へびのように賢く、はとのように素直であれ

いつの頃か、偽善が世の中に満ちている。偽善は見破らなければならない。へびのように賢く、はとのように素直でありたい。

原発がどんなものか知ってほしい!!⑦

2008-05-31 10:45:05 | Weblog

また、ぞろ原子力発電に傾斜を始めた企て.....。
後のことは関係ない、利権しか考えない
悪の企て、アルゴア以来の、否、温暖化キャンペーン以来の
悪の企て......。で、掲載することにした。

 Fukushima1 コメント氏は、やはり原発関係者であった。それはそれで結構である。議論こそ大切であるから、大いに発言なされる事は歓迎する。ならば、『原発に関係して いるものですが....』という前置きがあるのが望ましい。それはなかった。あたかも善意(知らないと言うこと..法律用語として)を装って、来られた。
 そこから、聡く巡らすと感づく。不思議なもので、言葉は丁寧でも、言霊に険(けん)が感ぜられた。すぐに攻撃性を感得した。敢えて、引き込むことにした。即ち、直接論争をせずに、本文にちょっと反論した。ついて来られた。

 『Re:原発がどんなものか知ってほしい』については、投稿者は既読であった。
<平井憲夫氏>の文書に触れたのは、約1年前。注目したので、そのあたりを探せばすぐにヒットする。当然というか、自然というか、関連記事として当然目を通す。当たり前の行動である。真実の追究しようという意識があれば、尚のこと、抜かすはずがない。その上で、時を経て、熟慮の上転載を決断した。裁判の審理は、主尋問、反対尋問を経ないで証拠とはならない。常識である。
 しかし、敢えてそのことは言わないでおいた。そしたら、何度もお付き合い頂くことになった。またお越し頂いたら歓迎する。その方が、核心が見えてくる。

  原発関係者とおぼしきコメント氏は、後輩達の懸命の努力にあらぬ誤解のなきことを願っておられるので、一言申し上げたい。言うまでもなく、本ブログにおい て一線の従事者を誹謗中傷するものではないことは明らかである。寧ろ、共に安全を杞憂するものである。そして、そのほとんどの方は、信念に基づいて真剣に 安全性を追求しておられる事を信じている。しかし、それでも尚、原発が必要か否か、本当に安全か否か、問題を含んでいないか否かを問うことは重要である。

 コメント氏こそ、
『Re:原発がどんなものか知ってほしい』の著者その人ではないかと勝手な想像をしたのだが妄想であろうか.....。 『Re:原発がどんなものか知ってほしい』について、やけに詳しい。『Re:原発がどんなものか知ってほしい』は、個人を装った、一つの裏の広報と推察していることも付記しておきたい。

【転載開始】<平井憲夫氏>

どうしようもない放射性廃棄物

 それから、原発を運転すると必ず出る核のゴミ、 毎日、出ています。低レベル放射性廃棄物、名前は 低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間 もいたら、致死量の被曝をするようなものもありま す。そんなものが全国の原発で約八〇万本以上溜ま っています。

 日本が原発を始めてから一九六九年までは、どこ の原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海 に捨てていました。その頃はそれが当たり前だった のです。私が茨城県の東海原発にいた時、業者はド ラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉 の沖に捨てに行っていました。

 しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思った のは、このことからでした。海に捨てたドラム缶は 一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミ はどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと 思ったのがはじめでした。

 現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行 っています。全部で三百万本のドラム缶をこれから 三百年間管理すると言っていますが、一体、三百年 ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年間 も続くのかどうか。どうなりますか。

 もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済み核燃 料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残っ た放射性廃棄物です。日本はイギリスとフランスの 会社に再処理を頼んでいます。去年(一九九五年) フランスから、二八本の高レベル廃棄物として返っ てきました。これはどろどろの高レベル廃棄物をガ ラスと一緒に固めて、金属容器に入れたものです。 この容器の側に二分間いると死んでしまうほどの放 射線を出すそうですが、これを一時的に青森県の六 ケ所村に置いて、三〇年から五〇年間くらい冷やし 続け、その後、どこか他の場所に持って行って、地 中深く埋める予定だといっていますが、予定地は全 く決まっていません。余所の国でも計画だけはあっ ても、実際にこの高レベル廃棄物を処分した国はあ りません。みんな困っています。

 原発自体についても、国は止めてから五年か十年 間、密閉管理してから、粉々にくだいてドラム缶に 入れて、原発の敷地内に埋めるなどとのんきなこと を言っていますが、それでも一基で数万トンくらいの 放射能まみれの廃材が出るんですよ。生活のゴミで さえ、捨てる所がないのに、一体どうしようという んでしょうか。とにかく日本中が核のゴミだらけに なる事は目に見えています。早くなんとかしないと いけないんじゃないでしょうか。それには一日も早 く、原発を止めるしかなんですよ。

 私が五年程前に、北海道で話をしていた時、「放 射能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」と言った ら、中学生の女の子が、手を挙げて、「お聞きして いいですか。今、廃棄物を五〇年、三百年監視する といいましたが、今の大人がするんですか? そう じゃないでしょう。次の私たちの世代、また、その 次の世代がするんじゃないんですか。だけど、私た ちはいやだ」と叫ぶように言いました。この子に返 事の出来る大人はいますか。

 それに、五〇年とか三百年とかいうと、それだけ 経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじ ゃありません。原発が動いている限り、終わりのな い永遠の五〇年であり、三百年だということです。

住民の被曝と恐ろしい差別

 日本の原発は今までは放射能を一切出していませ んと、何十年もウソをついてきた。でもそういうウ ソがつけなくなったのです。

 原発にある高い排気塔からは、放射能が出ていま す。出ているんではなくて、出しているんですが、 二四時間放射能を出していますから、その周辺に住 んでいる人たちは、一日中、放射能をあびて被曝し ているのです。

  ある女性から手紙が来ました。二三歳です。便箋 に涙の跡がにじんでいました。「東京で就職して恋 愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。とこ ろが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。 相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一 緒になりたいと思っている。でも、親たちから、あ なたが福井県の敦賀で十数年間育っている。原発の 周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いとい う。白血病の孫の顔はふびんで見たくない。だから 結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。私が 何か悪いことしましたか」と書いてありました。こ の娘さんに何の罪がありますか。こういう話が方々 で起きています。

 この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話 なんですよ、東京で。皆さんは、原発で働いていた 男性と自分の娘とか、この女性のように、原発の近 くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から 喜べますか。若い人も、そういう人と恋愛するかも 知れないですから、まったく人ごとではないんです。  こういう差別の話は、言えば差別になる。でも言 わなければ分からないことなんです。原発に反対し ている人も、原発は事故や故障が怖いだけではない、 こういうことが起きるから原発はいやなんだと言っ て欲しいと思います。原発は事故だけではなしに、 人の心まで壊しているのですから。

私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。

 最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、 北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の 講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、 必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れて くださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えて おいてください。

  その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員 が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来てい ました。その中には中学生や高校生もいました。原 発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題 だからと聞きに来ていたのです。

 話が一通り終わったので、私が質問はありません かというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙 げて、こういうことを言いました。 

 「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウ ソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見 に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の 大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴ ルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちの ためにと言って、運動するふりばかりしている。私 は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被 曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラ フィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高い というのは、本を読んで知っている。私も女の子で す。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ど も生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三 百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答 えてあげられない。

 「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、 なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかっ たのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号 機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなっ てもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、 泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。

 「何で、今になってこういう集会しているのか分 からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体 を張ってでも原発を止めている」と言う。

 「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴び ている。でも私は北海道から逃げない」って、泣き ながら訴えました。

 私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したこ とがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生 やお母さんも来ている、でも、話したことはない」 と言います。「女の子同志ではいつもその話をして いる。結婚もできない、子どもも産めない」って。

 担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩み を抱えていることを少しも知らなかったそうです。

 これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題 ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがい っぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学 生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほ しいのです。【転載続く】


原発がどんなものか知ってほしい!!⑥

2008-05-30 09:32:36 | Weblog

また、ぞろ原子力発電に傾斜を始めた企て.....。
後のことは関係ない、利権しか考えない
悪の企て、アルゴア以来の、否、温暖化キャンペーン以来の
悪の企て......。で、掲載することにした。

 原子炉の廃炉解体は、議論の多いところである。その理由は、解体されてその後どうなっているのかという情報がないからである。そして、ほとんどは稼働中。最大の理由は、チェルノブイリの永久閉じこめ処置。Hamaoka_npp_2_mlit1975
<浜岡原子力発電所> 
 そして、一般論として放射性物質(残渣)の永久毒性(永い半減期)が、本能的に『始末に困る、やっかいなもの』 として認識されるのは、又、当然である。最終的に深度地下に永久埋設と言うことになるが、誰もその安全性に信用をおいてない。というより、それでも最悪の 迷惑物質との認識には変わりがない。いかに補助金で釣ろうとしても、当該地の自治体
志願が反対運動でをつぶされてしまう。
 実験では、どうなったか承知していないが、残渣処理は解決していない。

 
平井憲夫氏>の文書は、直截で、ある意味攻撃的である。本当のところはどうかは知らないが、本人は『内部被爆』により発病したと思っているのであるから、当然と言えば当然である。批難する方が不謹慎である。水俣病・肝炎薬害感染その他の認定・不認定の同じ情緒的問題がある。
 
『Re:原発がどんなものか知ってほしい』の著者は、平井憲夫氏の発病について、こう言っている。
 『(前略)でも、これもよく話題にのぼる話なのですが、果たしてその「ガンになったというのは、本当に被曝が原因か?」という事です。
 残念ながら私はご本人を良く知りません。
 だからもしかしたら現場監督にありがちなヘヴィースモーカーだったのではないかとか、余計な事をついつい考えてしまったりします。
 現状では、原子力発電所における作業とガンの発生について明確な因果関係は示されていないはずです。(後略)』

 これを見て、投稿者は思った。同じだ。チッソとミドリ十字(今はない)の同じ体質だ。であるから、どちらに真実性があるかと問われるならば、
平井憲夫氏の方である。方や、理論理屈を並べ立てているに過ぎず、平井憲夫氏は命を削っている。

 コメント氏から、再度、コメントを頂いた。既に公開したが、全文掲載する。常に議論は公平であらねばと考える。

コメント掲載
飄平さん今日は
IPアドレス: 58.188.229.48

『都合の悪いブログだな、何とかやめさせよう。もしくは、欺瞞性を指摘しておかないことには示しがつかない。』
この部分は私の心情の推察でしょうが違います。
この今問題にしている当該文章、恐らくは原発が内蔵する問題点を一般に提起する上では最強のテキストかも知れません。
しかしながら、内容の3割はねつ造か歪曲、4割以上が大げさ以上、事実なのかどうか?と言える部分は殆どが一般体験談に近いと言うのが我々の受け止め方です。
そして一番肝心なのは内容において風評被害に遭ったおばあさんを取り上げながら、この文章の拡散はかえって風評被害の拡大に一番寄与しかねないと危惧するのです。
従いましてこの文章を掲載される場合、異論・反論も併せて掲載されることをお願いするだけです。両方読んだ後の判断については口を挟む事では無いでしょう。
ただ今回は内部被ばくに対する見解でついついお節介をやってしまったと反省しております。
今の原子力業界を養護する気持ちなど有りませんが、何かと誤解される面がある後輩達の安全に対する努力すら冷笑されるのは忍びない・・・これが私の本音です。

レイニー様
 分かりました。やはり原発関係者の方ですね。その他の裏の方に対する警戒心から、行きすぎた発言、陳謝します。紳士的に参ります。
 原発関係者の方に、全く悪意はありません。むしろ、尊敬しています。お説の趣旨に添って、掲載は続けますが配慮することを誓います。そして、さらに勉強をして参ります。失礼の段、お詫び致します。<飄平>。

【転載開始】<平井憲夫氏>

廃炉も解体も出来ない原発い

 一九六六年に、日本で初めてイギリスから輸入し た十六万キロワットの営業用原子炉が茨城県の東海村で稼 動しました。その後はアメリカから輸入した原発で 、途中で自前で造るようになりましたが、今では、 この狭い日本に一三五万キロワットというような巨大な原 発を含めて五一の原発が運転されています。

 具体的な廃炉・解体や廃棄物のことなど考えない ままに動かし始めた原発ですが、厚い鉄でできた原 子炉も大量の放射能をあびるとボロボロになるんで す。だから、最初、耐用年数は十年だと言っていて、 十年で廃炉、解体する予定でいました。しかし、一 九八一年に十年たった東京電力の福島原発の一号機 で、当初考えていたような廃炉・解体が全然出来な いことが分かりました。このことは国会でも原子炉 は核反応に耐えられないと、問題になりました。

 この時、私も加わってこの原子炉の廃炉、解体に ついてどうするか、毎日のように、ああでもない、 こうでもないと検討をしたのですが、放射能だらけ の原発を無理やりに廃炉、解体しようとしても、造 るときの何倍ものお金がかかることや、どうしても 大量の被曝が避けられないことなど、どうしようも ないことが分かったのです。原子炉のすぐ下の方で は、決められた線量を守ろうとすると、たった十数 秒くらいしかいられないんですから。

 机の上では、何でもできますが、実際には人の手 でやらなければならないのですから、とんでもない 被曝を伴うわけです。ですから、放射能がゼロにな らないと、何にもできないのです。放射能がある限 り廃炉、解体は不可能なのです。人間にできなけれ ばロボットでという人もいます。でも、研究はして いますが、ロボットが放射能で狂ってしまって使え ないのです。

 結局、福島の原発では、廃炉にすることができな いというので、原発を売り込んだアメリカのメーカ ーが自分の国から作業者を送り込み、日本では到底 考えられない程の大量の被曝をさせて、原子炉の修 理をしたのです。今でもその原発は動いています。

 最初に耐用年数が十年といわれていた原発が、も う三〇年近く動いています。そんな原発が十一もあ る。くたびれてヨタヨタになっても動かし続けてい て、私は心配でたまりません。

 また、神奈川県の川崎にある武蔵工大の原子炉は たった一〇〇キロワットの研究炉ですが、これも放射能漏 れを起こして止まっています。机上の計算では、修 理に二〇億円、廃炉にするには六〇億円もかかるそ うですが、大学の年間予算に相当するお金をかけて も廃炉にはできないのです。まず停止して放射能が なくなるまで管理するしかないのです。

 それが一〇〇万キロワットというような大きな原発です と、本当にどうしようもありません。

「閉鎖」して、監視・管理

 なぜ、原発は廃炉や解体ができないのでしょうか。 それは、原発は水と蒸気で運転されているものなの で、運転を止めてそのままに放置しておくと、すぐ サビが来てボロボロになって、穴が開いて放射能が 漏れてくるからです。原発は核燃料を入れて一回で も運転すると、放射能だらけになって、止めたまま にしておくことも、廃炉、解体することもできない ものになってしまうのです。

 先進各国で、閉鎖した原発は数多くあります。廃 炉、解体ができないので、みんな「閉鎖」なんです。 閉鎖とは発電を止めて、核燃料を取り出しておくこ とですが、ここからが大変です。

 放射能まみれになってしまった原発は、発電して いる時と同じように、水を入れて動かし続けなけれ ばなりません。水の圧力で配管が薄くなったり、部 品の具合が悪くなったりしますから、定検もしてそ ういう所の補修をし、放射能が外に漏れださないよ うにしなければなりません。放射能が無くなるまで 、発電しているときと同じように監視し、管理をし 続けなければならないのです。 

 今、運転中が五一、建設中が三、全部で五四の原 発が日本列島を取り巻いています。これ以上運転を 続けると、余りにも危険な原発もいくつかあります 。この他に大学や会社の研究用の原子炉もあります から、日本には今、小さいのは一〇〇キロワット、大きいの は一三五万キロワット、大小合わせて七六もの原子炉があ ることになります。

 しかし、日本の電力会社が、電気を作らない、金 儲けにならない閉鎖した原発を本気で監視し続ける か大変疑問です。それなのに、さらに、新規立地や 増設を行おうとしています。その中には、東海地震 のことで心配な浜岡に五機目の増設をしようとして いたり、福島ではサッカー場と引換えにした増設も あります。新設では新潟の巻町や三重の芦浜、山口 の上関、石川の珠洲、青森の大間や東通などいくつ もあります。それで、二〇一〇年には七〇~八〇基 にしようと。実際、言葉は悪いですが、この国は狂 っているとしか思えません。

 これから先、必ずやってくる原発の閉鎖、これは 本当に大変深刻な問題です。近い将来、閉鎖された 原発が日本国中いたるところに出現する。これは不 安というより、不気味です。ゾーとするのは、私だ けでしょうか。【転載続く】


原発がどんなものか知ってほしい!!(番外編)

2008-05-29 11:16:23 | Weblog

また、ぞろ原子力発電に傾斜を始めた企て.....。
後のことは関係ない、利権しか考えない
悪の企て、アルゴア以来の、否、温暖化キャンペーン以来の
悪の企て......。で、掲載することにした。

 という連載は、今回、お休みさせて頂いて、番外編と言うことで.....


 レイニーさんという方から、熱心なコメントを頂いている。これまでものは掲載したが、昨日も頂いた。きっとこれが最後になろうと思うので、もったいないないことだから公開しようと思う。コメント欄には既に公開した。Hamaoka_nuclear_pp_mlit1988

 今回は、返事(投稿者)も併せて掲載する。コメントに対し、投稿者は常に真摯に対応しているつもりである。心からそうである。そして、明らかにいかがわしいものは別として、公開を原則としている。本文に掲載することはよほどの事がないかぎりしない。今回は別である。 平井憲夫氏の文章を掲載することに、よほどにがにがしく思っている節が見える。何故か。?

 これまで、氏には敬意を持って対応してきたが、大体、見透しはついていた。原 発関係者か、その指令によるものか(裏方の指令)であろう。そうでなければそこまで執着しない。一般人であれば、1回のやりとりで十分である。それすらも 勇気のいることである。従って、結論を出したので、丁寧ではあるが、ズバリ核心に触れる返事を書いた。もうコメントしてこないであろう。してくるとすれ ば、悪態ををつくはずである。そうでなければ、間違いである。投稿者が素直に謝る。だから、そのやりとりを掲載して、平井憲夫氏文章の転連載を一回お休みすることとした。次回から再開する。悪しからず。

【コメントのやりとり掲載開始】

飄平さん今日は。IPアドレス: 58.188.229.48

一応お伝えすべき事を色々書いてきましたが、直接提示したリンク先は読まれたようでその点は祝着です。
なお「お客様相談室/広報部営業課」というのはあくまでも当該筆者たるEiFYEさんが個人サイトで一般訪問者向けにQ/Aをされていた窓口としての名称 に過ぎません。あくまでも個人で原子力発電の疑問に答えられていたサイトです。成立はここで問題にしている文章がweb拡散するより早い時期です。
まぁ私を信用なさらないのは結構ですが(有る意味当然かも知れません)、飄平さん自身が何も裏付け調査をされていない事には正直ガッカリしています。情報を公開し真実を追究すると言う立場を取られるなら、公開する文章の裏付けぐらい取るのは当然だと思ってました。
>「九電力会社は、情報公開して、下請けも含めて、電磁波被爆と放射能被爆の実態を明らかにすべきである。」
折角「中央登録センター」と書きましたのに、ググれば一番最初に出てきます、平成14~18年の職業被ばく全部が網羅されています、「原発作業のみならず研究所レベルも含みます」。
なおご忠告申し上げますが、「被爆」は原爆被災に対する用語であり、放射線由来は「被曝」、私が被ばくと書く理由でも有ります。
ホールボディカウンタを信用なさらないのは勝手ですが、一応性能表示で言えば検出限界が200ベクレル。
人体中の天然核種であるカリウム-40の存在量は文献により異なりますが、凡そ4000ベクレル程度です。
何故に事前測定が必要か?の答えでも有ります。

なお今後も継続されるとの事ですのであらかじめ。
放射性廃棄物の海洋投棄は存在しますが、実験室・医院等から出た「RI廃棄物」が対象で、原発由来のものは有りません。
「廃炉出来ない・・・」ですが、研究炉のJPDRは完全解体されており(平井氏存命中)、現在その成果を生かして原電東海が解体中です。
海外事例では日本で原発が出来る以前に解体されたものすら存在します。・・・・では。

レイニー 様
 度々、貴重なコメント有り難うございました。本日のコメントも必ず公開します。そして、広い、確度のある情報を元に、読者にご判断願うと言うことで、む しろ真実が見えてくるのではないでしょうか。その意味で、貴方様のコメントは、貴重で重要でありました。感謝申し上げます。

 私は、ジャーナリストではありません。一介の市民です。そして、たかがブログです。独白です。出来るだけ、広く、公平に情報を収集しようと努めて いても、独断と偏見のそしりを免れることは出来ないと考えます。それは、帰納法においては、個人の限界です。畢竟、その手法は演繹的にならざるを得ませ ん。それが『理知』によると言うことです。『情』ではありません。しかしながら、魂の奥底では、『情』による判断が関わっているのではないかとも考えてお りますが、表面上の『情』は排斥しています。
 『理知』も限界があり、「何だ、それだけの理知か!」とおしかりを受けることも多々あろうかとも存じます。それも、独白とお笑い下されば良しとの覚悟です。ただ、私は立場でものを言っているのではことだけ申し上げます。原発に反対でも、賛成でもない立場の人間です。
 只、限られた情報と、限られた『理知』で判断するところ、原発が何故必要か、原発が何故作られたか、そして、何故推進されるのか、その目的と狙いは、何か?というところから来ています。単に、原発は危険だからという発想は原点ではありません。その後です。
 これは全くの非公式なのですが、ある筋から、電力会社は電磁波被ばくと放射能被曝で実は非常に困っているという話を聞きました。その対応策も聞きまし た。それについては迷惑をかけるといけないので言えませんが、確度の高い話です。そして、それは現在も内密に急がれています。それからです。調べ始め他の は。
 当然、被害を中心に調べることは当然です。その被害に対する反論、隠蔽情報は後回しです。知った事じゃあないって感じです。やっぱり、事実はあるのです。ないと言うことは絶対にありません。電力会社は電磁波被ばくと放射能被爆で実は非常に困っているんです。

 貴方様は、大変原発についてお詳しい。むしろ、専門家に部類すると拝察します。きっと、原発関係者であると想像しています。お聞きしたい。そう言 うことはありませんか。貴方様の仲間、部下、下請け業者、作業人の健康被害についてお詳しい情報をお持ちではありませんか。そして、その方達のリタイア問 題を腐心している立場ではありませんか。
 むしろ、そうした状況を知り抜いた上で、隠蔽したいという思いを抱いているか、思いを抱いた方の指令でコメントされたのではありませんか。
 オット失礼、つたない『理知』で演繹的に思考していますと、こういう方向に展開して参ります。又、お叱りを受けそうなので、この辺でやめておきます。

 何れに致しましても、異論各論があって当然です。それが民主主義というモノです。リベラリズムとでも申しましょうか。しかし、民主主義、リベラリ ズムが、本当に狙いとするモノが体制破壊が目的であると申し上げたら、『世迷い言』と一笑されるでしょう。それは真実です。『理知』によると真実との判断 をしています。それは、私のブログを全編お読み頂くとその判断の上に立っていることが分かります。

 実は、本音を申し上げると、原発の問題に触れるつもりはなかったのですが、やっぱり、核心の問題であることがよく判りました。その意味で、感謝申し上げます。
 貴方様が、最初にコメントして頂いたときに感じました。『都合の悪いブログだな、何とかやめさせよう。もしくは、欺瞞性を指摘しておかないことには示しがつかない。』と。
 でも、ご心配には及びません。つたないブログですから、ほんの数千人/日しかご覧になっていない、独白の『世迷い言ブログ』です。本当に盛り上げて頂き、深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い致します。<飄平>


原発がどんなものか知ってほしい!!⑤

2008-05-28 13:30:44 | Weblog

また、ぞろ原子力発電に傾斜を始めた企て.....。
後のことは関係ない、利権しか考えない
悪の企て、アルゴア以来の、否、温暖化キャンペーン以来の
悪の企て......。で、掲載することにした。


Photo

 コメント氏から、再三のご見解を頂いた。全て公開している。併せてお読みいただ
くことをお奨めする。又、本転載記事の反論記事をご紹介頂いたので、並列掲載まではしないが、記載させていただく。

【転載開始】お客様相談室/広報部営業課
EiFYE原子力発電所FAQ特別編http://user33.at.infoseek.co.jp/

●『Re:原発がどんなものか知ってほしい』●
(超長文注意/文章のみ約130kB)
 こちらには、とあるサイトに掲載されている「原発がどんなものか知ってほしい」というタイトルの記事について、私なりの見解とコメント、訂正事項などを取り纏めたものを配置しています。 
 なお、文章の性質上、どうしても全体的に堅い真面目な文章になっています。
また、今後新しい情報の入手によって文章が改定される可能性があります。
 あしからず御了承願います。
『Re:原発がどんなものか知ってほしい』 【後略 転載終了】

 読んだ。精読とまでは行かないが、拝読させていただいた。『Re:原発がどんなものか知ってほしい』の著者は、原発関係者(電力会社)のあることは間違いはない。反論としては、全般に抑制のあるもので好感を持てた。当然、異論はあって然るべきであるから、主張は理解できる。両論併せて、読者の判断に委ねたい。

 投稿者の感想であるが、『怪文書』とまで表現するのは、意識過剰と思う。しかしながら、立場上、そうまで意識することは理解できる。個人の立場で、書いたとあるが、それは断定できない。 平井憲夫氏の文章を『怪文書』と断定できないと同じく断定できない。お客様相談室/広報部営業課と記載されている以上、その立場であるとの意見であるとの推定は許されよう。

 投稿者は、全く部外者であるから、いずれの立場に立つものではないが、原発が未解決課題の大きい技術であって、最終完成にほど遠い、一過性の技術であるとの認識に立つ以上、平井憲夫氏の見識に注目したのである。それだけである。一般見識の知識を持ち合わせていない以上、論争に荷担するつもりはない。で、論争は、コメント氏並びに論争を希望される方々にお任せしたい。

 とは言え、再三のコメントを頂いたので、『内部被爆』について、発言責任者として一言書きたい。投稿者の『内部被爆』につ いては、一般認識での話であるから、専門家諸氏の見識からは幼稚であるかもしれない。その検知センサーについても詳しく知る立場でもない。原子力発電所の 現状も知るよしもない。だから、『Re:原発がどんなものか知ってほしい』の著者の見識と、平井憲夫氏の主張といずれが正しいかは判別できないが、常識的に『内部被爆』検 知は、甚だ困難との認識には変わりがない。素人的な考えであるが、放射能、放射線化した極微粉末による体内被曝を正確に数値化出来る技術・機器があるとは 考えられない。又、それを避け得る有効な手だてがあるとも考えられない。トリチウムはいったいどれだけの濃度か。その吸引を防ぐ手だてはあるのか。

 物事には、よって立つべき立場によって、認識が違うのは当然である。そこで論争があるのは又、当然である。しか し、事実は一つであり、真実は事実の積み重ねによって顕れる。人間は全知全能ではない。いかなる技術も絶対というものはない。そうであるなら、チェルノブ イリも、もんじゅの事故もその他の原発事故も起こり得なかったのである。そして、一度は、全世界的に原子力発電所の建設を凍結したのではなかったか。そし て、それから状況がどのように変わったというのであろうか。何も変わっていない。

 変わったのは、温暖化と原油不足。それは本当か。? 

 太陽エネルギーと、常温核融合と、そして、コジュネ発電等、いくつもの可能性を考える時に至っている。風力発電適正地点が日本には無数あり、総発電量は総需要量の倍近くあるとの試算もある。

 九電力会社は、情報公開して、下請けも含めて、電磁波被爆と放射能被爆の実態を明らかにすべきである。論より証 拠。論より実際である。多分、明らかには出来ないであろう。明らかにすれば、不安に駆られた反対運動も、抗議活動も止む。全ての問題になるからである。肝 炎ウィルス感染問題と同じである。

【転載開始】<平井憲夫氏>

日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?

 もんじゅに使われているプルトニウムは、日本がフランスに再処理を依頼して抽出したものです。再処理というのは、原発で燃やしてしまったウラン燃料の中に出来たプルトニウムを取り出すことですが、プルトニウムはそういうふうに人工的にしか作れないものです。

 そのプルトニウムがもんじゅには約一・四トンも使われています。長崎の原爆は約八キロだったそうですが、一体、もんじゅのプルトニウムで どのくらいの原爆ができますか。それに、どんなに微量でも肺ガンを起こす猛毒物質です。半減期が二万四千年もあるので、永久に放射能を出し続けます。だか ら、その名前がプルートー、地獄の王という名前からつけられたように、プルトニウムはこの世で一番危険なものといわれるわけですよ。

 しかし、日本のプルトニウムが去年(一九九五年)南太平洋でフランスが行った核実験に使われた可能性が大きいことを知っている人は、余 りいません。フランスの再処理工場では、プルトニウムを作るのに核兵器用も原発用も区別がないのです。だから、日本のプルトニウムが、この時の核実験に使 われてしまったことはほとんど間違いありません。

 日本がこの核実験に反対をきっちり言えなかったのには、そういう理由があるからです。もし、日本政府が本気でフランスの核実験を止めさせたかったら、簡単だったのです。つまり、再処理の契約を止めればよかったんです。でも、それをしなかった。

 日本とフランスの貿易額で二番目に多いのは、この再処理のお金なんですよ。国民はそんなことも知らないで、いくら「核実験に反対、反対」といっても仕方がないんじゃないでしょうか。それに、唯一の被爆国といいながら、日本のプルトニウムがタヒチの人々を被爆させ、きれいな海を放射能で汚してしまったに違いありません。

 世界中が諦めたのに、日本だけはまだこんなもので電気を作ろうとしているんです。普通の原発で、ウランとプルトニウムを混ぜた燃料 (MOX燃料)を燃やす、いわゆるプルサーマルをやろうとしています。しかし、これは非常に危険です。分かりやすくいうと、石油ストーブでガソリンを燃や すようなことなんです。原発の元々の設計がプルトニウムを燃すようになっていません。プルトニウムは核分裂の力がウランとはケタ違いに大きいんです。だか ら原爆の材料にしているわけですから。

 いくら資源がない国だからといっても、あまりに酷すぎるんじゃないでしょうか。早く原発を止めて、プルトニウムを使うなんてことも止めなければ、あちこちで被曝者が増えていくばかりです。

日本には途中でやめる勇気がない

 世界では原発の時代は終わりです。原発の先進国のアメリカでは、二月(一九九六年)に二〇一五年までに原発を半分にすると発表しました。それに、プルトニウムの研究も大統領命令で止めています。あんなに怖い物、研究さえ止めました。

 もんじゅのようにプルトニウムを使う原発、高速増殖炉も、アメリカはもちろんイギリスもドイツも止めました。ドイツは出来上がったのを止 めて、リゾートパークにしてしまいました。世界の国がプルトニウムで発電するのは不可能だと分かって止めたんです。日本政府も今度のもんじゅの事故で「失敗した」と思っているでしょう。でも、まだ止めない。これからもやると言っています。

 どうして日本が止めないかというと、日本にはいったん決めたことを途中で止める勇気がないからで、この国が途中で止める勇気がないというのは非常に怖いです。みなさんもそんな例は山ほどご存じでしょう。

 とにかく日本の原子力政策はいい加減なのです。日本は原発を始める時から、後のことは何にも考えていなかった。その内に何とかなるだろうと。そんないい加減なことでやってきたんです。そうやって何十年もたった。でも、廃棄物一つのことさえ、どうにもできないんです。

 もう一つ、大変なことは、いままでは大学に原子力工学科があって、それなりに学生がいましたが、今は若い人たちが原子力から離れてしまい、東大をはじめほとんどの大学からなくなってしまいました。机の上で研究する大学生さえいなくなったのです。

 また、日立と東芝にある原子力部門の人も三分の一に減って、コ・ジェネレーション(電気とお湯を同時に作る効率のよい発電設備)のガス・タービンの方へ行きました。メーカーでさえ、原子力はもう終わりだと思っているのです。

 原子力局長をやっていた島村武久さんという人が退官して、『原子力談義』という本で、「日本政府がやっているのは、ただのつじつま 合わせに過ぎない、電気が足りないのでも何でもない。あまりに無計画にウランとかプルトニウムを持ちすぎてしまったことが原因です。はっきりノーといわな いから持たされてしまったのです。そして日本はそれらで核兵器を作るんじゃないかと世界の国々から見られる、その疑惑を否定するために核の平和利用、つま り、原発をもっともっと造ろうということになるのです」と書いていますが、これもこの国の姿なんです。【転載続く】

【コメント氏のご意見2題】<IPアドレス: 58.188.229.48

②<飄平さん今日は、コメント許可頂き有り難うございます。
私は15年程前に自己都合で退職した原子力関係技術者で、一応放射線関連の国家資格も有しております。
尤も別に原子力を擁護しようと言う立場ではありません、駄目な案件には断固ノーです。
さて今問題にしている当該文書の論評としては、下記が一番まともでしょう。

http://www.faireal.net/articles/6/12/

上のリンク先で触れられている「Re:原発が~」は、書かれている様に閉鎖されました。
下記のアドレスにて有志の方が残骸を公開されています。

http://user33.at.infoseek.co.jp/

妖精現実さんも書かれていますが、「Re:~」でも間違いは有りますし論点がずれているところも幾つかあります。
例として、問題文章では原発が放射性物質を垂れ流していると指摘し、「Re:~」では悪質なデマもどきと反論しています。
正確には、放出基準に合致するか検査し問題無い廃液を放出していますが、大概の場合においてその濃度は「検出限界未満」であります。
但しトリチウムは除去出来ませんので、毎年必ず似たような量を放出しています。
又、「工事のマニュアル化」に対し「Re:~」では妙な反論になっています。
これは問題文章では「建設工事」が題材であるのに対し、「Re:~」では点検作業が題材であるからです。
なお平井氏が指摘する「工事のマニュアル化」批判は、担当者としてのプライドありきに過ぎず、「溶接箇所低減化」が原発そのものの安全性向上を担うと言う側面を全く無視する暴論に過ぎません。
ではよろしくお願いします。>

③<飄平さん今日は。

冒頭の文章は、私のコメントに対する評価と受け取って良いかと思います。
それならば貴方が書かれた事に反証を書く権利が私には有るはずです。

まず>「内部被爆は、体内部被爆であるので、センサーには関係ない。従って、外部的には見つからない。」

これは貴方の明らかな錯誤というか思いこみです。
「ホールボディカウンタ」と言う括弧内の語句で検索されれば判りますが、原発作業員全員がこの測定器で「体内保有放射能量」を定期的(通常3ヶ月以内)に測定されます。
測定を拒否すれば作業員として認定されません。
一方内部被ばくの前兆現象として「体表面汚染」が必ず発生します。
原発の「管理区域」と言う作業現場から退出する場合、体表面汚染チェックが義務です。単なる体表面汚染ならシャワーで洗い流せます。
しかし内部被ばくの発生レベルなら体表面汚染モニタに何時までも引っかかります。
この様に内部被ばくが懸念されるケースではホールボディカウンタの緊急測定が実施され、本当に取り込んだのか?、取り込んだならどの程度の量で、被ばく評価値はどの程度かまで進み、最後は公的被ばく線量管理機関(中央登録センター)へ登録されます。
実際私はこの事態に現場で遭遇した経験を持ちます。
当該作業員は緊急で上記ホールボディカウンタでの測定を受け、以後原発の管理区域外作業に配置転換され「体内放射能が有意に検出されなくなるまで当該原発に拘束された」事を知っています。飄平さんが「私は承知しない」と言われようが厳然たる私の体験による事実です。
従って著者が書く内部被ばくを100回と言う内容は「あり得ない」のです。

>「著者自身が教育担当者であったかどうかは明らかではないが」
この部分は私自身が断言できます著者は教育担当者になれないと、何故なら私がその教育を行える資格を有しておりますから。
放管教育と現場で呼ばれる教育を実施できる者は極一部の存在です。
「放射線管理員」と呼ばれる職責の者で、かつ他の放射線管理員を指導出来る見識をも持つと電力会社に認めて貰う必要が有ります(どんな電力会社でも職歴及び知識を証明する書類を要求します、一般的には「放射線取扱主任者」と言う国家資格で私は第一種を取得しております)。
その様な立場にある人が「放射線と放射能」「体表面汚染と内部被ばく」を間違った記述をするのなら・・・・世も末とも言うべき事態です。
なお私は現場作業時期が81~で著者と凡そ8年程オーバーラップしております。
従って著者と「殆ど同じものを現場で見た」と言って差し支えない筈です。>

 


サウジアラビアに突如出現した巨大な砂の噴水!!

2008-05-28 09:46:40 | Weblog

あれからどうなっているいるだろう!!

奇妙な自然現象!

ガスの噴出によるものだろうと思うが.....。

動画http://www.youtube.com/v/iDhjQZx08Qc&hl=en

【転載開始】2008年05月22日 11時01分00秒 ギガジンより

サウジアラビアに突如出現した巨大な砂の噴水

サウジアラビアの町Al Ahsaaで突然高さ9メートルの砂の噴水が出現したそうです。B級映画だと地面からモンスターなどが出てくるのですが、一体何があったのでしょうか。

詳細は以下から。

空高く吹き上がる大量の砂。
YouTube - Sand Fountain in Saudi Arabia

地質学チームと科学者がすぐに駆けつけて調べたのですが、何故このような現象が起こったかは説明できなかったとのこと。彼らはイスラム教の聖典コーランに書かれてある「地球にかかった負荷が放出されたもの」だと考えているそうです。【転載終了】


原発がどんなものか知ってほしい!!④

2008-05-27 11:07:41 | Weblog

また、ぞろ原子力発電に傾斜を始めた企て.....。
後のことは関係ない、利権しか考えない
悪の企て、アルゴア以来の、否、温暖化キャンペーン以来の
悪の企て......。で、掲載することにした。


 

800pxsuperphnix

先日、コメント(公開中)を頂いた方から、当掲載文書は、「怪文書」とのご指摘があった。そうは思っていない。

 「怪文書」とは、『』にする文書のことである。そう指摘する以上、その証拠が必要である。コメント氏の指摘する文書の欺瞞とする箇所は、以下の2点。

  1. 著者自ら100回以上も内部被ばく云々。

  2. 「絶対安全」だと五時間の洗脳教育は労働安全衛生教育云々。

 内部被爆は、体内部被爆であるので、センサーには関係ない。従って、外部的には見つからない。労働安全衛生教育との 推定は、正しいが、「洗脳教育」と表現したこと自体表現の自由。著者自身が教育担当者であったかどうかは明らかではないが、資格者であったかも明らかでは ない。それらの主張をもって、欺瞞と断ずるには証拠不十分である。従って、コメント氏の「欺瞞による怪文書」との主張は、異論各論の一つと考えられる。

 異論各論は、言論の自由の証左であるから当然ある。批判も大いに結構。批難は、その方の立場を主張する批判であるから、あんまり歓迎しないが、それも排斥しない。立場が分かって都合が良い。批判は冷静・公正である。歓迎する。

  ちなみに、平井憲夫氏の文章は、多岐にわたる。その全般は承知していないが、その主張に『為』にする文章とはとうてい思われない。むしろ、犠牲の上に立つ 使命感を感じ取れる。表現は時には誇大にも、行き過ぎもある。しかし、一貫する流れに警告を発する意図に、悪意(意図する恣意性)はない。故に、『怪文 書』とは、とうてい思わない。 

参照>レイニーさん(IPアドレス: 58.188.229.48)のコメント

はじめまして今日は。

ご引用されている「原発がどんなものか知ってほしい」に対して異論が存在するとご承知の上で、転載されていらっしゃるご様子ですね。
ご引用文書の欺瞞性を知らずに引用公開されるのと違い、意図的だとは存じますが疑義のある文章を正当化されるのは決してほめられる行為とは思えません。

丁度この3ページ目に簡単な欺瞞部分が表示されています。

「内部被ばくが一番怖い」は全く正しい事ですが、著者自ら100回以上も内部被ばくをしてガンになったとの記述が有りますが、内部被ばくを引き起こした作業員は「現場作業禁止」になります。
私自身が内部被ばく発生という実例を現場で確認し、その後の処理も一部始終見ておりましたから言えます。
即ち100回もと言う記述は明らかに虚偽であり、内実は体表面汚染モニタに引っかかった回数と推定されます。

次に「絶対安全」だと五時間の洗脳教育で…~オウムの麻原以上のマインド・コントロール、 「洗脳教育」をやって来ました。とも記載されています。
この洗脳教育と揶揄されている教育は、労働安全衛生法により規定される教育で、教官には一定の資格が必要です。
その資格を得るには放射線管理員という実務経験が必須ですが、上記内部被ばくどころか体表面汚染モニタに100回も引っかかる放射線管理員など言語道断失格です。
従って著者自身が行える教育では有りませんので、行えたのは事務所での雑談程度でしか無いはずです。
まぁ冒頭で書いた「原発のことなら何でも知っている」と同様に、自己を大物に見せようと言う虚飾でしょう。

この2例は現場を存じているものに取って「相反する事例」であり、両者を同時に並記した時点で相当以上に事実をねじ曲げた文章であることが簡単に判ります。

少なくとも「事実を求めるブログ」を標榜なさるなら、当然のようにこの引用文書が「怪文書」だという事を異論反論も並列して掲載されるべきと思います。(全文掲載)

【転載開始】平井憲夫氏>

だれが助けるのか

 また、東京電力の福島原発で現場作業員がグライ ンダーで額(ひたい)を切って、大怪我をしたこと がありました。血が吹き出ていて、一刻を争う大怪 我でしたから、直ぐに救急車を呼んで運び出しまし た。ところが、その怪我人は放射能まみれだったの です。でも、電力会社もあわてていたので、防護服 を脱がせたり、体を洗ったりする除洗をしなかった。 救急隊員にも放射能汚染の知識が全くなかったので、 その怪我人は放射能の除洗をしないままに、病院に 運ばれてしまったんです。だから、その怪我人を触 った救急隊員が汚染される、救急車も汚染される、 医者も看護婦さんも、その看護婦さんが触った他の 患者さんも汚染される、その患者さんが外へ出て、 また汚染が広がるというふうに、町中がパニックに なるほどの大変な事態になってしまいました。みん なが大怪我をして出血のひどい人を何とか助けたい と思って必死だっただけで、放射能は全く見えませ んから、その人が放射能で汚染されていることなん か、だれも気が付かなかったんですよ。

 一人でもこんなに大変なんです。それが仮に大事 故が起きて大勢の住民が放射能で汚染された時、一 体どうなるのでしょうか。想像できますか。人ごと ではないのです。この国の人、みんなの問題です。

びっくりした美浜原発細管破断事故!

 皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の原 発はびっくりするような大事故を度々起こしていま す。スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する 大事故です。一九八九年に、東京電力の福島第二原 発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世 界で初めての事故でした。

 そして、一九九一年二月に、関西電力の美浜原発 で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や 海へ大量に放出した大事故でした。

 チェルノブイリの事故の時には、私はあまり驚か なかったんですよ。原発を造っていて、そういう事 故が必ず起こると分かっていましたから。だから、 ああ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまた ま日本ではなかったと思ったんです。しかし、美浜 の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふる えて椅子から立ち上がれない程でした。

 この事故はECCS(緊急炉心冷却装置)を手動 で動かして原発を止めたという意味で、重大な事故 だったんです。ECCSというのは、原発の安全を 守るための最後の砦に当たります。これが効かなか ったらお終りです。だから、ECCSを動かした美 浜の事故というのは、一億数千万人の人を乗せたバ スが高速道路を一〇〇キロのスピードで走っているの に、ブレーキもきかない、サイドブレーキもきかな い、崖にぶつけてやっと止めたというような大事故 だったんです。

 原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、 炉が空焚きになる寸前だったのです。日本が誇る多 重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと〇・七秒 でチェルノブイリになるところだった。それも、土 曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来 ていて、自動停止するはずが停止しなくて、その人 がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むよ うな大事故に至らなかったのです。日本中の人が、 いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。

 この事故は、二センチくらいの細い配管についている 触れ止め金具、何千本もある細管が振動で触れ合わ ないようにしてある金具が設計通りに入っていなか ったのが原因でした。施工ミスです。そのことが二 十年近い何回もの定検でも見つからなかったんです から、定検のいい加減さがばれた事故でもあった。 入らなければ切って捨てる、合わなければ引っ張る という、設計者がまさかと思うようなことが、現場 では当たり前に行われているということが分かった 事故でもあったんです。

もんじゅの大事故

 去年(一九九五年)の十二月八日に、福井県の敦 賀にある動燃(動力炉・核燃料開発事業団)のもん じゅでナトリウム漏れの大事故を起こしました。も んじゅの事故はこれが初めてではなく、それまでに も度々事故を起こしていて、私は建設中に六回も呼 ばれて行きました。というのは、所長とか監督とか 職人とか、元の部下だった人たちがもんじゅの担当 もしているので、何か困ったことがあると私を呼ぶ んですね。もう会社を辞めていましたが、原発だけ は事故が起きたら取り返しがつきませんから、放っ ては置けないので行くのです。

 ある時、電話がかかって、「配管がどうしても合 わないから来てくれ」という。行って見ますと、特 別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり 、寸法通りになっている。でも、合わない。どうし て合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか 分からなかった。一晩考えてようやく分かりました 。もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの 寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会 社の設計基準が違っていたのです。

 図面を引くときに、私が居た日立は〇・五mm切り 捨て、東芝と三菱は〇・五mm切上げ、日本原研は〇 ・五mm切下げなんです。たった〇・五mmですが、百 カ所も集まると大変な違いになるのです。だから、 数字も線も合っているのに合わなかったのですね。

 これではダメだということで、みんな作り直させ ました。何しろ国の威信がかかっていますから、お 金は掛けるんです。

 どうしてそういうことになるかというと、それぞ れのノウ・ハウ、企業秘密ということがあって、全 体で話し合いをして、この〇・五mmについて、切り 上げるか、切り下げるか、どちらかに統一しようと いうような話し合いをしていなかったのです。今回 のもんじゅの事故の原因となった温度センサーにし ても、メーカー同士での話し合いもされていなかっ たんではないでしょうか。

 どんなプラントの配管にも、あのような温度計が ついていますが、私はあんなに長いのは見たことが ありません。おそらく施工した時に危ないと分かっ ていた人がいたはずなんですね。でも、よその会社 のことだからほっとけばいい、自分の会社の責任で はないと。

 動燃自体が電力会社からの出向で出来た寄せ集め ですが、メーカーも寄せ集めなんです。これでは事 故は起こるべくして起こる、事故が起きないほうが 不思議なんで、起こって当たり前なんです。

 しかし、こんな重大事故でも、国は「事故」と言 いません。美浜原発の大事故の時と同じように「事 象があった」と言っていました。私は事故の後、直 ぐに福井県の議会から呼ばれて行きました。あそこ には十五基も原発がありますが、誘致したのは自民 党の議員さんなんですね。だから、私はそういう人 に何時も、「事故が起きたらあなた方のせいだよ、 反対していた人には責任はないよ」と言ってきまし た。この度、その議員さんたちに呼ばれたのです。 「今回は腹を据えて動燃とケンカする、どうしたら よいか教えてほしい」と相談を受けたのです。

 それで、私がまず最初に言ったことは、「これは 事故なんです、事故。事象というような言葉に誤魔 化されちゃあだめだよ」と言いました。県議会で動 燃が「今回の事象は……」と説明を始めたら、「事 故だろ! 事故!」と議員が叫んでいたのが、テレ ビで写っていましたが、あれも、黙っていたら、軽 い「事象」ということにされていたんです。地元の 人たちだけではなく、私たちも、向こうの言う「事 象」というような軽い言葉に誤魔化されてはいけな いんです。

 普通の人にとって、「事故」というのと「事象」 というのとでは、とらえ方がまったく違います。こ の国が事故を事象などと言い換えるような姑息なこ とをしているので、日本人には原発の事故の危機感 がほとんどないのです。【転載続く】


原発がどんなものか知ってほしい!!③

2008-05-26 09:21:52 | Weblog

また、ぞろ原子力発電に傾斜を始めた企て.....。
後のことは関係ない、利権しか考えない
悪の企て、アルゴア以来の、否、温暖化キャンペーン以来の
悪の企て......。で、掲載することにした。

 

Monju

 

 物事は、現場に行かなければ真実は見えない。理論理屈では『斯くあるべきであるから、斯くあるはず』と言えるだろうが、それは真実とは違う。単に斯くあるべき事である。その意味で、氏の語ることは、

 

現場の証言であって、異論を差し挟む以前の確認するべき話である。異論があることも承知している。が、そうした異論より先行して、実際の現場を確認する事が必要である。<下記写真はチェルノブイリ>

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 推察であるが、実際の事は氏の語ることに限りなく近いと思う。氏自ら、癌を病んで、逝去された。病をおして、使命感で告発証言をした。その緊迫度は格段に違う。それが真実であるとしたら、いま引き返さなくては取り返しのつかない負債を負うことになる。 

 


【転載開始】<平井憲夫氏>

放射能垂れ流しの海

 冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。はっきり言って、今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚はほとんどありません。日本の海が放射能で汚染されてしまっているのです。

 海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。

 原発の事故があっても、県などがあわてて安全宣言を出しますし、電力会社はそれ以上に隠そうとします。それに、国民もほとんど無関心ですから、日本の海は汚れっぱなしです。

 防護服には放射性物質がいっぱいついていますから、それを最初は水洗いして、全部海に流しています。排水口で放射線の量を計ると、すごい 量です。こういう所で魚の養殖をしています。安全な食べ物を求めている人たちは、こういうことも知って、原発にもっと関心をもって欲しいものです。このま までは、放射能に汚染されていないものを選べなくなると思いますよ。

 数年前の石川県の志賀原発の差止め裁判の報告会で、八十歳近い行商をしているおばあさんが、こんな話をしました。「私はいままで原発のことを知らなかった。今日、昆布とわかめをお得意さんに持っていったら、そこの若奥さんに「悪いけどもう買えないよ、今日で終わりね、志賀原発が運転に入ったから」って言われた。原発のことは何も分からないけど、初めて実感として原発のことが分かった。どうしたらいいのか」って途方にくれていました。みなさんの知らないところで、日本の海が放射能で汚染され続けています。

内部被爆が一番怖い

 原発の建屋の中は、全部の物が放射性物質に変わってきます。物がすべて放射性物質になって、放射線を出すようになるのです。どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜けるからです。体の外から浴びる外部被曝も怖いですが、一番怖いのは内部被曝です。

 ホコリ、どこにでもあるチリとかホコリ。原発の中ではこのホコリが放射能をあびて放射性物質となって飛んでいます。この放射能をおびたホ コリが口や鼻から入ると、それが内部被曝になります。原発の作業では片付けや掃除で一番内部被曝をしますが、この体の中から放射線を浴びる内部被曝の方が 外部被曝よりもずっと危険なのです。体の中から直接放射線を浴びるわけですから。

 体の中に入った放射能は、通常は、三日くらいで汗や小便と一緒に出てしまいますが、三日なら三日、放射能を体の中に置いたままになりま す。また、体から出るといっても、人間が勝手に決めた基準ですから、決してゼロにはなりません。これが非常に怖いのです。どんなに微量でも、体の中に蓄積 されていきますから。

 原発を見学した人なら分かると思いますが、一般の人が見学できるところは、とてもきれいにしてあって、職員も「きれいでしょう」と自慢そうに言っていますが、それは当たり前なのです。きれいにしておかないと放射能のホコリが飛んで危険ですから。

 私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。でも、私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。じゃ死ぬ前になにかやろうと。原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです。

普通の職場環境とは全く違う

 放射能というのは蓄積します。いくら徴量でも十年なら十年分が蓄積します。これが怖いのです。日本の放射線管理というのは、年間50ミリシーベルトを守ればいい、それを越えなければいいという姿勢です。

 例えば、定検工事ですと三ケ月くらいかかりますから、それで割ると一日分が出ます。でも、放射線量が高いところですと、一日に五分から七 分間しか作業が出来ないところもあります。しかし、それでは全く仕事になりませんから、三日分とか、一週間分をいっぺんに浴びせながら作業をさせるので す。これは絶対にやってはいけない方法ですが、そうやって10分間なり20分間なりの作業ができるのです。そんなことをすると白血病とかガンになると知っ てくれていると、まだいいのですが……。電力会社はこういうことを一切教えません。

 稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが一本緩んだことがありました。動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本の ネジを締めるのに働く人三十人を用意しました。一列に並んで、ヨーイドンで七メートルくらい先にあるネジまで走って行きます。行って、一、二、三と数える くらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。ネジを たった一山、二山、三山締めるだけで百六十人分、金額で四百万円くらいかかりました。

 なぜ、原発を止めて修理しないのかと疑問に思われるかもしれませんが、原発を一日止めると、何億円もの損になりますから、電力会社は出来るだけ止めないのです。放射能というのは非常に危険なものですが、企業というものは、人の命よりもお金なのです。

「絶対安全」だと五時間の洗脳教育

 原発など、放射能のある職場で働く人を放射線従 事者といいます。日本の放射線従事者は今までに約 二七万人ですが、そのほとんどが原発作業者です。 今も九万人くらいの人が原発で働いています。その 人たちが年一回行われる原発の定検工事などを、毎 日、毎日、被曝しながら支えているのです。

 原発で初めて働く作業者に対し、放射線管理教育 を約五時間かけて行います。この教育の最大の目的 は、不安の解消のためです。原発が危険だとは一切 教えません。国の被曝線量で管理しているので、絶 対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で原発反 対の人たちが、放射能でガンや白血病に冒されると 言っているが、あれは“マッカナ、オオウソ”であ る、国が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だ と、五時間かけて洗脳します。  

 こういう「原発安全」の洗脳を、電力会社は地域 の人にも行っています。有名人を呼んで講演会を開 いたり、文化サークルで料理教室をしたり、カラー 印刷の立派なチラシを新聞折り込みしたりして。だ から、事故があって、ちょっと不安に思ったとして も、そういう安全宣伝にすぐに洗脳されてしまって 、「原発がなくなったら、電気がなくなって困る」 と思い込むようになるのです。

 私自身が二〇年近く、現場の責任者として、働く 人にオウムの麻原以上のマインド・コントロール、 「洗脳教育」をやって来ました。何人殺したかわか りません。みなさんから現場で働く人は不安に思っ ていないのかとよく聞かれますが、放射能の危険や 被曝のことは一切知らされていませんから、不安だ とは大半の人は思っていません。体の具合が悪くな っても、それが原発のせいだとは全然考えもしない のです。作業者全員が毎日被曝をする。それをいか に本人や外部に知られないように処理するかが責任 者の仕事です。本人や外部に被曝の問題が漏れるよ うでは、現場責任者は失格なのです。これが原発の 現場です。【転載続く】


原発がどんなものか知ってほしい!!②

2008-05-25 11:05:30 | Weblog

また、ぞろ原子力発電に傾斜を始めた企て.....。
後のことは関係ない、利権しか考えない
悪の企て、アルゴア以来の、否、温暖化キャンペーン以来の
悪の企て......。で、掲載することにした。

800pxbrucenuclearszmurlo

 <核分裂を初めて発見した女性>http://www.youtube.com/watch?v=xp589WzAQzo

 

核分裂だから、CO2 が排出しないことは、中学生でも分かる。しかし、原子力発電の全てのシステムで、CO2 削減効果があるとは分からない。ウラニウム精錬から発電所建設、保守管理、廃熱、再処理、残渣処理全ての過程で果たしてどうか、分からない。残渣処理に目処はつかないと言うことは、無限大のコストが想定されるし、無限大のエネルギーが想定される。未だ未完成の技術である。

 廃プラスティックのリサイクルが、果たしてCO2 削減効果があるかという疑問と同じだ。利権が先行し、その為に都合の良いデータが用意され、世論が誘導されていく構造は随所にある。

【転載開始】<平井憲夫

名ばかりの検査・検査官

 原発を造る職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。しかし、その検査体制が問題なのです。出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。検査は施工の過程を見ることが重要なのです。

 検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。

 原発の事故があまりにもひんぱんに起き出したころに、運転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。原発の新設や定検(定期検査)のあとの運転の許可を出す役人です。私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。

 というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。その人は「自 分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人や ハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。美浜原発 にいた専門官は三か月前までは、お米の検査をしていた人だった」と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。このようにまったくの素人が出す原発の運転許可を信用できますか。

 東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と 報道していましたが、その人は、自分の担当している原発で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。なぜ、専門官が何も知らなかったのか。それ は、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、いちいち説明する時間がな かったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。だから何も知らなかったのです。

 そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先です から、全然畑違いの人です。この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知 りません。ですから、検査と言ってもただ見に行くだけです。けれども大変な権限を持っています。この協会の下に電力会社があり、その下に原子炉メーカーの 日立・東芝・三菱の三社があります。私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社も ほとんど素人ということになります。だから、原発の事故のことも電力会社ではなく、メー力-でないと、詳しいことは分からないのです。

 私は現役のころも、辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進してい るところですから、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの 職人が検査と指導を行えば、溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていません。このように、日本の 原発行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです。

いいかげんな原発の耐震設計

 阪神大震災後に、慌ただしく日本中の原発の耐震設計を見直して、その結果を九月に発表しましたが、「どの原発も、どんな地震が起きても大丈夫」と いうあきれたものでした。私が関わった限り、初めのころの原発では、地震のことなど真面目に考えていなかったのです。それを新しいのも古いのも一緒くたに して、大丈夫だなんて、とんでもないことです。1993年に、女川原発の一号機が震度4くらいの地震で出力が急上昇して、自動停止したことがありました が、この事故は大変な事故でした。なぜ大変だったかというと、この原発では、1984年に震度5で止まるような工事をしているのですが、それが震度5では ないのに止まったんです。わかりやすく言うと、高速道路を運転中、ブレーキを踏まないのに、突然、急ブレーキがかかって止まったと同じことなんです。これ は、東北電力が言うように、止まったからよかった、というような簡単なことではありません。5で止まるように設計されているものが4で止まったということ は、5では止まらない可能性もあるということなんです。つまり、いろんなことが設計通りにいかないということの現れなんです。

 こういう地震で異常な止まり方をした原発は、1987年に福島原発でも起きていますが、同じ型の原発が全国で10もあります。これは地震と原発のことを考えるとき、非常に恐ろしいことではないでしょうか。

定期点検工事も素人が

 原発は1年くらい運転すると、必ず止めて検査をすることになっていて、定期検査、定検といっています。原子炉には70気圧とか、150気 圧とかいうものすごい圧力がかけられていて、配管の中には水が、水といっても300℃もある熱湯ですが、水や水蒸気がすごい勢いで通っていますから、配管 の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあるのです。そういう配管とかバルブとかを、定検でどうしても取り替えなくてはならないのですが、この作業に必 ず被曝が伴うわけです。

 原発は一回動かすと、中は放射能、放射線でいっぱいになりますから、その中で人間が放射線を浴びながら働いているのです。そういう現場 へ行くのには、自分の服を全部脱いで、防護服に着替えて入ります。防護服というと、放射能から体を守る服のように聞こえますが、そうではないんですよ。放 射線の量を計るアラームメーターは防護服の中のチョッキに付けているんですから。つまり、防護服は放射能を外に持ち出さないための単なる作業着です。作業 している人を放射能から守るものではないのです。だから、作業が終わって外に出る時には、パンツー枚になって、被曝していないかどうか検査をするんです。 体の表面に放射能がついている、いわゆる外部被曝ですと、シャワーで洗うと大体流せますから、放射能がゼロになるまで徹底的に洗ってから、やっと出られま す。

 また、安全靴といって、備付けの靴に履き替えますが、この靴もサイズが自分の足にきちっと合うものはありませんから、大事な働く足元が ちゃんと定まりません。それに放射能を吸わないように全面マスクを付けたりします。そういうかっこうで現場に入り、放射能の心配をしながら働くわけですか ら、実際、原発の中ではいい仕事は絶対に出来ません。普通の職場とはまったく違うのです。

 そういう仕事をする人が95%以上まるっきりの素人です。お百姓や漁師の人が自分の仕事が暇な冬場などにやります。言葉は悪いのですが、いわゆる出稼ぎの人です。そういう経験のない人が、怖さを全く知らないで作業をするわけです。

 例えば、ボルトをネジで締める作業をするとき、「対角線に締めなさい、締めないと漏れるよ」と教えますが、作業する現場は放射線管理区域ですから、放射能がいっぱいあって最悪な所です。作業現場に入る時はアラームメーターをつけて入りますが、現場は場所によって放射線の量が違いますから、作業の出来る時間が違います。分刻みです。

 現場に入る前にその日の作業と時間、時間というのは、その日に浴びてよい放射能の量で時間が決まるわけですが、その現場が20分間作業ができる所だとすると、20分経つとアラ-ムメーターが鳴るようにしてある。だから、「アラームメーターが鳴ったら現場から出なさいよ」と指示します。でも現場には時計がありません。時計を持って入ると、時計が放射能で汚染されますから腹時計です。そうやって、現場に行きます。

 そこでは、ボルトをネジで締めながら、もう10分は過ぎたかな、15分は過ぎたかなと、頭はそっちの方にばかり行きます。アラームメー ターが鳴るのが怖いですから。アラームメーターというのはビーッととんでもない音がしますので、初めての人はその音が鳴ると、顔から血の気が引くくらい怖 いものです。これは経験した者でないと分かりません。ビーッと鳴ると、レントゲンなら何十枚もいっぺんに写したくらいの放射線の量に当たります。ですから ネジを対角線に締めなさいと言っても、言われた通りには出来なくて、ただ締めればいいと、どうしてもいい加滅になってしまうのです。すると、どうなります か。【転載続く】


原発がどんなものか知ってほしい!!①

2008-05-24 13:12:13 | Weblog

また、ぞろ原子力発電に傾斜を始めた企て.....。
後のことは関係ない、利権しか考えない
悪の企て、アルゴア以来の、否、温暖化キャンペーン以来の
悪の企て......。で、掲載することにした。


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 斯く言う投稿者は、原子力発電所建設反対運動に関心を持った ことはない。イデオロギーに対し、アレルギーのごとく拒絶意識がある。要は一種の拗ね者で、同じ考え、同じ行動をする団体行動を嫌悪する。しかし、原子力 に対するその根源的な問題点は認識する。それは、『破壊』するという、『崩壊』するという方法論による嫌悪感である。

 『核分裂』を特定して、核爆弾を製造した立脚点にあると思う。どんなに制御しても、原理は爆弾である。コンマパー セントしかない自然界のウラニウム235を数パーセントに濃縮して、激烈な爆弾を作る。その爆弾を制御して、お湯を沸かして電気を作る。この事は、ニトログリセ リンを制御してダイナマイトを作ったノーベルの処方と同じで、そのダイナマイトを使って、土木工事するのとは分けが違う。あくまでもダイナマイトは爆弾で、土木工事に利用するのも爆弾としての破壊作用である。

 ダイナマイトでお湯が沸かせるあ ろうか。?

 破壊すれば、残渣が出る。その残渣はリユース・リサイクルできるものかどうか。残渣のプルトニウムは猛毒である。どこまで行っても、破壊の連鎖である。

 自然界においては、創造と破壊は日常茶飯事である。核分裂もあれば、核融合もある。当然、常温原子転換(ケルブランの生体内の常温原子転換説)は行われているモノと思う。しかし、それは普通穏やかに行われており、安定し、均衡し ている。その中から、エネルギーを平和利用するというのなら分かる。それなら、『核分裂』『核融合』であれ、安全に利用することが出来るであろう。

 爆弾からは、破壊作用利用以外の平和利用は出来ない。詭弁である。

 その詭弁を、さらに地球温暖化という詭弁を用いて、原子力発電を推進する。後 先考えない大詭弁と言うべきである。ウラニウム発掘から、精錬、制御方式、残渣処理すべてを考えて、どこが2酸化炭素削減効果があるというのか。とんと聞 いたことがない。2酸化炭素削減なるモノが、又、詭弁であるとしたら、我々は詭弁(ウソ)の渦の中に生きている。目を覚ます必要がある。

 平井憲夫さんの主張は、実際的で説得力がある。そして、自らもその被害者であり、その被害のために命を短くされた。実体験者である。その叫びは真実がこもっている。叫びを使命として果たされて逝かれた。それを傾聴する事は、我々の務めである。

筆者「平井憲夫さん」について:

1997年1月逝去。
1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。

 【転載開始】私は原発反対運動家ではありません。

 二○年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。

 はじめて聞かれる話も多いと思います。どうか、最後まで読んで、それから、原発をどうしたらいいか、みなさんで考えられたらいいと思いま す。原発について、設計の話をする人はたくさんいますが、私のように施工、造る話をする人がいないのです。しかし、現場を知らないと、原発の本当のことは 分かりません。

 私はプラント、大きな化学製造工場などの配管が専門です。二○代の終わりごろに、日本に原発を造るというのでスカウトされて、原発に行きました。 一作業負だったら、何十年いても分かりませんが、現場監督として長く働きましたから、原発の中のことはほとんど知っています。

「安全」は机上の話

 去年(一九九五年)の一月一七日に阪神大震災が起きて、国民の中から「地震で原発が壊れたりしないか」という不安の声が高くなりました。原発は地震で本当に大丈夫か、と。しかし、決して大丈夫ではありません。国や電力会社は、耐震設計を考え、固い岩盤の上に建設されているので安全だと強調していますが、これは机上の話です。

 この地震の次の日、私は神戸に行ってみて、余りにも原発との共通点の多さに、改めて考えさせられました。まさか、新幹線の線路が落下したり、高速道路が横倒しになるとは、それまで国民のだれ1人考えてもみなかったと思います。

 世間一般に、原発や新幹線、高速道路などは官庁検査によって、きびしい検査が行われていると思われています。しかし、新幹線の橋脚部のコ ンクリートの中には型枠の木片が入っていたし、高速道路の支柱の鉄骨の溶接は溶け込み不良でした。一見、溶接がされているように見えていても、溶接そのも のがなされていなくて、溶接部が全部はずれてしまっていました。

 なぜ、このような事が起きてしまったのでしょうか。その根本は、余りにも机上の設計ばかりに重点を置いていて、現場の施工、管理を怠ったためです。それが直接の原因ではなくても、このような事故が起きてしまうのです。

素人が造る原発

 原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマン エラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。机上の設計の議論は、最高 の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度も されたことがありません。

 原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。

 日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。

 仮に、自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の原発なのです。

 ひとむかし前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。 職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。それが十年くらい前から、現場に 職人がいなくなりました。全くの素人を経験不問という形で募集しています。素人の人は事故の怖さを知らない、なにが不正工事やら手抜きかも、全く知らない で作業しています。それが今の原発の実情です。

 例えば、東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になって いたところでした。本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。そういう意味では老朽化 した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。

 現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように、工事がマニュアル化されるようになりました。マニュアル化というのは図面を見て 作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんで す。そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。こういうことも、事 故や故障がひんぱんに起こるようになった原因のひとつです。

 また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付 けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。これではちゃんとした技術を教えることができません。それに、いわゆる 腕のいい人ほど、年問の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。

 また、例えば、溶接の職人ですと、目がやられます。30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。そうすると、細かい仕事 が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こうかなあということになります。

 皆さんは何か勘違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。

 ですから、素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。【転載続く】


ゲームの達人さんが『転生輪廻』していた!!OUT OF EDEN

2008-05-23 18:23:45 | Weblog

ゲームの達人さんのブログが、
OUT OF EDEN』として、転生輪廻して復活している!! 

Photo


 大変結構なことだ。過去記事も見えるし、装いは新たに、しかし、イメージは同じだ。
嬉しい。!!懐かしい。

 嫌がられるかもしれないが、即ご案内する。
 URLはhttp://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/link?b=30

   

【転載開始】OUT OF EDEN

   

 ここでは上手く嘘をつくことを教える。なぜなら真実を知らされて不幸になるよりは嘘をつかれ欺かれて幸せであるほうがよほどマシであるからだ。<Angel of ABYSS>     

【転載終了】

 何があったのか知らないが、過去のことはもう詮索しないでおこう。大切なのは、今。そして未来がある。未来のことも深く考えるのは、野暮なことだ。今が未来を創るからだ。
 そう、今を生きる。それに徹する以外にない。それがミッションだ。使命だ。
 よろしくお頼みしますよ。達人さん。!! おっと、今度のお名前は、なんとお呼びすれば、よろしいのだろう。

 とにかく、喜ばしい極み。!!!

【記事転載開始】2008/5/14

          「はじめに」         
 

厳 密に言えば,アダム(正確にはエリドウの守護神であるエア神が創造したアダバが一応正しい)は何か新しいことを覚えるのではなく,自分の裸体を悟り善と悪 の区別を意識するのだ。同様に歳をとってゆく人間は知らないことを何か習うのではなく,新しい次元の中で,新しい照明のもと悲しい真理を発見するのだ。
      (ウラジミール・ジャン・ケレビッチ「死」)より

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よ うこそ「OUT OF EDEN」へ。Zecharia Sitchinは神について最初に疑問を持った。聖書はまた疑いようもなく聖書だが,我々は常に神の名の正義に疑問を抱き,それを出発点とするならば人は 正しく堕ちきることが出来るだろう。Sitchinでさえ紀元前45万年前から一万三千年前の間に宇宙人がこの地上にやってきて人類を創造したと子どもじ みた仮説を打ち立てた拠りどころは銅板に描かれた楔(くさび)形文字であったがそれが正しいかなどは知るよしもない。宇宙人という物語を入れないと本は売 れないのである。これがパラドックスである。
 
 坂口安吾という人は「堕落論」でこう言っている。「人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできない。防ぐことによって人を救うことは できない。人間は生き,人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであ り,生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。........人は正しく堕ちきることが必要なのだ。......堕 ちきる道を堕ちきることによって自分自身を発見し,救われなければならない」と。
 
 若くして夭折したRaymond Radiquetは「肉体の悪魔」の中でこう書いている。
 「望みをすべて叶えてしまうと(マルクとの愛欲),自分が不当な人間になっていくような気がした。.....人の心に理性にはない道理があるとすれば, それは理性が心ほど思慮深くないからだということを認めなければならない。.....ところが現実には,道徳にさえ背かずにつねに同じ型を追いかけていら れるのは,愚かな者達ばかりだ」<松本百合子訳>
 
   世間に最も広く流布されている迷信の一つは,人間というものはそれぞれ固有の性質を持っているものだということである。すなわち、善人とか,悪人とか,愚者とか,精力的な者とか,無気力な者とかに分かれて存在しているという考え方である。
 
 だが,人間とはそのようなものではない。ただわれわれはある個人について,あの男は悪人でいるときよりも善人でいるときのほうが多いとか,馬鹿でいると きよりもかしこいときのほうが多いとか,無気力でいるときより精力的であるときのほうが多いとか,あるいはその逆のことがいえるだけである。
 
 かりにわれわれがある個人について,あれは善人だとか利口だといい,別の個人のことを,あれは悪人だとか馬鹿だとかいうならば,それは誤りである。それなのに,われわれはいつもこんなふうに人間を区別しているが,これは公平を欠くことである。
 
 人間というものは河のようなものであって,どんな河でも水には変りがなく,どこへ行っても同じだが,それぞれの河は狭かったり,流れが速かったり,広かったり,静かだったり,冷たかったり,濁っていたり,暖かだったりするのだ。
 
 人間もそれと全く同じ事であり,各人は人間性のあらゆる萌芽を自分の中に持っているのであるが,あるときはその一部が,またあるときは他の性質が外面に 現れることになる。そのために,人々はしばしばまるっきり別人のように見えるけれども,実際には,相変わらず同一人なのである<トルストイ・復活59章> より
 
「狼が羊を食うとき,どのようにして近ずき,どのようにして襲い,どこに最初に噛み付き,殺したあとどこから食べ始める~ということは,たいへん正常で, かつ論理的だ。狼にとっては,この正しさと論理性は何の疑問もさしはさむ余地はない。狼にとっては,羊は食べられる運命であり,そのように創造された生物 だ。
 だが羊の理論は,そうではない。狼の視点から正常かつ論理の一貫した世界は,全部異常かつ非論理的である。.......日本ほど平等な国はないと思っ ている超高級花嫁学校の正常な生徒たちよ。....超高級花嫁学校に,超高級授業料を払って,ますます正常な人間へと自分を堕落させてゆくことのアホらし さに気ずくだろう。反対に羊の論理にあくまで目をつぶって「見えない人間」の存在を無視するのであれば,もはや「正常」と「異常」とが力関係を逆転される ときまで,すなわちいやでもわからせられるときまで,そのアホらしい,たぶんシアワセな生活を,このままつずけることだ」<本田勝一著:殺す側の論理>よ り
 
 シュメール最古の町エリドウの祭司王アダバ物語は一介の漁夫が祭司王になったいきさつを一つの「訓話風」に作り伝えているがそのアダバ物語と「エンキと ニンフルサグの神話」をヒントに両者を合わせてシュメール叙事詩風にアダムとエバの物語を作ったという。しかしそれだけでは充分でない。弁証法的理性批判 をめぐってJ・Pサルトルと論争をしたクロード・ギュスタフ・レビンのように構造主義的考察が必要である。したがってMitochondrial Eve・人類アフリカ単一起源説からGiorgio de SatillanceのHamlet's Mill(ハムレットの水車小屋) で述べられている春分点歳差(Vernal Equinox Precession)などやStephen Oppenheimer氏のOUT OF EDENを原点とした旅をしてみようと思う。私としてはすでに結論が出ているが再確認の意味もある。そうすることによって初めてカルタゴ以来の国際金融資 本家たちが時間をかけ神の名の正義のもと宗教神話を巧みに利用して社会を操作・操縦・支配してきた構図がはっきりとしてくるだろう。それはほかでもなくあ らゆる犯罪が神の名の正義のもとで正当化される。宗教神話は真実として受け入れられなくてはならないがそれは各人の精神心理の中枢部へ入り込み拡散する。 そしてそれがうまく機能することによって真実(神聖詐欺)を知るごく少数の人間達のみがThesis+AntiThesis=a de fact"Synthesis(正・反・合)を巧みに操りながら戦争を仕掛け莫大な富を築きあげ世界を支配している現実がほぼ完璧に理解出来るでしょう。

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【後略 転載終了】