1933年2月27日、ドイツの国会議事堂が何者かによって放火されたのです。時は、1月30日にヒトラーが内閣を成立させ、安定的な政権にするためと3月5日に総選挙を行うことを決めていました。2月27日夜、燃え上がる国会議事堂をパーティ会場から見たヒトラーは、「共産主義者の仕業だ」と言い、現場に真っ先に現れた国会議長は、「共産主義者の犯行だ」と叫んだのです。そして、間もなく国会議事堂に到着したヒトラーは、「もしもこの火事が、私の考えている通りコミュニストの仕業だとしたら、我々はこの危険な害虫どもを鉄拳で叩きつぶさねばなりません」と語るのです。その後、焼け跡から、オランダ共産党員が発見され、放火の動機を「資本主義に対する抗議」だとされ、その一人の犯行で収まろうとしていた事件を、ヒトラーは「共産主義者による反乱計画の一端」として、「コミュニストの幹部は一人残らず銃殺だ。共産党議員は全員今夜中に吊し首にしてやる」とし、単独犯行であるとする大方の見方を覆し、この事件から、ナチスは共産党による組織的暴動とみなし大弾圧を開始したのです。4月までにプロイセンだけで約2万5千人が拘禁されたと言われてます。この日のうちに、国会と地方のドイツ共産党議員への逮捕命令が出され、ドイツ共産党系新聞はすべて発行停止となったのでした。
「反共は戦争前の声」。この事を、事実で示す事件が、この事件です。
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