2011年10月17日の右乳房全摘とリンパ節郭清の手術からやっと5年が経った。
長い長い5年だった。
術後、同年の12月から半年間の化学療法、翌年夏には放射線治療、現在に至るまでホルモン療法。
そういった治療に加え、脱毛したままの頭髪、リンパ浮腫や乳房再建の失敗など、乳がんにまつわるトラブルに立ち向かいながらの5年間。
闘いはまだまだ続くけれど、この5年間は本当に長く苦しい年月だった。
でも、私の当初の目標である「5年間は絶対に生きてやる!」は達成できた。
当時の主治医がクイズのように私に尋ねた。
「ホシ蜜さんの(化学療法をしない場合の)5年生存率、何パーセントだと思う?」
私は「80パーセントくらい?」と答えた。
主治医は楽しむような口調で言った。
「残念。60パーセント」
無性に口惜しかった。
生存率なんて、生きるか死ぬかのどっちかじゃないか、なんだそんなもん、絶対に5年間行き抜いてやる!
そんなふうに思って生きてきた。
これからも毎日を楽しみながらそこそこ適当に生きて行こうと思う。
これまで支えてくれた犬ともさんを含む友人達と、関わりを持ってくださった医療関係の皆さん、そして家族と愛猫と愛犬に感謝しています。
ありがとう これからもよろしく
長い長い5年だった。
術後、同年の12月から半年間の化学療法、翌年夏には放射線治療、現在に至るまでホルモン療法。
そういった治療に加え、脱毛したままの頭髪、リンパ浮腫や乳房再建の失敗など、乳がんにまつわるトラブルに立ち向かいながらの5年間。
闘いはまだまだ続くけれど、この5年間は本当に長く苦しい年月だった。
でも、私の当初の目標である「5年間は絶対に生きてやる!」は達成できた。
当時の主治医がクイズのように私に尋ねた。
「ホシ蜜さんの(化学療法をしない場合の)5年生存率、何パーセントだと思う?」
私は「80パーセントくらい?」と答えた。
主治医は楽しむような口調で言った。
「残念。60パーセント」
無性に口惜しかった。
生存率なんて、生きるか死ぬかのどっちかじゃないか、なんだそんなもん、絶対に5年間行き抜いてやる!
そんなふうに思って生きてきた。
これからも毎日を楽しみながらそこそこ適当に生きて行こうと思う。
これまで支えてくれた犬ともさんを含む友人達と、関わりを持ってくださった医療関係の皆さん、そして家族と愛猫と愛犬に感謝しています。
ありがとう これからもよろしく