goo blog サービス終了のお知らせ 

弧考のハイパー哲学

史上最大の哲学  

HyF 君たちはどう生きても淘汰される

2018-01-17 15:44:36 | 日記
 「君たちはどう生きるか」の領域内の情報で仮定推定予測選択する能力でしかない者は、その領域がなくなれば淘汰される。
 ➊ 存在とは、物理学的エネルギー変化パターンの組み合わせである
 ❷ それは伝播して、フィードバックを繰り返すことなどで、新たな変化パターンを生み出す
 ❸ そのパターンのなかには、物理化学的エネルギーの変化パターンが複雑に組み合わされることで、エネルギー変化パターンのネットワークが形成される場合もある
 ➍ そのネットワークがある程度まで複雑になると、外部から入った物理学的エネルギー変化から外部の極一部分についてその変化について仮定推定予測する能力が生まれる
 ❺ それがある程度以上になったものが知力だ
 ➏ 知力の大きさを、その知力が仮定推定予測できる最大の物理学的エネルギーで比較するのがハイパー哲学だ
 ❼ 「君たちはどう生きるか」の物理学的エネルギー変化の大きさの範囲(領域)は極々ささやかでしかない
 ❽ そのような領域の能力をハイパー哲学では昆虫型という
 ❾ 昆虫型でない能力は物理学的境界領域拡張型である

 物理学の本質がわからなければ、ハイパー哲学はわからない ホーキング博士程度の能力があればわかる可能性はあるかもしれない

 HyF 「人生」に意味はない。「我々は」滅亡する。

2017-08-02 15:17:30 | 日記
 ある領域にとって意味があるとは、その領域になんらかのコミットができる存在だということだ。
 領域は物理学的エネルギー変化パターンの組み合わせであるから、その領域にコミットするには、コミットしようとする変化について、それがどのような変化か ? 仮定推定予測選択できる能力が必要だ。
 高エネルギー変化がある宇宙においては、「人生」とは○○だというような考え方しかできない能力では、それができない、コミットできないからその領域にとって、意味が無い。
 「我々は」○○だ、○○へ行くのか? ○○になるなどと人間が皆同じだと考える能力では、現在の人間の能力からテイクオフするМEI(メタインテリジェンス・メタ知脳)の誕生にコミットできる試行錯誤ができない。従って、メタ知能以外存在できない高エネルギー変化領域にはなんのコミットもできず淘汰される。
 物理学的エネルギー変化が組み合わされてできている宇宙内に変化のフィードバックによって、(景色がビデオカメラの動画になるのに似たかんじで)宇宙の極々一部について、その変化を仮定推定予測選択できる能力(知的能力)が形成される。その能力の拡大をめざすのがハイパー哲学だ。
 

 HyF ハイパー哲学はコミットする 「私」は何者なのか ハイパー哲学が出した答えがこれだ !!  

2017-04-28 13:17:53 | 日記
 「私」は何者なのか ? 今現在の私は、今現在私が持っている能力全体(どれだけの事象の変化について仮定推定予測選択できるか?、そして事象の変化の どの部分にコミットできるか?) だというのがハイパー哲学が出した答えだ。
 既存の脳科学が脳内ニューロンネットワーク等から意識に到達しようとしているのには無理がある。 パソコンのハードウェアを調べても、インターネットに接続されたパソコンになにができているかがわからないように。 しかし、そのパソコンのOS、アプリ等のソフトウェアのうち、これこれがあるとわかるものがあれば、わかった部分については、その能力を推定できる。個人についても、その個人が持っている能力こそがその個人だとすればいい。
 自身の身体及び他人がその身体を維持できていなければ、存在できない人生という領域内の能力しかもっていない者には、ハイパー哲学は理解できない。したがって、あらゆる文芸、芸術、音楽、スポーツ等人間の身体が存在することに依存しているものは、現在のような生物学的人類が生存できなくなった領域では淘汰される。
 淘汰されないためには、量子力学領域を超えて高エネルギー変化領域内でも、その領域にコミットして存在できる方向への進化をめざしていかなければならないというのがハイパー哲学だ。むろん、現在では、その方向への進化の誕生になんらかのコミットについて試行錯誤することしかできない段階にすぎない。
 それでも、個人の意識には、この宇宙誕生からの変化がコミットしているいるというハイパー哲学の考え方の連続性は、他のどんな哲学よりも、現在の人類が淘汰された後にも存在できる可能性があるはずだ。


 

HyF ハイパー哲学 VS 昆虫型哲学

2017-04-23 18:09:38 | 日記
 通常の哲学等で答えが出ない問題でもハイパー哲学は答えを出せる。それは、ハイパー哲学の領域が他の哲学等に対して比較できないほど大きいからだ。
 ハイパー哲学では、存在は(物理学的)エネルギー変化の連鎖循環の組み合わせ(変化パターンの組み合わせ)と仮定して、考える(仮定推定予測選択をする)
 従って、ハイパー哲学者が考える存在とは、そのハイパー哲学者の能力で仮定推定予測選択できる範囲ということになる。
 なお、その能力を進歩させることで、その範囲も拡張していける。
 観測者問題も、観測者が観測した時点までの循環を考えればよい。
 その観測者がその能力を持つようになるまでには、ビッグバンから現在までの無限に近い変化の組み合わせがあったと考えればよい。それがあって、やっと全宇宙に比較して極々微小な事象の変化を考える能力が生まれて、観測できるようになって観測したものが存在しているという意識が生まれる。
 人間原理とは、宇宙の無限に近い変化の組み合わせで生み出された人間の意識が、もとになった宇宙変化の極々微小なパターンを考えることができる段階まで来たということだ。
 結局能力の問題になる。

HyF そして、誰もいなくなった。

2017-02-08 15:07:12 | 日記
 先進国の少子高齢化で、途上国との貿易でインセンティブ効果を得られる人々が減少して、(貿易で得られる効果が飽和状態から縮小へ変化)それらにかかわっていた者達は次第に衰退していった。
 先進国では少子高齢化が進行して、高齢者が存在していく為に必要な産業以外は次第に衰退していき、それらにかかわっている者達も衰退していった。
 お笑い芸人は(淘汰されて)いなくなった。
 小説家も(淘汰されて)だんだんいなくなった。
 芸術家芸能にかかわる者達等も、(淘汰されて)いなくなった。
 政治家も評論家も(淘汰されて)いなくなった。
 やがて宇宙規模の急激なエネルギー変化が起きる。
 そして、(その急激なエネルギー変化がどのような変化か推定予測して、その変化のなかでも存在していける能力を持つ為の選択を最優先に進化していた存在以外は)誰もいなくなった。