goo blog サービス終了のお知らせ 

弧考のハイパー哲学

史上最大の哲学  

存在の優劣の基準

2012-09-02 14:13:52 | 日記
 人間個人を、情報処理ソフトウェアネットワークシステムとすることで、その(情報処理して選択した)行動すべてについて何らかの推定予測が可能になります。ただし、この場合の推定予測とは、行動の範囲についての推定予測です。
 人間個人の行動は、その行動を選択した時点までに形成されていた個人内の情報処理ソフトウェアが情報処理して選択した結果だという仮定を再確認しておきます。
 従って、その時点で情報処理ソフトウェアが形成されていない事象は、その個人には無として処理されるということになります。処理できた情報しか存在しないということです。
 たとえば、数学が扱っている範囲について、((数学とは変化パターンの分類と整理のスキルである))というどんな数学にも当てはまる考えを持っていれば、全く分からないということはなくなりますが、それがないと加減乗除パターン以外全くわからないというようなことになります。
 既存の哲学・宗教・文学・社会学・経済学などでは、それぞれに細分化された領域での優劣の基準を仮定することしかできません。
 存在を物理学的エネルギー変化パターンの重ね合わせと仮定することで導き出された、消去法的自然淘汰で進化する情報処理ソフトウェアネットワーク(ただし、ここでの情報とは、伝播するエネルギー変化パターンすべてのことです)の優劣について考えてみます。
 自然淘汰されるものより自然淘汰されないもののほうが優れていると仮定することから始めます。(ただし、領域は物理学的エネルギー変化パターンの重ね合わせ全体です)
 あるソフトウェアが淘汰されるのは、それが存在できる領域が消滅したときです。変化するエネルギーが空間的、時間的に小さい領域の情報処理のみに関わるソフトウェアは、エネルギー変化が大きい領域では、存在できません。ブラックホールのなかでは人間が存在できないといったようなことです。
 そのことから、より大きなエネルギー変化領域についての情報処理ができるソフトウェアのほうが、淘汰されずにすぐれているということが言えます。
 類人猿や人間の共通の祖先から現在の文明人への進化も、処理できる物理学的エネルギー変化領域の拡張によるものと集約できます。
 それが私にとっての優劣の基準ということになります。類人猿への進化を選択させられた祖先よりも、人類への進化を選択して現在の文明人へと向かうことになった祖先のなかの一部分のほうが優れていたと考えます。
 従って、その方向へ進むための試行錯誤が私のインセンティブとなります。
 なお、----の正体を知るということは、どのように変化してきて、----になって、これからどのように変化していくか推定予測できる情報処理ソフトウェアを構築することだと考えています。それには、まず処理したい変化パターンの領域について知ろうとすることです。
  以後後日


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。