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震災から20年

2015-01-15 09:18:13 | Weblog
先日阪神淡路大震災から20年というニュースを見ていてもう、そんなに経ったんだなと改めて思いました。私が丁度10歳の頃ですから、テレビで映像を見ていたのを覚えています。あの時は遠い地域の出来事と思っていましたが、その時の日本の混乱ぶりはテレビ画面から伝わってきて非常にショックだった記憶があります。

大勢の方が亡くなったということもそうですし、都市の機能が完全に麻痺する中に自分が置かれたときにどうすべきか、という恐怖や、非常事態においての人間のモラルということについても深く考えざるを得ない。またそれを教訓にして防災対策や避難をしたり救出活動を行うことを見据えた街づくりというのを考えていく。「悲しみに暮れる」だけではなくどう、それを生かしていくかというのが人間の強みだと思います。

もちろん悲しいならその感情が落ち着くまで悲しみに暮れていてもそれは正常な調整能力だと思いますので良いと思います。ただ、若い人やこれからの世の中をまだまだ長い時間生きていかなければならない人たち・人生これからの人たちは悲しいことや辛いことより希望や夢を持って邁進していってほしいし、それが出来る世代だと思うのです。恐らく中高年や晩年を迎える人たちからしたら、若い人たちのそういった姿は眩しすぎてついていけないから、袖を引っ張ってみたり、裾を踏んづけてみたりする衝動に駆られると思うのですけど(笑)どうかそういうつまらないひがみは抑えて、是非とも若者の応援にまわってほしいと思います。

ここに福沢諭吉の言葉があります(現代語訳)

「怨望は最大の悪徳」
 およそ人間には、いろいろな欠点があるものだが、人間社会において最大の害があるのが、“怨望(他人の幸福をねたんだり、うらむこと)”である。欲張り・ケチ・贅沢・誹謗の類は、どれも大きな欠点だけれども、これをよくよく見てみれば、その本質のところでは別に悪いものではない。それを出す場所柄と、その強弱の程度と、向かっていく方向によっては、欠点でなくなることもある。
(中略)
以上のほか、驕(おご)りと勇敢さ、粗野と率直、頑固と真面目さ、お調子者と機敏さはペアになっているものであって、どれもみな場面と、程度と、方向性によって欠点ともなるし、美点にもなるのだ。
 ただ一つ、そもそもの働きにおいて完全に欠点一色で、どんな場面でもどんな方向性でも、欠点中の欠点といえるのは、怨望である。怨望は、働き方が陰険で、進んで何かをなすこともない。他人の様子を見て自分に不平をいだき、自分のことを反省もせずに他人に多くを求める。そして、その不平を解消して満足する方法は、自分に得になることではなく、他人に害を与えることにある。
 たとえば、他人の幸福と自分の不幸を比較して、自分に不足があれば、それを改善して満足するという方法をとらずに、かえって他人を不幸におとしいれて、それによって自分と他人を同じ状態にしようとする。「論語」に「これを悪(にく)んではその死を欲す」という言葉があるが、まさにこのことだ。このような者の不平を満足させようとすれば、世間一般の幸福が減るだけであって、何の得にもならない。

※このあとの文章で福澤は、やたら恨み合ったり憎み合うようなことはせず、人間は互いにいたわり合うことが重要である、と説きます。

 言論の自由を邪魔し、自由な行動を妨げるのは、ただ政府だけに関係した病気ではない。日本全国の人民に流行しているものであって、学者といえどもこれからは免れない。人生を活発に生きる気力は、物事に接していないと生まれにくい。自由に言わせ、自由に行動させて、財産も、社会的地位も、それぞれが自分で獲得できるようにして、まわりがそれを妨害してはならないのだ。

明治の人の言葉が現在になっても心に突き刺さるように感じるのは、私だけでしょうか?


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