ある元日本人の方の遺文です。転載させて頂きました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 合掌。
大阪靖國訴訟補助参加人意見陳述書
元日本人 上杉重雄(鄭春河)
私は植民地臺灣で大正九年(1920年)に生れて終戦翌年の六月復員まで満二十六年間の日本人であります。大東亞戰争の生残りです。
大東亞戰争が勃発した時、国土防衛は国民の義務だと自覚して血書嘆願で陸軍兵に採用され、昭和十八年濠北のチモール島第四十八師團歩兵第二聯隊に転属されました。
当時臺灣第一回陸軍特別志願兵は一千名でしたが第四十八師團に約八百余名配属されました。悪戦苦闘をしましたが遂に日本は敗戦しました。
二十一年六月四日異国民となつて中国国民党占領下の臺灣に送還されたのであります。しかし私の人生に悔いはありません。
大東亞戰争で二一三万余戦没しました。「靖國神社で会おう」と誓い合つて祖國日本の為に潔く散華されました。
ところが私は不覚にも死所を得ずして本日まで生きながらへたのを恥かしく申し訳なく思つて居ります。
靖國神社は日本人の感情の上に立つて建立されたのです。祖國日本の為に命を捧げた方々に対して、国民として永久に祀りつづける場所であります。古来日本では亡くなつた人を慰める方法はたつたひとつ祀ることです。
もつと生き永らえることが出来たのに、その命を絶たれた方々に対する鎮魂の場で有ります。決して戦争を鼓舞するための、魂を荒ぶらせるための場などでは絶対にありません。
私は今まで秘密にしておりましたがこの際やむなく公開しなければならない事がございます。一九九九年(平成十一年)十月十九日靖國神社御創立一三〇年大祭に招かれました。前列の指定席に案内されたのです。ところが不思議哉式典の最中に英霊の聲が伝はつてきました。
目を閉じたら驚く勿れ、「おい上杉、お前は死なずによかつた。俺達は國の要請で戦場に立ち、この祖國日本のために愛する親、兄弟、姉妹、妻子、恋人への恋慕を絶ち切つて俺達が死んで逝つたのだ。
ところが俺達がこよなく愛した祖國から裏切られ、この靖國の地の公式の祭祀は見捨てられ、総理、国賓の表敬参拝、自衛隊の部隊参拝もしないのは一体何たることか。俺達の死を何と考えているのか。
今日日本の平和と繁栄は俺達の犠牲の上にあることを認識しているのか。俺達はこんな冷たい祖國の発展を願ひこんな心ない祖國のための礎となつたのではないのだ」と。これだけではありません。その夜又ホテルに現はれました。
「俺達は生れ変りたい。極楽浄土へ昇天させてくれ」と将校以下十数名が代表として来られたのです。翌朝フロントで「鄭さん夕は来客が多くて忙しかつたでしょう」ときかれてびつくりしました。英霊は昔ままの服装で階級章もつけていました。夢のようで夢ではなかつたのです。しかしこんな事を言うたところで誰が信じてくれますか。私はどうしてよいか分りません。大祭が終わつて帰国後二年半になりますが、その時聞いた言葉が今なお脳裏にとどまり、胸にせまつてくるのです。
日本の皆々様、英霊のおかれた報はれぬ死に悲憤し、この日本の心なき変節に激怒する血涙の絶叫を如何思召遊ばされますか? 國のために命を捧げられた二百四十六万六千余柱の護國の英霊に一国の総理が国民を代表して感謝の意を表するのが何故いけないのか。小泉総理・靖國神社を訴訟するのは以ての外です。世界何処の國にもこんな例がありません。
自分たちの國を守る尊さをどうやつて伝えるのでしょうか。護國の英霊が祀られている靖國神社を訴えるなどという冒涜を、私は人間として許すことができません。この人たちは英霊の気持ちを考えたことがあるのでしょうか。このような非道を放置すれば、やがては社会が乱れ、國もつぶれ、人の顔をした餓鬼が跋扈する世となるでしょう。
どうか裁判官の皆様、大義名分を明らかにして正義に基いた御裁断を元日本人の一人として謹んでお願ひ申し上げる次第でございます。
(附嗚呼救国之神靖國英霊一冊)
平成十四年六月十日
元日本人 上杉重雄(鄭春河)
臺灣台南市(以下略)
大阪地方裁判所 裁判官殿
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