今から五十年ほどj前に一人の子供がいました。その子供は頭を石にぶつけて打ったせいか以下のようなことを考えるようになってしまいました。
1.人は必ず死ぬ。自分も必ず死ぬ。
2.人類もいつかは必ず滅亡する。
3.地球も太陽も宇宙もいつかは必ず消滅する。
4.全てが必ず消滅するなら、自分がこのあと六、七十年の人生を生きていくことと今死んでしまうことの違いは無いんじゃないか。
そんなことを考えたので、その子供は脱力状態になり、自分の周り全てがぼやけているような感じがするようになりました。
その子供がそこから抜け出したのは、自身のなかに生まれた ((汝自身を知れ)) という意識でした。
これから、六、七十年を生きることができるなら、その間自分が何か を考え続けることでその違いについてわかることがあるかもしれないと思ったのです。
自分自身を知るとは、どこからきて、今いるところはどのようなところか、これからどこに向かっていけばいいかを知ることだと思いついたのです。
そのためには、考えるとは、どのようなことか?、どのようにして、考えることができるようになったのか? についても分かることが必要だと思うようになりました。
ただし、先生をはじめとした一般の大人はおろか、世の中の偉い学者も偉い作家も偉い宗教家等すべての人が、その答えを知らないのだということが判るまでに対して時間がかかりませんでした。
また歴史上で、天才・偉人・巨人等といわれている人々もその答えを知ることはなかったのだと、おいおいわかってきました。
もちろん、自身の人生という限られた範囲でその答えを出している人がたくさんいることは知っていました。
しかしそれは、部分的なもので、生物に例えれば、非常に多くの種類が有る昆虫のようなものじゃないかとその子供には思えました。
その子供のなかに生まれた、 ((汝自身を知れ)) という意識は、考えるために必要な身体を維持しながら、その時々、できる範囲で、それを考え続けさせてきました。
その結果五十年余りかかって、さまざまに考えたことが収斂していって、ハイパー哲学という考え方に到達したのです。
そうすることがしないよりもトータルでインセンティブが大きかったということです。そして今、ハイパー哲学を発信するほうがしないよりも期待できるインセンティブが大きいと考えたので、これを発信しています。
1.人は必ず死ぬ。自分も必ず死ぬ。
2.人類もいつかは必ず滅亡する。
3.地球も太陽も宇宙もいつかは必ず消滅する。
4.全てが必ず消滅するなら、自分がこのあと六、七十年の人生を生きていくことと今死んでしまうことの違いは無いんじゃないか。
そんなことを考えたので、その子供は脱力状態になり、自分の周り全てがぼやけているような感じがするようになりました。
その子供がそこから抜け出したのは、自身のなかに生まれた ((汝自身を知れ)) という意識でした。
これから、六、七十年を生きることができるなら、その間自分が何か を考え続けることでその違いについてわかることがあるかもしれないと思ったのです。
自分自身を知るとは、どこからきて、今いるところはどのようなところか、これからどこに向かっていけばいいかを知ることだと思いついたのです。
そのためには、考えるとは、どのようなことか?、どのようにして、考えることができるようになったのか? についても分かることが必要だと思うようになりました。
ただし、先生をはじめとした一般の大人はおろか、世の中の偉い学者も偉い作家も偉い宗教家等すべての人が、その答えを知らないのだということが判るまでに対して時間がかかりませんでした。
また歴史上で、天才・偉人・巨人等といわれている人々もその答えを知ることはなかったのだと、おいおいわかってきました。
もちろん、自身の人生という限られた範囲でその答えを出している人がたくさんいることは知っていました。
しかしそれは、部分的なもので、生物に例えれば、非常に多くの種類が有る昆虫のようなものじゃないかとその子供には思えました。
その子供のなかに生まれた、 ((汝自身を知れ)) という意識は、考えるために必要な身体を維持しながら、その時々、できる範囲で、それを考え続けさせてきました。
その結果五十年余りかかって、さまざまに考えたことが収斂していって、ハイパー哲学という考え方に到達したのです。
そうすることがしないよりもトータルでインセンティブが大きかったということです。そして今、ハイパー哲学を発信するほうがしないよりも期待できるインセンティブが大きいと考えたので、これを発信しています。