今日も泳ぎに行こうと思う。少し道を変える。ちょっとマリオスに確認による。
今日はマリオスの小ホールで上田合奏団のコンサートがある。かなり選曲が変わっていて、クルト・ワイル編曲の「三文オペラ」管楽編曲版とラヴェルの「クープランの墓・管弦組曲」と意欲的なプログラムなのだが、なぜかモーツアルトの「フルートとハープのための協奏曲」を第一楽章しかやらない。
以前貰ったチラシを紛失、そして時間も15時からと覚えていた。マリオスのホームページからホール予定を確認すると、コンサートとしか書いていない。フツーは上田合奏団ウインターコンサートVol.3 開演15:00~とか書いているものなのだが一切ない。ただ「コンサート」だ。その後も検索するが一切引っ掛からない。これは現地で確認しなければと寄ったわけだ。すると開演14:00となっている。
ということで泳ぐのは中止。
上田合奏団はどうも、岩大教育学部芸術文化・音楽専攻の学生と市民アマチュアオーケストラやブラスから集まっているようだ。ソリストを含め主要メンバーの経歴はなかなか。だがクープランの墓でハープを使うから神奈川から呼んだというのはわかるが、フルートのソリストを用意して三文オペラとクープランの墓で使わない贅沢さ。一応アンコール曲で出てきた。それでいてバンドネオンの啼鵬さん(すごい名前だな)はバンドネオンだけでなくバンジョーもやって、バイオリンまでやらさせられていたような気がする。作曲家だからできるのかと。
このコンサート、アマ中心だが、岩大教育学部准教授の牛渡先生が指揮というので、品質保証がある。この方岩手大学の吹奏楽部、あの無法者集団を、3年で立て直したという実績がありまして、彼が集めたのが上田合奏団なので絶対ひどいことは起きません。むしろ期待できるものです。
オマケに入場料無料です。
水泳に行こうと思っていたので、少し腹を空かせていた。これがコンサートに切り変わったのだからちょっと軽食くらい食べたいと思って、マリオス5階のコンビニに行くと無くなっていた。それでは最上階の喫茶店は?昼食バイキングで軽食ではないし、時間が足りない。それでは、隣のアイーナのコンビニはどうかと行ってみたら改装工事中。同じアイーナの松屋は軽食と言えるのかどうか。マリオス5階のツルハでスナック菓子を買おうと行くとお休み。自販機コーナーはウイダーゼリーとカロリーメイトと柿の種しかない。アイスもあったがそれは少し違う。
駅まで行きましたよ。結局焼きそばパンで妥協しました。
13:20分に着いて13:55分までこうして半径100メーターをさまよいました。
しかし三文オペラの編曲版だから多少は難しいのだろうと思っていたら、三文オペラは現代音楽だったのねという難しさがあった。単純な音に聞こえていても、こうやって音を重ねているのかとか、こうやってずらしているのかというのがよくわかった。そういったことは、音楽をわかってスコアを読めるか、実際に聞いてみるしかない。どんなに過去の演奏を聴いてもわからないものだ。
その上クルト・ワイルとブレヒトの組み合わせは、どうも厄介なものがある。初期に上演ごとにセリフを変えたバージョンがあるようだ。当然ワイルの死後は決定版一つにまとまっているが、もしかすると上演ごとに変更があった可能性もある。1930年録音なんて演劇に近い。音楽は劇付随という感覚はある。1958年の録音では、ラストにメキメッサーが入っている。そういった曲なのだ。その上多言語化は最初っから容認。中身さえ合えばいいよということから、ドイツ語版だけではなく英語版から様々な版がある。どれが正統かという解釈は最初っからない。古い録音は下手すりゃクラシックの演奏者でもいじっている。なので歌い回しもドイツ語が正しいと言えないし英語のジャズ版もいいとも言えない、少し不安定な曲でもある。
その上個性派の歌手ばかり表に出るから、裏方がどんなに面倒なことをしていても気がつかないのだ。
で私なのだが、多分会場にどの程度クルト・ワイルが好きな人がいたのかわからないが、もしも全員が私だったら、みんな歌って踊っていたろう。とにかく楽しかった。でももうちょっと歌が欲しかった。でもそれは高望みすぎる。
「フルートとハープのための協奏曲」第一楽章のみという贅沢さはなんとも言えません。その前にマリオス小ホールですが、こんな使い方が正しいように思います。小編成のオーケストラとかブラスアンサンブルの方があっているような気がしていました。ちょっと響きすぎるのです。そういった意味で、マトモなモーツアルトでした。
その前にハープの生音は、30年前に聞いたっきりかな。小さい編成で小さいホールというのはとってもいいことだ。
「クープランの墓」はえらく簡単に聞こえて、とんでもなく面倒くさい曲というので有名なのです。なので間違いなく市民オケは敬遠するでしょう。でもすごく良かったです。
薄々感じていたのですが、原曲のピアノですがものすごく上手い人がやると何にもない曲になってしまう、変な曲なのです。何か持っている人でないと、何かが出ない曲のような気がしていました。で、今日よくわかりました。この曲に取り組む気合みたいなもの、祈りといってもいいのかもしれない、それがないと難しい曲なのだろう。
それがあったと思う。
アンコール曲はビゼーの曲だった。確かカルメンの間奏曲だったと思うが。美しかった。
もう少し客が入っていい演奏会だと思う。その上一番いい席に誰もが座ろうとしないあの伝統はなんなんだろうな。多分関係者が多いのだろうな。
なんでいい席で聴き倒したくならないのだろうかな。第2部前で柵をくぐってど真ん中に座ったのだが、どうしてあそこががらんどうなのだろうか。そっから埋まって欲しいものなのだが。
最高気温が0.1度と微妙な真冬日もどきだった。ところどころナイスに凍った道を帰った。