ふれあいカフェ

鳳本通商店街からお送りします

【だいすぎブログ:サバイバルギター/日々雑感・見えない星】

2017-04-15 10:39:53 | Weblog

【古典のコーナーから】
東洋思想家・今回は、老子の言葉です-
欲望がむなしくなると、静穏が行き渡る。
以上だいすぎ訳文です。

老子の「足りるを知る」というのと同義語だろうと思いますが。
「まあこんなもんやろ」と思えば
確かに心は穏やかになりますね。
もちろんまだまだと思えば頑張るだけです。

上記東洋思想を研究しながら
狭い世間を生きやすくする方法を
常に自らを実験しながら生きている
そしてセラピストであり
イベント企画者であり
自らもギター弾きでもある
結婚は1度はしておけと諸君には言いたい
だが出来のほうは桜が咲こうが
散った葉っぱに毛虫が付こうが
そいつが落ちてこようが||
まったく変わらない(ホントホント)。
いつも百花繚乱!頭の中で咲きっぱなし(ホントホント)。
そんな相変わらず万年やろうのマエストロ・だいすぎ学園です(^^).

しばらくは事務仕事に専念しておりまして
来週の「4.23コラボイベント」の準備に集中しております。

ポンカンのセットリスト・いわゆる演奏曲目を
昨日相棒の神吉と決めましたので
今日は第二部のめーたんに歌ってもらうリストを出そうかと思っています。
何なりとやることがおまっしゃろ。


さてこの「日々雑感」。
だいすぎの人生に対する基本的考え方や
音楽以外の趣味の話も、ここではしたいと思っています。



       〈プロとアマの違い〉


     『だいすぎの実験・その16』

これもシリーズでお送りしております。


   {第9章からの続き~理想の社会の縮図}

先だってあらちゃん主催のライブがありました。
彼と彼を取り巻く素晴らしい仲間たちとのワールドでした。

たとえば障害者が動くときに実はお世話になるのが
周囲の方々であり健常者皆さんですが
主にはガイドヘルパーさんという人たちがいます。
資格を持った皆さんです。
ところがこの皆さんは厳密宿泊などをともなう場合無理です。

しかし特に資格なんてなくても皆さんにお手伝いいただくことはできます。
いえ逆にお願いしたいわけです。
中には、はっきり申し上げてヘルパーよりも上手な人もいるんですわ。


   {鳳本通りネットが証明した事実}

ビッグフェイスなどが中心になって作った音楽コミュニティーが
この鳳本通りネットですが皆さんほとんどは
ヘルパーの資格を持ちません。
つまり、ユウタロウなど一部の関係者の
やることを皆さん、見よう見真似で会得いただいた誘導方法です。
いわばこれは伝統のようなものです。
ユウタロウも実はヘルパーなんて資格はありません。


   {それが徳島バスツアーで生かされる}

おかげさまで私たち全員が無事に旅行を済ませることができました。
問題はこのようなワールドを社会にどれくらい作れるかということです。
それは障害者の側にあります。
ですがこれはやはり音楽の力のなせる技だろうと思います。


   {障害者を最も理解しやすい皆さんは?}

ずばり音楽をされている方たちでしょうね。
音楽仲間はまず音を出し合うことで
相手を受け入れるかどうかということをするところがありましてね。
つまりお手合わせというやつ。
それがセッションライブでもあります。

「あれれ、この人目が見えないんやな?
その割りにえらそうにしてる?
いったいこいつ誰やねん」

「ええっと、君は何ができますか?」
「こんな曲ならできますけど?」
「じゃあ私が合わせますのでお好きな具合に始めてください」
> 「やっぱりこのオッタン態度でかい」。

ところがうまくできたときにその若者は初めて心を開くことに。
そうなれば簡単に心のバリアは取れてしまう。
それが音楽の力です。
ものすごい説得力とパワーがあります。


   {実はチェンノガットでも同じ風景が}

先日のあらちゃんと仲間たち。
すでにその第1段階のレベルは超えておりまして
そこにはもう自然な時空が流れていました。
あらちゃんが完全に皆さんの中に溶け込んでしまっているイメージ。
ですが彼が主催者ですから彼が裁いているのもごく自然。

ここまでくるまでにもおそらくは
そんなドラマのいくつかはあったはずですし
皆さんも、どのように障害者に接したらいいのか??


   {フェイスブックでお友達}

実はお店に出かけて帰宅しましたら
彼の友人ミュージシャンの皆さんから
お友達申請をいただいていました。
これが音楽の持つ不思議な力でしょうね。
「あらちゃんワールド」と、「だいすぎワールド」の
いよいよ融合の幕開きの一瞬です。
新しい役者さんたちの楽屋入り(笑)。


   {見えない星}

これは荒川君の自作曲ですが
大勢の彼の友人ミュージシャンたちは好んで演奏します。

ある人はピアノを弾きながら
またある人はギターを弾きながら
ときに涙をこらえながら
またときに涙を流しながら歌います。

その曲はいまや荒川君がいない場所でも
大勢のミュージシャンに歌われています。

歌いながら彼らは何かを思い
また感じながらあるいは悩みを抱えながらも
音楽人生をそれぞれが歩んでいる。
そして皆さんのファンの人たちも
そこに集まった多くの皆さんもじっと耳を傾ける。
応えはそれぞれが自ら、自らに問い
生きる意味を、そして悩みに立ち向かっている姿を
だいすぎはイメージしています。
これこそが音楽の目的なんだなと私だいすぎは思います。


   {一人の人間の存在意義}

それはけっして小さなものではないよなと思います。
一人のミュージシャンの生きる姿。
その人が発するメッセージは?
どうやら言葉だけではなさそうです。


だいすぎ

【イベント特集カフェブログ:4.23(日)第2回/浪速ともあれ、福耳ライブ
2017-音楽と朗読の午後」】
まもなく去年と同じぐらいのお客様にお越しいただけそうですね。
ご予約はお早めにお願いします。
皆さん、肥後橋の 玉水記念館でお待ちしています。
http://blog.goo.ne.jp/hondoori_2005/e/534ae9170c33441943b0a8ebac52af7e

【だいすぎ携帯】:090-8237-0985へ
イベントなどどんなことでもお気軽にどうぞ。
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