急げば次の札幌方面の列車に乗れそうだったが、ここはあえて1時間先送りして街中を歩く。
街中に明らかに廃業した建物がただ残されているのは、地方都市あるあるだなあ。
こちらは現役の魚菜店。
そういえばということで、久しぶりに「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」に立ち寄ってみた。
写真展は4月26日からということで、現在は特別な展示はやっていないそうだ。
それでも中をぐるりと見て歩く。夕張の「目なし炭」。目地がなくて、割れにくい硬質なものだそうだ。
こっちは赤平の珪化木。石炭になったところと、木の模様が残ったところが入り混じっている。
賑わっていたであろう昭和36年の岩見沢地図。
下の方に岩見沢駅がある。
センターを出てアーケード街に戻る。おそらくもうやっていないが、味のある看板を発見。
そして、今日は時間があるので、岩見沢駅の裏手に行ってみようと思う。駅から直結の駐輪所兼跨線橋通路があるのだ。
→右側にうっすら自転車の影。
とても立派な通路。
裏手の建物に到着すると、アート作品が展示されていた。佐々木けいし「(タイトル表示なし)」。岩見沢北地区振興協議会・贈であるのだが、作品はカットしたレールを使っているのかな。
さて、裏手のロータリーに出ると、タクシーはいないし、雪がまだ積もっている。
とても目立つレンガ造りの建物があった。
岩見沢レールセンターといい、現在もレール加工を行っているそうだ。
しかしここは用地内にも入れないし、一般開放も極めて稀なのだとか。惜しいよなあ…。
少し歩くと幾春別川があった。これ、三笠までつながっているのかな?
「北本町小学校跡地記念之碑」を発見。学校が廃校になるのも田舎あるある。
そして、岩見沢発祥の地を発見。知らなかった。
開拓者と開墾の様子が描かれた記念碑。
山口県柳井市平郡出身士族移住記念碑。わざわざ「士族」っていうの、厭らしいけど、かつては心のよりどころだったのかも。
昭和九年九月開拓五十年記念碑、岩見澤町長高柳廣藏題。
そして、別の橋で幾春別川を渡って駅方面に戻る。
まだ歩道に雪が残されている。
立派な跨線橋を通って、駅へ。そろそろ列車の発車時刻だ。
街中に明らかに廃業した建物がただ残されているのは、地方都市あるあるだなあ。
こちらは現役の魚菜店。
そういえばということで、久しぶりに「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」に立ち寄ってみた。
写真展は4月26日からということで、現在は特別な展示はやっていないそうだ。
それでも中をぐるりと見て歩く。夕張の「目なし炭」。目地がなくて、割れにくい硬質なものだそうだ。
こっちは赤平の珪化木。石炭になったところと、木の模様が残ったところが入り混じっている。
賑わっていたであろう昭和36年の岩見沢地図。
下の方に岩見沢駅がある。
センターを出てアーケード街に戻る。おそらくもうやっていないが、味のある看板を発見。
そして、今日は時間があるので、岩見沢駅の裏手に行ってみようと思う。駅から直結の駐輪所兼跨線橋通路があるのだ。
→右側にうっすら自転車の影。
とても立派な通路。
裏手の建物に到着すると、アート作品が展示されていた。佐々木けいし「(タイトル表示なし)」。岩見沢北地区振興協議会・贈であるのだが、作品はカットしたレールを使っているのかな。
さて、裏手のロータリーに出ると、タクシーはいないし、雪がまだ積もっている。
とても目立つレンガ造りの建物があった。
岩見沢レールセンターといい、現在もレール加工を行っているそうだ。
しかしここは用地内にも入れないし、一般開放も極めて稀なのだとか。惜しいよなあ…。
少し歩くと幾春別川があった。これ、三笠までつながっているのかな?
「北本町小学校跡地記念之碑」を発見。学校が廃校になるのも田舎あるある。
そして、岩見沢発祥の地を発見。知らなかった。
開拓者と開墾の様子が描かれた記念碑。
山口県柳井市平郡出身士族移住記念碑。わざわざ「士族」っていうの、厭らしいけど、かつては心のよりどころだったのかも。
昭和九年九月開拓五十年記念碑、岩見澤町長高柳廣藏題。
そして、別の橋で幾春別川を渡って駅方面に戻る。
まだ歩道に雪が残されている。
立派な跨線橋を通って、駅へ。そろそろ列車の発車時刻だ。
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