


清少納言は、平安時代の随筆家、歌人として和漢の学に通じた才女である。
金刀比羅宮大門下に清塚があるところから讃岐にも深い縁があった事が伝えられている。
たまたまこの地でこんぴら参詣通過の際、衣を松に掛けて休息されたと云う。何代目かの老松も既に枯死してしまったが、近くの駒止めの石と共にこの地区の人々には才媛への追慕伝承の地として親しまれている。
以上、案内板より。
昭和10年10月に金刀比羅宮社務所がこの石碑を建てた。
約3年越しで、漸く清少納言 衣掛の松跡の石碑、遺跡を確認出来た。
平成25年4月撮影。
参照:清少納言 衣掛の松跡【善通寺市大麻町】
→木熊野神社(旧十二社権現)【善通寺市生野町】
←国登録有形文化財 久米通賢先生旧宅【東かがわ市馬宿】四国村
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