今日は最低気温ー8.3度、最高気温1.1度になった。風もそんなには強くなく、まあまあな1日だ。ただ予報では明日から雪が降るという。大寒が近いということもある。除雪機のタンクも空になりそうだ。予備のタンクも空だ。普通準備していないか?
まずガソリンを3リットル買いに行く。そして除雪機に入れると大体満タン。さらにまたタンクを持ってガソリンスタンドに行くと、やぱり言われた「どうしたんですか?」そりゃ行動不審だな。「明日から雪の予報なのに、除雪機のタンクが空で、予備タンクにもガソリンがなかったから今のうちに準備している。」恥ずかしいがそう答えた。
灯油も無くなっていた。米も無くなっていた。それらを買い集め、備蓄体制に入る。
高松の池に行くと、このところの寒さで結氷が進んでいた。
シャリンシャリンと金属音がする。なんの音だろうと探してみると、白鳥が薄氷を割りながら進む音だった。
カモだとさすがにそんなに優雅な音はしない。少しの氷の切れ間を突き進みながら、みんなで割ってゆく。
バスの事故は痛ましかった。だが少しはみんな考えた方がいい。格安というのは、格安で働いている人がいるから格安なのだ。特に運送業ではこれが致命的に出る。クロネコヤマトがの事故率の低さは、現場に押し付けずにトップから全部がシステムをブラッシュアップしたからできた。日通が宅配便事業から撤退した最大の理由は、トップが現場のことを何も考えなかったからだ。日本郵便に問題がしょっちゅう起きるのは、現場の人のことを考えないシステムばかり横行するトップの問題がある。でもまだ彼らはいい。問題はバスだ。慢性的な人手不足はなぜ起きるのかだ。人がいつかないからに他ならない。給料安いし過酷だし、それでいて安全だと?
建設などでもよく見る話だ。職人は少ないのに仕事はいっぱいある。でもその仕事のほとんどは安く・早くだ。その上法令遵守とかまで言われてゆく。現場に余裕がなくなりカツカツなのに給料は安い。手抜きが起こりやすい状況になっている。逆に安く・早くに慣れた職人は、それが常態化する。なので自分が何をしているのかもわかっていないから、手抜きとすら思っていない。とにかくこなすしかないのだ。そうでない人たちはよっぽどの腕でない限り、脱落してゆく。必要な時間をかけて丁寧な仕事を心がけるほど、結果時給が安くなってしまう。その上、発注側が仕事を評価するのは納品時だけだ。10年後金をもう少しかけるべきだったと思っても後の祭り。
本来格安というのは、正しい価値があっての物だ。だが今では正しい価値というのがわからない時代だ。だから仕方がないのかもしれないが、人に価値がないという時代というのは、いつもどうなのだろうかと思っている。見える価値には金を払うが、見えない価値には誰も金を出し惜しむ。だから見えない物には、えらい言葉がついてえらい売られ方をしている。
こういったバス事故が起きるたびに思うのは、バス会社もツアー企画会社も何も考えていないという現実だ。事故が起こらないことを前提にしているわけではない。起きる確率も考えているわけではない。法令に則っていればいい、それだけだ。今回のはその点で悪質だろう。
CoCo壱番屋が廃棄処分した冷凍カツが、産廃業者によって転売されていた事件は変なことを考えさせる。4万枚だ。それは資産としか言いようがない。だから欲しがる人がいっぱいいたのだろう。だが以前にも問題が起きたチキンカツでもそれが流通していたという。いや賞味期限切れの冷凍カツが、その産廃業者から出てきたというのもある。
まずはCoCo壱番屋はかなり厳しい品質管理をしているというのがわかる。だが厳しいゆえに産廃業者から美味しくいただかれたのだろう。だが過去にも事例があったとなれば話は少し違う。CoCo壱番屋と提携しているか、その管理工場にかなりの問題があるということだ。異物混入の可能性だけで3回出荷停止をしている。この一年間だけでだ。
そしてだ、CoCo壱番屋から出た廃棄物には信用があったということだ。異物混入の疑いがあるのでも大体は大丈夫ということなのだ。それが格安だったら誰も文句を言わない、ということだ。だから産廃業者から、スーパーなどに流れたのだ。加熱調理する冷凍食品だから、衛生上の問題もない。管理さえ良ければ賞味期限が切れていても品質は落ちていない。そしてスーパーなりなんなりの設備は最高に良くなっている。
問題はないのではないのか?
一番問題なのは、もしかすると裏流通をCoCo壱番屋が使っている可能性だ。その産廃業者は品質保持保証の冷凍庫を持っている可能性があるのだ。だから流通できたのだ。CoCo壱番屋から廃棄依頼が来て、それを受け取って倉庫に入れて、というか依頼があった時点で倉庫に入る前から客を探しているだろう。そうしてCoCo壱番屋の倉庫から冷凍車で運ばれていったのではないのだろうか。捌けなかった物は産廃業者の倉庫に一時的に入るのかもしれない。
その疑念はぬぐえないが、ただこれが流通の一端なのだ。利があるところに物が動くのだ。それがどのようなものであってもだ。
そしてそれが問題があるものだとしても必要とする人がいる、という現実があるのだ。CoCo壱番屋にすら入れない人がいるという現実だ。アメリカでは切迫品ばかりのストアがあるという。これは正しいものだと思う。
オオバンが高松の池の北側の葦原まで来ていた。こいつらこのまま繁殖するんじゃネ~のかと、少し思った。
喫茶「響」に行く。今日で単品は全てニュークロップに切り変わった。その切り替わる最後のブラジルを飲みに行く。
クリーンで完璧なブラジル。ブラジルの泥としか言いようのないまろやかさは、澄み切った泉に変わり底に純粋なアンウオッシュドの複雑な味わいが沈んでいる。鮮烈で完璧なブラジル、そういったコーヒーだ。単品でコロンビアは楽勝で超えている。ケニアには勝てんが、最高だ。
世界最大のコーヒー生産地だけある。こんな豆もあったのだ。コモディティ市場というのは、その競争原理からいっても恐ろしいものだと感じた。
言葉でしか価値を伝えられない時代では、言葉を失うものは価値がなくなる。たとえそれがどんなにも素晴らしくとも。