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熱狂明けて

2013-09-09 20:42:40 | Weblog
今日は報道機関も何もかも東京オリンピック決定のニュースで埋め尽くされましたね。確かに大きなニュースですが、朝から晩までだと「大したニュースは他にないのか」と思ってしまいます。嬉しい出来事はちょっとの合間だからこそ喜びがギュッと感じられるんであって、あんまりダラダラ伝えるのもどうかと。歴史的な瞬間ですから、確かに決まった事はすごいことだと思います。まさか生きているあいだに日本で夏のオリンピックが開催される、そしてそれを見届けられるのはちょっとした感動かもしれません。
以前長野の冬季オリンピックの開会式を生中継でテレビで見ていた時はやはり同じように感動した気がします。(伊藤みどりさんの聖火台点灯のあの衣装はもうちょっと考えた方が良かったかな、と子供ながらに思いましたけどね・・・)

ただ、お祭り気分で大事なことを怠ってはいけません。今日本の中では大変な問題がたくさんあるからです。

私がIOC総会を見ていて思ったことは、きっと7年後のオリンピックで日本は各国のオリンピック選手団はじめ、海外のお客様を迎えるには十分すぎるほどの歓迎と完璧なおもてなしができると思います。治安に関しても滞在の環境に関しても、交通インフラその他、他の国にはできないきめ細やかな対応で外国の方はみんな喜んで帰ることでしょう。経済効果もそこそこあって、数字でみると成功するんだと思います。でも、逆に自国の選手やスタッフ、日本全国から来る日本人の観客の人達など「身内」に関しては手薄になるような気がしてなりません。もちろん、国内の様々な問題はすべて「東京オリンピックを成功させてから」解決しようと先送りしそうな気配がします。そしてそれに対して「そうだよな、まずはオリンピックを成功させないと海外に顔向けできないものな」と、ソトヅラのよさを発揮します。

日本の家庭に置き換えて考えてみると、正月や法事などでたくさんのお客さんが訪れるおうちがあるとして、そのおうちはそこそこ大きくて子供も数人いる比較的大家族だとします。お父さんお母さんはじめ同居している祖父母もお客さんの対応に追われて子供どころじゃありません。お客さんには出前のお寿司やお酒やおつまみを振る舞うのにてんてこ舞い。大人は大広間で宴会しているのに、そこのおうちの子供たちは奥の座敷でありあわせの惣菜をちまちま食べている・・・。東京オリンピックも同じような感じになる気がします。

子供たちには色々親に聞いてもらいたいことや問題があって、「ねぇねぇ」と話しかけますが「今忙しいんだから後にしてちょうだい!」と一括されてすごすご奥の座敷に戻っていく。こんな光景どっかで見たことありませんか?これが日本人のおもてなし精神の裏側なんじゃないでしょうか。

別にお祭りムードに水を差そうとは思いませんけど、世界一のおもてなしをするのも大概にしないと、後でとんでもないしっぺ返しをくらうかもしれません。海外からの協力ももちろんあると思いますが、何はともあれ日本・東京に住む人たちの協力がなければ大会自体うまくいかないのですからそれをよくよく考えて欲しいと思います。特に原発の問題を改善に向かわせないと、まだ収束はおろか対策も始まっていない段階で「全くの安全」で「(原発とその被害は)コントロールしている」といけしゃあしゃあと言うからには、それ相応の行動を見せて欲しいものです。

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何らかの組織(国・会社・団体・家族)というものには大概それを代表する者、指揮する者というのがいますね。国家元首、社長、リーダー、親などがそれでしょうか。それはその組織を効率よく動かす、運営していく上で必要な役職なのであって、それ以外の者は決してその代表者の道具ではないのです。同じその組織に属する者としてあくまで人間として公平でなければなりません。でも人間は組織内で上下をつけたがり、自分より下だと思われる人間を作らなくては生きていけない人がいるのも事実です。

例えば女性の産休・育休の問題にしてもそうで、忙しい職場で女性が妊娠し産休を撮りたい場合「このような時期に申し訳ないのですが」という言葉がまず来るでしょう。なぜ申し訳ないのでしょうか?全然悪くないのに。女性が人間として生きる中での一大イベントであり、人類がこうして連綿と繰り返す歴史を作り上げてきたのは偏に女性が痛みを持って人類を産んできたからです。国はその人間によって支えられ社会も形作られているのであり、この世のどんな人間も女が産んでくれたから存在しているわけです。でもそういう女性を「下」に見ないと生きていけない、心貧しい人がこの世には大勢いるのですね。

職場の女性が妊娠して仕事を休むのになんのいわれもないと思うのです。でも、それをとやかく言うのは偏にやっかみやひがみから来ると思います。心に余裕のある人だったら素直に受け止めるだけです。「だから女は」などと言う男性も、あるいは今では同じ女性であってもやっかむ男性同様に産休を認めないオババが蔓延してるようです。そういう女性はかなりの確率でもうこれから子供を産まないと決めている人か、年齢的にもう子供を生んで育てる、という時期からはずれた中高年の女性が多いように思います。

「女性が男性と対等に社会に生き、仕事をする」という価値観そのものがもう古いのだと思います。「男に引けを取らないように!」と叫べばさけぶほど、自分は今男性よりも低い地位にある、と公言してはばからないでいるのと一緒です。仕事をしている女性が子供を産むのになんでああも論議が沸き起こるのかが理解できません。みんな女の股から生まれてきたくせに・・・(笑)

「子供や青少年は宝だ」と言うのなら、その子供は誰が産んでると思ってるんだ?ってことですね。

未来の子供たちの事を考えるのなら、それと同時にその子供たちを産むであろう若い女性たちにもやさしい社会にならないことには本末転倒です。子供を育てやすい環境はもちろんのこと、食の問題やワーキングマザーの問題、それから日本全国の放射線量の問題にしても安心して産むことができる国に早くしなければなりません。