御舘神社古墳1【善通寺市】 2011-04-24 | 遺跡・古墳 善通寺市善通寺町、御舘(みたち)神社境内にある御舘神社古墳だ。 境内で見える墳丘部分だけでは、全体像は判らないが、平成4年に善通寺市教育委員会が行った発掘調査により、直径25.4m、高さ3.5m程の円墳(古墳時代初期)であると考えられている。 平成5年撮影。 →御舘神社古墳2【善通寺市】 ←御舘神社本殿【善通寺市】 お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。
吉田八幡神社古墳跡【善通寺市】 2011-04-11 | 遺跡・古墳 善通寺市下吉田町、吉田八幡神社境内に吉田八幡神社古墳があったのだろう。 前方後円墳であったと伝えられる。 当地域は、吉田八幡神社を東端とした広域な九頭神(クズガミ)遺跡に属する。 九頭神遺跡は、昭和62年・平成6年に発掘調査が実施され、弥生時代の遺跡である事が判っている。 平成23年2月撮影。 →吉田八幡神社の森【善通寺市】 ←吉田八幡神社【善通寺市】 お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。
発掘された日本列島2010&香川の発掘最前線 2010-12-20 | 遺跡・古墳 発掘された日本列島2010&香川の発掘最前線へ行った。 香川県立ミュージアムにて、平成22年12月23日まで開催されている。 香川の発掘最前線コーナーのうち、善通寺市内関係では、 旧練兵場遺跡・我拝師山(銅鐸)・菊塚古墳の出土品が展示されていた。 写真は、菊塚古墳出土品の一部。 貴重な文化財を是非、見に行くべし。写真撮影OK。 平成22年12月撮影。 →琴平参宮電鉄 善通寺・琴平線(岩崎隧道) ←帝国在郷軍人会善通寺町大麻分会大麻上支部跡 お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。
3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷6(平成22年) 2010-07-10 | 遺跡・古墳 善通寺市、国指定史跡有岡古墳群、野田院古墳(3世紀後半築)を前方部から望む。 後円部近くに展望台が設けられ、古墳を一望できる。 平成22年3月撮影。 →栄町 その1へ ←3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷5へ お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。
3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷5(平成22年) 2010-07-09 | 遺跡・古墳 野田院古墳(3世紀後半築)の全景である。 前方部は盛り土で、後円部は積石で築かれている。 平成6年当時は、まさかこんな立派な前方後円墳とはつゆ思わなかった。 平成22年3月撮影。 →3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷6へ ←3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷4へ お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。
3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷4(平成11年) 2010-07-08 | 遺跡・古墳 野田院古墳が築かれた3世紀後半といえば、中国の魏呉蜀の三国時代末期、日本の卑弥呼死後の倭国大乱の時代。どちらにせよ野田院古墳は、前方後円墳が出現して間がない頃に築かれたのだから凄い。 平成11年2月撮影。 →3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷5へ ←3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷3へ お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。
3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷3(平成11年) 2010-07-07 | 遺跡・古墳 善通寺市、国指定史跡有岡古墳群の野田院古墳(3世紀後半築)の整備事業が始まったのは平成9年からだったと思う。 野田院古墳は、善通寺市デジタルミュージアムによると「全長44.5mの前方後円墳です。前方部は長さ23.5m×最大幅13m×高さ約1.6mで、盛り土をした後に表面に石を置き、後円部は直径21m×高さ約2mで石だけを積んでつくった「積石塚」になっています。」 平成11年2月、後円部撮影。 3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷4へ 3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷2へ お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。
3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷2(平成6年) 2010-07-06 | 遺跡・古墳 善通寺市、野田院古墳(3世紀後半築)の石室内部である。今では古墳周辺に柵が廻らされており、直接触れたり、内部を見ることはできない。 3世紀後半築という前方後円墳発生期の古墳であることに興味を惹くと共に、ここが弘法大師空海の氏祖讃岐佐伯氏の本貫地であることから関心は尽きない。 平成6年6月、後円部石室内撮影。 →3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷3へ ←3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷1へ お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。
3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷1(平成6年) 2010-07-05 | 遺跡・古墳 善通寺市には国指定史跡である有岡古墳群がある。 王墓山古墳・磨臼山古墳・宮が尾古墳・鶴ヶ峰四号墳・野田院古墳・丸山古墳の計6基が国指定を受けている。 野田院古墳(のたのいん)は、讃岐平野の最高峰大麻山(おおさやま、616m)の中腹(405m)に位置する。テラス状平坦部の非常に高地にある古墳として知られている。香川県一であるのはもちろん、四国一高所にある前方後円墳である。 今でこそ、古墳公園として整備されているが、つい最近まで墳丘上に雑草が生い茂っていた。 因みに「野田院」とは、中世この辺りにあった寺院の名と謂われている。 平成6年6月、後円部撮影。 →3C後半築造の積石塚前方後円墳 野田院古墳の変遷2(平成6年)へ ←重要文化財 金刀比羅宮旭社(旧金光院松尾寺金堂)へ お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。
四国学院大学構内遺跡 2010-03-16 | 遺跡・古墳 四国学院大学構内遺跡を北西に望む。 住居跡はいずれも一辺平均6.3mの四角形。 製鉄時に用いられる鞴(ふいご)の一部などが出土した。 平成14年撮影。 →旧陸軍第十一師団騎兵第十一連隊本部へ ←「佐伯直」と「和気公」の関係へ お読み下さり、ありがとうございます。ブログランキングに参加しています。 下のボタンのどれか一つ押して下さればとても嬉しいです。