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讃州菴

讃岐善通寺周辺のちょっと昔を探検してみよう。
善通寺・旧陸軍十一師団・琴平参宮電鉄など。

国登録有形文化財 宇夫階神社末社塩竈神社本殿【宇多津町】~三大塩業会社3

2012-04-28 | 近代建築物(宇多津町)
宇夫階神社末社塩竈神社本殿

宇夫階神社末社塩竈神社本殿、国登録有形文化財。
昭和9年築。

かつて、坂出・宇多津地区の塩田は、国内塩の生産高日本一を誇り、国内塩生産の支柱であった。

ここに、昭和8年出版の『勝地讃岐の其産業陣営』よりその陣営を紹介したい。

三大塩業会社~その3 宇多津製塩(株)

宇多津三大塩業会社の一つ。
明治27年 設立。○に「沖」の字。
明治29年 沖桝塩田成る。

参照:宇多津町の塩田(昭和23年地図より)
参照:宇多津塩田(株)HP



平成23年6月撮影。

国登録有形文化財 宇夫階神社忠魂社本殿【宇多津町】
国登録有形文化財 宇夫階神社末社塩竈神社拝殿及び幣殿【宇多津町】~三大塩業会社2

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国登録有形文化財 宇夫階神社末社塩竈神社拝殿及び幣殿【宇多津町】~三大塩業会社2

2012-04-25 | 近代建築物(宇多津町)
塩竈神社拝殿及び幣殿

宇夫階神社末社塩竈神社拝殿及び幣殿、国登録有形文化財。
昭和9年遷座、建築。

かつて、坂出・宇多津地区の塩田は、国内塩の生産高日本一を誇り、国内塩生産の支柱であった。

ここに、昭和8年出版の『勝地讃岐の其産業陣営』よりその陣営を紹介したい。

三大塩業会社~その2 宇多津東塩田(株)

宇多津三大塩業会社の一つ。
明治35年設立。宇多津駅北方古浜塩田の地先の海面埋立。
明治36年 綾井古浜塩田買収。
明治39年 宇多津川東平山海面を埋立て、新たに「大東塩田(株)」設立。
大正4年  塩業界に先んじて電動排水設備を設け、品質の向上増収。
大正10年 両会社合併し宇多津東塩田(株)成る。

参照:宇多津町の塩田(昭和23年地図より)
参照:宇多津塩田(株)HP



平成23年6月撮影。

国登録有形文化財 宇夫階神社末社塩竈神社本殿【宇多津町】~三大塩業会社3
塩竈神社参道【宇多津町】~三大塩業会社1

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塩竈神社参道【宇多津町】~三大塩業会社 1

2012-04-22 | 町並(宇多津町)
塩竈神社参道

宇夫階神社末社である塩竈神社の参道だ。
写真右奥方向に宇夫階神社社務所及び齋殿、右手前方向に宇夫階神社本殿が位置する。


前掲にて、塩竈神社が享保20年(1735年)に勧請されたと記した。
と、いうことは、享保20年当時、既に塩田があった事を意味する。


かつて、坂出・宇多津地区の塩田は、国内塩の生産高日本一を誇り、国内塩生産の支柱であった。

ここに、昭和8年出版の『勝地讃岐の其産業陣営』よりその陣営を紹介したい。


三大塩業会社~その1 宇多津塩田(株)

宇多津産業界に於いて、その創立最も古く且つ、多量採塩で知られた会社が、宇多津塩田(株)である。
高松藩経営の塩田を高松の揚行蔵氏が落札し、それを経営していた。その後、その塩田を譲り受け、株式組織としたのが、明治23年である。

設立以来3回の増資を敢行し、堅実なる基礎と好績を誇っている。
常に製塩施設に改良を加え、能率と品質の向上には特に意を注いでいる。(前掲書より)


参照:宇多津町の塩田(昭和23年地図より)
参照:宇多津塩田(株)HP



平成23年6月撮影。

国登録有形文化財 宇夫階神社末社塩竈神社拝殿及び幣殿【宇多津町】~三大塩業会社2
塩竈神社鳥居【宇多津町】

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塩竈神社鳥居【宇多津町】

2012-04-19 | 近代建築物(宇多津町)
塩竈神社鳥居

合祀記念碑

宇夫階神社の境内に鎮座する塩竈神社の鳥居だ。
宇夫階神社の末社として塩竈神社が勧請されたのは、享保20年(1735年)。

合祀記念碑によれば、もと、宇多津東西両塩田地頭に鎮座していた。
現在地に遷座したのは、昭和9年。


平成23年6月撮影。

塩竈神社参道【宇多津町】~~三大塩業会社1
国登録有形文化財 宇夫階神社神饌殿【宇多津町】

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国登録有形文化財 宇夫階神社神饌殿【宇多津町】

2012-04-16 | 近代建築物(宇多津町)
宇夫階神社神饌殿

宇夫階神社本殿の南隣に神饌殿(しんせんでん)が建つ。
昭和9年築。
国登録有形文化財


神饌殿とは、祭祀の時に神社や神棚に供える供物を調理する場所の事。



平成23年6月撮影。

塩竈神社鳥居【宇多津町】
国登録有形文化財 宇夫階神社神輿蔵【宇多津町】

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国登録有形文化財 宇夫階神社神輿蔵【宇多津町】

2012-04-12 | 近代建築物(宇多津町)
宇夫階神社神輿蔵

宇夫階神社本殿の南に位置する神輿蔵(みこしぐら)だ。
国登録有形文化財。


昭和9年頃築。



平成23年6月撮影。

国登録有形文化財 宇夫階神社神饌殿【宇多津町】
国登録有形文化財 宇夫階神社齋殿(旧東瑞山蓮花院神宮寺庫裡)【宇多津町】

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国登録有形文化財 宇夫階神社齋殿(旧東瑞山蓮花院神宮寺庫裡)【宇多津町】

2012-04-09 | 近代建築物(宇多津町)
宇夫階神社齋殿

宇夫階神社齋殿、社務所に隣接する。
国登録有形文化財。(写真右側の建物)

文政元年(1818年)築、昭和6年(1931年)改修。


当該建物は、もと、宇夫階神社の別当寺であった東瑞山蓮花院神宮寺の庫裡だった。

東瑞山蓮花院神宮寺は、文和年間(1352~56)に僧宥賢の開創と伝えられる。

明治2年の廃仏毀釈により廃寺。神宮寺の仏具、仏像等は本寺である聖通寺に移された。



平成23年6月撮影。

国登録有形文化財 宇夫階神社神輿蔵【宇多津町】
国登録有形文化財 宇夫階神社社務所【宇多津町】

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国登録有形文化財 宇夫階神社社務所【宇多津町】

2012-04-06 | 近代建築物(宇多津町)
宇夫階神社社務所 宇多津町

宇夫階神社社務所、国登録有形文化財。
昭和6年築。



平成23年6月撮影。

国登録有形文化財 宇夫階神社齋殿(旧東瑞山蓮花院神宮寺庫裡)【宇多津町】
宇夫階神社と万葉集~網之浦【宇多津町】

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宇夫階神社と万葉集~網之浦【宇多津町】

2012-04-03 | 町並(宇多津町)
宇夫階神社本殿

宇夫階神社と万葉集、実はかなり深い関係がある。

万葉集第一巻の5首目、6首目に
讃岐國安益郡にいでましし時軍王、山を見て作れる歌

霞立つ 長き春日の 暮れにける わづきも知らず むらきもの
心を痛み ぬえこ鳥 うら泣け居れば 玉だすき
懸けの宜しく 遠つ神 我が大君の 行幸の 山越す風の ひとり居る
我が衣手に 朝夕に 返らひぬれば 大夫と 思へる我れも 草枕
旅にしあれば 思ひ遣る たづきを知らに
網の浦の 海人娘子らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が下心

反歌
山越しの 風を時じみ寝る夜おちず 家なる妹を 懸けて偲ひつ

右、日本書紀を検すに 讃岐國に幸ししこと無し。 亦た軍王未だ詳らかならず。
但し、山上憶良大夫の類聚歌林に曰く、記に曰く 天皇十一年、己亥冬十二月己巳朔壬午伊与の温湯宮に幸す云々 一書に この時に 宮の前に 二つの樹木あり。 この二つの樹に斑鳩と比米との二つの鳥いたく集けり。 時に勅してさわに稲穂をかけてこれを養はしめたまふ。すなわち作れる歌云々。けだし、疑はく、ここよりすなはち幸ししかと疑ふ。

伊予の温湯宮に行幸された天皇は、舒明天皇だ。(舒明紀)
となると、網の浦に行幸された大君もまた、舒明天皇と考えられる。(日本書紀を基本と考えての話だが…)

網の浦ってどこ?そう、宇夫階神社のすぐ東隣接地。

即ち、舒明天皇は、宇夫階神社に参拝された可能性大ということにならないか。

神社の社伝では、津之郷からの遷座とあるが、津之郷は、鵜足郡8郷の一つで、現在の宇多津、丸亀市土器町に比定されている。今も「津ノ郷」として名を残し、現鎮座地も8郷の一つの「津之郷」であり、もとからこの場所にあったのでは?と思いたくなる。万葉の昔から「津ノ郷」が生きているって凄い!

加茂真淵、本居宣長らが、万葉集の「網の浦」は、「綱の浦」で、「ツナ=ツノ郷」に通ずると述べているが、本当に「網の浦」があろうとは思わなかったに違いない。

「網の浦」が、加茂真淵、本居宣長によって論じられているのも何だか嬉しい。


宇夫階神社、網の浦、津之郷…。悠久の歴史を感じるなあ。



平成23年6月撮影。

国登録有形文化財 宇夫階神社社務所【宇多津町】
国登録有形文化財 宇夫階神社本殿【宇多津町】

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