

兵庫県朝来市和田山町竹田にある山城、但馬竹田城。
縄張りは、山の形に制約されて、東西に狭く南北に長い。この形が虎が臥せた姿に似ている為、別名虎臥城ともいう。
織田信長が但馬を傘下に収めると、竹田城に桑山重晴が入った。天正13年、桑山重治が和歌山城に転封すると、播磨龍野より、赤松広秀が入った。赤松広秀は藤原惺窩とも親交あり、民政に励み、領民にも慕われたが、慶長5年関ケ原で西軍に与し後、自刃した。その後、竹田城は廃城。
竹田城より東を見渡せば、赤松氏の城下「竹田」の街が見える。
(『歴史と旅 日本城郭事典 下』、平成6年、秋田書店)参考。
平成28年4月撮影。
→エンジェルロード(天使の散歩道)【土庄町銀波浦】
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