今般の金融崩壊は
只、単にひょんなヘマから事態を深刻にしたなどと言う
夢想は受け入れるわけにはいかない!!
その理由とは、素人でも分かる無謀な金融小細工、あきれた金融派生商品(バーチャルリアリティー商品)、博打家もあきれるオッズ《レバレジッジ(テ コ)》。それを、金融という美名で実体経済GDPの数100倍もの規模で、バーチャルマネーが世界を巡る。これは全くの賭博場である。
<カリフォルニアの山火事(但し、去年):記事に無関係>
それを金融資本主義などと言って後生大事に持ち上げるのは、経済学者の名をかたる闇金融策士と大差がない。グローバル経済という実態が、その本質におい
て、金融資本主義にあるというなら、これは罠である。そして、そのグローバル経済の中で、企業が金融市場において熾烈な競争を繰り広げているなどと言う妄
想は、特に竹中平蔵ごときグローバル経済学者の説は、罠に追い込めるプロパガンダ以外何ものでもない。企業活動を投機市場に投げ入れて、絶え間のない不安
定の基礎の元に置こうとする罠である。
物の価値を通貨という手段を仲立ち
として、円滑に交換する発明には効用がある。しかし、その通貨を、いわゆるマネーとしてそれ自体が独自の価値を主張するに至ったことは異議を感ずる。その
マネーのサプライ(供給)権が、得体の知れない銀行という金融業者に委ねられたことにさらに異議を感ずる。さら
に又、サプライ指数が準備率という任意の倍率でもって、増減出来ることに異議を感ずる。そもそもそこに信用創造というマジックが始まった。信用創造があれば、信用収縮がある。つまり、架空のマネーが経済を自在に操るという構造が出来上がったのである。
<カリフォルニアの山火事(但し、去年):記事に無関係>
これは、供給するマネーが現今の10倍であれば、10倍のバブル経済を表出するのである。それは一見多大の景気を喚起するかも知れないが、10倍
のツケを後代に積み残すことでもある。それはさらに10倍の経済の拡大を持って帳消しになるかも知れないが、その循環は止まることはない。やがて、膨れるだけ膨れたバブルは破裂する。これは猫でも分かる。
そして、そのサプライマネーには、ことごとく利息が付与される。その利息は、得体の知れない銀行の懐に入る。銀行は際限なく肥大化する。肥大化した銀行
は、その元本を保全する手段として、コマーシャルペーパー(CP=証券)として、第二のマネーを創造して、金融市場を創設し、第一のマネーを吸収する。さ
らに第三、第四のマネーを考案し、市場化する。これが担保証券その他のデリバディブ(金融派生商品)である。市場はその活性化の手段として、オッズ
(レバレッジ)を高くして、射幸心を煽る。これは何を意味するか。
(ここで言う、銀行とはマネーサプライ権を持つ銀行のことで、一般の銀行ではないが、その総称でもある。)
<カリフォルニアの山火事(但し、去年):記事に無関係>
誰が考えても分かるであろう。最終的に富はマネーサプライ権を持った銀行に集まり、その余はバブルが破綻すれば、ツケだけが残る仕組みではない
か。これが、金融資本主義の根幹である。これを詐欺と言わずして何というか。結局、全ての富を収奪し、経済的支配権を得る仕組み、これが現今の資本主義経済の本質がある。
そうではないというのなら、是非、その本質においてそうではないとの証明をしてほしい。
結局、どんなにバブルが弾けても、その根幹であるところのマネーサプライ権を持つ者は損はしていない事に気が付く。紙くずを掴まされた者が、損をしたのであって、それは最初にサイコロを振り出す胴元は損をしない仕組みがかいま見える。
<カリフォルニアの山火事(但し、去年):記事に無関係>
富とは何か。日々生み出される製品、価値、サービスを言う。このようにして、この富は不断に循環しながら、最終的には一カ所に吸い上げられるので
ある。定期的にこの作用は働く。今回の金融崩壊も、基本的には何ら変わるところがない。そこで、さらに救済処置として、多大の公的資金が投入される。これらはさらに次代のツケである。
(断っておくが、これは原理的な説明であり、解析である。ツケと言うからには、国債かその他の債権かなどという、形式論ではない。論点を歪曲しないで頂きたい。)
そもそもマネーは、交換の手段として存在するのか、富の尺度として存在するのか。その両方であるが、現在は富の尺度と言うよりも、富の手段として存在して
いる。もっと、細かく言うならば、富を増やすための手段として機能し始めたことがある。それは利息である。もう一つは、為替取引と為替差損であ
る。勿論、マネーそのものは富の象徴であることに変わりがない。
マネーがマネーを生む仕組みの原点がそこにある。同時に、マネーが富を失う仕組みもそこにある。つまり、マネーが投機性の上に立って、一時たりと
て、
安定することはないのである。そして、それはマネーが支配する経済とマネーを絞り、拡散する仕組みがそれを助長する。マネーサプライ権である。準備率制度
である。それに基づく信用創造であり、信用収縮である。さらに、第二第三のマネーを生み出すコマーシャルペーパーの金融工学である。
誰にその権限を与えたか。銀行にである。銀行はマネーを自由に手繰り、ある時には景気を煽り、ある時には一斉に収奪し、富を支配し、コントロールすること
が可能となった。そして、その権限は、いつの間にか実質一部の勢力に手の内に集約されている。これは事実である。一旦集約され握られた権限は、うまくカモ
フラージュされ、恰も、国家の法律に従って運用されているように装いながら、実は、そうではない。マネーが国家を、法律を越えて一人歩きをし始めた。言い
換えれば、マネーが巧妙に世界を支配し始めた。と言うことは銀行が世界を支配しているのである。
<カリフォルニアの山火事(但し、去年):記事に無関係>
どんなに金融恐慌が叫ばれようとも、失われた世界の富は銀行に吸収されている。恰もブラックホールのように銀行引き込まれていく。一般の銀行・証
券・
保険会社がその為に潰れようとも、企業が破綻しようとも、最終的には銀行の中の銀行、金を生み出す銀行に吸収されていく仕組みがある。最終的には、公然と
世界は一つの銀行に統一されるであろう。そして、銀行によって制御される政府に統一されるであろう。その政府の元に、軍事も警察も行政もそして司法も統一
されるであろう。それが世界統一政府の目論見である。
それは許されない。それを唯一防ぐことの出来る方法は、マネーからの離脱、現在のマネーからの離脱、もしくは新たな経済制度の構築以外、根本的な解決はない。