どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

今日もダラダラしている

2017-06-29 21:00:43 | 日記

 

まあ仕事をしているのだが、予定が狂って実はダラダラできる時間がなくなってしまった。で、秋の時間がいっぱいできると、途端に中途半端にだらけるのですね。だからダラダラと。暑かったのですが、気温はかろうじて30度を超えません。このほんの少しが、疲労の違いになるのですね。

 

 

シジュウカラの巣立ちの季節のようです。幼鳥がいっぱいいました。そしてそれを狙うネコもいたりしましたが、結局ネコは帰ってゆきました。

 

 

ベネゼエラの最高裁判所がヘリで爆撃された。反体制派運動も究極に過激になってきました。でもなんか変です。警察のヘリをどうやって奪ったの?

主犯はベネズエラの科学刑事犯罪捜査機関の特殊行動部隊の警察部隊に所属していた、現在アクション俳優のペレスさんです。

英雄登場という感じですが、南米なのでこれまた何かあるなと思わせる事件でした。なお最高裁を狙ったのは、裁判権すらもすべて政権に委ねるという決定をしたのが最高裁からだからです。

なおこの事件に対するマヂロウ氏の発言は傑作だ。

マドゥロは27日、自分の支持者や閣僚たちに向けて、1998年に就任したウゴ・チャベス前大統領が主導し、はんべいのたちばでじんみんのかいほうとけんりかくとくをかかげた有産階級に対する貧困層の闘争である「ボリバル革命」を死守するため、自分には戦うと言った。

「我々は戦っていく。選挙でできないことを、武力でやる。我々は武力で母国を解放する」とマドゥロは言った。

チャベス前大統領の「ボリバル革命」を死守するというのだが、現在経済が崩壊しているベネゼエラ大統領の発言としては、支離滅裂すぎる。

多分次が決まっているのだろう。

 

 

多分今期最高の金言。

ダイエットに成功した息子を、お母さん、激賞した挙句に本音がポロリ。「私デブ専だけど、だらしないデブって大っ嫌い!」

多分お父さんもぽっちゃりだと思うのだけど、息子もポッチャリだった。だがなんでぽっちゃりなのかというのを、言っているのだ。だらしない結果ぽっちゃりはとても嫌なのだ。

そう、女はだらしないのはとっても嫌なのだ。息子だから我慢していたが、この言葉はなかなかに見事に男女間を言っている。

特に母と息子の関係を。

 

 


やっとこさ

2017-06-29 01:04:19 | 日記

 

毎年この季節は仕事三昧でどうしようもなくなっている。頭が麻痺しそうになる程だ。だがそれもあと二日で終わる。あとは残務整理的な仕事が続くだけで、八月にはだいたい落ち着く。あと僅かだ。

ただ今期はマイペースに仕事を進めたつもりだった。その割にはいい写真がとれているように感じる。多分運がいいのだろう。

 

 

香港の空港で、おばあさんが登場する飛行機のエンジンに硬貨を投げ入れて、エンジン点検のためにこの飛行機は5時間出発が遅れた。安全祈願のためだったようだ。

「騒ぎの情報は「微博」でかなりの話題になり、利用者の一人は「おばあちゃん、これはカメのいるお祈りの噴水じゃないの」と書いた。」

とすればこの池は硬貨だらけになる可能性が、ないかそれは。

 

 

中国でシェアサイクルが爆発的に流行っている。このシステムも面白い。町中で乗り捨て可能なのだ。当然駅とか人の集まるところに集中してある。乗るときにスマホをかざして解錠して乗って、目的地で乗り捨てて、アリババやテンセントの電子マネーで支払いをするだけ。

さて中国人はマナーが悪いという。だがシェアサイクルでは実際、そんなにひどいことは起きていないという。だが中国の同じ会社が香港でサービスを開始したら、自転車は壊されるし悪戯されるし、変なところに止めて交通の妨げになったり、川に投げ込まれたりと、中国あるあるになってしまった。

この理由が凄まじい。シェアリングのシステムでは顧客評価というのがデジタル上で着く。あんまりにも乱暴だったりそれこそ川に投げたりしたら、それが評価になってしまう。その評価がシェアリングエコノミー業界で共有されてしまう。あんまりにもひどいと、シェアバイクや自動車、民泊のシステムに影響してしまうのだ。しかも支払いがテンセントやアリババの電子マネーというのも大きい。

中国ではこの数年であっという間に電子マネーに置き換わってしまったという。これはスマホの普及が大きいしテンセントやアリババの存在が大きい。だがそれ以上に、汚職対策がある。現金の流通を最小限にしてアングラマネー化しやすい貨幣を少なくしたいというのが政府の方針にある。あっという間に電子マネーに置き換わったのは、消費行動を政府が監視しているのを積極的に受け入れたということだ。

飴があるのだ。消費行動の把握から信用が増加する仕組みだ。生活の割に電子マネーの利用比率が低ければ汚職や副業が疑われtる。逆に電子マネーの履歴が政府の考える形と、つまり中国製の製品を買うとか中国企業の販売店から買うとか、そうすればポイントが高くなる。当然行動そのものを監視するシェアリングシステムだとより一層、抜群の効果がある。どうもローンの金利が下がったりするようだ。当然保険も下がるのだろう。ポイントが高ければ出世街道の共産党員になれるかもしれない。そして電子マネーは徹底して社会にあれば、かなり便利なのだ。

その意味では韓国のロッテが中国で大苦戦しているのはよくわかる。中国政府が支持しなくとも、電子マネー上で把握されてしまうのだから忖度してロッテマートは敬遠される。ちょうどタイミング的に、電子マネーの勃興期に当たってしまったというのがある。

日本での爆買いという現象も現金社会だとあり得た話だった。だが電子マネー化した社会では、日本で爆買いした経歴が見られる恐れがある。逆に日本で何かを学びましたという方が消費行動としては有効になる。ただ単に彼らが飽きただけではないと考えたほうがいい。

同じ商品が中国で売られていれば、正しく関税分も払った方が評価になるのだ。

人の財布を覗き見るというのはあんまりいい話ではないが、中国における制度設計の、アーキテクチャーという概念の最も成功した例かもしれない。

評価としてはかなり難しいが、飴がないことに気がついたら、かなり厳しいだろう。金利が安くなったり保険が安くなったり共産党員になれたりしたとしても、金持ちになれるわけではないからだ。

 

 

米中央軍報道官ライアン・ディロン大佐が変なことをいった

「アブカマルでISISと戦う意欲と能力がバシャル・アサド大統領とシリア政府軍にあるのなら、歓迎する。有志連合の目的は土地を争奪することではない。我々の使命はISISを撲滅することだ。もしアサド政権が我らと協調し、アブカマルやデリゾールなどの町でこの使命を果たしてくれるなら、我々が同じ地域に出ていく理由はなくなる。」

アメリカは民主主義を標榜し、圧政を敷く独裁者には厳しく当たるというスタンスを180度変えた上に、今アメリカが支援しているクルド人を見放した上に、このまえでサウジと仲よさそうだったのが、いきなりここでイランに丸投げしてしまった。詳しくは記事を読んだ方がいい。私ごときではこの衝撃を文章にできない。

ある意味究極のプラグマティズムであり、90年台からの総決算的な発言でもある。オバマ前大統領がシリアが化学兵器を市民に使ったということを「レッドライン」といってしまった間違いを修正する流れでもある。だがイラクがクエートを侵略した時から始まる、いやそれ以前からある間違いを重ねたことを、ここで投げ出すことで解決しようとしている。

未来永劫続く紛争地域を作るのだ。紛争が膠着して安定すれば、すべて問題がなくなる。三国志的な世界だ。時間はかかる。100年以上かな。

アメリカの概念と違うとわかっていれば、正しい戦略ではある。だが自由民主主義を標榜する国家にとって、この発言はあとあと響くぞ。

最初っから何にもしなければよかったんだよ。


戯言

2017-06-28 01:13:23 | 日記

 

トランプさんの移民と特定の国からの入国制限の大統領令が、最高裁で一部認められた。ただ最高裁の判断が曖昧で、逆に混乱を生むのではないのかと言われている。

公約だったからこだわらなければいけないのだろうが、イスラム世界への理解があまりにも薄すぎる。いや世界に対する理解はほとんどないのではないのだろうか。商売でいえば確かにアラブの盟主のサウジアラビア、アジアの中国、そしてロシアと付き合ってゆくほうがいいのだろう。EUはトランプさんを嫌いだと言い放ったから、放っておけばいい。イギリスはEUから離脱するからこれは取り込めばいいだけだろう。

だがそんなことで国際政治が回るのか?敵の敵は味方とか、敵の味方を取り込むとか、敵の敵の味方を取り込むとか、老獪さが必要だ。だがアメリカ国際政治は伝統的に陰謀と札ビラだけで行ってきたからそういった考えは、特に商売人にとっては考えもつかないのだろう。

サウジとの武器輸出契約は、実はなかったようだ。アメリカ側からの提案があっただけで、商談にもいったっていないという。サウジアラビアには今現在そんなに武器を買う余裕がない。なぜこんなことを大々的にいったのだろう。サウジアラビアの沈黙は、それを利用しているのだろう。

イランやトルコがカタールを支持している意味を理解できないのだろうか。かつてのスンニの盟主とシーアの盟主が二つ並んで、スンニ・ワッハーブのカタールを支持している。

 

 

トランプさんはサイコパスだと言われてる。もっともアメリカの精神医学の権威が「会っていないのを、言動だけで判断するのは間違っている。私の作った判断基準を元に考察するように」といったそうだが、結果肯定したことになっている。

自己愛パーソナリティ障害とも言われるが、一代で財を築き上げた人とかには確かにこういった人は多い。そしてまた魅力のある人が多い。だが日本では根本的にそういった人たちもえらく苦労する。言動一致でないと日本人は許さないからだ。特に成功してからがそうだ。なので後半自分の言動に縛られて身動きが取れなくなり、自滅する企業がある。

なぜトランプさんの言動を肯定して支持する人がいるのかといえば、世界最大のベストセラーの本が問題なのかもしれない。ある存在を書いた3部作の大著で、ある存在を証明するために様々な人物が入り乱れる第一部と、ある存在が人類救済のために愛の証として我が子を生贄に差し出した第2部と、愛でも救われない人類に知恵と秩序を与えようと預言者に知恵を与えた、その預言者の生涯を書いた。それぞれが大著で読み解くのが困難な本として有名だ。おかげで触発されたりスピンアウトした小説やミステリーが多数発売され、現在にいったている。

そのある存在は自分を褒め称えることを要求し、常に自分を忘れないことを絶対としている。自分が一番で自分に少しでもはむかうと、洪水を起こしたり空から火を降り注いだりと大変危険だ。おまけに一番自分を信じてくれている人を賭けのために簡単に裏切ってしまう。最低なやつだ。第二部は自分の子供をあえて殺させるのだ。殺された子を生き返らせて奇跡を起こしてドヤ顏をする話だ。いやこれは言い過ぎか。ただ息子は作中かなりこの親に苦しんでいる。丘の上で一晩中祈ったり、「父さんの場所を汚すな!」と神殿の中の商売人を蹴散らしたりした。なんでここで奇跡を起こさないのかが不思議なのだが、まあ父への恐怖から出たことと、自分が殺される運命へのヤケクソのようなところが愛らしい。刑場での悲痛な慟哭が父に伝わる瞬間が感動的だ。

このドラマティックな第2部に対して、第3部はリアリティが濃いということで反発が多い。この第3部が好きなのと第2部が好きな人との間で度々戦争が起きるほどだ。第3部はある存在からの啓示を忠実に守る男の話だ。第一部が神話世界で第2部が古代、第3部も古代だが現代によほど近い。なのである存在を証明するための具体的な行動が詳細に記されている。これに忠実であることがある存在へ近づく第一歩なのだ。明快な目標設定が近代的でもある。なので熱狂的なファンは、第一部も第2部も、この第3部にあるのだと言い切ってしまう。しかしなのだが具体的な行動指針があるにもかかわらず、全くない第一部の愛好者の方に金持ちが多いのだ。もちろん愛好者はものすごく厳密な解釈を作り、生活はギチギチに規定されているのだが、第2部と3部のようにみんなに分け与えないといけないという共同体の原理が少し薄い。多分このせいだろう。

 

 

一神教の神こそがサイコパスだ。悪魔が殺した人の数より圧倒的な量の人を殺したのが、神だ。

なので現世で成功したサイコパスが現れると、新人神と考えてしまうのだろうなぁ。テレビとかメディアの力もあるが、アメリカではそうなのだろう。

日本では新興宗教の教祖以外では、なかなか成功できない。言葉に矛盾があったら、嘘つきになるからだ。

 

 

 

麦秋が近づいた。


昨夜の雨の後

2017-06-27 00:53:29 | 日記

 

爽やかな一日になった。

まあトランプさんが、「オバマ氏が選挙のずっと前からロシアの件を知っていながら、何も手を打たなかったことを初めて知った」「情報があったのになぜ何もしなかったのか」言わなければもっと爽やかだったろう。どうも自覚がないようだ。

タカタの倒産も憂鬱な話だった。本当に情けない、日本的倒産だった。最大の問題は、爆薬の問題を自覚していたのにもかかわらず、改良しようとしていなかった。その上、事故を隠蔽しようとさえした。いやそう疑わざるを得なかった。無能な経営者がいたということだ。

 

 

明日も天気だ。


盛岡で「大地の歌」が聞けた

2017-06-25 23:03:14 | 日記

 

岩手バッハアンサンブルというバロックの室内楽アマチュア合奏団がある。盛岡の中でも特に腕のいい人が集まっている楽団だ。それが事もあろうにマーラーの「大地の歌」シェーンベルク原案・リーン編曲というものだ。原曲は多分世界中でどこかで毎年演奏されている。だが東京でもそんなにできる演目ではない。それの室内楽版となれば、こんなの人生に一度聞けるかどうかわからない曲だ。そもそも大地の歌そのものが意外と演奏困難。リートの技術を持ったオペラ歌手、いやワーグナー歌手が必要ではないのかと考えているほどに歌手に負荷がかかる。ドラマティックに繊細な表現をできる歌手というのは、滅多にいないのではないのかと思う。

その前に弦のポルタメント奏法が簡単にできるアマチュアオーケストラというのは、多分ないだろう。

 

 

演奏そのものは、ある意味問題があった。譜面に忠実すぎる人とか、あとロマン派の歌手に慣れていない指揮者とか、そもそもギリギリなのだが。

冒頭で泣いてしまった。あのホルンで泣いてしまった。録音で散々聞いた曲だが、リアルではああ響くのだよ。本当にそう響くのだよ。

慟哭から始まる大地の歌は、録音では無理なのではないのかと思っていたが、そのようだ。

 

 

演奏が終わり、右の人が拍手をしたが誰も拍手をしない10秒があった。そしてまばらに拍手が始まった。

私は腰を抜かしていた。呆然と手を叩くしかできなかった。ただただマーラーに圧倒されていた。圧倒的な強度の曲、それを極限まで音を少なくした室内楽版の、骨格しかない世界のマーラーなのだ。

 

 

でもなぁ、こんなチャレンジングで確実にいい演奏があるのに、お客さんが少なすぎるの悲しいな。

特に若い人が全くいなかった。「大地の歌」は年寄りにはシャレにならない曲だ。夢も希望もある人が聞けば、ものすごいロマンティックな曲なのに、なんでだろうね。確実に感動があるはずの曲に、オケや合唱関連の人たちが全くいないというのはどうかと思った。