになっていきました。
私は入社してすぐ、光学工場で働きました。元々、ものづくりや
技術開発に強い関心があったので、仕事は楽しかったですよ。
翌年、本社に戻り、取締役になりました。昭和29年には副社長に
なり、その後は、代表取締役もさせていただきました。
 
昭和43年、興和株式会社の代表取締役を辞任し、同年に、興和地所
株式会社の代表取締役になりました。不動産事業がメインで、マン
ションやSOHOの建設を多く手がけましたね。
 
今でも切実に思うことは、入社以来、私は多くの方々に支えられてきた
ということです。仕事でたくさん失敗したこともありました。しかし、周り
の方々が私を助けてくださり、そのお陰でやってこれました。本当に
人に恵まれ、感謝にたえません。
 
  
◆仕事観を教えていただけませんか?
 

考えたらすぐやることです。いいと思ったらやってみる。失敗することは
当たり前だと思います。やってみてわかることの方が多いですから。
また、成功した人の真似をすることが大切だと思いますね。まずは、
いろいろと成功事例や最適な方法を調べて、それから自分で取り組ん
でみることです。あとは、私は新しいことが好きなので、新しい動きは
常にチェックしていますね。
  
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◆今後考えられていることはありますか?
 

次の世代のお手伝いをさせていただきたいですね。会社経営などに
関して、わからないことやできないことがあれば協力させていただき
たい。問題解決を行うことは仕事の中で、とても重要なことです。
 
 
◆最後に一言お願いします
 
最近、いろんな人によって自分が助けられてきたと強く感じます。
今までの人生、私は多くの方々とのご縁やご支援のもとに生きて
きました。これには、人と人との間に見えない力が流れていることを
感じざるを得ません。そう考えると、ますます何か人のためにお手伝い
させていただきたいと思います。何かあれば言ってください。
協力させていただきます。
 
 
◆大変貴重なお話をしていただき本当にありがとうございました
 
 
*****************************
 
長い間、経営の第一線でご活躍されてきた三輪様の言葉は
シンプルながら非常に重みを感じました。今回のインタビューで
私が学んだことは、幼少期の体験や環境がとても大切であり、
小さなことを大切にしていく姿勢が、長期的にはとても大きな
影響となり、その人の人格や人生になっていくということです。
素晴らしいお話をありがとうございました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
 
*****************************


日本インフォメーション㈱  深井 貴伸 社長

2009-07-01 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2009年6月18日 10:00~11:30
●場所 日本インフォメーション株式会社 応接室
●日本インフォメーション株式会社のホームページは こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
  
●深井貴伸(ふかい たかのぶ)氏 プロフィール

1955年愛知県一宮市生まれ。
1987年、大学時代に明け暮れていた
コンピュータプログラミングを活かしたくて
当社に入社する。以来、技術開発、営業、
経営に携わり、2003年より現職となる。
 
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今回のインタビューでは、基幹システムの開発をメインに事業を
展開されている日本インフォメーション株式会社の深井貴伸社長
に、ご自身で主催されている交流会のお話や入社時から
現在ま
でのエピソードを中心に語っていただきました。

 
 

◆面白い交流会を主催しているとお聞きしましたが?

交流会の名前は「餃子の会」と言うのですが、参加者の年代は
バラバラで、学生から若手社会人、起業家が集まっていますね。
在学中に起業した人たちもいますよ。会社を創業したり、経営して
いると思うようにはいかないことが多々あると思います。
そんな時に参加して、わいわい盛り上がりながら意見交換したり、
課題解決のためのアドバイスを求めたりし、経験知の共有ができる
場にしたいですね。参加者はだいたい30人から35人ぐらいです。
来るものは拒まずの自然な流れに任せるスタンスで、会員は合計する
と80人くらいいると思います。
 
  
◆始めたきっかけは何だったのですか?
  

7年ほど前に、経済産業省が産業活性化のためにクラスター計画
というプロジェクトを始めました。その際、IT企業がそのプロジェクトの
中心になっていました。私達の会社も参加したのですが、その流れで、
現在まで続いています。当時は経済産業省で働く方や大学の先生、
行政関係の方など、数多く参加されていました。「餃子の会」という
名前になったのは、参加者同士で餃子を食べたいよね、といった
流れからそうなりました(笑)。
 
 
◆経営理念の『わくわく・ドキドキ・おもしろおかしく』について
 詳しく聞かせてください

  
私達が新卒で入社した当時のことですが、月の平均残業時間が
80時間くらいだったと思います。パソコンなどなく、コンピュータを
交代制で1回/1日(1時間程度)使えれば良い方という時代でした。
自分の仕事が夜に割り当てられた時は、当たり前のように徹夜で
した。それで次の日は、寝ずに出勤なんてよくあることです。
 
でも、仕事はとても楽しかったんですよね。大変なことも多いけど充実
していました。特に大きなプロジェクトの場合は、終わったときに行う
打ち上げが格別でしたね。「お疲れ様」と乾杯するのが最高です。
大変な仕事をやり遂げるからこその喜びや楽しみがあると思いますし、
仕事は本来楽しいものだと思います。
  
私が若い頃のことですが、仕事中に喫茶店などに入るということは、
会社の上司や先輩の方々とコミュニケーションを取る時間でした。
悩みや困っていることなどを親身になって聞いてもらったり、アドバイス
をもらっていました。あえて上司と部下の面談の時間を設けなくても
自然とお互いのコミュニケーションが取れる場所が数多くあったように
思いますね。だから会社にも自然と一体感がありました。こういった
流れをもっと作っていきたいですね。
  
  
◆先程お話していただいた「餃子の会」でも自然な流れを大切
にして運営されているとおっしゃられていましたが
 

人が集まって交流すると言っても、勉強のための勉強会にしては
いけないと思いますし、フランクな雰囲気の中で、自然と相手が
言うことに、面白いアイデアやヒントが詰まっていると思います。
カチっと勉強会をやってもなかなか質問も出にくいですし、そういう
時は後で聞こうと思ってしまいます(苦笑)。 
   
015b
 
 
◆事業について聞かせてください
 

メイン事業は、企業の会計、販売、生産管理などの基幹システム
の開発ですね。物流、搬送システムの開発やWebサービスシステム
の開発なども行っています。システムの開発は、大手メーカーそれ
ぞれに、決まったアーキテクチャがあるので、私達はそれらに合わ
せてシステム開発を行っています。
  
 
◆経営において大切にされていることはありますか?
 

社内の行動指針にも書いていることですが、当たり前のことを
当たり前に行うことが大切だと思っています。
朝の「おはようございます」という挨拶や掃除をすることは、
その中でも最も大切なことだと思います。
他には、人との交わりは多くあって欲しいと思いますね。社外のコミュ
ニケーションも増やして、新しいことをひらめいたり、アイデアを生む
機会を作っていって欲しいですね。
 
 
◆御社の強みは何ですか?
 
システム開発の技術者達のオブジェクト開発のスキルの向上を
目指してUMTP資格の取得率の日本一を目指しています。
やはり外部と仕事する時にUMTPの資格を有している技術者ですと
その分、信頼されると思いますし、資格を取得することで、自分で
課題を見つけ勉強し、個人の能力アップにも繋がると考えています。
 
 
◆深井社長が現在の仕事をされるようになったきっかけは
何だったのですか?
 

新卒で入った会社が今の会社だったんですよ。大学の先輩が日本
インフォメーションに入社していて、大学に採用の募集が来ていたん
です。学生時代からコンピュータプログラミングをやっていて、それを
活かしたいという思いもあり、入社を決めました。
  
入社してすぐに大阪に行けと言われまして、これが私の人生の転機
になりました。配属先で出逢った新入社員の同僚は全員で5人だった
のですが、理系の中でも最高学府の大学を卒業している人達ばかり
でした。でも、そんな人達と一緒に働けるということが何よりも嬉し
かったんです。大学在学中は、コンピュータプログラミングに没頭して
いましたから、システム開発に関しては私の方が詳しいくらいでした。
最初の仕事はFortranのコンパイラ開発でしたが、これは今思い出し
ても楽しい仕事でしたね。
 
また、大阪に行って大きな衝撃を受けました。私は愛知県の一宮市
生まれなのですが、実家が農家で、ゆっくりした雰囲気の中で育ち
ました。だから大阪に行った時は、本当に驚きましたよ。だって、
仕事も何もかも育った環境とは全然違っていて、吉本新喜劇が
日常で行われていましたから(笑)。私は元々人と話すのも
あまり得意な方ではありませんでしたが、これは黙っていては損だと
思いましたね(笑)。それからは何か吹っ切れたような感じでした。
  
入社してすぐに全く違った環境で仕事を始めたことと、そこで様々な
人と出逢ったことが私を変える1回目の大きなきっかけになりました。
大阪には5年いて、その後、技術開発の他には、営業や経営に
携わり、2003年より現職です。
 
 
◆1回目のきっかけとおっしゃいましたが、深井社長は他にも
何か大きな影響を受けられたことがあるのですか?
 

私が自分で変わったな、と思ったことは2回あるのですが、2回目は
1990年代後半に経営情報学会の東海支部に入り、そこで出逢った
当時の支部長さんの影響ですね。某大手企業出身の方だったの
ですが、本当に厳しかった。甘い考えや浅はかな考えで行動していると
気づかされましたね。自分の意見を伝えることの難しさを知ることが
でき、成長していると実感しました。この方との出逢いは今でも
印象深いですし、大変感謝しています。
 
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◆深井社長の夢や目標を聞かせてください
 

今の不況を乗り切ることがまずは第一ですね。私は今年で54歳
になりますが、次の世代へと上手くバトンタッチするための取り組みを
行うことが大切だと思っています。企業が成長していくために、若い
世代の人達には、本当にやりたいことや好きなことをやって欲しい
ですね。
  
  
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 

夢を持つというと難しく考えてしまいがちになると思います。本当に
大切なことは好きかどうかではないでしょうか。村上龍さんの『13歳の
ハローワーク』の中で、世の中には、仕事を好きでやっている人と
そうでない人の2種類に分かれ、その核になるのは好奇心では
ないかと書かれていますが、私もその通りだと思います。
 
何事も好きであるということが最も大切なことだと思いますし、好き
じゃないと続かないと思います。でも、自分は本当は何が好きか
ということは簡単にはわからないし、偶然発見するケースの方が
多いと思います。だからこそいろんな可能性を広げるために、
人と知り合う環境を作ったりして、自分を創っていくためのタネを
蒔くことも重要なことだと思いますね。
 
 
◆本日は貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました
 
 

*****************************
 
深井社長は、終始理論的にお話されましたが、しばしばユーモアに
溢れた話題も登場し、とても起伏に富んだインタビューになりました。
最も印象的だったことは大阪に赴任された際の環境と人の変化
から影響を受けられたお話で、このエピソードからはとても多くの
ことを学ばせていただきました。大変お忙しいところインタビューに
お答えいただきまして本当にありがとうございました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
  
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㈱ポッカコーポレーション 内藤由治 名誉会長

2009-04-20 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2009年3月31日 14:00~15:30
●場所 セレンディップ・コンサルティング株式会社 会議室
●株式会社ポッカコーポレーションのホームページは こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
 
  
●内藤由治(ないとう よしはる)氏 プロフィール
1946年愛知県豊橋市生まれ。
名古屋大学法学部卒業後、ソニーに入社。
ソニーのフランス現地法人日本代表や
経営企画室マーケティング総括課長などを
歴任後、86年にソニーを退社する。同年、
義兄が創業したポッカコーポレーションへ
入社。総合企画部部長、東京支店長などを
歴任し、98年代表取締役に就任。06年
取締役会長、08年名誉会長。
    
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今回はソニーで海外法人代表を務められ、ポッカコーポ
レーションの経営では敏腕さを発揮された内藤由治氏に
これまでのお仕事の経緯や今後のビジョンについて語って
いただきました。また、本日が名誉会長として最後の日で
あったことに出逢いの不思議を感じつつ進めさせて頂き
ました。

   
   
◆現在のお仕事について聞かせてください
 
去年の7月から名誉会長となりました。それまでは、2年間取締役
会長の役職に就いていました。近年の私の役割は、役員会などの
主要な会議に出席し、会社の方針や経営に関して意見を添える
ことやポッカの大株主であるファンド会社へアドバイスさせていた
だくことです。
  
他には、中部経済界の活動があります。中部には、主に6つ
の経済団体がありますが、それら全てに会社を登録していました。
中でも中部経済同友会では、中部の企業がより良い企業活動が
できるような仕組み作りを熱心に考えていました。
 
私は中部経済同友会が運営する会のうちの一つの副世話人を
させていただいており、月一回、35人ほどのメンバーが集まって
いました。参加者の多くは年配の経営者なので、もっと若い世代の
経営者が参加できるようにし、会を活性化させたいと思い、様々な
取り組みを行ってきました。
 
 
◆ポッカコーポレーションへの入社のきっかけは何だったのですか
 
入社することになったきっかけは、私の義理の兄であり、ポッカ
コーポレーションの創業者の谷田利景氏からのお誘いがあった
からです。谷田氏は創業者ということもあり、経営手法がカリスマ型
でした。しかし、時代と共にカリスマ型から近代経営型に変えていく
必要があると感じていたんだと思います。そこで、当時ソニーで
働いていた私に声が掛かりました。
  
 
◆入社後のエピソードを聞かせてください 
 

こういう場合、普通なら役員から入社すると思いますが、私は次長と
してスタートしました。最初は大変なことばかりでしたよ(苦笑)。小さい
ことから大きいことまで本当に苦悩の連続でした。まず、会議が定刻
通りに始まらない。1時間以上開始が遅れることもしばしばありました。
私が未熟だったせいもあると思いますが、会議を定刻通り始めるの
に5年もかかりましたから。
 
今振り返るとソニーを辞めてポッカに入社するという決断をよくした
なあ、と思いますが、結果的にはこれで良かったと思っています。
当時、私はソニーに入社して、フランス現地法人の日本人トップと
して働き、日本に帰ってからは戦略部隊にいました。
まさに、飛ぶ鳥を落す勢いで、恐れるものは何もないというような
高慢な状態でした(笑)。
 
今思うとそのままの自分でいたら必ずどこかで失敗していたと思い
ます。正直ポッカに入社して、思ったように行かない悔しい下積み
時代を経てきたからこそ今の自分があると思っています。
  
 
◆ポッカの社長になられてからのお話を聞かせてください
 
私が社長になったのは1998年ですが、まさにその後は激動の
8年間でした。社長に就任してから間もなく、大前研一さんが書い
た『ドットコム・ショック』を読み、強烈な衝撃を受けました。会社の
システムがこのままではいけないと。当時、ポッカで使っていた
社内システムは電算機に毛が生えたようなシステムだったので、
社内のトータルシステムを新しくする決意をしました。
 
当時、会社の売上げは連結で1000億円ほどで、システムへの
投資は数十億円規模にもなり、大きな決断でした。しかし、やるなら
徹底的にやり、情報系システムでナンバーワンの企業になろうと
意気込み取り組みました。互換性の高いシステム
の導入やIBMのノーツを入れ、2000年頃には、社員は一人一台
パソコンを持って仕事をするようになっていました。なので、社外
から人が来てポッカの社員が一人一人パソコンを持って仕事を
している姿を見て驚いていました。
  
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◆TPMの導入のきっかけを教えてください
 
ある時にソニー時代の先輩がTPMを売り込みにやってきました。
その時、私はTPMのことを知りませんでした。先輩は「これはいい
ですよ。ウソだと思って一度やってみてください」とおっしゃったので、
私も興味を持ち導入することにしました。最初、わからないことだら
けだったのですが、先輩の熱心なアドバイスと一緒になって動いて
くださったお陰で、やがてTPMのすごさを知ることになりました。
 
工場を定期的に訪問し、現場で働く人達とのコミュニケーションを
取ることが増えていきました。工場の社員の意識も態度も変わり、
やがて工場そのものが変わる瞬間を目の当たりにしました。それと
同時に5Sの本当の意味も知りました。
 
そして、私は大きなことに気づきました。TPMはマネジメントツール
なんだと。これには本当に驚きました。文字通り目からウロコの
経験をさせていただきました。それ以降、私はやることは徹底的に
やろうとTPMの実行に取り組んできました。
  
ポッカには名古屋近辺に工場が3つあります。その中でも藤岡の
工場が特に著しい成果を上げていました。トヨタ系企業の方で
数十年前からTPMを導入している方々と一緒に藤岡の工場を
訪れたことがありましたが、その方々から「素晴らしい」との評価
をいただきました。これは本当に嬉しかったですよ。
働く社員の人達、TPM導入に際して一緒に動いてくれた社員、
そして、TPM導入のきっかけをくださった先輩には感無量です。
  
※TPM: Total  Productive Maintenance(Management) 
  総合的設備管理
 
  
◆学生時代のことを聞かせてください
  
大学生の頃は、少林寺拳法を3年間やっていました。明確な
動機があったわけではなく、ただ強くなりたいと思って続け、
2段まで行きました。
  
勉強面はと言うと、講義には出席していましたが、その他の時間
は、自分の興味や関心がある分野の本をひたすら読んでいました。
中でも吉田松陰には大きな感銘を受けました。吉田松陰の
生涯を知り、男気がある生き方だと思いましたね。海外に
行きたいという思いが強くなったのも、吉田松陰の人生を
知ったことから大きな影響を受けていると思います。  
  
 
◆なぜソニーに入社しようと思ったのですか
 
実は元々サラリーマンになるつもりはなかったんです。大学で
法律を学び弁護士になろうと思っていました。でも、なかなか
上手くいかなかった。それで、法律を仕事に生かせて、しかも
海外で働ける会社はないかと探していて、最終的にソニーの
入社試験を受けることにしました。そして、運よくご縁をいただ
きました。
 
 
◆ソニーでのお仕事について教えてください
 
入社時は、売上げが1800億円ほどで、サラリーマンの初任給
は3万円前後の時代でした。社長は井深大さん、副社長は盛田
昭夫さんのペアで、ソニーがいよいよ海外に大きく進出する時期
でした。
 
ソニーのすごいところは、今から40年も前にも関わらず、非常に
柔軟性が高い企業風土でした。自分がやりたいことを言い続ける
と本当にそれをやらせてくれるんです。私は日頃から、海外で、
法律の教養を生かせる仕事をしたいと思っていたので、そう
発言していました。
 
入社して数年後、とうとう私は業務部の法務担当に行かせてもら
えました。その後、ソニー欧州のリーガルリエゾンの代表者となり
ました。当時、ソニーの商品を売っているヨーロッパの販売会社の
資本は第三者が握っていました。それら全てをソニーの資本に
するということが私に課された仕事でした。これは本当に大変で
した。ぶった切りの世界ですから(苦笑)。
  
この仕事を通じて生まれた利益でヨーロッパにソニーの代理店を
つくり、強力な販売網を築きました。そして、私がこのように働き
活躍できたのは、ソニーで出逢った上司の方のお陰でした。
 
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◆その上司の方はどのような方だったのですか
 
本当に私利私欲がない方でした。権力に興味が無かったん
ですね。会社のために何がベストか、を常に考えられており、
人間性が素晴らしい方でした。「社長になりたい」とか「出世した
い」とかいうことを一切聞きませんでした。また、知的好奇心も
強い方で、新しいことや新しい動きに敏感でした。
 
部下に、強く指示することもほとんどなく、「こうしたいけど、どう
かな」と、聞く姿勢の方でした。この方の下で働かせていただいた
経験は私にとってかけがえのないものとなりました。ソニーでは
16年間働きましたが、この上司の方との出逢いと海外で働いた
ことが私のビジネスマンとしての基礎をつくりました。
  
 
◆これからセレンディップ・コンサルティングの最高顧問を
されるとのことですが、そうなった経緯を教えてください

 
セレンディップ・コンサルティングを創業され、現在社長を務められ
ている高村さんと初めて出逢った時は、私がまだポッカにおり、
高村さんはトーマツで働かれていました。その時に、高村さんの
素晴らしい人柄を知り、その後、お付き合いさせていただいて
いました。
 
私は随分前から60歳くらいに、また違う会社で働きたいと思って
いました。元来、いろんな人が育っていくことが楽しいと思う性分
でした。ビジネスフィールドで高村さんがベンチャー企業の支援を
目指されていることと、私がトップではなく後方から支援していく
仕事をしたいと考えていたことが一致し、セレンディップ・コンサル
ティングへは顧問としてむかえていただくことになりました。
 
会社が育つポイントとして、働く社員の学ぶ意欲をいかにトップが
引き上げるかということと自己実現のための環境作りができるか
が重要だと思います。今後、私が働いていく中で、この課題を
達成し、ビジネス界に貢献していきたいと思っています。
 
 
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 
絶対に諦めないことが大切だと思います。執念に近い情熱を
持って取り組んで欲しいと思います。
    
最近わかるようになったことですが、決して良いと言えない環境で
一人で仕事をしている人が、コツコツと長年諦めずに努力し続けて
いると、やがて人間として開花する瞬間があると思います。
 
また、常に視野を広く持って欲しいと思います。大学などから
講演を依頼されて近頃よく言っていることですが、これからは
日本人ではなく、アジア人だという意識を持って欲しいです。
時代は確実に変化しています。これからの時代を生きて抜く
ためにアジア全体で協力し、日本人もアジア人としての意識を
持つことが重要だと思います。
 
 
◆大変貴重なお話をしていただき本当にありがとうございました
     
        
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ご紹介者様へ
  
内藤会長をご紹介いただいた
セレンディップ・コンサルティング株式会社の
高村社長に、この場をお借りしてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
高村社長インタビュー記事は こちら

内藤会長は4月からセレンディップ・コンサルティング
の最高顧問としてご活躍されています。

起業家育成塾 三潴 克彦 (みつまかつひこ
         
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内藤会長は物静かにお話されましたが、大変情熱的な方である
印象を強く受けました。また、お話の随所で見受けられましたが、
情熱的で、かつ非常に論理的に物事を処理され、仕事をされて
いるよう思いました。海外での勤労経験が豊富な内藤会長は
言葉と文化の壁を越えた人間同士の繋がりを築かれる能力に
長けた方であるとも思えました。お忙しいところインタビューに
お答えいただき、貴重なお話を本当にありがとうございました。
 
記事作成 水谷 翔(起業家育成塾)
   
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快晴堂 杉浦 正 社長

2008-12-22 07:00:00 | インタビュー記事
●日時 2008年11月28日(金)10:00~12:00
●場所 快晴堂 
●快晴堂のホームページは こちら
●インタビュアー 塾長 三潴 克彦 (みつま かつひこ
  
●杉浦 正(すぎうら ただし)氏 【雅号:快晴軒 天晴】
プロフィール
1955年夏、愛知県岡崎市に生まれる。小学生の頃、旅先
での絵描きの老人との出逢いに影響を受け、絵を描き始める。
大学卒業後は、スポーツ用品店オリンピックに入社。
その後、企業CI・キャラクター・ロゴ制作など、デザイナーとして
活動を続け、多くの企業に作品を提供。
30才のころ出逢った須永博士先生の、人との対話の中から
即興で生まれる自由奔放で気ままな、かつ温かみのある作品
に魅了され、書・絵を中心とした独自の制作活動に入る。
現在は有限会社快晴堂を設立し、壁画を中心とした店舗演出・
イベントコーディネイト・広告制作など、従来の各種商業デザイン
の活動に加え、カレンダー・絵皿・色紙・絵葉書など一般の人たち
とふれあうことを目的とした制作活動も行う。
「一生夏」「タダシ・ヘンダソン」としての作品も多数。

Sugiura003   
  
快晴堂を設立されて5年。天晴(あっぱれ)先生として
大活躍中の杉浦正氏。名刺の肩書きは『絵師』
目に見えないものを形にして世に出すおもしろさを熱く
語ってくださいました。
    
   
  
◆現在のお仕事について教えてください
  
ひとことで言えないですけど、基本的には「企業デザイン」
デザインというのは、いろいろなものについてまわります。
昔で言うCIですね。バブルの頃は、お金をかけて
企業イメージを上げることが多かったけど、今は、
パッケージデザインとかブランド化とか、そういうの
が大事ですね。
  
    
◆作品はどんなお店にありますか
   
そうですね。数でいえば何百軒になると思います。
居酒屋さんであったり。レンタルショップだったり。
 
ここにある看板は、米乃家(よねのや)さんという
お団子屋さんのものです。 
看板には、毎回、生で、本当に手で書いているんです。
お店出すたびに。そういう、こだわりはないとね。
「手書き」って言うのは、人間の目にすごく入ってくるんです。
 
米乃家さんは、創業昭和23年の老舗なんですが、
フランチャイズ展開で、500万から1000万円で開業できる
ビジネスモデルを作ったんです。
お団子屋さんは、営業時間が、朝9時から夜は遅くても8時くらい
までだから、定年退職した方たちにもやっていただきやすいんです。
今、西は彦根から東は千葉の成田まで40店舗あって、ひと月に
3店舗ずつオープンしています。

Sugiura009   
 
甘いもののファンって多くて老若男女が買いに来てくれる。
昨日も1店舗オープンしていますが、相当、売上ありました。
団子屋があると、つい買いたくなりますよね。
コンスタントに売上が読めます。2年くらいで償却できますよ。
  
Yoneyona006
  
Yoneyoya004
  
それから、『や台や』さんも長いです。10年前から関わって
います。今年で10周年なんだけど『や台や』さんの1号店が
押切にできたときからです。
それから1年後に、『や台ずし』ができました。もともとアトム
ボーイにいた方が、アトムボーイは【未来】のおすし屋さんだから
今度は逆に【過去】で行こうってことで『や台ずし』です。
   
いちばんうれしいのは、「商売を始めるので、流行る方法を
教えてください」という依頼。
  
     
◆看板はどこで書くのですか
  
ここ、今、座っているところで書いてるんです。
大きいもののときは、ここじゃ入らないから2回に分けて
書きますけど。
  
 
◆他にはないくらい大きな看板もありますね
 
ふすまに描くこともあります。
(ふすま5枚に連ねて描いた富士山の絵を見せてくださいました)
迫力があるよね。大きいほうが得意だし、好きですね。
   
 
◆快晴堂さんの主力商品は何ですか
 
主力商品は、やっぱりカレンダーですね。
15年前に、当時お手伝いしていた建築会社が、年末の
ご挨拶周りのときに持っていくために、ぜひカレンダーを
作ってほしいって言われたのがきっかけです。
メインに飾ってもらえるようにいろんなサイズを模索しました。
 
僕が、目を付けたのは、トイレなんですよ。
当時はまだ、トイレ用のいいカレンダーがなかった。
 
僕はトイレじゃなくて「勘考場」って言っているんですが、 
トイレに1年間飾ってあって、毎日見ていると、潜在意識に
入っていくんですよ。反復で。
会社なら社員、お店ならお客様、家庭なら家族全員、
子供たちにも、読んでもらえます。
大事な「挨拶」や「笑顔」について自然に伝わっていく 。
 
だから、トイレのカレンダーは、普通のカレンダーより
宣伝効果が高い。企業のロゴ入れたらいいし、お店の
割引券なんかもつけたら面白い。
年末の時期になると、来年の内容が気になってきて
リピートに繋がる。あったものが、なくなるのは寂しいんです。
  
企業さんにとっては、訪問の機会にもなりますよね。
保険屋さんのような業種にいいと思うんですよ。
11月から始まるカレンダーになっているので、他社さんより
先駆けて訪問できます。
   
絵も話題になりました。昔、こういう市電乗ったよね~なんて。
数字も全て手書きなんです。
  
うちは、セールスもいないし、リピートだけなんですが、
去年7万部近くいったのかな。うちのヒット商品なんです。
     
       
◆他にはどんな商品がありますか
   
もうすぐ、フォントを出します。12月1日、全国発売です。
今年はこれがやりたかった。何万字と書きました!
大きくしたり小さくしたりして、メニュー書いたりしてもらえる
でしょ?おいしそうに見えると思いますよ。
  
 
◆こういったお仕事は何年くらいなさっているんですか
  
企業デザインの仕事は20年以上になります。
あまり大きい会社は興味がない(笑)
ユニークな経営者の下について「じゃあ社長あれやりますか?」
「おう、いいな!」という感じで、常に一緒にやっていくのが好きです。
でかい会社は性に合わない。お呼びもないですけどね(笑)
  
今まで、何百人と「社長」に会ってきて、もちろん今も続いている
人もいれば、そうでない人もいます。
割とすぐ喧嘩しちゃうほうだし(笑)
 
   
◆意見の食い違いで、喧嘩ですか?
  
そうです。経営者とね。
売上は、商品で成り立つでしょう?見える商品もあれば見えない
商品もあります。粗利益率の違う商品があって、将来的に
どの商品を伸ばしていくか、シェアで何%取るか、商品発想の
経営計画を作ったんです。
でも、「やっぱり量なんだ」っていう時代だったじゃないですか。
たとえば1000店舗出さなきゃだめなんだっていうね。
そういうところで、意見が合わなかったりしちゃうんです。
 
僕の仕事は最初は目に見えないけど、それがだんだん形に
なって、そのときお客さんが感動してくれる。それが嬉しいですね。
 
 
◆字を書き始めたきっかけを教えてください
 
ある日突然やってみたんですよ。お礼状書こうと思って。
ペンだと長々と書かなきゃだめなので、筆で「昨日はどうも
ありがとうございました」とだけ書いたんです。
 
これがけっこう絵になって「あ、これは面白い」と思って、
書き始めたのがきっかけですね。20年ぐらい前です。
   
こういう字はね、ちょっとコツをつかめば、誰でも書けるんです。
そうですね、1年くらいあれば。
だから経営者、社長もやる人はやりますよ。自分で書くように
なる。過去に何人か教えたことがあります。カレンダーも。
最初は真似ていただいて。書けるようになると楽しい。
ただ、好きでないと継続できないですね。継続すれば絶対でき
ちゃうんですよね。
ある日、突然できるようになるんです。そうすると、人生観変わり
ますよ。
コバックの小林社長は、至るところに自分で書いてますよ(笑)
    
誰でもできます。才能じゃないです。
もちろん、続ける才能だとか字と字の間の取り方だとか、
レイアウトだとかっていうのはあるけども。
でも、みんな書ける。だから、素晴らしいと思います。
  
  
◆「続ける」ことも才能ですね
  
ローマは一日にしてならず、ですね。続ければうまくなるんです。
僕は「オリンピック」という会社にいたときから、30年くらいこういう
ことをやってるんです。
当時はね、POPを書いていたんです。パソコンがなかったから、
すべて手書きで、極太マジックで、「スキー3点セット!」とか。
そんなのばっかり書いていました。
 
 
◆飲食店以外にはどんなところをお手伝いなさっているんですか
  
いろいろですよ。自動車修理関係、重機のレンタルの会社、看板
専門ショップ、稲沢のレンタルファーム・・・。
 
僕には、これからは、必ず1社1キャラクターを作るべきだという
考えがあります。
ロゴもキャラクターも、絶対、あったほうがいいんです。
キャラクターは、印象に残ります。
 
この9月に、だんごの歌を作ったんですよ。
「だ~んご、だんご、だんご・・・♪」って、オリジナルの曲。
(※昭和の時代の白黒テレビから流れてくると似合うような
懐かしい曲調です)
これでね、好調なんです。この歌一曲で、売上が全然違う。
子供たちがすぐ覚えて、集まってきてくれるんです。
やっぱりBGMもオリジナルを作らなきゃ。
  
 
◆哲学も思想も、何も語らなくても、歌って伝わりますよね
  
そうそう。それに、メガヒットっていうのは、子供たちのおやつ
から出てきます。
『泳げたいやきくん』とか『だんご三兄弟』とか。
だから、『たこやきロックンロール』とか『みたらし慕情』とか、
いいよな、と思って(笑)
 
今、作ってるんです。「だ~んご、だんご、だんご」だけだ
と飽きちゃうから。
 
 
◆杉浦さん、仕事をおもしろがってますね?
 
おもしろいですよ!考えてたものが形になって、世に出て・・・。
売上=成績だから、やっぱり楽しい。
  
他にも、結婚式のときに、新郎新婦が両親に渡す、似顔絵の
色紙も引き受けています。感謝の言葉もその中に書くんです。
絵だけじゃなくて、字が入ると、これは嬉しいですよね。
絶対泣くよね(笑)
 
 
◆他にはどんな展望があるんですか
  
今、映像会社とタイアップして、企業の社史をDVDで作って商品
にしようという計画があるんです。創業者の言葉とか、苦労した
時代の話とか、会社の歴史をDVDに収めようと。
いろんなところで使えると思います。50周年記念イベントとか、
経営計画発表会のときとか。
これは、絶対、作るべきものだと思っています。 
  
 
◆採用活動にも使えそうですね
 
そうですね。企業展や会社説明会で流してもらうのもいいですね。
カンパニーヒストリーを○周年の単位に作ろう、というのが来年の
展望です。
  
 
◆長期的な展望、夢を聞かせてください
 
やっぱり原点の 【1社に1キャラクター】ですね。
僕は、キャラクターというのは、1000人の営業マンに匹敵する
強いものだと思います。
コバックからサンタクロースがなくなったらおかしいでしょ。
1社にひとつ、キャラクターをはめ込みたい。特に、中小企業は
そうですよ。
 
いろんなキャラクターがあると思いますよ。
「字」でもひとつのキャラクターだし。
  
それから、来年のカレンダーの表紙にも描いた「てるぼう」を、
絵本で出したいなと思ってるんです。
  
Sugiura008
 
 
◆杉浦さんは、生涯現役ですか
 
書けるうちは、生涯現役かな。生涯現役でないと食えないし(笑)
さっき言ったみたいに、形になるじゃないですか?
それがいちばん!
  
Sugiura001_2
 
 
◆夢や目標に向かってがんばっている人たちに一言お願いします
 
【楽しいから笑うんじゃない、笑うから楽しいんだ】
これがいちばん好きだし、やっぱり、よく書くんです。
  
もうひとつ、
【若いときに、恰好悪い経験を沢山した人ほど、恰好よい大人
になる】
  
苦労しとけよ。恰好悪いことたくさんしておけよ。
若いときは、恰好つけるな。
恰好良い仕事ばかりやりたがるな。
経験をよく積んだ人ほどかっこいい大人になれる。
  
そして、【継続は力なり】。おもしろくなければ続けられない。
おもしろくなきゃ、おもしろくする工夫をするんです。
  
   
 
◆お忙しい中、素晴らしいお話を本当にありがとうございました
   
*****************************
      
インタビュー中、「だ~んご、だんご、だんご♪」を幾度か
聞きました。天晴先生の携帯の着信音です。
おかげで、だんごの歌を覚えてしまいました!
すごい宣伝効果です。
 
インタビュー直後の先生の印象は『惜しみなく力を注ぐ』です。
全力で生きていらっしゃる感じが、ぐんぐん伝わってきました。 
恰好悪い経験が、自分を格好良くしてくれる!
将来の自分は今の自分が作っている!
感性を大事に、仕事をおもしろくする工夫をしながら、
喧嘩したっていいと思うものはいい!と主張する天晴先生は、
本当に、天晴れ!な、格好良い先生でした。
 
楽しいお話と「だんごの歌」を、本当にありがとうございました。
 
記事 片岡峰子(起業家育成塾)
 
*****************************
     
「若いときに、恰好悪い経験を沢山した人ほど、
                        恰好よい大人になる。」

本当にそう思います。自分の創業当時は格好悪いことばかりで、
今思い出しても冷や汗が出ます。
格好つけていても、わかる人には見抜かれますし、人のせいに
したり言い訳をしても、責任からは逃げられません。
      
まだまだ格好悪い自分ですが、人に喜んでもらえる仕事を成して、
格好悪い人生を堂々と歩いていきたい。
そんな気持ちにさせられたひとときでした。
杉浦社長、本当にありがとうございました。
   
起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
     

*****************************
   

オフィスdeリラックス   遠藤 基平 社長

2008-12-07 07:00:00 | インタビュー記事
●日時 2008年11月24日 10:00~12:00
●場所 株式会社イーヤス 
●株式会社イーヤスのホームページは 
こちら
●インタビュアー 塾長 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
 

●遠藤基平(えんどう もとひら)氏プロフィール
1972年福岡県北九州市に生まれる。
愛知県半田高校を卒業後、愛知教育大学教育学部へ入学。
大学卒業後は、東証一部上場企業(サービス企業)へ就職し、
福利厚生商品・サービスを販売する営業マンとして約600社へ
提案を行い、うち200社へ利用度・満足度の高いサービスを
提供することを実現する。2000年、健康・癒し業界の勉強を
行うために専門学校に入学。2007年、出張リラクゼーション
サービス「オフィスdeリラックス」を行う株式会社イーヤスを設立。
    
011b
    
出張リラクゼーションサービスで癒しの場を提供する
株式会社イーヤスの遠藤社長に「オフィスdeリラックス」の
内容や起業されたきっかけを中心にお話を伺いました。

 
 
=========================== 
◆メディア紹介履歴
 
中部経済新聞、雑誌「経済界」、雑誌「時局」
名古屋商工会議所月報「那古野」など多数

   
=========================== 
 
 
◆現在のお仕事について聞かせてください
 
私たちのサービスは“職場への出張リラクゼーションサービス”です。
身体の疲れた箇所を癒す「ボディケアや整体の施術」を
経験豊富な技術スタッフが提供させていただいております。
   
基本的には会社と会員契約を結び、その会社の福利厚生の一環と
して定期的に訪問をします。現在は月2回の訪問をさせていただく
ことが最も多く、時間はお昼の3時から5時頃が中心です。サービス
を始めた頃は、定時以降を想定していたのですが、実際は勤務
時間内にやりたいと言っていただくことが多く、仕事中に疲れを
癒していただき、リフレッシュして退社していただいています。
 
 
◆オフィスデリ(オフィスdeリラックス)の利用度はどのくらい
ですか?

 
お陰様で職場の7~8割程度の方々に利用していただいています。
これは福利厚生の面から見れば、相当高いのではないかと思います。
勤務中にボディケア施術を受けることで、仕事へのモチベーションが
高まった、職場でのコミュニケーションが活発になったという声を
お聞きしますが、これは私達にとって本当に嬉しいことです。
 
 
◆詳しい内容を教えていただけませんか?
 

社員さんに合わせて行うことを心がけています。
同じ内容の施術を全員に行うのではなく、一人一人の疲れや状態に
合わせて適切な施術を行うようにしています。そのためには
社員の健康状態の詳細を記録したカルテも準備し、平均して一人
の方に15分から20分程度の施術を行っています。
定期的に訪問することでお客様企業からは健康に関しての良い
アドバイザーとして見ていただいています。
 
 
◆オフィスデリは仕事にどのような効果がありますか?
 
特に長時間のデスクワークを行う人は、どうしても身体に疲れが
溜まり、動きが悪くなるのではないかと思います。しかし、仕事の
パフォーマンスが時間と共に落ちてくることは今までの職場でした
ら、ごく当たり前に考えられてきました。社内でボディケアを行えば
短時間で疲れを癒すことができ、集中力の高まりや発想・アイデア
が湧き、結果的に仕事の効率性が上がると考えています。
 
当初は想定していなかったことですが、施術を受けた社員の
方々の表情が自然と笑顔になり、職場の雰囲気がとても良くなり、
スムーズに仕事が行われたり、社員同士の絆が深まることにも
繋がっているようです。本当にありがたい限りです。
 
 
◆実際の施術はどこで行うのですか?
 

訪問時に社内で当日使っていない会議室や応接室を使います。
契約時に施術用ベッドをお客様企業専用に購入し、その
ベッドとアロマやBGMを使いリフレッシュスペースをつくります。
最近では、特に大企業や外資系企業などが、社内に専用の
マッサージルームを作る動きが盛んなこともあり「社内で」
リラクゼーションを行う気運が高まっていると思います。
ベットは本格的な物ですが、折りたたみ式で場所をとりません。

 
   
◆サービスを利用する会社の規模を教えてください
 
社員数が多い会社で150名以上、少ないところは10名以下です。
50名前後の会社がお客様として最も多いです。ですので、私達の
お客様企業は中小企業が中心と言えます。
   
014b
    
 
005b
 
 
◆今後のビジョンを聞かせてください
 
この業態での大きな成功事例は今のところありません。ですので、
まだ先がわからないことも多々ありますが、当面はお客様を増や
していくことをメインに考えています。2010年までに東海地区
で50社の契約を目標とし、近いうちに年商1億を目指していき
たいと思っています。
 
今はサービス提供に特化していますが、徐々にボディケア施術だけ
ではなく、リフレッシュに関する商品や空間サービスなども提供して
いきたいと考えています。やはり、私達の核となるものは、お客様
企業の仕事の生産性を向上させることができるサービスを行って
いくことです。働く方々が笑顔で元気になり、モチベーションを高める
ことができるサービスを行っていきたいです。 
 
また、ボディケアの技術者は仕事を通じて学ぶことが非常に多い
と思います。お客様とのコミュニケーションから信頼を得ていた
だき、個別にご相談を受けることもあります。こうしたことから、
社会情勢の把握や先方企業についての学習などが重要なことと
考え、私達の会社では積極的に技術者に向けて研修も行ってい
ます。これらのことを通じ、お客様企業にさらに貢献していきたい
と思っています。

 
◆全国展開は考えていますか?
 

まずは東海地区での認知度を上げていき、今後は主要都市でも
自社のスタッフを配置してサービスを拡げていきたいと思って
います。
 
 
◆夢は何ですか?
 
私達のリラクゼーション業界が社会に必要とされる主要産業の
一つになるよう広くアピールしていきたいです。数年前に始まっ
た、癒し系ブームで人々の関心が確実に高まっています。その
中で、自分ができることをやっていきたいと思います。
 
 
◆最後に夢に向って頑張っている人達に一言お願いします
 
自分自身がかなりポジティブだということもあるのですが、
どんな辛く苦しい時でも前向きに捉えていくことだ大切だと
思います。私の座右の銘は月並みですが、「継続は力なり」
という言葉です。楽しいときも辛いときも前向きに捉えて、
継続していくことで夢が叶うと思います。頑張ってください。
 

◆本日は大変素晴らしいお話をありがとうございました
 
 
職場に<癒しの空間>をデリバリー オフィスdeリラックス
  
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Iyasu03
  
Iyasu04

 

    

 
 
*****************************
 
遠藤社長は大変社員とお客様思いの素晴らしいお方でした。
インタビューを通じて、遠藤社長のお話の中心には常に
相手を思う温かい気持ちに満ちていたように感じました。
リラクゼーションサービスを通じて先方企業への福利厚生の
質の向上と働く社員の方々を考えたきめ細かいお気遣いには
大変感銘を受けました。本当にありがとうございました。
 
原稿作成 水谷 翔(起業家育成塾)
 
*****************************
  
遠藤社長のお話をお聞きしていると癒されていくような気がします。
夢や目標を熱く語っているのに気負いがなく、疲れないのです。
仕事柄かもしれませんが、とても心地よくインタビューが出来ました。
そしてビジネスモデルは大変興味深く、新しい市場性を感じました。
ビジネスマンは疲れています。お休みや仕事帰りにいろいろな施設
に通っていますが、「職場にあったら」と思っている人はとても多いの
ではないでしょうか。本当に必要とされるサービスはまだまだあるよう
で楽しみです。遠藤社長、ビジネスマンを癒してください。
  
起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ
 
*****************************


メディアジャパン㈱     宮崎 敬士 社長

2008-10-14 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2008年9月12日 10:30~12:00 
●場所 メディアジャパン株式会社 本社 会議室
●メディアジャパンのホームページは こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦(みつま かつひこ)

●宮崎敬士(みやざき けいじ)氏 プロフィール

愛知県一宮市出身。  
大学卒業後、テレビ番組制作会社に入社。ニュースステーション
(現 報道ステーション)等を手がける。2003年 「ワールド
ビジネスサテライト」「スーパーJチャンネル」などニュース、
報道、ドキュメンタリーのテレビ番組制作を主とした、有限会社
メディアジャパン(現メディアジャパン株式会社)を設立。現在は、
テレビ番組制作以外にも、ウェブサイトや、オリジナルDVDの
制作も行う。モニターに映るものは全て手がける「メディアの
デパート」をテーマに、多くの企業の広報活動を支援している。
  
013b
    
「ワールドビジネスサテライト」等のテレビ番組からウェブやCM
などの制作を手がけるメディアジャパン株式会社の宮崎社長に
テレビ業界の動向や今後のビジョンを語っていただきました。

 
   
◆メディアジャパンの創業のきっかけは何ですか
 
簡単に言うと、やらざるを得ない状況に追い込まれた、
この一言です。独立前に私が働いていた会社は、本社が東京で
名古屋に支社を構えていました。私は、名古屋の支社長でした。
 
ある時から、本社の業績が悪くなり、支社の家賃や社員の給料を
払ってくれなくなったのです。困りますよね。私には一緒に働く
仲間がいて、部下もいました。仕事はあるのに、本社からお金が
届かない。独立したい気持ちは正直なかったのですが、状況が
それを許さなかった。
 
自分がどうにかしなければという気持ちで、当時私がメイン
プロデューサーをしていた、名古屋支社を基盤にした新会社の
設立を決意しました。それが2003年1月のことです。
 
 
◆創業されるまでの経緯を教えてください
 
私の父親はものすごく真面目な人でした。朝早く仕事に出て、
日が暮れると帰ってくる。楽しいやつまらないなど関係なく、
毎日きちんと働く人でした。父親とは、逆に私は勤労意欲が
あまりありません。そんな理由から、仕事を続けるためには、
好きなことを仕事にする以外ないと思ったのです。
自分の好きなことはテレビを観ることでした。
 
そうして大学卒業後、私は、テレビ制作業界に身を置いたのです。
当時、東京で働いていました。ディレクターになったばかりの
二十代の後半の頃、日曜日の夜の情報番組を担当していました。
日曜日の夜の放送が終わると、翌日からロケにでる、週末までに
編集して放送する、その繰り返しです。寝る時間はかなり削られ
ます。かなり厳しい環境でした。
 
こういった生活を続ける中、業界の体質にも疑問を抱くように
なったのです。番組の内容ではなく、視聴率を取るためだけに
人々が奔走している、と感じざるを得ませんでした。
 
「自分は何のために働いているのか?」
 
ある時、強く考えさせられる出来事が起きました。
 
中継の下準備のため、下見と打ち合わせをしていた時のことです。
前日は徹夜で、仕事をしていた時です。体も疲労困憊、頭は回ら
ない状態。時間が詰っており、走り回っていた時に、ガラスに体を
突っ込んで大怪我をしてしまいました。そのまま手術です。意識が
朦朧としたまま仕事をしていたことが原因だったのでしょう。
 
後日、自宅療養中の私のところへ、会社から割ったガラスの請求書
が届きました。これには、本当に怒りがこみ上げてきましたね。
一生懸命仕事をした際の怪我だったのに現実はこんなものなのかと。
この事件を機にその会社を辞職し、ご縁があった名古屋のテレビ局
の子会社にユーターン就職しました。
 
いろいろなジャンルの番組を制作する内に、ドキュメンタリー番組を
つくりたいという思いが強くなり、その分野が強い会社に転職しま
した。その会社が名古屋支店を設立することになり私は設立メンバー
となったのです。
 
この会社で、メディアジャパンの基盤となる、番組を数多く担当しま
した。例えばテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」「ニュー
スアイ」、またテレビ朝日の「ニュースステーション」(現 報道ス
テーション)「スーパーJチャンネル」NHK「課外授業ようこそ先輩」
などです。
 
005b
   
  
◆独立後はどのように事業展開をされていたのですか
 
せっかく独立したので、テレビ局だけに依存する会社にはしないと
決めていました。ここで、映像制作会社の仕事内容を説明しますね。
テレビ局に企画を提出し、OKが出たら映像を制作する。
簡単に言えば、これだけです。
 
制作会社への制作費はテレビ局から支払われます。ですから著作権
を、制作した会社が持つことはできません。
制作費となるお金をテレビ局が営業し、テレビ放送権もテレビ局が
保有する。制作会社には、最初に支払われたお金以外ほとんど何も
残りません。もちろん、視聴率や評判が良く制作を担当した番組が
再放送されても、その条件はあまり変わりません。この形式でテレビ
業界は60年間やってきました。
 
私は経営者として、テレビ局の子会社でもないのに、テレビ局だけに
依存するのは恐ろしいと判断しました。年々テレビ番組の制作費は
下がっていましたから。今は、私の感じでは、バブル期の半分くらい
でしょうか。
 
そこで、テレビ番組制作以外の仕事を行う会社の仕組みを考えまし
た。それにあたって会社の方針を、モニターに映るモノは全部制作
する「メディアのデパート・メディアジャパン」としました。実際に、企業
のウェブサイトやCMなどの制作も手がけていますし。
 
また、ワールドビジネスサテライトを制作している会社ということで、
銀行さんや、投資会社さんなど金融機関から、ベンチャー企業や
広報に困っている会社の経営者の方を数多くご紹介していただき
ました。経営者のメディア対策のご相談を受けているうちに、直接
取引が出来るようになりました。
 
通常、制作会社とクライアントの間に代理店が入ることが多いのです。
しかし、クライアントから直接取引を希望する声が多くなったので、
広告代理店業務も開始することになりました。それが、有限会社
メディアジャパンエージェンシーです(2003年6月設立)。
テレビの制作会社が代理店を経営するのは業界でも珍しいことです。
 
020b
 
   
◆今後のビジョンを聞かせてください
 
テレビがある限り、テレビ番組を制作してきた、プロデューサーや
ディレクター達の仕事がなくなる、という訳ではありません。私たち
の企画力や技術は、他のビジネスでの十分通用すると考えています。
映像で何かを訴える力は、テレビという世界以外にも無限の可能性が
あると思うのです。
 
そこで、弊社は下請け企業からメーカーになることを目標に、自社
製作のDVDの販売を開始しました。まず初めに、国内向けにテレビ
番組制作の中で出会った各業界のプロを主人公にした、「THE ゲンバ
シリーズ」を発売しました。「学校改革の方法」や「あがり症の
克服方法」などニッチな世界を収録したものです。
 
また、海外の日本ブームに着眼し外国人向けに、日本の文化を
ハウツー映像化した4タイトル「MAKE JAPAN SERIES」(メイク
ジャパンシリーズ)を今年の7月から発売開始しました。
このシリーズは日本の文化、「寿司の握り方」「お茶の淹れ方」
「折り紙の折り方」「着物(ゆかた)の着方」を紹介した内容です。
スシブームに沸くアメリカ、サンフランシスコの展示会に出展した
ところ、大きな反響がありました。
 
現在は、アメリカ以外に、イギリス、オーストラリアなどからも
注文が入っています。国内では皆さんよくご存知の老舗書店さんや、
セレクトショップ、空港、アマゾンなどで購入できます。現在、
弊社オリジナルDVDのタイトル数はまだ少ないので、これからさらに
増やす予定です。下請けの制作会社からメーカーになる挑戦中です。
 
DVD「SUSHI」はこんなかたちでも販売しています。
DVDを見て、寿司を学び・寿司を握り・寿司を窮める。  

026b
 
 
◆メディアジャパンでの宮崎社長の役割は何ですか

 
新しいモノを創造することだと思います。
番組などの制作は、私以上に優秀なスタッフがたくさんいるので
任せることができます。私に課せられた重要な仕事は、世の中に
ないモノを作ることと、会社を今後どのように発展させていくか
を考えることだと思っています。
 
  
◆将来の夢は何ですか
 
弊社の商品(映像など)を世界規模にしたいですね。海外の書店や
CDショップにうちの商品が並んでいたり、飛行機の中で、見れたら
楽しいですね。アメリカから日本に来る飛行機内で、寿司の握り方
や寿司店での注文の仕方が見れたら面白いです。
 
  
◆嬉しい時はどんな時ですか
 

自分の思ったことがカタチになった時です。テレビなら、制作した
映像が流れて関わった人たちが喜んでくれる瞬間が最高です。
 
 
◆逆に嫌いなことって何ですか
 
嫌いなことは数字を見ること。特に視聴率という言葉は未だに
嫌だなぁ(笑)
 
  
◆本日は大変お忙しい中、本当にありがとうございました
 
 
*****************************
 
テレビ業界で働かれる宮崎社長は人の2倍以上の速さで考え
行動している印象を受けました。大変エネルギッシュかつスピード
感あるインタビューとなりました。インタビューは1時間以上あり
ましたが、特急列車が走っていったように、あっという間でした。
今までされてきたお仕事や現在のビジョンなど、現場で磨かれて
きた観点からは大変多くのことを学ばせていただきました。インタ
ビューにお答えいただきまして本当にありがとうございました。
  
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
 
*****************************
    
ご紹介者様へ
  
宮崎社長をご紹介いただいた
セレンディップ・コンサルティング株式会社の
高村社長に、この場をお借りしてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
   
三潴 克彦 (起業家育成塾)
 
*****************************


英治出版株式会社    原田 英治 社長

2008-09-29 07:00:00 | インタビュー記事

今回はブックファンドという独自のビジネスモデルで事業展開
を行うベンチャー出版社である英治出版の原田英治社長に
インタビュー形式の原稿をご投稿していただきました。 

006b
 
●株式会社英治出版のホームページは こちら

 
●原田英治氏 プロフィール

慶応大学法学部法律学科卒業後、
アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)に入社。
数年勤務の後、退職し、家業である一世印刷株式会社に入社する。
取締役、代表取締役副社長を務めた後、一世印刷株式会社を退職
し、有限会社原田英治事務所を設立。2000年に現在の英治出版
株式会社に改組し、代表取締役に就任。「ブックファンド」という
新しい出版ビジネスモデルを考案し、事業展開を行っている。
 
  
◆現在のお仕事について
 
英治出版という出版社を経営しています。自分たちの役割を出版社
というより、「パブリッシャー(publisher)」だと思っています。
パブリッシャーの語源にはパブリック(public)があり、私たちが
共感し応援したい著者や作品をパブリックにすることで、著者の
夢や目標を前進させる「応援ビジネス」が私たちの仕事です。
 
「パブリック」という言葉を意識した時、二つの大きな方向性が
表れました。パブリックにすることで社会的価値を形勢するのが
目的であり、紙の本を出版することが目的ではない。目的達成の
ためにメディアはもっと柔軟に選択すべきだと気づきました。
 
もう一つは、パブリックって日本だけじゃない、という視点。
日本だけじゃないという視点は、世界の多くの出版社もあまり
持ち合わせていない考え方のように思います。著者に対して母国語
で対峙しなければならない出版業の特性からか、編集者だけでなく
経営者までもが国内指向が強い経営体質になっています。
 
僕らは2004年1月から韓国に子会社「エイジ21」を設立し、
韓国語での出版活動を行っています。近い将来、英語圏にも進出
予定です。将来的には、なるべく多くの言語での出版インフラを
もつことで、世界が共有すべき情報や思想を世界に提供し、それ
をきっかけに一つでも多くの対話が生まれることを願っています。
 
もうひとつ英治出版の特徴的なところは、ブックファンド事業に
あります。これはプロジェクトスタイル出版のことで、出版資金を
外部調達することから「ブックファンド」と呼んでいます。個人や
企業など出版業を本業で営むひとでなくても、プロジェクトとして
1タイトルからの出版事業に挑戦できる仕組みです。現在は外資系
コンサルティング会社など、企業ブランディングの出版に使われる
ことが 多い仕組みです。
 
なかにはスリランカで活動するNGOが計画する孤児院建設を出版
プロジェクト化して応援する企画であったり、グローバルな視点が
要される社会問題をテーマにした書籍をそのテーマに共感するひと
たちが出資して出版されたものなどがあります。日本の出版社と
共同出資で海外(韓国)で出版したり、韓国企業が出資して日本で
出版したりと、継続して出版業を営むのではなく、私たちのイン
フラをプロジェクト単位で利用する出版活用事例が増えています。
 
近い将来、私たちが英語圏やその他言語に進出した際には、特に
非英語圏の著者や出版社に英語をはじめ様々の言語での出版に
どんどんチャレンジしてもらいたいと思っています。日本に、
世界に、出版界に新しいプレイヤーが参入することで、世界は
もっと面白くなるし、近くなる。プロジェクトスタイルでの
出版参入を支援するのが英治出版のブックファンドです。
 
 
◆会社を始めたきっかけは
 
祖父が起業した家業の印刷・出版業に携わっていましたが、
経営方針の違いからその会社を辞め、妻と二人で自宅の一室を
事務所に出版社を創業しました。私たちの会社と仕事をすること
で、社員、取引先、ステークホルダーの方々の夢が大きくなって
いく組織を作りたいというのが創業時の夢でした。
今も、それを目指して経営しています。
 
 
◆学生時代の考え方や行動の仕方
 

小学生の時からスイミングの選手として週6日、また中学・高校も
水泳部に所属し、体を鍛えました。祖父の代からの趣味である囲碁
を父親から習いました。高校時代には埼玉県代表として全国高校
囲碁選手権に出場し、勝負勘といいますか、交渉術といいますか、
勝敗を左右するコミュニケーションについて碁盤の上で体感した
ことは大きな財産です。
 
高校3年のとき、AFSを通じてアメリカのカリフォルニア州に
一年間交換留学しました。 故郷を離れ、家族以外と生活したのは
初めての経験でしたし、さらに言葉も通じないわけですから、
異文化コミュニケーションについて多くを学ぶことになりました。
自分の持っている文化的背景やメンタルモデル、他人の持っている
それらを認識することで、感情的な反応を極力抑えて思考したり
理解したりすることの重要性を学びました。
 
大学時代はファミコン世代で、よくゲームをやっていた記憶があり
ますが、留学団体のAFSでボランティアしたこと、大学1年の夏休み
に友達とアメリカ一周10000マイルのドライブ旅行をしたこと
などが印象に残っています。そして大学時代に、英治出版を現在
応援してくれている仲間たちに出会いました。
 
 
◆就職活動、社会人、働くことについて
 

大学卒業と同時に起業したくて、起業プランについてあれこれと
考えていましたが、これといったプランにたどりつけず、就職を
し経験を積むことにしました。それで選んだのがアンダーセン
コンサルティング(現アクセンチュア)でした。
 
(当時は)経営の勉強、システムの勉強ができ、多用な業種が
見られると思っての就職でした。シカゴでのプロジェクトや国内
大型プロジェクトなど、約4年間でとてもよい経験をさせてもらい
ました。アクセンチュアで得た経験と人脈がなければ、現在の
英治出版は存在しないと間違いなく言えます。
  
その後、家業の印刷会社などで学んだことも小さな会社を経営する
うえで実務的でとても重要なことが多くありました。経営の小さい、
細かいことに気がつくことができるとしたら家業での経験が活きて
いますし、大きな経験(「○○億円という対価が得られる仕事って」
のようなこと)についてはアクセンチュアで体感したことが活きて
いると思います。
  
  
◆自分に最も影響のあった事(人)
 
大学時代に熱心にしていたAFS(留学団体)でのボランティア活動
を自業自得から一時辞めざるを得ない状況になったことがあります。
自分なりに熱心にやっていたつもりでしたから、「僕がいなくなれ
ば、この団体の業務は支障をきたすのではないか」と考えていた
くらいでした。
 
しかし、ある友人が、「(僕が)いなくても、組織はまわる。
多少は混乱するだろうけどね」と教えてくれました。そして、
やはりその言葉どおりに組織は無事に業務をこなしていくわけです。
この経験は、組織が持つ力と構成要因であるメンバーの力の
関係性について大事なことを教えてくれました。
 
あと、元リクルートフェローであり和田中校長であった藤原和博
さん。英治出版の応援団長にもなっていただいていますが、以前
彼から「(原田は)自分でお金はもっていないかもしれないけど、
自分でやりたいことに必要なお金を集める能力はあるでしょ」と
言ってもらった。
 
当時は時価総額などの言葉がもてはやされていた時代でしたので
なおさらですが、「そうだ。僕はやりたいことがやりたいだけで、
やりたいことをやるのに自分のお金かどうかなんて関係なかった」
ということを気づかせてくれる大事な言葉となりました。
 
 
◆理想の人生と将来の夢について
 
自分の想像力を駆使し、誰かの夢を応援していく。目標達成に壁が
あれば、その壁を乗り越えるために、さらに想像力を駆使していく。
想像力の限界が自分の限界になる。そうやって、誰かを応援し続け
る中で、自分の限界を拡げていきたい。誰かの夢を応援した結果が
世の中に十分貯金できると、知らないところで少しずつ、そして
一気に自分の夢が前進していく感じ。そういった興奮と感動を
味わいたい。
 
そういう姿勢で社会と関わって歩いていきたい。そしてその姿勢に
共鳴し自分と同じ方向に向かって歩いてくれる仲間がいたら、
とても幸せだと思う。生物的に僕が死を迎えることがあっても、
僕が歩いてきた道と同じ方向に向かって歩き続ける仲間たちが
いる限り、僕の人生は続いていくのかもしれない。
 
他人から見れば、紆余曲折の人生に見えたとしても、自分で振り
返ったときに、まっすぐな道を歩いてきたと思える人生を送りたい。
そして、これからも自分の目には、まっすぐな道を歩いていきたい。
 
そう思えたら満点。
 
 
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言
 
夢限大の人生。夢の大きさが、自分の大きさになる。
「誰かの夢を応援すると、自分の夢が前進する」 
           
                英治出版創業者 原田英治
   
    

 
 
◆原稿のご投稿を本当にありがとうございました 
 
 

*****************************
  
英治出版株式会社 
代表取締役 原田英治 様
 
今回はお忙しい中、原稿のご投稿をありがとうございました。
私たち学生にとって、事業をされている方の人生のプロセスを
教えていただくことは将来についてとても多くの教訓を学ぶことが
できます。本当にありがとうございました。
   
英治出版の書籍「シンクロ二シティ」を手にしてその内容の感動を
覚えたのは、今から半年以上前のことでした。その後、英治出版の
出版プロデューサーである秋元麻希さまのご好意により、その書籍
の監訳を務められた神戸大学大学院教授の金井壽宏先生への
インタビューを実現することができました。そして、今回、秋元さま
から英治出版の創業者の原田英治社長のご紹介をいただき
ました。この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとう
ございました。

記事編集 水谷 翔 (起業家育成塾)
 
*****************************


㈱スタンディングエッグ   安井 正典 社長

2008-09-08 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2008年8月12日 10:00~11:30 
●場所 株式会社スタンディングエッグ 本社 会議室
●スタンディングエッグのホームページは 
こちら
●インタビュアー 塾長 三潴 克彦 (みつまかつひこ)
    
 
●安井正典氏 プロフィール
愛知県名古屋市生まれ。埼玉工業大学卒業後、
名古屋に本社を置く製造業に入社。
関連法人で米国へ出向、帰国後に独立。
1989年に(株)スタンディングエッグを設立し、
代表取締役に就任。2004年、SOHOプラザ設立。
 
017b
     
「自分の存在意義を発揮できる起業家を輩出したい」
今回このように話してくださった方は、愛知県を中心に
起業支援を行う(株)スタンディングエッグの安井社長。
事業内容から創業時の思いを中心にお話を伺いました。
  

  
◆スタンディングエッグの事業内容を教えてください
 
一般的に企業が必要とする資源は「ヒト」「モノ」「カネ」「情報」
だと言われています。しかし、ベンチャービジネス後進国と言われ
る日本では、起業を目指すアントレプレナー(起業家)に対して、
それらを支援する仕組みが整っていません。アントレプレナーが単独
で試行錯誤しているばかりで、ベンチャービジネスが前進していない
のが現状ではないかと思います。
    
そこで私達スタンディングエッグでは、アントレプレナーの皆様に
対して会社を発展させていくお手伝いを事業として行っています。
具体的には、起業や会社運営に関する各種セミナー、イベントの
開催、情報の提供、事業企画・独立開業のサポート、設立事業の
アフターフォロー、専門業者の紹介やコンサルティング、レンタル
オフィス運営などの面から支援させていただいています。
     
これらの起業家支援プログラムの中核に「SEユニット」というもの
があります。これは、起業家やあるいは起業したいと思っている
人達が集まって、3人1組でチームを作るものです。このプログ
ラムのメリットは、仲間が3人いることによって、事業に対する
意見交換をし、より発展的な事業を作り上げていくことができる点と
創業時の人財不足を解消できることです。「SEユニット」で作成
された事業プランを専門家集団が審査をし、最終審査で選ばれた
チームに対して起業資金の出資や融資を行います。この取り組み
は今年で3回目となりました。
  
  
◆起業を目指す人達はどのような方が多いですか
 
スタンディングエッグの門を叩いてくれる方々は、現在は男性が
圧倒的に多いですね。年齢は30代から40代が中心です。
女性の方ですと、最近は女性起業家も増えてきたとは思いますが、
実際にいらっしゃる方がまだまだ少ないです。もっと起業したいと
思っている女性の方々に起業支援を行う仕組みがあることを知っ
ていただきたいと思っています。学生さんはほとんどいませんが、
1人だけいらっしゃいます。
 
また、起業を目指される方は一度会社員となり、会社を辞めて創業
を目指す方が多いように思います。中には、商材やアイデアは決ま
っていないけど、起業に携わりたいと言って来られる方もいますの
で、そういった方々にも、もっと来ていただきたいと思っています。
経理や営業を得意とする方などは、例え創業時にアイデアなどが
無くても、チームを組み、自分の強みを生かして事業を発展させて
いっていただくケースもあるからです。
 
 
◆スタンディングエッグの名前の由来は何ですか
 
私が起業支援の会社をやりたいと思った時に、社名をいろいろ
考えていた時、ふとした瞬間に出てきたキーワードがスタンディング
エッグでした。卵には、アイデアとそれを実行していく起業家の
イメージが湧き、スタンディングはその卵を立たせる、つまり
アイデアや起業家を育てていくという意味を持たせ、この名前に
しました。
 
025
 
 
◆安井社長が起業をしようと思ったきっかけは何ですか
 
前職で働いていた時に、アメリカのニュージャージーでSOHO向け
のプリンターの販売を行っていました。
特に当時驚いたことは、たくさんの一流大学卒の人がSOHOで
起業を目指している姿を見たことです。ニューヨーク大学のある
日本人教授がこのようにおっしゃっていました。
 
「日本人はどうすれば一流の会社に入れるのか、と聞きに来るが、
アメリカ人はどうすれば一流の会社を作れるのか、と聞きに来る」
 
私は、この言葉を聞いて衝撃を受け、アメリカの現地の人達の自分
の存在意義を見出せる場所を自ら作り出していく姿勢に大きな感銘
を受けました。私がこの体験をしたのは、今から15、6年前ですが、
インターネットが登場する前の時期で、起業家達がネット事業に
対して熱気を帯び、まさにネット革命の前夜という雰囲気でした。
 
日本に帰国後、国内事業に携わる中、日本のSOHO事業の調査を
行う機会がありましたが、アメリカと日本のSOHO事業のギャップに
気づきました。まず、起業を目指す人自体が少なかったことと日本の
SOHOは税理士や会計士などの「○○士」の方々が支援する仕組み
が主であったことでした。つまり起業を目指す人達にとって、事業を
発展させていく全体の仕組み作りがアメリカに比べて大きく遅れを
取っていたのです。
 
そして、アメリカでの体験と日本の現状を見て、もっと日本でも
起業家を輩出したい、SOHO事業を活性化させていきたいという
思いを持って、1998年にスタンディングエッグを設立しました。
しかし、最初は周りからの反対も多く、また、創業時は数多くの
失敗をしました。しかし、試行錯誤を繰り返し、創業したいと思う
人達の気持ちを肌で感じることができました。そのお陰で現在の
スタンディングエッグがあると思います。
 
  
◆どのような学生生活を送られていたのですか
 
昔から、変わったことをするのが好きでしたね(笑)。大学に入っ
た時に「名声向上委員会」というサークルを設立しました。名前が
怪しいので、サークルで飲み屋に行くと、「何の集まりですか」と
聞かれることもしばしばありました(笑)。
 
私が入学した大学は設立間もない大学でした。だから、その大学
の知名度を上げるために作ったサークルです。大学側にはとても
喜ばれましたよ。集まった仲間達と「鳥人間コンテスト」に応募したり、
「アメリカ横断ウルトラクイズ」に出演したりといろいろやりました。
あれは本当に面白かったですよ。
 
このように具体的に何かを自分で作ってやる、といったことは
大学に入ってからだったと思います。高校ではアーチェリーを
やったりと、個人技が好きでしたね。団体行動は元来苦手で(笑)。
 
020b
 
 
◆将来の夢や理想の人生について聞かせてください
 

当社から輩出した方々が事業で成功して「スタンディングエッグ
があったから成功したんだよ」と言われるような会社になりたい
ですね。そのためには、まだまだ未熟な部分もありますので、
しっかりと起業家を支援できる会社作りを今後も行って行きたい
と思います。
  
また当社には「“人とは違う”そんな貴方を応援したい」という
キャッチフレーズがあります。この言葉のように、私自身も型破り
と言われる程の独創性を持ち、自分の信じた道を進んで行きた
いと思っています。
 
 
◆夢に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 
起業家の支援の事業をやっていますと、今後、何が日本のコア
になっていき、世界と渡り合えるのか、と考えることが多くなりま
した。やはり日本は今まで高い技術力を世界に発信してきたと
思います。そうした歴史的な観点を持ち、今後を見据え、自分が
どのように歩んでいくか、何をやっていくか、ということをしっかり
考えていくことが大切だと思います。
  
  
◆本日は大変素晴らしいお話をありがとうございました
 

 
*****************************
 
安井社長はアメリカで起業家が育つ風土を見て、日本でも活性化
させていきたい、とお話してくださいました。日本で育った私はある
時期まで、働き方というのは会社に入社する、という選択肢しか
持っていませんでした。しかし、安井社長がおっしゃったように
起業という選択肢で自分の存在意義を見つる方法もあることを
改めて強く感じました。
   
安井社長のアメリカでの体験談や日本とのギャップや現状、今後に
ついてお話を聞かせていただいたことで、多くの可能性に目を向ける
ことができたように思います。本日はお忙しい中、素晴らしいお話を
聞かせていただきありがとうございました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
 
*****************************
   
ご紹介者様へ
  
安井社長をご紹介いただいた
セレンディップ・コンサルティング株式会社の
高村社長に、この場をお借りしてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
   
三潴 克彦 (起業家育成塾)

*****************************
  


シニアサロン「悠友知摘」    責任者 桑原英太郎 氏  

2008-09-01 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2008年8月9日 9:00~10:30 
●場所 プロトコーポレーション本社ビル3F 
     セカンドライフサロン悠友知摘 セミナールーム
●悠友知摘(ゆうゆうちてき)のホームページは こちら
●インタビュアー 塾長 三潴 克彦 (みつま かつひこ)

 
●桑原英太郎氏 プロフィール
東京都荒川区日暮里出身。東洋大学社会学部社会学科卒業。
在学中に、ハーバード大学と北京大学に留学し、社会学や
歴史学を学ぶ。また、大学2年生の時より、テレビ朝日に
アルバイトとして入社。ニュースステーション、スーパー
Jチャンネル、ANNニュースなどの現場で仕事をするが、
大学卒業後はプロトコーポレーションに入社をする。
2006年に新規事業「悠友知摘」を立ち上げる。
 
005b
シニア市場に新しいタイプの交流型サロンである「悠友知摘」の
事業を立ち上げれた桑原英太郎氏に、事業のきっかけや現在
に至るまでにご自身の体験談について語っていただきました。

 
 
=========================== 
◆セカンドライフサロン「悠友知摘」について
      

名古屋市に本社を置くプロトコーポレーションの新規事業。 
2006年7月にシニア向けの会員制サロンとして名古屋にオープン。
「仕事に出会う・趣味に出会う・仲間に出会う」をキーワードとして
定年を迎えたシニア向けに「場所の開放」をメインとしたサービスを
展開している。人との交わりや新しい趣味の発見、これまで
培ってきたキャリアの数々を活用し、仕事を通じて社会貢献する
など、セカンドライフを生き生きと送るためのサロンスペースを
提供する。オープンから2ヶ月で会員数は140人を超え、
現在では1200人程にもなる。 
 
◆メディア紹介履歴
 
日本経済新聞、中日新聞、日経ビジネス、日経トレンディ
日経流通新聞(日経MJ)、中部経済新聞、定年時代、
日経BP「セカンドステージ」 NHK総合「おはよう東海」

   
=========================== 
 
 
◆「悠友知摘(ゆうゆうちてき)」を始めたきっかけは何ですか
  
大学卒業後、プロトコーポレーションに入社して、初めはクルマ
情報誌「Goo」の営業の仕事をしていたのですが、後に新規事業
開発部へ行くことになります。新規事業を立ち上げる際、だいたい
のマーケットはすでに手がつけられている状態でしたが、そんな中
でも競合が少ない市場を開拓をすることにしました。
競合が少なければNO1と同時にONLY1になれますので。
     
「悠友知摘」を始める前でも、シニア市場はすでに多くの注目が
集まっていました。しかし、これといって成功した事業があまり無く、
新しいサービスが生まれる可能性は大いにあると感じていました。
そこで、「シニア」×「居場所提供」というマーケットに絞って考えて
いきました。
  
2年前のことですが、アメリカのシカゴで「マザー・カフェ・プラス
(MCP)」という“シニア向けのスターバックス”をコンセプトにした
新しいサービスが生まれており、このMCPのモデルを調べ、
日本版のMCPができないかと考えました。
  
しかし、日本版MCPを行おうとしましたが、最初はどうして良いか
わかりませんでした。様々な情報を本やインターネットで調べま
したが、最終的にはシカゴへと足を運び、MCPを体感しようと現地
まで行きました。そして、日本での事業モデルの大きなヒントを
掴み、試行錯誤の末、「悠友知摘」が生まれました。
 
  
◆「悠友知摘」を始めるまではどのような仕事をしていたのですか
 
入社後は、「クルマ情報誌Goo」の東京エリアの担当をし、通常は
3名で行う仕事を一手に引き受けて、トヨタ、ニッサン、ホンダ、
スバル、ダイハツ、スズキなど東京エリアのほとんどのメーカーと
仕事をしていました。
 
大変な仕事でしたが、ライバル誌との企画争いに競り勝ち、東京
エリアのメーカー系の情報ページのブランディングを確立すること
に成功しました。その他にも多くのGoo関連の新規商品開発を行い
ました。新規事業開発部に異動し、シニア市場向けのサービスを
携わるようになったのは2004年の時でした。
 
また、東京で仕事をしていた時に、ビジネスについて詳しく学び
たいと思い、グロービスに通いMBAの勉強をしました。ゲーム理論
やマーケティングの教養を深め、ステレオタイプではない独自の
見解を持っていたいという思いが強くありました。グロービス主催の
マーケティングの全国大会では優勝することができました。
 
 
◆大学時代のテレビ局での仕事について聞かせてください
 
大学2年生の時から、テレビ朝日にアルバイト採用で入社させて
いただき、ニュースステーション(現報道ステーション)やスーパー
Jチャンネル、ANNニュースの現場で仕事をさせていただきました。
湾岸戦争の報道の仕事をしていた時に、中国の共同通信と共同で
仕事したりと、大変刺激的でした。また、和歌山カレー事件なども
担当させていただきました。
 
アルバイト入社した時は、報道局アシスタントディレクターでした
が、その後、総勢で30人くらいのADをまとめるディレクターの
仕事もさせていただきました。在学期間中にこのような素晴らしい
経験をさせていただいたことが現在の自分にどれほど大きな影響を
与えたかは計り知れません。
  
テレビ局で仕事をしようと思ったきっかけは、小学生の頃から
「情報」というものが自分の中に常にあり、それを伝える仕事を
したいとずっと思っていたことが一番大きな理由だと思います。
 
002b
 
  
◆プロトコーポレーションで働こうと思った理由は何ですか
 
大学を卒業する時にテレビ朝日から、正社員としてBS系の仕事の
お話をいただいていたのですが、現場から離れずに仕事したい、
小さな組織で挑戦したい、紙媒体の情報を経験したいという思い
からプロトコーポレーションに入社を決めました。
 
昔から、新しいことに挑戦して何かを創っていくということが
好きな性分があったのだと思います。そうして、チャレンジ
できる会社としてプロトコーポレーションを選びました。
  
 
◆大学まではどういったことをされていたのですか 
  
小学2年生の時から、「情報」を伝えることに魅力を感じ、新聞を
作っていました。クラブ活動や学級での取り組みではなく、
自主制作で行っていました。
 
小学校の時に、給食のおばさんが、生徒のことを考えて栄養の
高い給食を作っているのに、食べ残しが多いことを残念がってい
ました。これはみんなに伝えるべきだと思い、新聞形式にして
学校の掲示板に貼り出しました。その後、バスの運転手さんや
警察官などいろいろな職業の方にインタビューもしましたね。
    
高校生の時は、今は亡き黒澤明監督に取材をさせていただき
ました。2年間くらいアポを取り続けて、最終的には取材を
受け入れてくださいました。これは、大変貴重な経験をしたこと
と同時に、何事もやってみるもんだ、と思いました。
 
  
◆留学についての体験談を聞かせてください
 
そうですね、大学在学中に留学するのですが、最初の動機が実に
単純なものでした。ある時に留学するために資料を見たのですが、
「TOEIC930点以上」というものがあり、一番高い条件という
ことでした。その大学がハーバード大学です。
 
私はあまりハーバード大学について当時、詳しいことは知りません
でしたが、条件が厳しくなると無性にやる気が昔出て(笑)、それで
勉強して条件をクリアし、留学することになりました。ハーバード
大学へは半年行き、社会学を学びました。
 
もう一つの留学先は北京大学です。在学中にアジア圏でバック
パッカーをしていたのですが、偶然、ある安宿に泊まった時に、
仲良くなった人がいました。それが北京大学の教授でした。
その出逢いとご縁のお陰で、北京大学に入学させてもらい
そこで4ヶ月ほど歴史学を学びました。
  
 
◆勉強は好きだったのですか
   
大学時代、勉強したか、と聞かれると正直あまりやった覚えが
無いのですが、興味や関心があることはとことんやりました。
そんな時は、学校の図書館の一番奥の書庫に
こもって一人で勉強していましたね(笑)。良いことではないの
ですが、講義に出席して勉強する、ということはあまりなかった
です(笑)。
 
例えば、大学に入学した1年生の頃に「映画館.com」という
サイトを作って運営していました。最初、サイトの作り方も
わかりませんでしたが、独学でHTMLを勉強してサイト作りをし、
チャットルームなども作ったんです。結構サイトが成長して、
オフ会をやったら、70人くらいの参加者がありました。
 
新しい刺激や何かを自分で創っていくことが非常に好きな性分
なのだと思います。何かをするための勉強なら、徹底してやる
タイプなのだと思います。 
テレビ朝日の仕事も大切でしたから当時は3時間くらいしか
寝てませんでしたね。  
 
007b  
 
 
◆理想の人生や将来の夢について聞かせてください
 

50歳で引退して、ネパールで事業を行いたいと思っています。
バックパッカーでネパールに行った時に、今後必ずネパールが
発展してくると感じました。また、ネパールで絵本を出版したい
とも思っています。
経済が発展すると古き良き文化は置きざりにされがちです。
ですから、語り継がれている様な物語を絵本にして残す事業
には大きな意味があると思います。
 
私は現在は31歳ですが、シニアビジネスに、今後も長く関わっ
ていこうと思っています。今から、10年後に日本以上の高齢
社会が韓国に訪れると言われています。それを見据えて、さらに
良いサービスを作り、事業展開を行っていきたいと考えています。
 
 
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 
私は、何か事を起こす時には、明確な動機が必要だと思います。
強い思い、必ず成功させるという「執念」を持って何かを始めないと、
壁にぶつかった時や挫折した時に、起き上がってくるエネルギーが
湧いてこないのではないかと思います。スキルや技術力だけで事業
を始めると最初は上手くいくけど、途中で終わってしまった、という
例を今までたくさん目にしてきました。強い思いやコンセプトを持って
取り組んでいれば、ノウハウや方法論は後から付いてくるものだと
思います。
 
それと、自分の目を信じて欲しいと思います。マーケティングなど
の情報を全て鵜呑みにせず、現場で自分の目で見た情報を大切に
行動していくと良いと思います。
「これはいける!」というファーストインプレッションって、
意外と当たっているものですよ。
 
 
◆本日は大変貴重なお話をありがとうございました
 
 

*****************************
 
桑原さんは大変頭脳明晰でスピード感があるお方でした。
今後を見据えて事業の布石を打っていかれる姿勢とお話には
大変興味深く聞かせていただきました。また、内心にある熱い
思いを語ってくださり、ハートフルな一面も見せてくださいました。
 
「情報」を伝えていくことに興味を持たれて、小学校から大学、
そして会社に入社されるまで、様々なことを経験されて桑原さんが
作っていかれたキャリアについての体験談から、貴重な気づきを
たくさん与えていただきました。本日はお忙しい中、インタビューに
お答えくださいまして、本当にありがとうございました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
 
*****************************
   
ご紹介者様へ
  
桑原様をご紹介いただいた
テクノサーチ株式会社の上野允久様に、
この場をお借りしてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
上野允久様インタビュー記事は こちら
      
起業家育成塾 三潴 克彦 (みつまかつひこ)
   
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(株)アドバンスト・コミュニケーションズ            取締役 若月光博氏

2008-08-18 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2008年7月16日 13:30~15:00
●場所 セレンディップ・コンサルティング株式会社 会議室
●(株)アドバンスト・コミュニケーションズのホームページはこちら 

●インタビュアー 塾長 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
 
●若月光博氏 プロフィール
静岡県富士市出身。名古屋大学経済学部卒業。
・1989年 静岡銀行入社
・1996年 監査法人トーマツ入社
・1997年~2003年 しずおかベンチャーサポート
              事務局長
・2000年~しずおか産業創造機構 経営アドバイザー
       中小企業基盤整備機構 経営支援アドバイザー
・2001年 トーマツコンサルティング(株) 取締役
・2003年 プロジェクトA 取締役副社長
・2004年~2006年 プロジェクトA 代表取締役社長
・2006年~2008年 ミズ・バラエティー 社外取締役
・2006年 アドバンスト・コミュニケーションズ 取締役
・2008年 名古屋大学大学院 非常勤講師
 
003b
               
今まで数多くの企業支援、企業再生を経験され、まさに企業
コンサルティングのプロとして活躍される(株)アドバンスト・
コミュニケーションズの取締役である若月光博氏にお仕事
内容を中心にインタビューにお答えいただきました。 
  

  
◆現在のお仕事について聞かせてください

 
アドバンスト・コミュニケーションズでは主にセットトップ
ボックスという製品の開発からセットトップボックスに関する
システムのコンサルティングを行っています。
 
私は、アドバンスト・コミュニケーションズでは取締役を務め
会社の仕組み作りをメインに仕事をしています。仕組み作りでは、
ヒト、モノ、カネ、情報といった経営資源の調達及び効率的な
運用を目指しています。具体的には、人事制度の構築、システム
構築、業務の標準化とルール化や戦略構築も行っています。また、
資金調達と運用、J-SOX法に対する対応なども行っています。
 
  
◆アドバンスト・コミュニケーションズで働かれるまでの
 お仕事を教えてください

   
名古屋大学の経済学部を卒業して静岡銀行に入社しました。
そして、その7年半後に監査法人のトーマツに入社することに
なるのですが、トーマツで「しずおかベンチャーサポート」という
プロジェクトに関わったことが私の転機となりました。当時、
まだ31歳で、駆け出しの頃でしたが、自分が考えた政策に
各方面の方々から好評をいただいたことがこのプロジェクトを
通じて私の今後の人生が大きく変わっていく始まりでした。
 
今から11年前のことです、ベンチャーブームが巻き起こって
おり、トーマツの社内でも、ベンチャー企業に対する関心が
非常に高まっていました。そうした世間の動きの中、公的機関が
ベンチャーサポートを行う取り組みを始めていました。しかし、
ノウハウ不足や人材がいないという問題点を抱えていました。
そうした時に、民間からもサポートメンバーを、ということで私は
ご縁があり、そのプロジェクトに呼んでいただき、私を含めた
7人で「しずおかベンチャーサポート」というプロジェクトが発足し、
事務局長をさせていただきました。
 
当時、ベンチャー企業を含めて、企業間同士の異業種交流会が
盛んに行われていましたが、その成果には少し疑問を感じてい
ました。企業の事業や政策に対する決定権を持った人たちがあま
り参加していない現状があり、これではせっかくの出逢いがもっ
たいないのではないかと思い、決定権がある社長や取締役クラス
の人たちが参加できる仕組み作りに力を入れました。そして、会社
同士のニーズを一致させることを最優先に考えました。
 
それから、会社を発展するために必要な仕組み作りをテーマに
進めていくことにしました。基本的には、資金、人、技術開発、
販路の確保の4つの支援が大切になると思いましたが、それを
行う根本として会社の知名度のアップと信用が大変重要なことに
気づきました。
 
そこで、静岡新聞の編集長の方に加わっていただき、大きな
メディアを使ってサポートする企業の広告・宣伝を行うことで
知名度と信用力のアップをし。また、野村証券の営業やM&A
の専門家で、大きなネットワークを持っている方々にもご参加を
いただき、企業をサポートしていく仕組みを発展継続させていける
ように取り組みました。
「しずおかベンチャーサポート」の運営委員に異動がなかったため、
仕組みのノウハウが蓄積できたことが成功の要因となったと思います。
  
011b
 
 
その後、トーマツコンサルティングの取締役を務めさせていただ
くことになりました。トーマツコンサルティングに出向したきっ
かけは「しずおかベンチャーサポート」で企業を支援することに
強い魅力を感じるようになっていたからです。丁度、私が入社
した頃、業種を問わず、バブルが弾けたインパクトを受けていま
した。ここでは、企業の立ち上げから人事に対するコンサルティ
ング、企業再生や上場支援などの仕事を行いました。
 
トーマツコンサルティングで仕事を行っていく中で、今後は企業
の当事者として、自ら実践いたいと思うようになりました。そん
な時に偶然、「しずおかベンチャーサポート」の時のクライアント
であったプロジェクトAというエクセルやパワーポイントなどの
技術系の本を作っている会社の支援をして欲しいと依頼を受けま
した。最初は一週間に一度程度ということでしたが、結局フルで
働くことになり、取締役副社長になりました。その後、会社の立て
直しに従事し、翌年には代表取締役となりました。入社して3年後、
会社が安定してきたところで売却することに決めました。
 
売却の時期と時を同じくして「しずおかベンチャーサポート」で
関わりがあったミズ・バラエティーという会社の方から経営の
支援をして欲しいというお話をいただきました。こちらも結局
社外取締役としてお仕事を引き受けることになりました。
主に、財務に関して銀行とのパイプラインの構築や人事体系
作り、法務面の整備から上場準備などを行いました。こちら
では一年半ほどの期間お仕事をしました。
 
また、ミズ・バラエティーの社外取締役になった数ヵ月後に、
タイミング良く現在のアドバンスト・コミュニケーションズの社長
の山田から声を掛けていただき、取締役として入社しました。
そして、現在も主に会社の仕組み作りに力を入れています。
 
 
◆学生時代の考え方や行動の仕方を教えてください
 
大学受験の時の話ですが、地方の大学に行った方々のお話の方が
魅力的に感じ、都会に行く気はありませんでした。東京で過ごし
た方々のお話はチヤホヤした話が多く(笑)、それは私の肌に合わ
ないと感じました。それで名古屋に魅力を感じて名古屋大学に
進学することを決めました。あと大学で車に乗りたかった(笑)。
 
昔からずっと野球をやっていたこともあり、大学でも野球に打ち
込みました。野球で結構精神面が鍛えられたと思っています。
それは、仕事にとても生きていると思いますね。でも、当時の私を
知る人は、今の自分の仕事を伝えると驚きます。人前で話したり
することが苦手でしたし、性格も保守的でシャイでした。だから、
今とは正反対と言えるかもしれません。人生何があるかわから
ないとつくづく思います(笑)。
 
018b
 
 
◆理想の人生や将来の夢について聞かせてください
 
「しずおかベンチャーサポート」に関わって以来、特にベンチャー
企業の支援やそこで拡がるネットワークの中で仕事をすることが
楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。それで、今後は、もっと上を
目指して、企業を支援する腕を磨いていきたいと思っています。
 
そして、まだ具体的には決まっていませんが、仕事をして出逢った
素晴らしい方々と企業を立ち上げる夢を抱いています。
 
 
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 
「百聞は一見にしかず」という言葉の重みを改めて感じています。
私は先ほどもお話しましたが、現在と昔では大きく違います。
昔は本当に口数が少なく、シャイでしたが、様々な経験を通じて人間
が、自分が変わることを体感しました。その度に、経験から学べる
ことがいかに多いかと思います。だから、トライ&エラーで頑張っ
ていって欲しいと思います。
 
 
◆本日は大変素晴らしいお話をありがとうございました
 
****************************
   
若月様は「ほっとけない」タイプの方でした。
人から頼まれたり、求められると損得を考えず行動する人が
います。後で苦労することはわかっていてもつい支援してしまう。
それで喜んでもらうと達成感を感じて、ついまた引き受けてしまう。
「頼まれ事は、試され事」と言う人がいます。
人は頼みごとをする相手を選びます。そして期待するのです。
その期待に応えていくとだんだん実績になり、さらに難しい事を
頼まれるようになり、ますます信頼が高まっていきます。
若月様のお話をお聞きしてそんなことを感じました。
「社長が頼みたくなる人、若月様」
貴重なお話をありがとうございました。
 
ご同行頂き、お話を頂いた経営企画室長の望月様にも
この場をお借りしてお礼申し上げます。
ありがとうございました。 

起業家育成塾 塾長 三潴 克彦   
    
****************************
 
若月様が現場で体験されてきた企業再生やご支援のお話は
大変興味深いものでした。若月様のご縁や繋がりから拡がって
いったお仕事に関するお話だけでも多くのことを勉強させて
いただきました。
  
特に印象的だったことは、20代の若い頃に頑張って取り組んだ
ことが、その後の人との繋がりや、素晴らしい出逢いから様々な
機会が生まれてきたということです。
 
インタビューにお答えいただきありがとうございました。
今回教えていただいたことを生かして頑張ります。 
 
原稿作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
 
****************************
  
ご紹介者様へ
  
若月氏をご紹介いただいた
セレンディップ・コンサルティング株式会社の
高村社長に、この場をお借りしてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
   
起業家育成塾一同
  
****************************

 


テクノサーチ株式会社   執行役員 上野允久氏

2008-08-04 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2008年7月10日 13:30~15:00
●場所 テクノサーチ株式会社 会議室
●テクノサーチ株式会社のホームページは 
こちら
●インタビュアー 塾長 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
 
●上野允久(うえの のぶひさ)氏 プロフィール

岐阜県岐阜市出身。名古屋大学法学部卒業後、
東海銀行(現:三菱東京UFJ銀行)に入社。支店勤務後
証券部門にて新商品開発や新規事業立ち上げに従事する。
支店の営業課長や支店長、証券会社への出向などを経て、
東海総合研究所経営コンサルティング部の責任者として7年
歴任。
現在は世界初の民間の特許庁登録特許調査機関で
あるテクノサーチ株式会社の経営管理部長を務める。

 
003b
      
「サラリーマンはクリエイティブな仕事だと思います」
      
今回のインタビューでこのようにお話してくださったのは
世界初の特許調査の民間企業、テクノサーチ株式会社の
上野允久経営管理部長。大学卒業後は銀行に就職するも
新商品開発、新規事業立ち上げを数多く行い、自らの
クリエイティブなサラリーマン生活を語られました。

=========================== 
◆テクノサーチ株式会社 業務内容
 
1.登録調査機関として、特許庁から依頼を受けた審査対象の
  出願特許について、その先行技術の調査業務
 
2.特定登録調査機関として、特許出願その他の者の求めに
  応じ、特許出願にかかわる発明と同一技術分野の先行技術の
  調査業務
 
3.技術情報および技術ノウハウの仲介およびコンサルティング
  業務
 
4.その他知的財産に関わる業務
===========================
 
 
◆テクノサーチ株式会社の創業のきっかけは何ですか
 
2002年、当時内閣では、小泉首相主催の「知的財産戦略会議」
が設立されました。政府が日本を知的財産立国を目指し、同年の
12月には知的財産基本法が成立しました。この流れに伴い、
テクノサーチ株式会社は世界初の特許審査に関わる特許調査の
民間企業として2004年10月に誕生しました。
 
日本では、知的財産の中心である特許の出願件数は、毎年40万
件前後で推移しており、世界1位、2位を競う特許出願大国です。
2008年3月末時点の特許審査待ち期間は28ヶ月を超え、
審査待ち件数は約90万件弱を推定されています。そこで、そうい
った現状を踏まえ、迅速な対応や業務を行うためにテクノサーチは
民間企業として誕生したのです。
 
結果として、出願されている特許の特許権を早期に確定させる
ことができれば、その研究成果の権利を早く行使していくことが
できるようになります。そして、企業と日本経済の国際競争力を
高めていくこになります。
 
テクノサーチは企業の開発事業などに長年携わってきた技術力
が高く、経験豊富な人材を採用しています。高度な技術者の集団
と言えると思います。
 
005b
 
  
◆テクノサーチで働かれるまでのお仕事を教えてください
 
岐阜県の岐阜市出身なのですが、名古屋大学の法学部を
卒業して、東海銀行(現:三菱東京UFJ銀行)に入社しました。
支店勤務後、事業調査部というところに入り、産業や企業の
調査などを行っていました。その後の銀行員の期間は長く
25年間勤めることになります。
 
私が30歳前くらいの時、ある飲み会の席で友人達と話をして
いて「これから証券の時代が来るのではないか」という話題に
なりました。当時の銀行では自己申告で次の仕事を希望できる
風土があり、友人の話に共感して、私は証券部門の仕事がやり
たいと申し出ました。当時の銀行で証券を希望する人はほとんど
おらず、変なやつだと思われたと思いますが(笑)、最終的には
証券部門に行かせてもらうことができました。
 
そこでは株の取得審査や社債の発行のお手伝いをしていました
が、未上場企業の魅力を感じましたね。銀行と証券はまだはっ
きりと分離されていた時代ですが、自由化の大きな波が起きはじ
めた頃でもありました。そんな矢先、31歳の時だったと思います
が、上からの指令で、画期的な金融新商品を開発しろと言われ
ました。しかも一人で(笑)。大きな仕事を任されたこと、これが
私の転機になりましたね。
 
正直新商品を作れって言われて、思いつくままにやりました。
新しいことにチャレンジすることって面白いな、と感じ挑戦しまし
たね。途中で先輩も加わり、仕事に打ち込みました。二人で
新商品を使って100億円集め、この事業は大成功でした。
その後その商品では、新しい金融手法も開発したりしました。
 
それからは銀行の支店と証券部門を行き来しましたね。銀行の
大阪支店の営業課長となり、大企業の創業社長や経理部長と
折衝する仕事をしました。また、支店長も経験しました。証券部門
に戻った時に「今後は株式公開の時代になるのではないか」
と思い株式公開を支援するチームの設置を提言しました。
この時代は銀行と証券の垣根が急激に低くなっていく時でしたね。
 
次に「投資信託を銀行が扱う時代がくるのではないか」という
レポートを役員に提出しましたら、またしてもリーダーに任命され
ました。それは銀行資本100%の証券会社と投資信託会社を
同時に作るプロジェクトチームのリーダーの仕事でした。
会社創業の準備をし、大蔵省との折衝も行いました。
 
その後、もう一度銀行の支店長をやってから、東海総研に行きま
した。東海総研では経営コンサルティング部門の責任者をやった
後、取締役になり、7年ほど勤めました。その間子会社としてISO
に関するコンサルティング会社を資本金5000万円で作り、
最終的に現金が2億円残りましたから成功しましたよ。
 
また、同時期に部下のコンサルタント諸君を支援する形で、
ベンチャー企業支援の東海ビジネスドットコムや環境経営の
エコステージ協会の設置や運営に関与しました。これらは東海
総研初の試みでしたね。どちらも上手く行きました。また、今も
続いていますが、大学で「起業論」の講座を持ったのもこの
頃です。
 
自分の活動を振り返ってくると割合いろんなことをやってきた
なぁ、と思いますよ。サラリーマンは業務をこなしているとい
うイメージがあるかもしれませんが、そればかりではないと
思います。退屈な業務を担当したときは、逆に勉強の機会だと
思っていろいろインプットしました。ビジネスに従事することは
とてもクリエイティブな仕事だし、日本がここまで大きくなった
のは、多くのサラリーマンが新しいことに、次々とチャレンジ
してきた結果ではないかと思っています。
 
名古屋大学の法学部の同窓会に行くと、弁護士や裁判官と
して活躍している人たちもいますが、サラリーマンのほうが
案外クリエイティブなんじゃないかと何度も思いました。
  
011b
 
 
◆自分に最も影響があったことは何ですか
 
そうですね、何かと言われると難しいのですが、やはり自分の
原点は30歳前くらいに証券の時代が来るのではないか、と
飲み会の席で話し、その後に新商品開発に携わったことでは
ないかと思いますね。
 
大学時代はごく普通の大学生でした。マージャンが好きで
友人達と楽しくやっていた思い出がありますね。就職活動も
あまり考えずにしましたね。たまたまゼミの連中について
行った先が銀行で、そのまま銀行に入ったくらいですし(笑)。
 
ただ、新しいことを吸収するという視点でしたら、子供の頃
から新聞を読むことがすごく好きでした。毎日新しい情報を
見ることができ、楽しいと思っていましたから。
 
仕事を始めるまでは自分から人に積極的に接する人間では
無かったのですが、銀行で働く時に仕事だと割り切って考え
るようになってからは、人と会うのが嫌ではなくなりました。
誰かに会えば新しい情報が吸収できるし、だんだん楽しくな
っていきました。支店長時代にはものすごく多くの人に会い
ましたね。
 
また、銀行の調査部門にいた時に先輩からファクト・ファイン
ディングと何度も言われました。事実を見て判断せよ、という
ことですね。現場に見に行き、状況や相手を自分の目で確か
めること、これを徹底的に叩き込まれました。この経験の
お陰で仕事に対する考え方や行動の仕方が変わりました。
  
  
◆理想の人生と将来の夢について聞かせてください
 
テクノサーチ株式会社は設立して5年目ですが、もう少し
安定させたいと思っています。
 
銀行員時代から経験してきたことを生かして、あと2社ほど
会社経営に携われたら嬉しいですね。自分で会社をやるのか、
誰かを手伝うのかなどは、まだわかりませんが、これからの
時代を考えると、ベンチャー企業の上場を支援する会社で
仕事したいという思いがあります。
 
 
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 

進んでチャンスにチャレンジしていって欲しいと思います。
自分の目の前にある状況が、ピンチなのかチャンスなのかを
よく見極めて判断し、行動してください。
 
見極める目を養うにはやはり日々の努力が大切です。
日頃から新聞や本などをよく読んで情報収集を行い、
考え方を磨き、人と会って話をすることが大切です。
 
これは証券会社にいた時の体験談ですが、国際的な証券会社を
作ろうと思った時に、立地条件が非常に大切だと思いました。
ですので、会社が入居する候補場所に自分で歩いて行き、
現場を数十箇所見て考え、設置場所を決めました。
 
また、学生の方々は国際社会で働くことを視野に入れて、
語学力を磨くとともに、知的財産権や特許に関わる勉強をすると
良いと思います。特許庁や弁理士協会、商工会議所などが
安価でセミナーを行っている場合が多いので、インターネットなど
で調べてみると良いと思います。
 
 
◆本日は大変素晴らしいお話をありがとうございました
  
****************************

ご紹介者様へ
  
上野允久氏をご紹介いただいた
セレンディップ・コンサルティング株式会社の
高村社長に、この場をお借りしてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
高村社長インタビュー記事は こちら

起業家育成塾一同
        
****************************
 
上野部長のお話は本当に心躍る思いでした。
私は新しい事業や新商品開発と聞くとベンチャー企業を
イメージしてしまいます。
 
しかし、上野部長のお話をお聞きし、そういった私の既成概念は
全く違うものに変わりました。むしろ、サラリーマンとしてクリエイ
ティブな仕事を行うからこそ日本の経済発展に貢献してきたの
ではないか、という視点でのお話こそ「新」のイメージとなりました。
 
新しい商品を生み出し、新しい場所でチャレンジされてきた
起業家精神に富む上野部長の体験談は大変貴重なお話で
あったと思います。お忙しい中本当にありがとうございました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
 
****************************


株式会社ITCS       深見 和久 社長

2008-07-29 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2008年7月8日 16:00~17:30 
●場所 株式会社ITCS(アイティーシーエス) 会議室
●株式会社ITCSのホームページは こちら
●インタビュアー 塾長 三潴 克彦 (みつま かつひこ)

  
●深見和久(ふかみ かずひさ)氏 プロフィール
愛知県瀬戸市出身。
代々の家業である窯元を継ぐことを諦め、
ソフトウェア開発会社に就職し、5年後に退社。
一時は会計士を目指すが、ご縁があったことで
ソフトウェア開発会社を1995年に創業。現在は
株式会社ITCSの代表取締役を務める。
  
002b
今回はパッケージソフトの開発やオーダーメイドで業務
システムの構築を行う株式会社ITCSの深見社長に会社
を始めたきっかけから、会社に対する思いや夢を語って
いただきました。

 
 
◆現在のお仕事について聞かせてください
 

事業は大きく分けて二つありまして、一つ目はパッケージ
ソフトの企画・開発・販売で、二つ目は中堅企業向けに
オーダーメイドで業務システムを構築しています。
パッケージソフトは、業務システム連動型ワークフローの
「Manage」と「労務三昧」で、これらの製品は販売パートナー
を通じて全国展開しています。
 
「Manage」は株式会社オービックコンサルタント様との業務
提携により、全国3000社以上の販売パートナーを通じて
全国各地での導入実績があり、上場企業および、その
関連会社でご利用頂いています。また、労務管理パッケージ
の「労務三昧」は、社労士業界では東海三県1位、全国4位
の市場シェアとなっています。
 
 
◆就職活動や働くことについて聞かせてください
 
私は前職でソフトウェアの開発会社に就職しました。
理由は簡単で、当時パソコンやプログラムといったものに
苦手意識があり、それを何とかしたい、深く知りたい、という
思いからでした。
  
入社当初、仕事が出来ずに、というか専門用語やソフトウェア
設計に関することが全くわからず、胃が痛い毎日を送っていま
した(苦笑)。途中でやめようか、と何度も頭をよぎりましたが、
先ず一年は一所懸命に頑張ろう、と心に決め、逆日めくりカレ
ンダーを自分で作り、自分を奮い立たせ仕事に打ち込みました。
 
このカレンダーをめくるという具体的な行動のお陰なのか、
半年くらい経った頃に、少しは仕事がわかるようになりました。
少しずつですが仲間やお客さまが認めて下さるようになり、
仕事にやりがいを感じるようになりました。
そうなるとお客さまが喜んでくれることが嬉しくて、土日も
休まずに働き続けました。
 
しかし、残念ながらその会社は業績が思わしくなく、賞与
は5年に2回だけでした。また、給与が遅配する時も間々あり、
最初の遅配時に多くの人が会社を去り、私はそれにとても大きな
ショックを受けました。同僚も先輩も無断で来なくなり、私も
考えた挙句、退職することにしました。5年間お世話になりました。
  
様々なことがありましたが、この会社で働かせていただき、
仕事について多くの学びを与えていただきました。今の会社と
自分があるのはまさしくこの会社での経験であり、大変感謝
しております。
 
011b
 
 
◆創業するきっかけは何だったのですか
 
ソフトウェア開発の会社を退職した後は浪人して会計士を目指
していました。会計士の資格を取り、会計事務所や監査法人に
入って働こうと思っていました。そんな時に、以前の会社のお客
さまからシステム開発を手伝ってくれないか、と相談をされました。
生活費の面もあり、私はアルバイト感覚で依頼された仕事を行う
ようになりました。
 
しかし、システム開発の仕事がだんだん忙しくなり、当初の
会計士の勉強も疎かになってしまい、見事に試験に落ちて
しまいました(苦笑)。結局、当時のシステム開発を依頼された
取引先の薦めもあり、人に望まれるうちが花と思い、また独身
だったので一人でソフトウェアを開発する会社を創業しました。
  
  
◆学生時代の考え方や行動の仕方を教えてください
 
学生時代というよりは、幼少期の経済的に辛い出来事が私の
考え方や行動するための基盤が出来ていったのではないかと
思います。生まれは瀬戸で、実家は3代続いた窯元でした。
    
家内工業であり、両親が朝早くから夜遅くまで働いていました。
母親は仕事が終わっても、夜また内職をしていました。合計で
15時間くらい一日に働いていたのではないかと思います。
  
小学校3年生の時に、友達の誕生日会に行き、友達の家で
出された料理の多さと美味しさに驚きました。
その時になんとも言えない感情が私の中を巡りました。
自分の家が経済的に豊かじゃないことを身を持って感じたのです。
 
経済的に報われないことを感じ、家業を継ぐのを諦め、自分で新しい
道を探していこうと決意しました。
  

◆自分に最も影響のあった事は何ですか
 
会社での出来事なのですが、数年前まで採用を部下に任せ、
適性と経験を重視した中途採用で行っていました。しかし、
そのように採用した社員が一年間で30%も辞めてしまった
ことがありました。理由は直ぐにわかりませんでしたが、
ある時に、退職する社員の一人にこう言われました。
  
「もっと社員を大切にして欲しい」
 
私はステークホルダーの中で一番大切なのは顧客で、二番
目が社員と常日頃から言っていました。理由は、顧客が満足
してくれて、私たちの製品を買ってくれるから、会社が存続する
のであって顧客が最も大切だと言っていました。
  
しかし、社員には違ったように伝わったようで「社員を大切に
しない社長」という印象だけがひとり歩きして社員との信頼関係
が築けていなかったのです。
私は、社員のことをとても大切だと思っていましたし、そんな
つもりは全くありませんでした。しかし、実際に退職者が多く
出たので、どうすればいいか、悩みました。
  
そして、悩んだあげく働く社員は「会社が好きかどうか」が
最も大切ではないか、と考えるようになり、人材の採用を
自分が行うようになり、また積極的に理念やビジョンを語り
それに共感してくれる人を採用するようにしました。
それからというもの、退職者もいなくなり、業績も良くなって
いきました。この経験は自分の未熟さを知ると共に、一緒に
働く大変さを学び、とても勉強になりました。
 
そして、そういった思いが何かを呼んだのかもしれませんが、
取引先のご紹介で京セラの創業者である稲盛和夫さんが
主宰される盛和塾へ2006年に入塾しました。
盛和塾では、塾長例会や経営に真剣に取り組まれている方々
との出逢いや事業のお話などを聞き、多くのことを勉強させて
いただいています。
  
 
◆理想の人生や将来の夢について聞かせてください
 
現在、開発中の新製品を軸に会社の売上げを10億、利益を
3億にしたいと考えています。この新製品をスタートラインにし、
さらに発展させていきたいと思っています。社員や取引先とは、
一人一人と良い関係になり、多くの時間を共有したいと
思っています。
 
また、今以上に人から必要とされる「徳ある人間」になれ
るよう、日々精進していきたいと思っています。私は「大義」を
自分の中に持つことが大切ではないかと考えています。会社
なら一瞬の成功ではなく長期的に必要とされる会社を
目指していきたい。
  
そのためには自分の中に「大義」を持ち、私利私欲では
なく、人のために尽くす姿勢でいたいと思います。
そして「何をもって幸せとするか」という問いを常に持ち、
本当に大切なことは何かを考えていきたいですね。
 
005b
 
 
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 
好きな言葉に「大きな努力で小さな成果を」というものがあります。
    
一見すると回り道かもしれないけれど、一つ一つ努力すること
が大切なことなのではないか、という意味が込められたこの
言葉が好きですね。
 
正直、自分はつい目先の成功に欲を出してしまう時があります。
この言葉はそんな時の自分への戒めだと捉えています。
皆さんも頑張ってください。
 
 
◆本日は大変素晴らしいお話をありがとうございました
 
 

****************************
   
ご紹介者様へ
  
深見社長をご紹介いただいた
株式会社名古屋コンサル21の
高間社長に、この場をお借りしてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
高間社長インタビュー記事は こちら

起業家育成塾一同
 
****************************

深見社長の静かでどっしりと構えられた姿から、
起業をされ、多くの経験や苦悩を乗り越えて来られた
重みを感じました。
 
自分の考えが社員の方々に違って伝わっていた時の
辛さや難しさがお話からにじみ出ていて、大変勉強になりました。
 
そういったご経験をされた深見社長の雰囲気と話される
内容はとても深く、心動かされました。本当に素晴らしい
お話をしていただきありがとうございました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
 
****************************

 

株式会社インテルプレス 山本 真久 社長

2008-07-24 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2008年7月10日 10:00~11:00 
●場所 株式会社インテルプレス 会議室
●株式会社インテルプレスについての詳細は こちら
●インタビュアー 塾長 三潴 克彦 (みつま かつひこ)

 
●山本真久氏 プロフィール
南山大学経済学部卒業。
2000年4月に東海銀行に入社。2005年4月に
UFJ銀行(現:三菱東京UFJ銀行)を退社し、
インテルプレス代表取締役に就任。
 
020b
今回は東海地区を中心に就職活動の支援をされている
インテルプレスの山本真久社長に会社について創業の
きっかけと学生
時代のお話を中心に伺いました。
 
 
◆現在のお仕事について
 

現在のメイン事業は新卒の大学生向けに東海地方の
中小企業の紹介を行っていることです。東海地区には
大手企業中心の求人サイトなどでは見つけることができない、
素晴らしい中小企業が数多く存在しています。
 
中小企業の中には技術力が世界一の会社や近年急成長を
遂げている会社もあります。しかし、実際そのような会社の
学生さん達への認知度は低いと感じています。就職活動の学生さん
達がエントリーする会社は多くても100社ほどではないかと
思います。しかし、実際の企業の数はその何十倍もあり、
中小企業が日本の全企業の99%を占めています。
 
インテルプレスでは、そのような中小企業の強みや社風、
企業理念、福利厚生、最新技術など、その会社の光る部分を
見つけ、就職活動を行っている学生さん達にご紹介し、
支援していきたいと思っています。
 
また、東海地区の学生向けのフリーペーパー「REAL」の発行
を行っています。発行は年5回で、それぞれ3万部、学生の手で
企画、製作、配布を行っています。
 
 
◆会社を始めたきっかけは何ですか
 
学生の時から、なんとなく起業をしたいという思いが
あったのですが、具体的にどういった事業をするのかが
曖昧でしたし、人脈やノウハウもありませんでした。
そして、何と言っても起業するための1000万円
という資金がどうにもできませんでした。
  
その後、大学を卒業して、東海銀行に就職しました。
東海銀行で現在の共同経営者である平野と出逢いました。
 
彼と起業するためにいろいろ話し合いました。借入金が
少ないこと、粗利が高いこと、市場の需要と供給のバランス
に乖離が生じていること、市場自体がニッチであることなど、
全てに適合する業種で、限られた資金で起業できるのが
この人材業界でした。
 
私と平野は違うタイプということもあり、上手くお互いの
能力を補完し合っていると思います。彼との出逢いのお陰で
今の会社と自分がありますので、とても感謝しています。
 
008b
 
 
◆東海銀行でのお仕事について聞かせてください

 
東海銀行では新卒の学生の採用のお手伝いをしていたの
ですが、学生の中小企業への認知度が極めて低いと感じました。
最終消費財を扱う会社はCMなどで知名度が高いのですが、
商品の生産、加工をしている中小企業はそうなっていない。
 
ですので、学生の中小企業への認識のギャップを埋める
架け橋になれたら、と思いました。それが最終的に
今の事業に反映されています。
 
また当時法人営業も行っていたので、会計、経理といった
財務面での知識やスキル以外に営業力も学ばせていただき、
起業する際も起業後も大変役に立っています。
 
会社員として働く中、社会の厳しさを身をもって体験しま
した。辛い体験というのは、その時は必死ですが、後から
本当にいい意味で効いてきます。自分のことを見直す良い
機会になると思いますし、起業してやっていけるのもそう
いった経験があったからこそだと思います。
 
 
◆どのような大学生活を送られていたのですか
 
漠然と起業について考えていましたが、具体的に何かに
打ち込んでいた、といったことはありませんでした。
時代の流れということもあるのかもしれませんが、自分の
周りには、その当時起業したいという人はほとんどいま
せんでした。
 
ただ講義を聞くということが自分の中で腑に落ちず、
大学に行っても朝から夕方まで講義に行かないで友人達と
ずっと話していた、というケースもたくさんありました(苦笑)。
 
ただ、これは中学校以来のことなのですが、ものすごく
多くの本を読んでましたね。それから、大学生の間に非常に
多くの人と話しました。
 
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◆理想の人生と将来の夢について聞かせてください
 
会社は4期目を向かえましたが、まだまだ未熟ですし、
課題も多くあります。ですので、今は自分達の目先の
ことを精一杯頑張っていきたいと思っています。
  
  
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 
やはり学生さん達や20代の若い方々には、好きなことを
とことんやって欲しいと思います。人生は一度しか無い
ですし、一生懸命やりたいことに打ち込むといいと思います。
ただし借金には気をつけて下さいね。頑張ってください。
 
 
◆本日は大変お忙しい中、本当にありがとうございました
 

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ご紹介者様へ
  
山本社長をご紹介いただいた
セレンディップ・コンサルティング株式会社の
高村社長に、この場をお借りしてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
高村社長インタビュー記事は こちら

起業家育成塾一同
     

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山本社長はとても静かな方でした。
起業する前に社会人としての経験を積むことが
大切だとお話をされ、起業されて4年目ということ
でしたが、とても冷静に行動、判断されている印象を受けました。
 
社会の仕組みを知り、自分の人生をどうしていくかを
しっかり考えていくことが大切だと、お話してくださり、
自分をしっかり見直す機会をいただきました。お忙しい中、
インタビューにお答えいただき本当にありがとうございました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
 
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神戸大学大学院経営学研究科 金井壽宏 教授

2008-06-12 06:50:32 | インタビュー記事

●日時 2008年5月26日 18:00~18:45 
●場所 神戸大学 フロンティア館 8階会議室
●経営人材研究所についての詳細は こちら
●インタビュアー 水谷 翔 (起業家育成塾)

 
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今回は経営学の中でも組織行動という人に深く関わる
分野について研究されている金井壽宏教授に研究内容
から人生観や夢についてのお話を伺いました。

 
 
●金井壽宏教授プロフィール
1954年神戸市生まれ。京都大学教育学部卒業後、
神戸大学大学院経営学研究科修士課程修了。その後、
マサチューセッツ工科大学でPh.D.(経営学)を取得。
現在は神戸大学大学院経営学研究科教授。リーダー
シップ、モチベーション、キャリアなど、経営学の中
でも人間に深く関わるものを主な研究分野としている。
   
 
<著書>

 
・『働く人のためのキャリア・デザイン』(PHP新書)
・『リーダーシップ入門』(日系文庫)
・『働くみんなのモチベーション論』(NTT出版)
・『サーバントリーダーシップ入門』(かんき出版)
・『組織変革のビジョン』(光文社新書) 
・『変革型ミドルの探求』(白桃書房) 
・『経営組織』(日経文庫) など多数。
  
また監訳では、
・『シンクロニシティ 未来をつくるリーダーシップ』(英治出版)
・『完全なる経営』(日本経済新聞社) 
・『幸之助論』(ダイヤモンド社) など。

 
◆現在のお仕事を聞かせてください
 
仕事は大きく分けると研究と教育の二つに分かれます。
研究分野は経営学ですが、中でも人に関わる組織行動という
ものを研究しています。細かくはモチベーション、リーダー
シップ、コミュニケーション、キャリアなどですね。
 
人々が共同で何事かを成し遂げるための組織が会社としますと、
その中での人の行動や組織との関係を細かく研究しています。
 
研究というと研究室にこもって作業をしているという
イメージが強いかもしれませんが、実際は企業に行き、
働いている人々にインタビューを行ったり、経営上の
課題などについて討議し、分析を行います。
 
インタビューのテープ起こしをしたり、そのデータを解釈したり、
質問紙をコーディングして統計分析したり、そういう結果を共同
研究者と議論したり、何かを書いたりという作業は、研究に
なります。
 
教育は大学で経営管理の学部学生への講義、組織行動の
MBAの講義、あとは、学者になる院生、MBAのゼミをもって
います。

大学ですと教えることがもちろん大事なことなのですが、
神戸大学では特に経営学の研究成果を企業という実践の
現場に繋げていく試みも行っています。研究の最新成果を
教育の場に反映することも目指しています。
 
また、企業の現場から研究にフィードバックを得ることも
あります。現場と大学は、実務家の経験と持論、研究から
生まれた理論が対話するような形で繋がっていることが
理想だと私は思います。
 
また、企業の管理職の方々に向けての研修や経営学が
必要なシンポジウムなどで講演をさせていただくことも
あります。
 
 
◆経営人材研究所について教えてください
 
文部科学省から「企業のコア人材の体系的な育成に関する
国際比較」というプロジェクトが採択されました。
 
このプロジェクトに向けて神戸大学では経営の仕組みづくり、
人材の育成と教育をメインテーマにし、同僚の高橋潔先生を
中心に結成されました。現在は、本格的に始動するための
準備を行っています。
 
ウェブサイトを活用して経営、人材についての調査から
研究成果の発表を中心に行っていこうと思っています。
 
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◆お仕事を始めたきっかけは何ですか
 
学生の時に尊敬する教授や先輩の方々から心あるアドバイス
をいただいたことが一番の要因だと思います。
 
当時、私は教育学部で臨床心理学を学んでおり、将来は
カウンセラーになろうと思っていました。しかし、自分の
目指す分野の仕事は知的好奇心から来ているのか、自分が
その職業に向いているのかは、別の問題かもしれない、と
様々なアドバイスをいただき、そう考えるようになりました。
 
そして、私の根底には常に「人」の発育や成長に関心が
ありましたが、私の関心は人を生み出している組織、つまり、
人を育てる機関となっている学校や会社について深く
知りたいと思うようになりました。
 
その後、修士課程を終える頃、外資系コンサルティング
会社のマッキンゼー社に内定をいただきましたが、その際、
尊敬する恩師が私の研究者としての適性などを見てアドバイス
をくださり、最終的には大学で研究をすることにしました。
 
素晴らしい方々との出逢いと心あるアドバイスのお陰で、
今の自分と仕事があると思っています。本当に適切な時に
助言をくださった方々とのご縁に感謝をしています。
 
 
◆お仕事の魅力は何でしょうか 
 
研究と言っても、私の組織行動という分野の場合は、働く
現場の人たちにインタビューを行い、生の声を聞かないと
研究は成り立ちません。
 
企業でインタビューを行うと実に様々な人たちと出逢います。
とても素晴らしく魅力的な社長の方々に出逢う機会に恵まれ、
インタビューを行った自分自身が多くのことを学ばせていた
だいた、という場合もあります。
 
インタビューは建築家の安藤忠雄さん、ドラマーの村上“ポンタ”
秀一さん、元ラグビー日本代表の林敏之さん、指揮者の佐渡裕
さんなど、産業社会の経営者以外にも、様々な分野で活躍される
方々にさせていただきました。
 
分野が違う方々のお話は経営学の人材育成や組織開発にも
通じるところがあると考えています。そういった面で多くの学び
を与えていただき、大変感謝しています。
 
また、私がインタビューなどを行ったことで、経営上の課題や
問題を抱える方々に、解決して良かった、またはやる気が出た
と言っていただける時は本当に嬉しいですね。
 
私は研究成果が実践で生かせることが大切だと思っています。
仕事の基礎や定石は机上ものだけではなく、実際の現場で磨か
れてきたものを伝えていくことが大事だと思います。
 
それを研究成果として発表する、あるいは、書籍などでの
出版を通じて、役に立ったと言っていただけることが
最も嬉しいことですね。
 
 
◆将来に向けて学生中には何をやっておくとよいでしょうか
 
私は学生の間は、悔いがないと思えるほど熱中して何かに
打ち込むことが一番大切なことなのではないかと思っています。
 
体育会系のことでも、文化系のことでも良いので、これほど
真剣にやったことはない、と言えるくらい一つのことを
集中してやって欲しいです。
 
これは大学生と言わず、高校生や中学生、早ければ早いほど
良いと思います。
 
一つのことを真剣にやり抜く力は、やがて会社で働くように
なった時にとても重要な経験として活きてくるし、自信も
生まれると思います。
 
困難に遭遇した時に、解決策や方法、行動をする原動力と
なるものが、何かに熱中したという体験だと考えられる
からです。
 
また、好きなことならなおさら良いことだと思いますが、
とことん何かに向かって頑張った自分がいると、夢が理想
ではなく、現実に見えてくるようになると思います。つまり、
真剣に頑張った経験は夢を実現する力の源にもなると言える
と思います。
 
012b
 
 
◆理想の人生と将来の夢について聞かせてください
 
経営学の組織行動の研究と教育を今まで行ってきて、社会的
にも認めていただけるようになり、これはとても嬉しいことです。
 
今後は神戸大学での経営学の研究レベルをさらに高め、
世界レベルの教育研究機関にしていきたいと思っています。
私のところで学んだ若い人たちと一緒に今まで以上によりよい
コラボレーションで経営学をともに研究していき、さらに
上を目指したいと思います。
 
私は人生の節目で「本当に自分は何がしたいのか?」と問う
ことが大切だと思っています。
 
さきほどお話したことは、具体的に今見えているビジョンです。
でも、さらにその先にどんな人生を描くのか、どんな夢を
持って取り組んでいくかは、絶えず問い続けることが大事だと
思っています。
 
「本当に自分は何がしたいのか?」という問いを持ち続け、
進んで行きたいと思っています。
 
 
◆夢に向かって頑張っている人たちに一言お願いします
 
TSUTAYAを創業された増田宗昭さんが「夢しか実現しない」と
おっしゃられました。私はこの言葉が好きですね。
 
迫力があり、絶対にやってやるんだ、という強い思いが込め
られているように感じます。
 
増田さんがおっしゃたこの言葉のように、絶対に実現させる
という強い思いを持って夢を描き実行して欲しいと思います。
 
 
◆本日は大変お忙しい中、本当にありがとうございました
 
 
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私は今回のインタビューで「本当は自分は何がしたいの?」
という問いを常に持ち続けること、そして、後悔する事がないように
真剣に打ち込むことが大切だ、というお話が特に印象的でした。
 
そして、常に自分の中には「人」が中心にいたという先生、
まさに、とことんその分野に打ち込まれて来たという先生の
お話は大変エネルギーにみなぎっていました。
 
先生は様々な出逢いをされて今の自分があるとお話を
されました。先生がそう語られる姿からは素晴らしい出逢いを
されたということを聞き手の私も想像することができ、
嬉しくなりました。
 
本当に素晴らしいお話をありがとうございました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
 
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株式会社エバ        江場 康雄 社長

2008-06-01 17:49:48 | インタビュー記事

●日時 2008年4月30日 10:00~12:00 
●場所 株式会社エバ本社会議室
●株式会社エバについての詳細は こちら
●インタビュアー 塾長 三潴 克彦(みつま)
 
●江場康雄氏 プロフィール

1941年名古屋市生まれ。
名城大学薬学部在学中に父が病に倒れ会社が
倒産。卒業後すぐに江場商店を設立。両親を亡く
した1972年、江場医療ガス(株)設立。1985年、
(株)エバに社名を変更。代表取締役を務める
傍ら様々な文化活動の支援を積極的に行う。
 
 
いのちを巡る旅~出逢いに育てられて~
 
009b
 
 
 “いのち”の現場に出逢って   ―本文より
 
 会社を始めた当初、深夜に産婦人科から電話をもらった。
 今すぐに酸素ボンベを持ってきてほしい、と。深夜に重い
 腰を上げ、現場に駆けつけると体中が浅黒くなった未熟児の
 小児が横たわっていた。衝撃的だった。
 
 数時間後、元気な赤ん坊の声が病院内に響いた。私が届けた
 酸素ボンベでその未熟児の小児が救われたのだ。看護婦さんと
 その子の母親から何度も「ありがとうございます」と言われた。
 
 その瞬間に、私の中で何かが変化した。
 そして、私の“いのち”を巡る旅が始まった。
 
 
―私たちの仕事は、一本の酸素ボンベを医療機関へおとどけ
 することから始まった。
 

本当に何も無い状態から始めた事業ですが、現在は大きく
分けて3つの事業を行うまでになりました。
 
まず、医療ガス事業です。患者さんの“いのち”を守る酸素を
はじめとした医療ガスの供給サービス事業です。
もちろん24時間、365日体制です。
 
次は、在宅医療事業です。呼吸に疾患をもった患者さんへ在宅
酸素療法のサービス、機器のお届けからメンテナンス、さらに
旅行支援、患者さん同士のネットワークづくりなど、患者さんの
QOL向上のためのお手伝いをさせていただいています。
 
そして、医療設備事業です。医療現場では様々な高い機能が
必要とされています。私たちは、そのような医療の現場での
設備の設計、施工、保守のサービスを展開し、さらに病院内外
の環境デザインを提案しています。
 
  
―父の会社が倒産。生きていくために会社を始めた。
 

私は名城大学の薬学部に通っていました。しかし、当時は
ひどい学生でした。学校の授業には相性が悪いものもあり、
雀荘へ出入りしたり、気の合った仲間と部室で時間をつぶし
たりしていました。
 
当然、試験も追試、追追試と、相当ひどかったですね。
単位が危なくなると、先生の部屋、自宅へ夜討ち朝駆け、
とにかく成績は低空飛行でした。
 
そんな謳歌していた学生生活も大学3年生の時に親父が病に
倒れ、会社も倒産と、今まで何不自由なかった生活が突如、
一転しました。
  
家からはお金がどんどん無くなっていくのがわかりました。
母親の着物や私物を切り売りしていたことも覚えています。
そうして、贅沢ができない生活に陥っていきました。
 
大学卒業と同時に、食べるため、生きるために個人で仕事を
始め、1年半後に伯父から50万円を借りて会社、有限会社
江場商店を設立しました。
 
仕事をはじめたといっても、経営のこと、営業のこと、医療
ガスのことさえまったくの無知の状態でした。営業に行っても
名刺の出し方も、話し方も、何もできず、「よろしくお願い
します」、「お願いします」の挨拶だけで終わるという情け
ない営業マンでした。
 
しかし、しばらくして自分に誓いを立てました。「会社を出た
ら、注文をいただくか、商品を買っていただくか、何か仕事の
お話をいただくまで、帰らない」と。とにかく、20代は無我
夢中に走りました。でも最高に充実した楽しい日々でした。
 
  
―生と死の瞬間に出逢う。私の中で何かが変化し、
 “いのち”を巡る旅が始まった。

 
創業のころ、ある寒い冬の深夜に産婦人科から、今すぐに酸素を
持ってきてほしいと電話をもらいました。
 
深夜に思い重い腰を上げ、酸素ボンベを車に積んで産婦人科に
駆けつけました。待ち構えていた看護婦さんの案内で2階の
新生児室へ。そこには、保育器の中に体が浅黒くなった未熟児が
横たわっていました。
 
早速酸素を取り付け、流量設定して帰りかけたところ、看護婦
さんにお茶やお菓子をすすめられたので、それをいただき、さて
帰ろうとすると、2階から悲鳴のような、「ウワー」という声が
聞こえました。
  
未熟児室に呼ばれ、産婆さんから聞かされました。「あなたが
持ってきてくれた酸素でこの赤ちゃんは助かりましたよ」と。
 
まさに“いのち”との出逢いでした。衝撃的でした。
「私が届けた酸素ボンベであの赤ちゃんの“いのち”が、…」、
「もし拒んでいたら、どうなっていただろう」、と、思いが
駆け巡りました。
 
とにかく未熟児が救われたのです。その赤ちゃんのおばあちゃん
が手を合わせ、私に向かって拝むように、頭をさげていました。
突然、私の胸は熱くなりました。
 
正直、当時の私は本当に生意気で、人の言うことを素直に聞く
ことなんてできないような人間でした。しかし、その瞬間に、
私の中で何かが生まれたのを感じました。
 
また、私が会社を始めて10年ほど経った時に両親を相次いで
亡くしました。母は父の看病疲れもあったのかも知れません。
そして、父はその三ヶ月後に後を追うように亡くなりました。
 
創業からしばらくして、思ったことですが、私たちは、生老病死
を避けて生きることはできません。私は、仕事で、そして人生で、
様々な生と死の瞬間に出逢うことで、“いのち”について深く
考えるようになり、以来、“いのち”を巡る旅が始まったのでは
ないかと思うようになりました。
 
012b
 
 
―“いのち”という音の響きに何か深いものを感じる。
 
数多くの“いのち”を巡る現場に出逢ってくることで、私は
“いのち”という言葉を漢字で書かなくなりました。なぜだか
理由はよくわからないのですが、漢字では「音」が伝わらない
気がするのです。“いのち”と同じく“こころ”も漢字で書か
なくなりました。
 
ひらがなで書くことで、何か伝わるものがあり、深い意味があり、
人の“こころ”に訴えかける何かがあるのではないかと思います。
 
 
―出逢いによる世界の広がり。私は本当に素晴らしい
 出逢いに恵まれた。
 

事業を始めて20年くらいした時、事業以外に大切なことが
たくさんあるのだと感じるようになりました。それは、素晴らしい
出逢いのお陰ではないかと思います。
 
まさに絶妙なタイミングで様々な出逢いをいただきました。
まず“こころ”についての師匠である日本BE研究所所長を
されている行徳哲男先生との出逢いです。
 
先生との出会いによって私は「考え方」より、「感じ方」が
大事であることを知りました。
 
次に、経営に関しては一倉定先生との出逢いです。先生からは
お客さま第一主義を徹底して教えられました。経営に関して、
深く見直す機会を与えていただいたのです。
 
さらに、牟田学先生から経営実践学を学び、多くの先輩と仲間
から人間学を教えられました。
 
あなたの財産は何か?と問われたら、私は、間違いなく、
「運の良さと、人との出逢いです」と答えます。
 
本当に素晴らしい出逢いに育てられ今日があるのです。
ありがたいことです。
 
 
―人間は植物に助けてもらっている。そのことを理解し、
 環境問題に取り組んでいくことが大事だと思う。
 

近ごろ現代人の呼吸のことが気になります。特に最近では、
呼吸が浅くなっているように思います。
呼吸、「息」についてもっと意識してほしいです。深い息、
長い息、肺に満たされる息、そして心にしみ込む息と、…。
 
息とは自らの心と書きます。ですから、息子は息の子、つまり
自らの息がかかった子なんだ、と勝手に思い込んでいます。
 
「マイナス」CO2、二酸化炭素の「減少」と、否定語で環境
問題が成り立っているような気になります。それよりも、
「プラス」O2、きれいな酸素を増産しよう!なんて肯定語での
啓蒙運動はいかがでしょうか?

 
人々が健康で楽しく仕事をしようと思うと、やはりきれいな
酸素が身の回りにもっとたくさんあった方がいいと思います。
毎日の生活で、働く環境のなかに緑をドンドン取り入れる
べきです。部屋から、家から、街からと緑化していくことです。
 
また、植物は元来人間を守ってきてくれました。TVの横に
観葉植物を置くとおくと、ブラウン管からの放射線や熱を
吸収してくれているのがわかります。その他にも、火事、震災
など、植物は数々の局面で人間を災害から守ってくれいます。
 
人はお金が無くなっても、生きていけます。しかし、緑、森が
なくなると数分も生きていけないのです。植物は、無言で人間を
守ってくれているのです。
 
ですから、植物、そして酸素についてもっと人は理解を深める
べきだと思っています。
 
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社内の一風景。植物が安らぎを与えてくれる場所でした。
 
 
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自然と共存している会社。そんな印象を受ける外観でした。
 
 
―森や林にスーツやネクタイは似合わない。障がい者、高齢者、
  子供は森がよく似合う。ここに深い意味があると思う。

 
私は雑木林には背広が似合わないと思っています。
背広で雑木林や森を歩くと、何か違和感があるんです。
背広は街やオフィスに似合うんです。
 
ところが、なぜか障がい者、高齢者、子供は雑木林などの自然が
豊かな場所によく似合います。人間は自然と共に生きてきました。
そして、自然の恩恵を受け、助けてもらいながら歩んできました。
 
このよく似合うというところにとても重要なことが隠されている
のではないかと私は思っています。
 
  
―私たちにできることは何か。“いのち”を育める環境創りを
 行うことが私たちの役割だと思う。

 
いま私は、「農」についてとても興味を持っています。
現在、ある先生の指導の下、中国上海と北海道でプロジェクトを
進めています。無農薬、無肥料であり、水を大切にする自然療法
です。そこで大切にすることは、「農」に心を通わすことと、
「学び」、教育です。
 
中国、上海での農園づくりでは、他人からは、「なぜ中国?」
「ドンキホーテだよ」と言われます。しかし、今の中国は、天は
曇り、地は荒れ、川や海も危なく、まともな水が飲めない状態
なのです。
 
中国の奥地の農園で目にしたことですが、作物の買い付け業者の
要求と指導で、農作物の生産性を上げるために肥料、農薬を大量に
使用し、のどかな循環型農園が、荒れに荒れた非循環型の農地に
変わっているのです。
 
これは日本も同じです。やがて中国の農地が疲弊することは明らか
で、その最大の被害者は日本人なのです。
 
そういう状態にしたのは、先進国であり、日本の私たちなのです。
この現実に対して何かできることはないか、という問いかけから、
この夢事業は始まりました。
 
この上海と北海道のプロジェクトを完成させて、持続可能な社会
への橋渡し、“いのち”と“こころ”が安らぐ循環を創造したい
と思っています。
 
わが社は、医療事業からスタートしましたが、これからは健康、
環境問題を視野に入れた取り組みをしてまいります。
 
自分たちの子供、孫の世代が安心して暮らせる社会を創るために、
とにかく行動しよう、という思いが原点です。
 
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 出逢いに“いのち”の繋がりを感じて
 
 あなたは神様がいると思いますか?と問われたら、私は、
 「ハイ、存在します」と答えます。
 
 では、その神様はどこにいますか?と問われたら、私は、
 「人の出逢いのなかに、存在します」と答えます。
 
 多くの出逢いが私を育て導いてくれました。
 その出逢いの瞬間瞬間に神様が宿っていたと、思うのです。
 ということは、神様は“いのち”であり、“いのち”に
 よって、人と人は繋がっていくのでしょう。
 
 “いのち”には、縦軸と横軸があります。
 縦軸は、地球誕生、いや宇宙誕生からつづいて、今ここに
 ある数十億歳、百数十億歳の“いのち”です。
 
 横軸は、出逢いによって結ばれた仲間たちとの繋がり、
 今ここの“いのち”です。 
 
 
 
◆本日は大変素晴らしいお話をありがとうございました
   
 
 
****************************
  
最初に江場社長にお会いしたのは20年ぐらい前で
私が会社を創業したての頃である。
「静かな方」が第一印象であった。
話し方も静かなのに、その内容は深く、力強く、説得力があり
話に引き込まれたことを今でも覚えている。
  
会社は1964年創業なので40周年をこえている。
最近はちょっと成功すると自慢話をしたりノウハウを
発表するのが風潮になっている。そんな本も多く、
読む人も多い。ベストセラーになって何十万部もうれている。
30年以上継続する企業は少ない。稀である。
しかし、江場社長は自慢をしない。いたって自然体である。
  
ここ2回ほど支援しているイベントで、社長のお話を
聞く機会があった。自社がどんなに社員に恵まれているか、
社員の自慢を毎回話されていた。
周りの人々との出逢いに感謝されていた。
あたりまえのように自然に話されていた。
  
社長は感動の押し売りをしない。
自分が体験したもの、面白いものを紹介してくれる。
人でも物でも「これいいよ、自分の目で確かめてみたら。」
と薦めてくれる。
表現力も半端ではない。ウィットに富んでいる。
面白い話や変わったものが好きなのである。
  
今回のインタビューで特に印象に残った言葉を
挙げてお礼の結びとさせていただきます。
 
「いのち」「こころ」はひらがながいい。
漢字では伝わらない気がする。
 
植物(自然)を守ろうはよく聞く言葉。それも大切ですが、
植物(自然)が人間を守っていることを忘れないこと。
  
森や林にはネクタイ・スーツが似合わない。
森や林にはお年寄りや子供が似合うと思う。
  
貴重なお話をありがとうございました。
この出逢いに感謝いたします。
    
  
塾長 三潴 克彦(みつま かつひこ) 
  
****************************
  
今回インタビューに際してお忙しい中ご協力いただいた
株式会社エバの管理部 大塚 美沙様にこの場をお借りして
お礼申し上げます。お陰さまでスムーズに進行いたしました。
電光石火の対応ありがとうございました。
江場社長が社員自慢をされていること、実感できました。
 
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大塚 美沙 様 ご協力ありがとうございました。
       
  
    
****************************
 
今回お話を伺った江場社長は大変温かく強い印象を受けました。
そして社長の口から発せられる言葉はとても重く、深いと感じました。
 
“いのち”の現場に長年携わられて来た社長の世界観は聞き手を
圧倒し魅了するパワーに溢れていました。
人を大切に思う気持ちと高い志を持たれ、仕事に現在なお精力的に
打ち込まれている姿には感銘を受けるばかりでした。
 
私は今回のインタビューを通じて江場社長から多くの素晴らしい
ものをいただきました。
 
本当に素晴らしいお話をありがとうございました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
 
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