goo blog サービス終了のお知らせ 

讃州菴

讃岐善通寺周辺のちょっと昔を探検してみよう。
善通寺・旧陸軍十一師団・琴平参宮電鉄など。

丸亀城 二の丸井戸

2015-04-12 | 近代建築物(丸亀市)






丸亀城の二の丸井戸だ。
二の丸井戸の深さは、36間(56.8m)もある。

二の丸井戸には、悲痛な伝説が残っている。

丸亀城の石垣を築いたのは、山崎家治の家臣羽坂重三郎である。羽坂重三郎は、那珂郡苗田村の人で石工の名人と謳われていた。山崎家治が石垣修築工事の際に「よもやこの石垣を登る者は誰もいないであろう」と告げたところ、羽坂重三郎は、「私に一尺程の鉄棒を持たせて下されば登ってみせます」と申し出た。そしてその言葉どおりするすると石垣をよじ登った。

山崎家治は、これを見て驚嘆し、もしも羽坂重三郎が敵方に回ったらそれこそ一大事と考え、羽坂重三郎に城内の井戸を探らせ、隙をみて上から石を落とし、生き埋めにしたという。

羽坂重三郎は、石垣だけでなく、丸亀城の構造をも手掛けた人物とも謂われている。


『新修 丸亀市史』(昭和46年、丸亀市)参考。




平成26年5月撮影。





丸亀城三の丸
丸亀城二の丸



お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。
下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。

人気ブログランキングへにほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 香川 その他の街情報へにほんブログ村 歴史ブログ 近代 明治・大正・戦前へにほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 香川情報へ

丸亀城二の丸

2015-04-10 | 近代建築物(丸亀市)




丸亀城の二の丸だ。
二の丸の広さは、東西37間、南北41間半(東西66.6m、南北74.3m)。

木々が繁り、心地よい。




平成26年5月撮影。





丸亀城 二の丸井戸
丸亀城天守閣からの景色



お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。
下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。

人気ブログランキングへにほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 香川 その他の街情報へにほんブログ村 歴史ブログ 近代 明治・大正・戦前へにほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 香川情報へ

丸亀城天守閣からの景色

2015-04-09 | 近代建築物(丸亀市)




丸亀城天守閣より下を見たところ。
さすが丸亀城です。辺りに高い山が無いので、一面見渡す事が出来る。
裏返せば、平地からは、天守閣がどこからでも見えるという事。

香川県特有のおむすび山(平野に突然三角山)に雄大な石垣を擁した近代的城郭。
丸亀城はいつ見ても良い。




平成26年5月撮影。





丸亀城二の丸
JR善通寺駅から見た満開の桜
重要文化財 丸亀城天守閣内部



お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。
下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。

人気ブログランキングへにほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 香川 その他の街情報へにほんブログ村 歴史ブログ 近代 明治・大正・戦前へにほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 香川情報へ

重要文化財 丸亀城天守閣内部

2015-04-01 | 近代建築物(丸亀市)






丸亀城天守閣内部は、第一層内側20本、周囲30本の計50本、第二層は内側14本、周囲21本の計35本、第三層内側2本、周囲14本の計16本の柱が建てられている。用材は、栂を主とし桧と松を混用している。

昭和25年より開始された丸亀城天守閣解体修理で、昭和35年、第三層の壁の中から「万治三年」と墨書した板札が発見された事によって、寛永19年に山崎氏により着工された丸亀城が万治3年に京極氏により完成された事が判明した。




平成26年5月撮影。





栗林公園 春のライトアップ2015 その1
丸亀城天守閣からの景色
重要文化財 丸亀城天守閣



お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。
下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。

人気ブログランキングへにほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 香川 その他の街情報へにほんブログ村 歴史ブログ 近代 明治・大正・戦前へにほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 香川情報へ

重要文化財 丸亀城天守閣

2015-03-26 | 近代建築物(丸亀市)






天守は、広さ二反二畝の本丸の北側西寄りに建てられた。
基礎は、地元の花崗岩や安山岩を用い、高さ六尺の石組み。広さ五間×六間。
屋根は、三層三重で南北棟の入母屋造本瓦葺。
破風は、一層の屋根に南北両方に唐破風、二層の屋根に東西両方に千鳥破風。
軒廻りは、塗籠めで波形軒。
最下層の壁には、東南北の三方に腰羽目を廻らし、入り口は、もと南側にあったがのち、西側に変更した。
内部には、石落し・狭間・武者窓の他は何の装飾も無いが、頗る堅固に軍の事一点張りの構造。
戦国時代から江戸安定期にうつる過渡期の寛永時代の代表的天守である。

山崎時代には、天守は完成せず、京極高和の万治3年(1660年)天守閣が完成した。



以上、『新修 丸亀市史』(昭和46年、丸亀市)参考。




平成26年5月撮影。





重要文化財 丸亀城天守閣内部
第31回マルナカ・S&B杯ちびっこ健康マラソン(県立丸亀競技場)
丸亀城は螺旋式の平山城



お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。
下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。

人気ブログランキングへにほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 香川 その他の街情報へにほんブログ村 歴史ブログ 近代 明治・大正・戦前へにほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 香川情報へ

丸亀城は螺旋式の平山城

2014-09-14 | 近代建築物(丸亀市)


丸亀城は、城郭の殆んどが山崎時代に完成した。
大手門からぐるぐる廻りながら天守閣へ登るようになっている。
螺旋式の築城法が特長である。
立地条件の良い標高66.6米の自然の亀山を利用しており、一見山城とみられるが、築城様式は平山城に属している。

以上、『新修 丸亀市史』(昭和46年、丸亀市)参考。




平成26年5月撮影。




十五夜うさぎ と ことちゃん(琴電琴平駅)
重要文化財 丸亀城天守閣
宇宙学校・まるがめ
丸亀城 三の丸からの風景





お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。
下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。

人気ブログランキングへにほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 香川 その他の街情報へにほんブログ村 歴史ブログ 近代 明治・大正・戦前へにほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 香川情報へ

丸亀城 石垣の美(三の丸)

2014-08-17 | 近代建築物(丸亀市)








丸亀城 三の丸の石垣。

西讃5万石の大名として封された山崎家治。
5万石とは思えぬほど立派な石垣。

日本一高い石垣と云われる丸亀城。

三の丸石垣だけで高い部分は、22mある。




平成26年5月撮影。




丸亀城 三の丸からの風景
丸亀城 石垣の美





お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。
下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。

人気ブログランキングへにほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 香川 その他の街情報へにほんブログ村 歴史ブログ 近代 明治・大正・戦前へにほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 香川情報へ

丸亀城 石垣の美

2014-08-09 | 近代建築物(丸亀市)




丸亀城の石垣はいつ見ても美しい。
その石垣を築いたのは、築城の名手、山崎家治。

緩い扇の勾配をした石垣を築いた。

清正流の三日月形とも謂われている。




平成26年5月撮影。




丸亀城 石垣の美(三の丸)
丸亀城 見返り坂と石垣





お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。
下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。

人気ブログランキングへにほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 香川 その他の街情報へにほんブログ村 歴史ブログ 近代 明治・大正・戦前へにほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 香川情報へ

丸亀城 見返り坂と石垣

2014-07-31 | 近代建築物(丸亀市)


丸亀城 見返り坂を山上より振り返ってみたら結構な急坂。
そして、石垣がその姿を現すのである。




平成26年5月撮影。




丸亀城 石垣の美
丸亀城 記念碑~織豊期の京極氏





お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。
下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。

人気ブログランキングへにほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 香川 その他の街情報へにほんブログ村 歴史ブログ 近代 明治・大正・戦前へにほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 香川情報へ

丸亀城 記念碑~織豊期の京極氏

2014-07-12 | 近代建築物(丸亀市)


丸亀城見返り坂を昇っている途中に丸亀藩主京極氏を讃える記念碑がある。

次は、織豊期の京極氏について

禅林公(京極高吉)の長子、泰雲公(京極高次)は、
幼き時は織田信長へ人質として出された。
天正元年には、織田氏に従い宇治槙島にて足利氏を攻め、天正18年には羽柴氏に従い小田原にて北条氏を伐った。その戦功により、近江八幡を賜った。文禄4年には加封され大津を賜った。関が原の戦いでは、徳川氏に款(よしみ)を通じ、西軍の大軍を大津城にて足止めし、その大功により、若狭一国を賜り小浜に入封した。

泰雲公(京極高次)の長子、玄要公(京極忠高)は、出雲・隠岐を賜ったが、死後、無嗣断絶に陥った。領地没収になるところであったが、京極高次の勲功により、玄要公(京極忠高)の甥である徳源公(京極高和)が嗣ぎ、寛永14年、播磨龍野に入封した。万治元年には、讃岐丸亀へ移封された。

記念碑より




平成26年5月撮影。




丸亀城 見返り坂と石垣
丸亀城 記念碑~京極氏の出自





お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。
下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。

人気ブログランキングへにほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 香川 その他の街情報へにほんブログ村 歴史ブログ 近代 明治・大正・戦前へにほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 香川情報へ