大内義興は、 義政の弟義視の子ヨシタネは、10代将軍となり、畠山政長を率いて河内の畠山義就を攻めた隙に細川政元によって、廃立されて越中に逃げたが、これを奉じて京に上った。明と交易。 大内義隆キリスト教の保護。
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三管領畠山さんちの家督争いに端を発した応仁文明の乱は、 義政引退義尚九代就任が文明でしょうが、京都に集結した東軍細川勝元 西軍山名ソウゼン 5年ぐらいで、数において東軍有利のところ、宣旨下る。 周防ほか一円を領する大内義興がふねにのって瀬戸内海を上洛 2万を加えて互角となった。 キーマンとなる。 11年して、 スデニ、勝元 宗全は相次いでなくなっていた。 よしおきは、銭を日野富子に贈って後顧の憂い . . . Read more