高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

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10月30日 ノスタルジー

2004-11-04 | Weblog
夜、思いきり独りよがりなノスタルジーに浸ってすごした。 8時という、 夜の始まりの時間に、ぐったりとソファに寄りかかり、 テレビの スイッチを入れる。往年のシャンソン歌手、 越路吹雪がおもいきりファッショナブルなドレスで画面に浮かび上がった。
そのまま何曲か聴いたあと、誰かに電話で知らせようか、ビデオに撮ろうかと、 もぞもぞ身体を動かしたけど、またうずくまって画面に戻った。それから何曲か彼女の歌がつづいて、気がつくと、私は泣いていた。このまま、このまま。
たった今聴いていればいい。
すばらしい歌だけど、もう一度聴こうなんて考えなくてもいい。
歌が発する波に心を共鳴させて、ふるえていればいい。 なつかしさにどっぷりひたって、もうこの世にいない人がくりひろげる美しい世界をじっと見つめていればいい。
彼女が次から次へと着るドレスはちっとも色あせていない。 優雅で、新鮮で豪華だ。そう、生前、彼女はこれらのドレスをパリの、オートクチュールで仕立てていた。 あの時代、高価な本物のドレスを手に入れるため、高価な海外旅行を惜しみなくしていたのだ。
一時間半にわたって、彼女の歌は延々とつづき、美しいドレスは画面を舞った。私は積極的にシャンソンを聴いたことはないが、彼女だけは特別だ、と思う。「好きよ」という言葉を一曲のなかで限りなく繰り返して、恋の始まりから、キラキラとした最盛期、そして若い女の子に恋人を奪われて打ち捨てられるまでの女の心を歌っていた。
彼女の歌は明るく、悲しい。

彼女が活躍していた時代、コンサートに行かなかったのを残念に思う。 だがよくよく考えてみるとミュージカル「王様と私」には行っている。 染五郎(現在の幸四郎)がシャムの王様、彼女がイギリス人アンナを演じた時、 いっしょに行った友人がサーバント役の役者さんと同級生で、チケットが手に 入ったのだと思う。(講演時をネットでしらべたら、40年近く前!)すっかり忘れていたけど、それも貴重なことだった。私は、忘れんぼうで、いろんなことをどんどん忘れる。でも、ある日、近い時間のことを忘れて、遠い時間のことがくっきりと 輝やきだしたら、こわいな。そうはなりたくないけど、すばらしい歌声が、ノスタルジーに浸らせてくれる、その時間ぐらいは、センチな自分を許そうと思った。