天守は、広さ二反二畝の本丸の北側西寄りに建てられた。
基礎は、地元の花崗岩や安山岩を用い、高さ六尺の石組み。広さ五間×六間。
屋根は、三層三重で南北棟の入母屋造本瓦葺。
破風は、一層の屋根に南北両方に唐破風、二層の屋根に東西両方に千鳥破風。
軒廻りは、塗籠めで波形軒。
最下層の壁には、東南北の三方に腰羽目を廻らし、入り口は、もと南側にあったがのち、西側に変更した。
内部には、石落し・狭間・武者窓の他は何の装飾も無いが、頗る堅固に軍の事一点張りの構造。
戦国時代から江戸安定期にうつる過渡期の寛永時代の代表的天守である。
山崎時代には、天守は完成せず、京極高和の万治3年(1660年)天守閣が完成した。
以上、『新修 丸亀市史』(昭和46年、丸亀市)参考。
平成26年5月撮影。
→重要文化財 丸亀城天守閣内部
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