どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

ようやく雪です

2012-01-31 19:11:50 | お天気
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昨日今日と雪が続いています。降れば降ったで困り者なのですが、東北だと降らないのも何か気分が悪いものです。特に裏日本で記録的な大雪となっています。新潟県栄村では、雪の重みで橋が落ちたそうです。とはいっても栄村、東日本大震災の陰に隠れて目立ちませんが、3/12の地震でかなりな被害があった所です。地震の何らかの影響があるのでしょうか。



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いきなり降るものだから、以前降った雪が凍結して氷塊となっている所もあります。そこにパウダースノーが積もると…。トラップになります。至る所トラップだらけです。



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なにかの足跡が残っていました。どうもリスのようです。



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そこまでは昨日の話し。今日は一日中降りました。昨日は5センチ積もり、今日は現在で6センチ積もっています。盛岡市では10センチを超えると除雪するので、明日は除雪車が来るのでしょうか。かなり疑っています。
きっと一日10センチ降らないとやってこないのだろうな。



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昨日も今日も除雪車を出しましたが、あっさりと雪に覆われてしまいました。現在-7.6℃です。
予報では明日が酷く降りそうです。さてどうなる事やら。


経産省前テント村

2012-01-30 19:58:26 | インポート
経産省前に、反原発のテント村がある。昨年の反原発デモが盛んなあたりからで来たと思っている。それが経済産業省枝野大臣が撤去すると言い出した。それではこれらは報道されているのかというと、どうも無さそうだ。ネット検索ではニコ生が目立つ。ネット系ジャーナリズムががんばっている。
私も、JANJANブログから情報は取っている。
ただこの運動には違和感がある。というのは成功したためしがないからだ。次が私が徐々に減らすべきだと考えているからだ。彼らはすべて全廃せよと言っている。そして運動に落としどころが無い事だ。妥協の無い運動は必ず失敗する。
しかし彼らの行動は理解出来る。というのは、原発なり何なりで政府が約束を守るという保証が無いのだ。例えば20年後に全廃しますと約束してロードマップまで提示されたとしても、数年後には地域からの存続請願が起きて約束をひっくり返される可能性もある。そしてこれが反原発の歴史だ。
反対して村八分になった漁師や農民がいる。地域に手を回して、孤立させるのだ。
ひっくり返すためには、地域社会まで壊すやり方までしてきた。八場ダムもそうだ。その歴史が、彼らを頑なにさせる。徐々に減らすべきだという立場でも、いったん稼働させてしまったらご破算になってしまうのではないのかと危惧する。
現実に細野原発事故担当大臣の、原発は40年で廃炉発言で電力会社からクレームがついた。これで政府がどう対応するのかが見物だが、減らす立場として有効なこの発言を、ひっくり返そうという電力会社の感覚が信じられない。
ただこの辺りは、企業の理論があるかもしれない。例えば減価償却だ。原発の減価償却年限は解らないが、耐用年数16年いう数字があるが、これを元に発電価格を決めている。借金を払い終わった、減価償却の終わった施設からの発電は、維持費を抜けばすべてが利益である。なので長く使った方が良い。しかし福島第一では耐用年数10年と言われていたのを、40年とした経緯もある。電力会社に有為に動いてきた。その上福島第一のように40年を超えた炉があった。
電力会社は確かに、需要者への安定供給と株主の利益を最大にする事が目標の、民間企業だ。なので減価償却が終わった施設の稼働が長ければ長いほど利益になる。だがその施設の耐用年数は絶対ある。そのための試算もあるはずなのだが、40年では短いという電力会社の言葉は何なのだろうか。
意図せずに、原発を維持させるためのコストを言っている。実際福島原発問題で、下請けどころか4次受けとか、原発作業員で、本来は休まなければ行けない期間に他の原発で働いているという実態も見えてきた。最悪は、働いている4次受けの社員を、電力会社が把握していなかった事も解った。
こういった不明瞭な実態がコストに反映させるのは確かだ。会計でなんとか見えないようにするために、人件費とか別な所に転嫁しているのだろう。
実際原発級の大規模なプラントは、定期的に大改修が必要だ。このコスト計算が元々とても甘いために電力会社は40年廃炉に反発しているのだろう。
ところで、4次受けなどの労働者の中に借金の方にとか、暴力団関連がいるのではないのかと言われている。これもどうなのだろうか。企業としてどうなのだろうか。
様々な手段で政府は、電力会社に圧力はかけられる。それが、あっさりと反発されているのが現在だ。この力関係は解るのだが、国民に付託された政府が企業に負ける事だけは許されない。どこに妥協点があるのだろうか。
とはいえもっと面白い話しもある。東北電力は夏以降東京電力から電力を供給されている、という話しだが実際は東京電力からほとんど電力を受けていないらしい。電力逼迫がどの程度真実なのか解らなくなっている。
解っているのは、ムダな時間が過ぎているという事だけだ。
という事で、テント村は経産省から移転して財務省に移るべきだろう。公的資金を受けている東京電力だから、ココが一番。一杯ネタもあるしね。


今晩もカレー

2012-01-29 20:16:19 | インポート
今晩もカレーだ。
1週間以上カレーになっている。なぜこんな事になったかと言えば、月末で金がないからというのもある。しかしかなり紆余曲折している。
実は2週間前は、これはシチューだった。たまたまルーが特売で、鳥の胸肉も特売だったからだ。タマネギと人参もあった。そこで材料を入れたら大きめの鍋になってしまった。ちなみにちょっと薄味が好きなので、ルーは全部入れない。後ジャガイモを入れるのはおいしいけど、好きじゃない。
で1日目はフツーのクリームシチュー、二日目はチーズとニンニクを入れてコクを出した。3日目はカレー粉を入れてカレー風味にした。ちょっと残ったので材料と水を入れて、カレーにした。この時は特売の豚肉だったと思う。そして水を入れてスープカリー風に変化したり、トマトの缶詰が入ったり、タマネギだけを入れたり、昔買った特売のひき肉を冷凍していたやつとか冷凍カリフラワーを入れたり、ミックスベジタブルを入れたりして続いている。肉は入ったり入っていなかったり。新たに追加する方が少ない。足す時に、残りのクリームシチューのルーが入ったりとカオスの様相になっている。
なんでこんな事になっているのかと言えば、カレーが中途半端に余るから。一食分には多いがかといって2食分にはならない量が必ず残る。それでちょっと水を足したりしているうちにこうなった。おまけに反射式ストーブを使っているので、こういった手間なしの料理は、えんえんと続く事になる。
まだカレーは良い方だ。いざとなったら冷凍してしまえば良い。どうもその踏ん切りがつかないだけなのだが、以前同じ冬の期間、3年連続でオデンだった時もあった。オデンもチクワとかタンパク質ものが入っている時はまだいい。大根だけだったりもする。しばらくすると特売の具を買ってきていれる。たまに汁を漉し足りもする。出汁も追加したりする。
おとといみそ汁にまめご飯と納豆を食べた時は、なぜかごちそうに思えた。
本当の所、こうなるのは台所が寒すぎるからだ。もう立つのもおっくう。細かい洗いものが増えるのもイヤ。あと野菜がとても高い。今年の寒さのせいなのだ。
さて今日のカレーは特売の牛肩薄切り肉のカレーだ。久しぶりに肉が入った。

PS どんな具合化と言えば、


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こんな具合。ニンジンが恐ろしくでかい。薄らと見えているのは目玉焼きです。


311以降の議事録

2012-01-29 03:12:09 | インポート
東日本大震災関連の、政府の会議議事録が作成されていないという話しがあった。
もうそろそろ世間では話しが落ち着いた思う。なのにちょっと考えたいと思っているのは私だけだろうか。
まず当然だが、議事録を作成していないのは法律違反だ。なので会議を運営する公務員には処罰があるのが当然だ。
政治家に責任があるか?無いに決まっている。議事録を作るのは政治家の仕事ではない。また法で定められているのを指示するのは政治家の仕事ではない。政治家の仕事は未来を作る為に、法を作ったり修正したりする仕事だ。そのために民意を集めて受けて、その仕事に適切な判断をする。それだけだ。
ただあの時の大混乱で、作成出来なかったというのはよくわかる。これはあり得る。だが同情出来ないのは、彼らがいつも法令遵守を唱えているからだ。
そこでやっぱり陰謀説が出る。議事録が無いのは、政治家が何かを隠したくて抹消したのではないのか。管前首相が一杯暴言を吐いているとか、枝野官房長官が「国民は私に睡眠を要求しているんです!」とか、スピーディのデーターをみてきれいだねと言った人がいるとか、4号機爆発の最悪事態のシュミレーションをみて、誰かが空気読めよ!とどなったとか、国外脱出ばかり考えていて「航空チケットがスムーズにとれるように」とか言っている人がいたりして、まあすごい事になっているのでしょう。ほとんど妄想ですが。
陰謀説は、官僚が意図的に失敗したフリをして議事録を捨てて、政府の顔を立てて貸しを作ると言ったもの。もう一つは、原子力ムラが意図的に隠蔽して政府に攻撃しているというもの。
どう考えてもあり得ない。そこまで日本の官僚は腐りきっていない。彼らの最も良くやる手段は、森に木の葉を隠す手法だ。法で決められた作業を隠す事は、彼らが最も嫌う事だ。なんというか車を運転している最中にシートベルトを外してしまったために検挙されてしまうのは、割にあわない。こんな事だと思う。
実はここから先が問題だ。議事録は無いし要約も無い場合、出席者からの聞き取りや資料提供で議事録を作るという事だ。
あの混乱の中で、確実に自分の発言を覚えている人がいるか。メモ等も集めて本当に再構成出来るのかどうか、まったく怪しい。再構成の中に意図が入り込まないのか?再構成された議事録は出席者に回覧されて、いろいろ注文がつくのだろう。その議事録は正しいのかどうか、解らないとなる。
再構成された議事録は、基本的に誰かの意図が入った2次資料でしかない。
さてここで議事録を考えたいのだが、フツーに考えれば議事録の再生なんて簡単だ話しだ。関係者に当たる必要も無い。テープ起こしでいいだろう。ICレコーダーなりで記録すれば良い話しだ。それがなんで無いのかという話しだ。
これはおかしいだろう。いくら何でもこの時代、検察だって全記録を始めようと言っているのに。
多分、速記記録を元にした議事録を作っているのが今までの慣例だったからだろう。速記記録だが、どんな早口でも紙に文字を残すという作業をする人がいるのだ。速記者以外は読めない文字が並ぶ。それでもこの作業は集中力を要求される仕事だ。長時間作業は出来ない。国会中継の時に議長の段の下にいる、机にしがみつくようにしているのが速記者だ。
速記者の仕事は、とても正確だ。ただしテープから起こされたものよりはニュアンスが無くなっている。速記者が定例文に直しているとも言われている。これは公文章特有の現象だろう。東京裁判の映像と音声と、速記者の書いた文章の違いが言われるが、速記者のが1次資料になる。
これはなぜだろう。昔は正確と言い切れる記録媒体が無かった。この時に速記という手法が生まれた。どうもローマ時代になりそうだ。文字はあるがテープレコーダーの無い時代、とにかく記録するための手法として出来たものなのだろう。
それがエジソンの蓄音機以降だが、音声は記録出来るようになった。ただそれが正しく聞き取れるかどうかが問題になったのだろう。やっぱり人が聞いて書き残したものが最上であるという結論になった。
現在でも国会などで、速記者がいるように、人が記録するという意味はある。とてもある。
機械ではない、人で保証されている。
少し論点がずれた。速記者の歴史的な意義と人というのはどういったものかというのも、速記者という特殊な職業を生み出していたのだろう。最後は人だと。
今回の記録が無い話しだが、会議がありすぎて速記者が回らなくなったというのが実際なのではないのだろうか。
公文章で重要な所では速記者が書いている。そして速記者が書いたものが議事録となっている。
多分これかと思う。
公文章での議事録は速記者で書かれるべきだ、と何となく官僚は思っているのだろう。他の技術は改ざんの怖れがあるので(エジソン時代では誤認の可能性がある)ということで、現在も続いているのだろう。
私は隠蔽や陰謀説よりは、公文章を作る時の規約が問題になってしまったのかと思う。速記者が足りなかった。これだけだろう。
ただ私には、今回の件は官僚の不手際よりも、もっと古い話しを思い出させる。
終戦の詔の後に、官僚たちが書類を焼きまくった事だ。丸の内では雪のように灰が降ったと聞いている。
記録を残すのはなぜなのか、考えてもらいたいものだ。
大多数は、記憶すらも残らないのだから。


やはり寒いが

2012-01-28 02:11:21 | お天気
前回出した、1984年のグラフだが、気になってよくよく見ると1985年もすごい年だった。2年連続、過酷な年であったようだ。




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1983年12月から、1986年1月まで書き出している。寒さでは1944年から46年には勝てないが、かなりな記録を持っている。
まず日最高気温の低さでは、84年がー5,6℃で8位だ。月平均気温が高いのでは、84年が24.9℃で8位85年が25.9℃で2位、共に8月の記録だ。月平均気温の低いのでは85年1月の-5.2℃で4位、年平均気温の低いのでは84年が9.1℃で9位、日平均気温0℃未満の年間日数では84年が100日の1位、85年が78日の10位。日平均気温25℃以上年間日数は84年が25日で8位、85年が31日で5位。真冬日の日数では84年の36日の4位、85年の33日の8位。日最高気温30℃以上年間日数では85年が35日で7位。日最低気温0℃未満の年間日数では84年の149日で3位。85年11月は月間日照時間の少なさ73.2時間の9位。年間日照時間の多さでは84年の1911.9時間の9位。
ここから用語が面倒になる。降雪の深さ日合計(1時間おきに降った雪を計測している、その合計)では85年1月16日の33センチで10位。降雪の深さ寒候年合計(日合計を冬シーズンで足して行ったもの。多く雪が降ったという事になる)では84年の360センチで2位、85年の277センチの10位。月最深積雪(これが普通の積雪)では85年2月9日の67センチで7位となっている。
かなり煩雑になったが、この2年でベストテンにランキングする項目の多い事。とにかく寒くて、急にギュっと暑くなって、冬は毎日雪が降っていたという年だ。



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85年には盛岡にいたので、うすらぼんやりと記憶がある。私は青森出身なので、盛岡で雪が多くて、何のために来たのかよくわからなかった。おまけにとても寒かったのはよく覚えている。
さてその84年と今年の最低気温、そして平年最低気温気温を書き出してみた。なお平年気温は、日の平均気温を足して割ったものだが、日の平均気温の算出の仕方が単純に最高と最低を足して2で割ったものではない。1時間ごとに計測した温度を足して24で割ったものだ。急に暑くなったり寒くなった分の比重が軽くなるようになっている。
84年が平年を下回っているのがよくわかる。今年と言えばバラツキが多いが、少し高めなような気がする。ここの所の寒さで、自分は騒いでいるだけなのだとよくわかった。それにしても、最近-10℃以下が少ないだけなのだと言うのは、よくわかった。
しかし年間の温度差が84年で49.4度、85年で51.9度とかなり激しい年であった。おまけに6月の最低気温が一桁台で4日間続き、2.4℃の日があったのはオドロキだ。
極端な例だが、盛岡らしいといえば、そうだろう。