京都の中心は、歴史的に京都駅が真ん中だとばかり、また、烏丸通りが、いわゆる朱雀大路にあたるのではと思ってた私は、あらためて京都に来て、びっくりしました。調べてみると、平安京という街は、もともと東半分を洛陽にみたて、西半分を長安にみたてて造られたそうな。ところが、西側の右京は、古代は湿地帯なとで土地の条件が恵まれず、早くから衰退したとのこと。なので、東側、つまり洛陽にみたてた左京の方が発展して、今の碁盤の目の市街地の中心を構成しています。
その名残りと言えるのかどうかわかりませんが、左京七条にあたる安寧坊には安寧小学校が、左京六条にあたる淳風坊には淳風小学校が、右京六条にあたる光徳坊には光徳小学校があります。
写真は、淳風小学校の正門。
その名残りと言えるのかどうかわかりませんが、左京七条にあたる安寧坊には安寧小学校が、左京六条にあたる淳風坊には淳風小学校が、右京六条にあたる光徳坊には光徳小学校があります。
写真は、淳風小学校の正門。
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