へびのように賢く、はとのように素直であれ

いつの頃か、偽善が世の中に満ちている。偽善は見破らなければならない。へびのように賢く、はとのように素直でありたい。

「終わりのとき」へのサタンの計画!!③

2008-12-31 23:07:20 | Weblog
「終わりのとき」へのサタンの計画!!第3弾

  今年も、もうあとわずか。始まりの年の終わり。悪い情報は、さっさとお浚(さら)いするに限る。陰謀論と言われようが、なんと言われようが、悪の陰謀は実 在する。コンスピラシー(陰謀・共同謀議)は存在する。コンスピラー(conspiracy共同謀議)が存在しなければ、刑法上の共同共謀正犯は成立しな い。最近はやりの共謀罪等というモノは必要でない。
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  <ブルーホール:記事に無関係>

 
世界の情勢は、 悉(ことご)く陰謀によって、作られてきた。陰謀論を攻撃するのは、あまりに図星されるのは都合が良くないからである。陰謀論にもいろいろある。中には 『陰謀論』という傘の下で、勝手な憶測を誇張するやり方である。それは、一つは情報攪乱である場合もなるが、便乗商法も少なくない。それらを抜きにして も、陰謀は存在する。


 さしあたり昨今の陰謀は、イスラエルを戦争に駆り立てる企てであ る。ハマスはイスラエルが作った自作自演のテロ組織である。ハマスすべてを自作自演組織と言うのではない。その中核と細部にモサドが暗躍しているのは疑い がない。組織内組織を構築して、工作するのは諜報活動の常套手段だ。だから、ハマスの兵士は、首にダビデの星をあしらっているのだ。

 ムンバイが手始めなら、アテネの暴動は、世界に波及するであろう。理由などどうでも良いのである。とにかく、騒擾を起こす必要があるのだ。そこで無垢に犠牲者が当然出る。そんなこと眼中にない。心して、惑わされてならない。

 考えても見られたい。あのアデンの海に海賊が出るからと言って、何で世界の海軍が集結必要があるのか。インド洋の給油にしても同じである。あれは
ライス(国務長官)石油販売の片棒を担いでいるに過ぎない。その証拠に、アフガニスタンのヘロインは増産され、戦局は悪化し、インドとパキスタンはテロが続発している。


 医学が進歩すれば、病が減らなければならない。同じように、治安維持活動が推進されれば、治安は安定するのが順当であろう。そうでないのは、一つのマッチポンプであるからだ。そう、現代医学も、陰謀だ。

 方や、騒動を起こし、方や、取り締まる。消防士が放火して廻る、出動して消火活動をする。愉快犯でそういうのがいたが、それと同じだ。本質は同じだ。愉快犯ではなく、それがコンスピラシー(conspiracy共同謀議)であるところが違う。

  オバマは、ゴザに暴動に静観した。何を意味するか。ライスは、これまでの予定稿を読み上げ、ハマスを非難した。今、イスラエル軍は戦闘準備態勢を整え、地 上軍を展開する構えだ。32ドルの原油が、少々値上がりした。なんとしても原油価格を引き上げなければならない。金融崩壊の準備は整った。残す
は、エネルギー支配と食料支配の完成だ。そして、騒擾カオスオペレーションを引き起こす。


 そういう思いをひしひしと感じる。

【転載開始】 
「終わりのとき」へのサタンの計画2631162710102347975s600x600q85

<ブルーホール:記事に無関係>
http://homepage2.nifty.com/elienay/index22.html


 近代主義の反宗教思想は、神やキリストに反するというよりはむしろ当時のキリスト教の不純な部分をふるい落としている面もあり、本来的なキリスト教を引き出している面もある。それに対するカトリック教会の態度は常軌を逸しているというほかない。

  
 こうした歴史の流れの裏面で、ロシアのメーソンの指導者であったモスクワ大学教授のコワレフスキーは1887年、パリ滞在中に同志と共に「コスモス」
ロッジを創立。1906年にモスクワとペテルブルクにメーソン支部ロッジを設立し、同年にそれを地盤として国会議員に躍り出る。彼の布教により国会議員、
将校、学者、市民が次々にメーソン化していき、1916年には大東社系だけでも50以上のロッジができた。ロシア最後の皇帝ニコライ2世の時代には、国会
議員のほとんどがメーソン化していた。
   
  こうして1917年、2月革命で帝政は倒され、ケレンスキー政府が樹立される。その政府も10月の協賛革命で倒されるが、革命を指揮したレーニンやトロツ キーも、メーソンの援助でロシア革命を達成したのである。彼らのやり方は、対立する双方に武器や資金を調達し、次第に世界変革という目的を実現させるので ある。
     私たちは「ロシアの共産主義革命が成功したのは、帝政に反感を持つ農民たちの支持があったからだ」と教えられているが、このようにして歪曲した歴史を百科辞典や学校教育を利用して世界中に普及させているのも、彼らである。

 レーニンとトロツキーは、皇帝が退位してケレンスキー政府が樹立してから、しばらくの間、ロシアを離れている。その間、レーニンはスイスに滞在し、トロ
ツキーはニューヨークで記者生活をしていた。その間、2人はロックフェラーとつながりの深いドイツ人のマックス・ワールブルクと、アメリカ人のパウル・
ワー ルブベルの資金援助を受けながら、共産主義革命の準備を着々と進めた。そして、革命の準備が整うと、トロツキーはカナダ経由でアメリカからロシアに帰り、 レーニンは名高い封印列車でチューリッヒからドイツ経由でペテルブルクに送り込まれた。その後、2人は協力して賄賂、陰謀、テロなど、ありとあらゆる手段 を用いてペテルブルクの支配権を握った。

  
 その後、ソ連のペレストロイカ、ベ ルリンの壁崩壊、東ヨーロッパの民主化、EC統一と、東西冷戦の時代の終焉に、世界中が「ついに世界に平和が訪れた」との思いに沸きかえった。もはや核兵 器の恐怖も過ぎ去ったかに思われた。これらを実施したゴルバチョフ、西ドイツのコール首相、フランスのミッテラン大統領は、いずれもメーソン員である。中 でもミッテランはメーソンの「300人評議会」のメンバーである。彼らにより1993年1月1日、ついに欧州共同体
ECが統合された。
   
  EC運動を最初に唱えたのは、オーストリアの政治学者でメーソン員のカレルギー伯爵である。彼はウィーンのメーソン・ロッジ「フマニタス」の主要メンバー で、世界をアメリカ・ブロック、ヨーロッパ・ブロック、イギリス・ブロック、ソ連・ブロック、アジア・ブロックに分けて世界政府を設立するという構想を抱 いていた。
   
 カレルギー伯爵はまずヨーロッパ・ブロックから着手した。チャーチルの支援でこの運動は軌道に乗り、1952年に欧州 石炭鉄鋼共同体(ECSC)、1958年に欧州経済共同体(EEC)と欧州原子力共同体(EURATOM)が設立された。そして、1967年にヨーロッパ 6カ国によるECが発足。その後、6カ国が加わって12カ国の経済統合体となった。そして1986年に「単一ヨーロッパ議定書」が決議され、1992年に EC内の物資・労働・資本・サービスの完全自由化を実現させることが決定した。(旧ソ連は実は世界最大のイスラム国家でもあった。しかし帝政ロシア時代か ら権力者たちは強烈に「自分
たちはヨーロッパ人である」と思ってきた。彼らのヨーロッパ思考はイスラム恐怖症の現れでもある。アフガニスタン紛争が起ったのも、イランで生じたホメイ
ニのイスラム革命の波が自国にまで押し寄せて体制を浸食することへの恐れであった。この視点は「終わりのとき」に重要な意味を持つ)

   
 ちなみに日本のキリスト教は、明治6年(1873年)にキリシタン禁制の高札が撤去されて、文明開化と共に受け入れられた。キリスト教を最初に受け入れ
た のは、薩長中心の明治政府に登用されなかった佐幕派諸藩や維新に後(おく)れをとった諸藩の武士階級出身の青年たちであった。彼らが官途で身を立てるのを あきらめ、洋学を身に付けて文明開化の日本を担っていこうとした際に出会ったのがキリスト教だったのである。植村正久の出た横浜バンド、内村鑑三や新渡戸 稲造の札幌バンド、小崎弘道や海老名弾正らの熊本バンドが最初期の源流であるが、彼らは皆、官途に不遇な武士階級出身の青年たちであった。
     明治から昭和にかけて天皇絶対主義の日本にあって、文明開化の名の下に妥協してきた日本のキリスト教の中にあって、内村鑑三は明治24年に天皇絶対制と衝突し(不敬事件)、無教会主義になった。

  大正時代になると、ロシアの共産主義革命やいわゆるデモクラシーの影響で日本でも社会主義運動が活発となり、日本のキリスト教も個人主義や社会運動に対応 する。個人主義に対応したキリスト者の代表が高倉徳太郎であるが、晩年、うつ病にかかって自殺した。社会主義に対応したキリスト者の代表が賀川豊彦で彼は 神戸新川の貧民窟で伝道を始め、神戸川崎造船所のストライキを指導し、公娼廃止や少年少女保護などに挺身した。
   
 昭和に入り、軍国 主義体制が確立されていき、昭和14年に宗教団体法が帝国議会を通過すると、キリスト教諸教会はこの法律に従って翌15年の奉祝大会を機に合同することに 決め、翌16年に「日本基督教団」を結成した。その翌年の昭和17年には、教団の統理が伊勢神宮に参拝して教団結成を天照大神に報告するという始末であっ た。こうした中で、内村鑑三の弟子であった矢内原忠雄がキリスト教信仰の立場から日本の満州政策や中国侵略を批判して東大教授の職をおわれ、その後も弾圧 に屈せず伝道を続けた。「日本基督教団」には見るべきものは現代に至るまで何もない。【転載終了】


「終わりのとき」へのサタンの計画!!②

2008-12-31 11:47:18 | Weblog
「終わりのとき」へのサタンの計画!!第2弾

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<ダビデの入れ墨を施したハマスのゲリラ:自作自演テロ?!!>

 最新の終わりの日の預言によると、
 平成20年12月28日夜、主はこう言われた。


      「エリエナイよ、彼ら(世の支配者たち)が何をしているか、わたしは見せた。彼らの悪だくみを。彼らはあなたについて、『木をその実の盛りに滅ぼし、生ける者の地から絶とう。彼の名が再び口にされることはない。』と言う。

 わたしは万軍の主。人のはらわたと心をきわめ、正義をもって裁くもの。わたしはあなたに見せよう、わたしが彼らに報復するのを。あなたは訴えをわたしに
任せたゆえに。彼らは言う。『主の名によって預言するな、我々の手にかかって死にたくなければ』と。世の人々は皆こぞって、彼らの力にひざまずいて敬礼し
たが、あなたは彼らにひざまずかず、敬礼しなかった。」

と、ある。 
 
 エリエナイとは『終わりの日の預言』の著者その人である。この連載は、『終わりの日の預言!!⑳最終回』で 終えたが、その後も休みなく、啓示は続いている。その内容は、ある人には、難解であり、ある人には、心琴線を捉える響きを持っている。勿論、投稿者は全体 意味を解し得ない。解し得ないが、その流れが、人の知恵に依らない真理を含んでいると驚きを持って受け止めている。それについて、検証を希望することは誰 でも出来る。公開されているからである。真摯な検証を通じて、議論をするのであれば、喜んで参加を求める。

 何事も、陋習(ろうしゅう=悪い習慣)をもって判断してはならない。素の心で、真偽を判断する姿勢が求められる。

  現在、転載中の『「終わりのとき」へのサタンの計画』は、その預言に基づいて、明らかにされた、あるいはされつつある、隠された真実の顕現であろうと思わ れる。そこが、その他の真実暴露記事とは違う。違うけれども、流石、その他の真実暴露努力は、核心に迫っていると感心し、安心した。

 この中にはないが、聖書の記述について、多くの改変がある。その事も、別稿で明らかにされている。追って転載する予定であるが、これまで抱いて来、理解に苦しむ聖書の謎が明らかにされるのは、良いことである。

 とにかく、旧来の陋習(ろうしゅう=悪い習慣)に囚われて、真実を希求する目を曇らせてはならない。イエスは言っている。

 《マタイによる福音書 / 7章 5節    
偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。》

 同時に、その曇りに乗じて暗躍する、闇の計略を正しく知ることは、聡き人間の使命である。

【転載開始】 「終わりのとき」へのサタンの計画

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http://homepage2.nifty.com/elienay/index22.html

 1800年代、アメリカではユニテリアニズムが隆盛する。これはキリスト教の三位一体論に反対して、神の単一性を主張する立場である。子なる神キリスト
という理解も否定され、人間主義的、博愛主義的なキリスト教がここに誕生する。また、エディ夫人によって「クリスチャン・サイエンス運動」が創設された。
これは神癒(しんゆ)を主張し、病気や苦悩は幻想であると説いて精神治療を行うものである。
   
  1923年にジョージ・ワシントンがフリーメーソンであったことを記念してワシントンに建てられた「ジョージ・ワシントン・メソニック・メモリアルホー ル」には、これらの記録が保存され、メーソンだった歴代大統領の名前も列記されている。メーソンでない大統領は、ニクソンら、数えるほどしかいない。

   
  メーソンはロシア革命にも、大きな影響を果たしている。帝政ロシアにメーソンが入ってきたのは、18世紀初めのピョートル大帝の時代である。自身も英国滞 在中にメーソンになったというピョートル大帝の支援を得て、イギリス人のジェームス・ケイス将軍は、ロシアに着実にメーソンの思想を普及させていった。
     1740年にロシアのグランドマスターになったケイス将軍は、モスクワとペテルブルクを地盤に布教活動を行った。1750年には分散していたメーソン支部を統一するため、モスクワに「ラ・ディスクレシオン」ロッジを設立した。


  18世紀のロシアの女帝エカテリーナ2世も啓蒙思想の影響により自国のメーソンに好意的で、その影響で貴族や軍人の多くがメーソン員になった。しかしメー ソンによるフランス革命で君主制の危機を感じたエカテリーナは、1794年に突然すべてのロッジを閉鎖するよう命じた。帝位を継いだ息子のパーヴェル1世 も1797年にメーソン禁止令を出したが、その3年後にメーソン員ヤシュヴィル侯爵らに暗殺された。
   
 19世紀初頭に即位したアレクサンドル1世は、メーソン勢力が強いポーランドを懐柔するため、いったんはメーソン禁止令を解いたが、メーソンによるイタ
リ ア革命勃発に危機を感じて、1822年に再びメーソン禁止令を出した。しかし1825年12月1日、アレクサンドル1世は謎の怪死をとげ、その1週間後、 「デカブリストの乱」(ナポレオン戦争に出征しメーソン員になった士官らが帝政に反対するロシア内のメーソン結社と結んだ暴動)が勃発。新皇帝のニコライ 1世は武力でこの乱を鎮圧し、翌年の4月にさらに厳しいメーソン禁止令を発令した。
   
 この時期、キリスト教は本格的な反キリスト教 思想に直面していた。啓蒙思想の中心は『弁証法』のヘーゲルに代表されるが、シュトラウスの『イエス伝』(イエスの人格とキリスト教の理念を区別したイエ ス像を論じた)に関する論争から右派・左派・中間派に分かれた。フォイエルバッハは『キリスト教の本
質』の中で、「神は人間の願望の反映である」 と論じた。これがマルクスやエンゲルスに大きな影響を与え、マルクスハ「宗教批判はフォイエルバッハを以って終わった」と言った。マルクスによると、ヘー ゲルの弁証法は観念論の枠内でのことで真の意味での矛盾対立、その止揚になっていないと言う。そして、真の意味での矛盾対立は社会的階級の間のものである とし、『共産党宣言』をエンゲルスと共に起草する。その第1章には、「これまでのすべての社会の歴史は階級闘争の歴史である」と記している。宗教は階級闘 争において常に支配階級によって悪用されてきたとし、「宗教は人民の阿片(アヘン)である」と指摘したのである。
   
 また、デンマー クのキルケゴールも、単なる思弁の世界での弁証法は弁証法の名に値しないと考え、実存主義(人間は未知の世界に、案内者なしに出で立つことができる実存で ある)を主張する。キルケゴールは、主体性によってのみ(客観性を否定してのみ)絶対なる神は人間に知られるものとなり、同時に人間も主体性の喪失された 状態から脱出して本来的な人間になるとし、そしてこれが人間イエスが神の子キリストであるという逆説にほかならないとした。皮肉なことに、迷路に迷い込ん でいたキリスト教は彼によって近代神学の活路を見出す。しかし、この思想は教会に対して徹底的に批判的であった。その後、ショーペンハウエル、ベルグソン ららがキリスト教に対して批判的な哲学を展開するが、特にニーチェは反キリスト教思想を徹底した。
   
 ニーチェは、キリスト教が伝統 的に神に対して人間を「奴隷の道徳」で縛り、生を弱体化させ、彼岸の天国という妄想に憧れさせて、現実世界に否定的にさせたとした。しかし神に対するとら われを人間の心から追放することは不可能である。だから積極的に神を殺してしまわなければならない。そして「神は死んだ」と宣言した。しかしこのことは、 人間が宇宙の中で、神なしに孤独に生存していかなければならないということである。そこで立ち現れるのが「超人」である。ニーチェは晩年、発狂するが、そ の思想はナチスに利用された。
   
 そしてキリスト教に大きな衝撃を与えたのがダーウィンの『自然淘汰による種の起源』である。彼の、 適者生存と自然淘汰を骨子とした進化論は、人類や生物の起源が数千年前に神によって創造されたものだというキリスト教の創造論的宇宙観を覆した。ダーウィ ン自身は「進化は創造主の働きである」と言っているが、反キリスト教思想に大いに利用されることとなった。
   
 こうした近代思想をカ トリックは徹底的に否定した。1864年には回勅『クァンタ・クーラ』を発布して、共産主義・社会主義・自然主義など一切の近代主義的思想を否定する。し かし、1870年にイタリアが統一され、ローマがイタリア王国の首都になって、教皇の俗権掌握は終わりを告げた。これに抵抗してカトリック教会は 1869~70年にヴァチカン総会議を開き、教皇無謬説を教理として制定する。これは教皇が「教皇の座」から発した決定は、それ自体におい
て不可謬である(絶対に間違いがない)とする教理であるが、もはや空しいだけであった。1871年、イタリア国会は教皇の身分を保証する法律を通過させ
て、教皇に主権者たる地位・外交交渉権・325万リラの年金を保証した。それに対して教皇ピウス9世はイタリア王を破門し、同法を認めず、ローマ教皇が
ヴァチカンから外に出ない状態が続いた。
   
 
カ トリックの中にも近代的学問に対して開かれた人々はいて、聖書の批判的研究や、教理の発展についての歴史的考察を行っていたが、カトリック教会はそれをす べて異端とし、教皇ピウス10世は1907年の回勅『パスケンディ』で、彼らを破門した。1910年にはカトリックの聖職者から近代主義に反する誓約
書を要求。ピウス11世は、回勅『フマーニ・ゲネリス』によって進化論を攻撃し、1950年には聖母被昇天の教義を宣言した。これは聖母マリアは死後、霊
魂だけではなく肉体をもって昇天したという教義である。
     1929年、ローマ教皇とイタシア王国との間にラテラノ協約が結ばれ、ヴァチカン市国が成立した。【転載続く】


資本主義経済の終焉!!⑬

2008-12-31 11:36:16 | Weblog

資本主義経済どうのこうのよりも、
所詮、インチキ、詐欺、カラクリがまかり通っていることが、
最大問題だ!!


 かつて、BIS規制という問題が世相を、取りわけ、銀行を震撼させた。日本経済バブル後の時期であったかと思う。BISとは、国際決済銀行の略で
ある。そのBISに於いて、もっぱら、国内取引銀行は、自己資本比率4%、国際取引銀行においては、同8%以上と規制された話である。

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<ロシア中銀が事実上のルーブル切り下げ、今月8度目>


  当時、そういうものかな?、と言うぐらいの認識であったが、よくよく調べていくと何の根拠がないことが、判明した。その証拠に、今般の米国金融崩壊の発端 となったサブプライムローン発端時に、米国は、国内銀行に限って、その規制をいち早く撤廃したからである。何のための規制か、いぶかしく思ったのも、つか の間、今度は、勝手に100日ルールとか作って、時価会計資産評価を繰り延べた。その為に、本来、サブプライムローン問題は、本来の暴発時期を2007年 3月から、6月へ、さらには9月まで引き延ばして、調整崩壊させたことになる。

 結局、規制だとか、ルールだとかいうモノは、その根拠を問えば、公正に照らして、意味がない。有るのは、ご都合に依っている。つまり、何とか現在の経済体制の齟齬(そご=くいちがい)を繕う都合である。

  資本主義経済は、別名でいうと、マネー投機経済の様相を呈してきたことは疑いをぬぐい去れない。生産する、流通する、サービスを活発化するという本来の経 済(実体経済)を活性化すると言うよりも、マネーがマネーを生み出す投機活動が、その大半を占めるようになったからである。金融工学という、大層な架空投 機市場が創設されて、マネーというマネーがそこに注ぎ込まれてゆく。

 本来の拡大再生産の 資金需要とは、全くかけ離れた莫大な資金が信用創造され、実際の資金需要とは別に、バブル化した資産が想定され、企業そのものが商品のように売り買いされ ていく。その売り買いによって、実体経済の資金繰りは無視され、企業買収利益とその資産価値がコマーシャルペーパー化され、資金調達される。
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<GMAC、TARPから60億ドルの融資申請か=クレジットサイツ>

 企業経営は、その経営そのもの手腕を問われるのではなく、企業資産価値の創造に費やされ、ある物は買収され、解体される。解体された部分は、スク
ラップされ、二束三文で捨て去られる。本体部分は、効率化され、最大限の人員削減と、労働集約化を図る。巷には、失業者の山である。市場原理主義の正体である。


 しかし、しばらくは証券バブルを呈するから、一部の成金投資家が量産される。企業活動に全く関与しない博徒の輩である。生産性は一時的に向上したかに見えるが、バブルは必ず弾ける。

  バブルが弾けると、時価会計資産は暴落する。一気に効率化された企業価値も、合わせて暴落する。資産バブルによった高収益決算会計は、一気に大幅損失、破 綻決算会計に化ける。その為に、その綻びを繕うために、規制を変え、新ルールを設定するのである。それは、単なる時間稼ぎに過ぎない。

 どこに、公正を見いだすことが出来ようか。

 時価会計という会計基準を考案したのも、元々は何の必然性はない。M&A(企業買収)をし易くするためであり、バレッジド・バイアウト<LBO
(leveraged buy-out)=買収対象企業資産を担保とする企業買収>のためであり、三角合併もそのうちに含まれるだろう。その目的のための方策に過ぎない。


 要は、民の生業を基本とするあらゆる産業を、投機の市場に載せ、不安定をテコに自由に支配する手段として考案されている。規制、ルールに何の公正も正義もない。あるのは資本主義経済という大義名分で、賭博場の胴元が定めた『ぼったくり』の為のルールである。

 ここで気づくことは、はたして、誰が儲かり、誰が損をしたか。一目瞭然である。高値売り逃げした物が儲かり、高買いで暴落に憂き目にあった者が大損をしたのである。これは、賭博詐欺である。最後に勝つのは、賭博場の胴元と、そのインサイダーである。

 こうして、資本主義経済は投機(賭博)経済に堕落することによって、終焉を迎えることとなった。この構図は、ほんの一握りの専門博徒が、過半の利益を得、追従したチンピラ博徒が、なけなしの金を擦り(すり=なくすこと)、まじめな労働者が寒空で飢える構図である。
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<11月完全失業率は3.9%、短時間就業者など増加を注視>

  BISはBank for International Settlementsの略で、国際決済銀行である。元はと言えば、ドイツの敗戦賠償金の決済銀行であった。所詮は、ぼったくり銀行である。その銀行が、 規制する意味が分かるであろう。いかに世界の富をぼったくるかを目的としている。その銀行は、かつては日本の標的にし、バブルを崩壊させ、資産を暴落さ せ、銀行を潰した。そして、ハゲタカの餌食を提供したのである。

 所詮は、インチキなのである。やることなすことインチキ、詐欺、カラクリのオンパレードなのである。その事が証明されたのが、今回の金融恐慌である。

 資本主義経済といえども、その公正さと節度有るルールが確立されていれば、まだ、許される。信用創造という拡大再生産の手法も、物質文明の起爆作用としての功利はある。誰しも多くの人々は、それを信じ、願ってきた。今も、それに一縷の望みを託している。

 しかしながら、これは罠であった。世界経済を牛耳る国際金融資本の罠であった。その証拠に、国際金融資本の息の罹ったアナリストは、過去に於いて、今日の今日まで楽観論しか発言していない。それは、おこぼれに預かろうとしたからである。

 所詮は、投機であるから、賭場であるから、崩壊する時期が重要である。崩壊し、注ぎ込まれた富が最大限に達した時、市場を閉鎖する。即ち、賭博場を閉鎖するのである。その時を虎視眈々狙っている。

 今は、その走りである。崩壊を危惧し、右往左往しているこの時、救済と称してあらゆる資金が注ぎ込まれる。これからである。注ぎ込まれるだけ注ぎ込まれた時、あらゆる国家は、債務超過に陥る。債権者は誰か。賭博場の胴元、その仕掛け人=国際金融資本である。

  その時、登場して、デフォルトを受け入れる替わりに、金融統制をかけるつもりだ。経済支配が完成する。その時、すべての取引は停止される。証券の電子化は 完成寸前だ。ネットの寸断で、情報は隠蔽される。その時、資産の勘定は恣意的に操作される。莫大な国家負債と電子化された証券情報。国家は負債のために、 債権者の言いなりになる。国家は電子化された証券保有者に、踏み絵を課す。従順である者とそうでない者は振り分けられる。

 ファシスト体制の経済的側面の完成に向けて、動きが始まった。

飯島愛さんの死!!

2008-12-30 09:21:45 | Weblog

人は気づきが大切だ!!
気づくために、人生がある!!
その為に、あえて掲載する!!


 縁あって、情報に接したので、評論を抜きにして掲載することとした。聡き者は気づくであろう。
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 今生を、価値あるモノにするか、先送りにするか。それは、自身の気づきと選択に係っている。
Crm0812251532020p6

 生命は永遠だが、今生は一度しかない。

木村 藤子(霊能者)さんと飯島 愛さん① 
http://jp.youtube.com/watch?v=JNORYhA8MKw


木村 藤子(霊能者)さんと飯島 愛さん② 08  
http://jp.youtube.com/watch?v=c36aC2AWg_0 


木村 藤子(霊能者)さんのコメント
http://jp.youtube.com/watch?v=xAENynvHTkg  

【転載開始】2008-12-25 20:29:26

飯島愛さんの死 デヴィ夫人のブログより
http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-10183052427.html


昨日夕方、愛ちゃんの訃報をきいて、
深い悲しみに陥りました。
そして、後悔の念にかられました。
何でもっと側にいて、話し相手に
なってあげられなかったのだろうか? と・・・


現代っ子の彼女と私とは、
世界が違ってはおりましたけれど、
パリ、NY、台北他、日本の地方などのロケや、
サンデージャポンなど、様々な番組でご一緒しました。

夫の川崎麻世さんの事で落ち込んでいるカイヤに、
2人して、「あなたも浮気して吹き飛ばしてみたら?!」ともちかけ、

台北のホテルのバーで外国人と消えたカイヤ。
翌朝、昨日のお化粧のまま、マスカラでよじれた睫をして
撮影開始すれすれに戻ってきたカイヤをみて、
手を叩いて大笑いした、あの日の私達・・・


愛ちゃんも、私も、カイヤのこの秘密は守った。


でも愛ちゃんは、誰も知らない秘密を1人で抱えていたのでしょう。
あのミステリアスな、突然の引退宣言。
病気で引退なら、快復後復帰すると言ってもよかったですし、
腎盂炎(じんうえん)を患っていたとの事ですが、
今までの彼女だったら闘病生活を、
逐一ファンに伝える事もしたでしょうし、
派手に快気祝いも出来たでしょう。


仕事も順調、すべて何もかも上手くいっていた彼女。
著書も170万部も売れ、
事務所にどれ位いくのかわかりませんが、
ざっと計算しても、恐らく1億7千万円位
入っていたのではないですか?
あの若さで引退する理由は何もない。
芸能界が夢であり、その成功もつかんでいた彼女。

 

しかし彼女は最後まで、
何故、引退するのか理由を言わなかった。一言も。
TVや書籍で何でも赤裸々に話していた彼女に、
こんな不思議な事があるのでしょうか?
私にはとても不可解であり、
訳を知りたいとずっと思っていました。


そして、私は聞いてしまったのです。
彼女にとんでもない事が巻き起こっていた事を・・・


彼女は、何と申しましょうか、“遊び”が過ぎて、
知らずでか、わからずでか、

とんでもない事をしていた様です。

どの様な人達とお付き合いがあったのか皆目わかりませんが、
映像や写真を撮られ、所持していた人達に
ゆすられ、恐喝され、つきまとわれ、
公表の恐怖にさらされながら
生きた心地もなく、暮らしていた様です。


色々模索した結果、それを食い止めるには、
芸能界を辞める他ない、と心したのでしょう。
普通の一般人に、無名になれば、
脅迫者達も意味がなく引き下がるだろう、と。
それゆえ、彼女には引退して消える事以外ないと思いつめ、
それを随一の方法と考えたのでしょう。


素人さんなら、ストーカーもしくは脅迫されたと
警察に訴える事もでき、
守られ保護されるという事も出来たでしょう。
誰にも相談出来ず、悩みを救ってくれる人もいなく、
1人苦しみ、悩んでいたのでしょう。
どんなに辛かったかと思うと、涙が出ます。
彼女を抱きしめてあげたかった。


身から出たサビとはいえ、可哀相でなりません。
彼女を追いつめていた、人で無しを憎む。許されない!!
必殺仕掛人よ、現れよ!!!


この引退の“真相”と、今回の彼女の死がどの様に結びつくか、
私には計り知れません。【転載終了】


【転載開始】http://www.mailux.com/mm_bno_dsp.php?mm_id=MM3CA3323935BAC&bno=20081228015742
●独走スクープ!! 飯島愛、脅迫で渋谷署に相談

 飯島愛は「何者か」に脅迫されていた。警視庁渋谷署に最低10回は相談に訪れている。一部マスコミはその情報を掴んでいながら、あえて闇に葬っていた……。

【プチバッチ!】をご購読ではなく、事件の表面をなぞっているだけの方々にもご理解いただけるよう、最初からご説明していきましょう。

 25日、テレビ朝日の「スーパーJチャンネル」が飯島愛「怪死事件」に関して恐るべき情報操作をおこないました。

 飯島愛が今年1月、抗うつ剤や睡眠薬の中毒になり、警視庁渋谷署に相談に訪れていた、と報じたのです。これではまるで、死因が薬物の過剰摂取。飯島は事故死だった、と断定しているのと同じではありませんか!!

「飯島がクスリの件で渋谷署に『相談』していたのは事実です。が、それは1月だけの話ではない。1月から6月まで最低10回は同署を訪れています。

 飯島は、そのとき確かに『薬物がやめられない』とは言っていますが、問題はそれからです。薬物がやめられない理由こそが問題なんで」(【プチバッチ!】情報源のマスコミ関係者)

 理由とは何か?

 飯島は渋谷署員に対し震えながら「親しい人から脅されている。怖くてクスリを飲まずにはいられない」と語っています。

 署員は繰り返し「相手は誰か?」と尋ねたが、飯島は「それはいえない」と繰り返すばかりだった、と。

「テ レ朝は、こちらと同じ話を聞いているはずです。聞いていて自主規制した。飯島本人が死んでいるわけだから裏も取りようがない。あたりさわりのない部分だけ を報じたわけですよ。うちとしても、『脅された』と書くことはできない。裏を取らずに書けるのは、オタクだけです。思う存分やっちゃってください」(同 前)

 そう、この情報で点と点がつながり1本の太い線となった。【プチバッチ!】ではすでに7本のスクープを連射しているが、今回のこの情報で、それら記事のすべて一挙につながり、事件の全容が浮き彫りのなったのです。

 いったい誰が何の目的で飯島愛を脅していたというのか?

 まさしくそれは「第二の川田亜子事件」。本誌関係者たちに対し次々と無言電話が入り始めるなど不気味な状況まであのときとそっくりなのです。

【プチバッチ!】は、またもやルビコン川を渡ってしまいました。詳細は【プチバッチ!】で!!
                              合掌


【転載終了】

距離200m 落雷の衝撃的瞬間!!

2008-12-30 09:12:00 | Weblog

なかな間近に遭遇出来ない!! 
落雷の決定的瞬間!!

 
地震・カミナリ・火事........。おやじは怖くなくなったが、間近に見る先の三つは、やっぱり怖い。いずれも間近に遭遇することは、希である。ましてや、記録に残ることは、特に少ない。

 直近の落雷のために、テレビのアンテナ部分から過大電流が流入し、ぶっ壊れた経験はあるが、落雷の瞬間は見ていない。そんなフラストレーションが少しでも持っている方には、必見!!

距離200m 落雷の衝撃的瞬間
http://jp.youtube.com/watch?v=o1X9YG5LSPI


【転載開始】2008年12月23日 19時05分00秒
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20081223_lightning_movie/

超至近距離に落雷した瞬間を撮影、部屋のコンセントが火花を吹いてパソコンのモデムが故障



2004年に山口県で撮影されたムービーで、距離約200メートルという至近距離に落雷した瞬間を撮影したもの。このムービーをアップロードした人のコメ
ントによると、「この落雷で部屋のコンセントが火花を吹き、パソコンのモデムが故障」したとのことなので、相当の威力があったようです。


衝撃ムービーの再生は以下から。


YouTube - 距離200m 落雷の衝撃的瞬間


こうやってコマ送りで見てみるとなかなか壮絶ですね……。【転載終了】

「終わりのとき」へのサタンの計画!!①

2008-12-28 10:37:03 | Weblog
「終わりのとき」へのサタンの計画!!第1弾

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<ブルーホール:記事に無関係>


 『終わりの日の預言』は、驚きの啓示(アカポリプス)であった。当時、充分に訳も分からず、夢中で転載公開した。全部で40編に及んでいる。元記事は、当初アクセス数が3~400だと記憶している。今は10,000近くに達している。記事内容も一新されて、充実度を増している。『生ける神』の預言は、現在も活発である。心ある方は直接に読み入ってほしい。

 投稿者は、無論、部外者である。しかし、この預言を真摯に受け止める者である。真実を追究する立場から、この記事に注目してきた。結果、現在時点、一点の非の打ち所がない。聖書を読む立場(投稿者はクリスチャンではない)から見ても、その一貫性は驚くモノがある。

 その中で、取りわけ、『隠されたモノで、顕れないモノはない。』という観点から、これまでの陋習を数多く打ち破って、聖書に纏わる真実が明かされているが、ここにも注目をしなければならない。これから、順不同ではあるが、任意に抽出し転載していきたいと思う。

 転載に関し、原文に忠実をモットーとする。誤字・脱字さえも、そのママ転載し、ご高覧に供したい。前にも書いたが、転載中止要請があれば、その時点で中止する。お目に叶い、ご加護があれば、転載し続けることが出来るものと思う。

 話は、横に外れるが、ベンジャミンさんのブログに、クリスマスについての見解があったが、全く同感であるので、合わせて、転載する。これも陋習を打ち破る一環である。拙稿『クリスマスは6月17日であることが天体観測で判明 !!』と合わせ読んで頂けると、双方の真実味が増すと思う。結局、聖書は改変された。

【ベンジャミン転載開始】12/25/2008 

クリスマスの由来 

 

欧米のクリスマスと日本の正月は同じ由来がある。おそらくこの祭日の始まりは数万年前にさかのぼるのだろう。
現 代文明人はあまり空を見なくなったが、従来の人類は空を使って生活の規律を図った。冬になると太陽の沈む場所が北へ移る。そして一年で一番日が短くなるの が12月21日である。その後、三日間同じ場所に太陽が沈むように見える。そして12月25日より再び南へ向かって太陽は沈み始める。


こ れを理由に古代の様々な宗教では、「神様(太陽の神)が亡くなって三日経ってからまた生き返る」という。ローマ帝国はその太陽の神を「キリスト」とすり替 えた。しかし人々の行いは殆ど変わらない。この日には家族全員が集まり御馳走を戴く。また欧米の家庭のドアの上には、日本の「正月飾り」と似たものを飾 る。おそらくこの新年の祭りは四万年以上前にさかのぼる。

About Christmas and Japanese New Years.

The celebration of Christmas in the West and the Japanese New Year’s celebrations have the same origin. In modern civilization we do not look at the sky very much but our ancestors regulated their lives
according to the skies. The most basic thing they noticed in the winter was that every day the sun would set further north and the days would get shorter. The shortest day is December 21st . After that, for three days the sun would appear to set in the same place before setting further south again on the 25th of December. That is why the ancient
religions worshipped a sun God who died and was reborn after 3 days.
The Romans substituted Christ for the sun God. However, the average people continued to celebrate as always: they would gather their family and have a feast. In the West they hang a wreath over the door, in Japan they also hang a very similar type of wreath. This suggests the custom has a common origin, one that may go back as far as 40,000 years
ago. So, Merry Christmas and a Happy New Year.【転載終了】


【転載開始】 「終わりのとき」へのサタンの計画

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http://homepage2.nifty.com/elienay/index22.html
 

   近代フリーメーソンは1717年6月24日、ロンドンでのグランド・ロッジ結成によって発足した。その後、メーソン結社は、1725年パリ、1726年 プラハ、1728年マドリード、1733年イタリアおよびボストンと、またたく間にヨーロッパ中に拡がり、1733年には126ロッジを数えるまでになっ ている。
     彼らは「全人類が一致して信仰できる神」をかかげ、その神は「宇宙創造の神」だとする。
   
 カトリック内 にも多くのメーソン員がいたが、1738年に法王クレメンス12世が「フリーメーソン否認の勅命」を発布し、メーソン員は破門されることになった。これに よりメーソンは秘密結社として地下にもぐり、これが1773年のグラントリアン・ド・フランス(フランス大東社)結成のきっかけとなった。
 
 フランス大東社はイエズス会の修道院に居をかまえ、後にオルレアン公となるルイ・フィリップを長とした。ロッジでは進歩的な貴族、新興ブルジョア、労働
者 が一体となって、フランス革命前夜の「自由・平等・博愛」を求める政情を形成し、会員数を増やしていった。そして1789年、パリ市民が「絶対主義」の象 徴であるバスチーユ監獄を襲撃し、フランス革命の火ぶたが切って落とされた。ルイ・フィリップは自分の宮殿にメーソン員を集めて、そこを司令部とし、騒
乱をあおるために膨大な資金を提供した。
      『百科全書』も、新しい精神で世界を変えようとするフリーメーソンにより1751年、ディドロとダランベールによって作られ始めた。百科全書家のダランベール、ホルバッハ、ヴォルテール、コンドルらはメーソン員である。
 
  これらの集団から1769年、「百科全書のロッジ」とも呼ばれるロッジ「9人姉妹」が結成された。ロッジには、ベンジャミン・フランクリン、ヴォルテー ル、ラ・ロシュフコー、ラファイエット、シエース、デムーラン、ブリソーらが属していた。さらにもう1つのエリート・ロッジ「大貴族」には、ミラボー、 ボーアルネ、ボーマルシェらが属していた。
   
 1789年の「人権宣言」は、ラファイエットが中心となって、メーソンのロッジ「エク ス」で作られた。当時、48名のフランス貴族がメーソン員で、宮廷に出入りする外交官のほぼ全員がメーソン員であった。将校のための軍事ロッジや下士官の ためのロッジも作られ、1385名の軍事ロッジ・メーソン中、1032名が将校だったという。その中には、ラファイエット、デュムリエもいた。彼らによ り、革命勃発後、フランス軍は市民と連動し、国王を見限って革命側についたのである。1789~91年にかけて革命運動は上層知識人から市民にまで広が り、立法議会内にも支持層を獲得し、大きな民主主義運動となって、1791年の憲法発布となる。ロベスピエール、ブリッソー、ダントン、マラー、デムーラ ン、エベールなど、運動の主な担い手の大半がメーソン員であった。


     彼らの理想が、真の意味で現実化したのはアメリカにおいてであった。
   
 アメリカ新大陸では、1607年の清教徒によるジェームズタウンの植民が宗教的開拓の初めであるとされている。ついで1620年12月21日、ピルグリ
ム・ ファーザーズ(巡礼父祖)と呼ばれる清教徒たちがメイフラワー号でプリマスに上陸して、信仰と自由と独立を求めて植民する。しかし、この建国神話は事実で はない。メイフラワー号の乗客102人のうち、分離派教徒はわずかに35人にすぎず、あとはヴァージニア植民地でひと旗揚げようとした英国国教会の信徒で あった。巡礼父祖(ピルグリム・ファーザーズ)という言葉が使われるようになったのは、メイフラワー号から200年近くたってからである。
 
  その後、さまざまな宗派が移り住んだが、やがてアメリカに「フラムの子ら」が上陸する。彼らが入ったのは、1720年代の後半である。1733年、ボスト ンに「ファースト・ロッジ」が開かれ、ヘンリー・プライスがイギリス本国のグランド・ロッジの承認を得てグランドマスターになり、その後、アメリカの13 植民地にフリーメーソンのロッジが広がった。彼らは「信仰覚醒運動」または「再生主義」と呼ばれる運動(聖霊降臨によって再生することを主張することで信 徒を鼓舞し、不信者を信仰に招き入れるという集団的群集心理を利用した伝道)を用いて、教会に浸透していき、教会を拡大していった。そこにはヨーロッパの キリスト教のように神学が介在する余地はなく、彼らには極めて好都合であった。
   
 アメリカの国教は当初からキリスト教もしくはプロテスタントだと誤解されているが、アメリカ憲法修正第1条は、国家宗教の樹立を禁止している。1796
年、 ワシントン大統領はトリポリ条約で、「いかなる意味においても、アメリカ合衆国はキリスト教国家ではない」と宣言している。アメリカ合衆国が「キリスト教 国家」になるのは、20世紀に入ってからなのである。ヨーロッパからアメリカへ移住した大部分の人々は、宗教の自由を求めて海を渡ったのではなく、宗教か らの自由を求めていたのである。19世紀半ば、1850年の統計によると、当時のアメリカ人のうち、教会に登録していたのは人口の16パーセントにしかす ぎなかった。新大陸の人々をまとめていたのはキリスト教ではなく、フリーメーソンの理想だったのである。
   
 「9人姉妹」ロッジに属 するメーソンのラファイエットは1777年、アメリカの独立戦争を助けるため、自費で軍隊を率いていき、ジョージ・ワシントンの軍事ロッジに加入して、共 に自由と独立のために戦った。その前年、すでにベンジャミン・フランクリンはアメリカの新共和国の外交代表としてフランスを訪れ、パリの「9人姉妹」ロッ ジの第2代大統領として、アメリカの自由と独立へのフランス人の同意を広め、独立戦争への支援を得ることに成功していた(彼は1731年にメーソンとな り、稲妻と電気の関係を証明したことをはじめ、自然科学の分野で業績をあげた。彼はイギリスのロイヤル・ソサエティと、フランス
の科学アカデミーの会員にもなった。自然科学はメーソンの思想の一部である。フランクリンはフリーメーソンの人脈を巧みに利用し、独立戦争においてフランスをアメリカと同盟、参戦させた功労者である)。
   
 アメリカ建国の父ジョージ・ワシントンもまた有名なメーソンであった。彼は1752年にメーソンになった。彼の属するロッジは、ヴァージニアの上層階級
のクラブであった。独立戦争が始まると、軍隊では盛んに「軍事ロッジ」が創設される。ワシントンはこの移動する軍事ロッジの先頭に立ち、メーソンの正装を
し、行進した。
   
  1787年にはアメリカ合衆国憲法が制定され、1789年にはワシントンが初代大統領に就任した。このときワシントンは、ニューヨーク・グランド・ロッジ のグランドマスターであった。そして同年、連邦議会の行政機関としての国務、財務、陸軍、司法の4省を設け、アメリカ政府の重要な機構を確立した。その長 官に任命されたのは、国務長官トーマス・ジェファーソン(後の第3代大統領)、財務長官アレクサンダー・ハミルトン、陸軍長官ヘンリー・ノックス、司法長 官エドモンド・ランドルで、副大統領はジョン・アダムス(後の第2代大統領)であったが、その全員がフリーメーソンである。ジェファーソン、アダムスと共 にアメリカ独立宣言を起草したベンジャミン・フランクリンもフリーメーソンである。独立宣言は彼らの宗教的信条、自然法観、自由と平等という政治的理念を あらわしており、フランスの人権宣言と共通している。
   
 1793年、連邦議会の議事堂がワシントン・D・Cに建設されることになっ たが、ジョージ・ワシントン大統領はその礎石式に堂々とフリーメーソンの儀式用礼服を着用して出席している。胸にはメーソンの標章をつけ、まわりの列席者 もすべてメーソンの礼服と標章を身につけていた。その儀式はフリーメーソンのロッジと提携して行なわれた。有名なワシントン記念塔(オベリスク)も、メー ソンの力で生まれた。1886年、フランス政府はアメリカ独立100周年を記念して「自由の女神」像を贈るが、その制作者フレデリック・バルトルディも メーソンである。アメリカ建国がフリーメーソンの精神であることは、アメリカ合衆国の国璽にその象徴が表われていることからも明らかである。裏側には未完 成のピラミッドが描かれ、冠石の位置に「万物を見る眼」(フリーメーソンの象徴)が描かれている。この絵は一ドル紙幣の裏側にも描かれている。【転載終了  続く】


顕れた雲の輪っかの空隙が住民を驚かす!!

2008-12-27 13:42:43 | Weblog

いろいろな空模様があるが、
人為的な操作が、
考えられる輪っかの空隙!!


 こうした雲の輪っかの空隙が、最近よく目立つ。備忘録のための特集。

【転載開始】

http://www.houmatoday.com/article/20081216/ARTICLES/8121699241211?Title=Wheel_in_the_sky_wows_local_residents#


Wheel in the sky wows local residents




Sandra Ledet of Raceland sent this snapshot of the hole in the clouds she spotted Saturday from her home.
Nikki Buskey
Staff Writer

Published: Tuesday, December 16, 2008 at 4:00 p.m.
                Last Modified: Tuesday, December 16, 2008 at 4:48 p.m.


【転載終了】

《その他の空隙輪っか》

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FEMAが動く時、何が起こるのか?!①

2008-12-26 10:11:55 | Weblog

FEMA(緊急非常事態庁)が動く時、
マーシャル法が発動される前後、
何が起こるのか?!!
これは、絵空ごとではない!!


  達人さんのブログが、又、開いた。結構なことだと思う。もうずっと、パス化しっぱなしかと思っていた。あきらめていた。氏の言い分も分からないことはな い。只、少なからず、思いこみの部分もある。ブログの読者に、思いこみの期待は、いかがなものかと思う。人は必ずしも期待通りには動くはずがない。
かといって、眼差しが注がれているという事実は否定出来ない。


  それだけで充分ではないだろうか。自らの発意で始めたブログ。勝手なブログ。発信しなければならなかった情報。情けに報いる情報を待ちわびている人々もい る。それだけで充分ではないだろうか。それを盗み読み等と言ってはならない。無所得で開始したブログならば、盗み読みで本望ではないだろうか。そう思う。

  かく言う投稿者も、盗み読みの張本人だ。そればかりではない。勝手な転載者だ。それがダメなら、いつでも止める。それは、氏の情報が、拡散すべき情報と確 信しているからに他ならない。寄付も真剣に考えた。貧者の一灯は、大切だ。それは認める。それは、自由意思による。自由意思を鼓舞するには、訴求力が問題 だ。思いこみの期待は、訴求力には成らない。

 今ひとつ、氏の訴求力は乏しい。それをさておいて、期待に転嫁してあれこれ言うのはいかがなものかと思う。しかし、氏の情報は貴重である。

  2008/12/21【OUT OF EDEN】では、来るべきアメリカのホロコーストに対する記事がある。具体的で分かり易い。2002年の元記事であるが、新しい。今や、FEMAの出動、 マーシャル法発動、Concentration CAMP(強制収容所)の稼働寸前の状況にあるからである。現在はConcentration
CAMP(強制収容所)は、800を超えていると聞く。2500造られる予定だ。誰でも、全く必要でない物を作るはずがない。


 この記事は、内部告発であるので、具体的である。

Fort_dix_new_jersey
Letter
Rail_cars_for_fema
Photo

【転載開始】米国内に準備される強制収容所
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/307.html
投稿者 丸山 日時 2002 年 1 月 14 日 15:59:19:
「アメリカ版ホロコーストがやってくる」
「コンタクト」(一九九八年三月二十四日号)


 編集記 長年の間、ハットン司令は、コンタクト誌の読者に、「新世界秩序」の強制に従わない生意気な市民たちを抑留するための收容キャンプが、隠
密裡にアメリカ国内の各所で建設されていると、警告してきた。私たちは今から読もうとするこの報告書を確証することはできないが、それが、私たちがあなたたち読者と長年に渡って共有してきた情報と大いに一致することに気づいてもらいたい。


  一九九八年三月二十一日
 アル・オーヴァーホルト博士


 一九九七年の春に、先輩編集者のイアン・ステュアート教授は、「新世界秩序」の工作員によるきたるべき迫害について、シーさんが直接見聞きしたことに関して話し合うために、彼に会いに行つた。「シーさん」というのは仮名である(本名は分かつているが)。
 シーさんは、写真や記事や手紙でいつぱいの七インチの厚さのカバンを持つてやつてきた。彼は、アメリカを破壊し、奴隸化せんとする「新世界秩序」の画策について、驚くべき情報を明らかにした。
 以下は、シーさんの所見である。しかし、まずは、彼の人々となりを見てみよう。 

 
シー さんは、敬虔なクリスチャンで、元は統合参謀本部および国防総省の検査官だつた。陸軍省に三十一年間勤務し、空軍参謀本部での二年も含めて、国防総省に九 年間勤めた。彼は、統合勳功メダルは言うまでもなく、青銅星章、紫心章、国防勳功メダル、3つの統合軍勳章受賞メダル、そしてすべてのベトナム勳章の保有 者である。彼は、数年前に退職し、民間国防局長官メダルを受けた。彼は、世界四大陸三十一ヶ国に行つたことがあり、五ヶ国語を話す。


  シーさんは、反「新世界秩序」の人々をどう扱うかについての、政府のアメリカ版ホロコースト計画のことを語つてくれた。彼は、アメリカ人を抑留し処刑する ための施設の基礎が既に出来上がつている、といつた。そして、その場所についても、写真などを交えて、疑いようもなく示してくれた。「基礎設備はもう出来 上がつている。少なくとも国内には一三〇の強制收容所がある。これらの強制收容所は、今なお国内にいたる所で作られている。これらは何の活動もしていない ように擬装されているが、鉄条網や、ヘリコプター用の吹き流しのような妙な設備を備えている。
 それらのほとんどは、主要道路や鉄道に隣接した、補給戦略上、有利な位置にある。」

  「国中の僻地に点在するこれらの施設は、抵抗者や反体制派を処分するための『ガス室を完備した』強制收容所として完成されつつある。大まかに言うと、それ らの施設は、『新世界秩序』に同調的でない反体制派を收容するために建設されている。抵抗者とは、自らの武器を手離すことを拒否する銃器保有者たちであ る。反体制派とは、キリスト教徒や、愛国者や、憲法主義者たちのことである。これらの收容所は完成している。私は、この目で見てきた。」

  「一九九四年八月六日、私は、インディアナ州インデアナポリス、ビーチ・グローブのアムトラック鉄道車輛修理施設を見てきた。この施設には、百二十九エー カーの敷地に、少なくとも十の保修棟がある。二重になつたフェンスは、内向きに忍返しがつけられている。いくつかの建物の窓は煉瓦で塞がれていた。」
  「故に、あなたは、アムトラックの保修棟が、レベル3の警備状態にあることが分かるだろう。」
  「そこには、時速二十五ノットで飛行中のヘリのための吹き流しが3つある。普通、農薬撒布用ヘリが使用するのは、十ノットの吹き流しである。国家保安局型 の高度警備の回転検門口があり、二十四時間稼動の警備用高密度照明設備がある。コンテナ車輛用の建物(ガス室)の塀には、特殊な『赤/青区域』の印がつけ られている。これは、一九九六年の六月から七月にかけて表面化した『赤/青名簿計画』に対応する。」「戒厳令の下では、これは死の收容所となるであろう。 彼らは、「赤」と「青」の範疇の人々を取り扱いさえすればいいのである。このコンテナ車輛用の設備は、処刑のために使われるであらう。
  「建物のうちの一つは、コンテナ車輛が優に四台入る大きさである。建物の上には、コンテナ車輛を薫蒸消毒した後でガスを排出するための強制排気孔がある。 すべての建物には、六インチのガスパイプが新たに備えつけられている。そして、すべての鉄道車輛收容棟には、煖房爐が備えつけられている。
「この写真がとられた一九九四年八月以降、連邦緊急管理庁は、その建物の壁や屋根を気密化するため、六百万ドルを割り当ててきた。戒厳令の下では、この施設は、直ちに、SS型の「最終的解決」ガス室として使われうる。
  「一九九五年一月二十七日、インディアナポリスニュースは、『ビーチ・グローヴのアムトラックで二百十二人一斉解雇』という見出しの記事を載せた。『保修 センターで今日、百七十人の解雇』 なぜ、六百万ドルもの新設備投資をして、二百十二人もの人を解雇するのか。なぜなら、最終的処刑執行者には、非アメリ カ人が予定されているからだ。このようにして、二百十二人分のポストには、非アメリカ人が補充されるだろう。
「彼らは、この『カポ』役に外国人を雇うつもりだ。『主任』という意味のイタリイ語である。カポとは、ダッハウやヨーロッパ中の他のナチスの火葬場で、SSの人たちのために、実際に多くのユダヤ人たちを殺した、信用のおける囚人につけられたニックネームである。」
  「また、このニュースの記事は『この保修場は、ワシントンDCや他の都市部から、私有車輛、おそらくは地下鉄車輛の修理を請け負うことができるだろう。』と書いている。このような私有車輛の『修理』とは、死の車輛の動かぬ証拠だ。
   「記事は続く。『去年の終り頃、合衆国連邦議会は、アムトラック保修場に、巨大な格納庫の屋根や壁の補修に、五百九十五万ドル使うように命令した。これら の建物は、密閑化されてきた。それらは、完全に気密化されているのである。この設備は、新しく備えつけられた『煖房爐』を通過した気体を、すべての建物に 送り込めるように設計されている。」

→②に続く


FEMAが動く時、何が起こるのか?!②

2008-12-26 10:07:54 | Weblog

→①より続き

 次にシーさんは、「赤/青名簿」が何を意味するのかを詳しく述べてくれた。
「『赤名簿』は、戒厳令の強制 準備開始前に、逮捕・処刑される予定の人々の名簿である。『青名簿』もまた、処刑予定者の名簿であるが、戒厳令施行後、六週間以内に処刑される予定の者た ちの名簿である。どちらの処刑者名簿についても、減刑は全く予定されていない。」(管理人注:記事にしたCiscoさんやSherryさん,そして現在刑 務所に入っているフリッツ・スプリングマイヤーさんなどもRed Listである)
「もしあなたが赤の方の名簿に載せられたら、彼らは午前四時頃 あなたを家から連れ出し、黒いバンで、ヘリコプターが待ち合わせている中継地点まで、あなたを運ぶだろう。そこであなたは、全身真黒に塗装され何の標識も つけていない、航空法などお構いなしに飛び回る、六十四人乗りのCH四七チヌーク(?)ヘリコプターに乗せられるだろう。」


  「そして彼らは、あなたを三十八都市のうちの一つに空輸し、そこであなたは、ボーイング七四七か、七三七か、七二七に乗せられるだろう。あなたは、臨時收 容所へ直接連れていかれるかも知れない。そして、あなたが赤リストに載せられているのなら、あなたは赤キャンプへと送られ、そこで処刑されるだろう。
  「ある時点で、戒厳令が施行されるだろう。戒厳令下では、陪審員による裁判を受けるための人身保護令状制度が停止される。裁判所に行く代わりに、あなた は、ある一定の期間投獄される。)『戒厳令の口実となるような極度の欠乏状態が何かの危機が発生するだろう。』青名簿の人々は、この時点で拉致されること になつている。この時点で、合衆国は十の区域に分割されることになる。それは、連邦緊急管理庁によつて既に計画されている。」


  「例の黒いヘリコプターは、その任務執行中、攜帶電話からテレビまで、あらゆる周波数域の電波を妨碍することのできる装置を使つていることが明らかにされ てきた。注意して下さい。あなたに対して何らかの行動がとられるときは、その少し前から、あなたの攜帶電話は妨碍されてしまつているということです。」
  「一九九六年六月、連邦捜査局のある職員が、CIAの友人から、その地方の青名簿を入手した。そこには彼の名前が書いてあつた。そして、ヴァージニア州内 の彼の知人の名もいくつかあつた。その地方の青リストには、これらの人々は、戒厳令発令後六週間以内に拉致される予定だと書いてあつた。」


  「これは、ナチスの赤/青名簿計画にぴたりと一致する。このナチの平行的計画は、一九九六年ハインツ・ホーネによつて書かれた『ナチSSの物語 死者の順序』の中に載つている。(私は、この本を読んで、ジャック・マックラムに送つた。)」
  「『そんなこと起こりつこない。』という人もいるだろう。しかし、既に国内で待機しているソ連の部隊三十万人が、人々から銃を取り上げることに成功したな らば、十分あり得ることなのである。銃を持つ人間を追放することがポイントとなる。ミリシアを悪者にし、銃を悪者にして、誰も銃を持てないようにするつも りなのだ。一旦銃を取り上げられてしまえば、あなたは彼らの物となつてしまうだろう。あなたの家の扉が、主の御使いによつて守られていない限りは、そうな つてしまうだろう。」


「実際に誰が拉致工作をやるのだろうか。それは、外国の警官た ち、すなわち国連安全保障軍である。すでに三十以上もの外国軍隊の基地が、国連の旗の下に、アメリカ国内に建設されている。いずれも特命を受けた連邦政府 高官の諒解に基づくものである。これらの基地には、ロシア、ポーランド、ドイツ、ベルギー、トルコ、イギリス、ニカラグア、そしてアジア各国からの百万人 以上もの部隊が、既に配置されている。」
「なぜ彼らが合衆国にいるのか。彼らは、私たちの軍隊たる、二十四州の現役・予備役の各州兵隊と違つて、海外から連れてこられている。彼らは、その時が来たならば、アメリカ市民に何のためらいもなく発砲することができるだろう。」
 「ミシシッピ州ガルフポートの近郊には、二千以上ものロシアの戦車やトラックや化学戦用車輛が待機している。それらは、一九九四年一月から、そこに集結し始めた。」
「ライリー基地には百八十人の外国人部隊がいることが、ある准将によつて確認されている。一九九五年十二月十三日には、三百人ものロシア人部隊が、白いロシア製の輸送機に乗つて、アラバマ州バーミンガムにやつてきた。」


 「一九九五年の時点で、一万人強の外国人部隊が、二万人抑留の準備のため、アーカンソー州のチャフィー基地に駐屯していたと報告されている。」
「ま た、一九九五年、合衆国陸軍の中継地点であるルイジアナ州ポーク基地には、ロシアや東欧の部隊が、国連の旗の下に配置された。(これについて質問されたと き、ポーク基地を統轄する下院議員の立法補査官は、答えた。『はい、彼らは広域合同演習のためそこにいました。そして、国連の旗が翻っていました。今もな お、いくらかの部隊が残留しているかもしれません。』)」
 「アバディーン・プロヴィング・グラウンズ(演習場?)には、多数のロシア軍戦車が来ている。ある下士官は、それらを修理し続けてきたと、父親に話した。」
「こ れに類することが、国中で起こつている。ニューメキシコのホロマン空軍基地には、ドイツ人部隊がいる。オハイオのライト・パターソン空軍基地にも、テキサ スのフッド基地にも、ドイツ人部隊がいる。カリフォルニア州のロングビーチ海軍基地には、中国人部隊がいることが知られている。」「侵掠部隊が姿を現わす のは、何か遠い未来の出来事などというわけではない。彼らは既にここにいるのだ。戒厳令が敷かれたときには、これらの国連外国人部隊は、国中を取り締ま り、『新世界秩序』の計画を実行するだろう。」


  「神は、警告を発している。これ らのことが起こるまで、そう長くはない。主に従う人々は、可能な限りの方法で、これに備えなければならない。恐れることはない。今は、祈りの時であり、備 えの時である。失われた楽園への信仰を共にする時である。」「私たちは、常に、エフェソ人への手紙、第六章の十二を思い起こさなければならない。
『私たちの戦いは、血肉を備えた物理的存在に対してのものではない。それは、この世の闇の支配者の国や権力に対するものである。それは、高次元での、邪悪な霊に対する戦いである。』」


  そういう意味で高い精神性を身につけてほしいのです。しかし偶数月の年金支給日の15日はパチンコ屋は支給を受けた老人達で一杯です。彼らは長生きするでしょう。生ける屍(しかばね)としてね。

 以下は色分けの解説

  マーシャル法(戒厳令)が適用され憲法は一時停止する。国民の権利はすべて剥奪される。表の政府は棚上げされ,影の政府(Shadow Government)が実権を握り,FEMAが本来の任務を遂行する。

 日本は1973年日米欧委員会(現三極委員会)に無邪気にその一員となることによって日本の将来に禍根を残すことになる。非常に残念なことです。もう手遅れでしょう。

   国民は赤,青,白,黄,黒に分類される。それに先立つ6週間前に赤(クリスチャン)は逮捕され即座に処刑(ギロチン)される。青はその6週間後に逮捕拘 留されCAMPに収監され,矯正教育を受けるがNWO(統一政府・新世界秩序)に従わず獣の刻印666を受けない者は殺される。白は12歳以下の子どもで 箱型の住居に収監され666の刻印を付けた両親とはその屋上でしか会うことは出来ない。両親はBreeder(飼育者)と呼ばれる。子ども達は新しい世界 の役人として教育される。黄は13~20歳の者でやはりNWOの警察か軍隊に所属させられる。黒は50歳以上の成人で直ちに殺される。これらの殺戮には毒 ガスとギロチンが使われる。この間,アメリカ軍はほとんど外国に行っており,国連(UN)軍がアメリカに駐留する。国連軍はロシア,中国,ドイツ,日本, 中米などの200,000人の軍隊で構成される。米国はNation(国)ではなくcorporation(会社という集合体)なのであり,それは英国 (ロスチャイルド)が筆頭株主というわけだ。【転載終了】

とりあえず、『飯島 愛』の死の予告ビデオ?!!

2008-12-25 10:10:51 | Weblog

とりあえず、『飯島 愛』の死の予告ビデオ?!!
本当に当たってしまった!


驚きの動画!!

 無常は、世の常。心より、お悔やみを........。


 死は、突然、しかも確実にやってくる。そして、その時、対峙するのは裸の自分しかない。すべてを捨てるしかない。

飯島愛 台湾の占い師が自殺を予告
http://jp.youtube.com/watch?v=Rg4uMyyo53Q