ふれあいカフェ

鳳本通商店街からお送りします

笑わせなくても得心させる話がしたいものですね。

2013-07-30 15:03:20 | Weblog
マエストロ・だいすぎです(^^).
言いたくはないですが暑いですね。

「第10回記念福福寄席」は無事に大盛況に終えることができました。
ちょっとそんなお話を、しばらくしますね。


≪トピックス≫



ここでは、ダイスギが手にした雑ねたやこねた
掘り出し物の情報などをご紹介します。


上にも触れましたが先週の土曜日
商店街のほぼ真ん中付近にある
おた福寿司2階で「おおとり、福・福寄席」が行われました。

記念の会にふさわしい大物の芸人さんたちが
会場を楽しませていただきました。

まずは今回前座では本通りネットとしましては初めてのプロの方。
琵琶の大西麻香さん。

寄席有志会のご挨拶の後急遽御大福団治師匠がご登場!
ご挨拶と自ら最近出版された手話のご本の紹介をされました。

その中で師匠は、手話を始められるきっかけから
初めて手話落語を見た耳の聞こえない少年のお話。
これには感動というかうるっときました。

そのお子さんを会場に連れてこられたお母さん。
師匠の手を握りながら-
「うちのこの子がはじめて笑いました。
師匠今日は本当にありがとうございました。」
とおっしゃりながら師匠の手を鳴きながらぐっと握られたそうです。
これはまさに福団治師匠の人情話です。

そういえば、そんな話を去年の暮れ
奈良県のNPO:インクルージョンITセンター主催で行われた
ビッグフェイスクリスマスライブでドラムをたたいた
精神障害を持つ青年のお母さんも
そのイベント担当者の手を握られて同じことをおっしゃった話を思い出しますが。

さて手話落語を初めてご覧になられたその少年ですが
その後ご本人の意思で師匠の主催する手話落語講座へ入門します。

そして数年後、彼の出演する発表会。
お父さんは実は彼が手話落語をすることを反対していたそうです。

本番当日、お母さんは勿論来られていましたが
お父さんも別の場所におられたそうです。
彼は満場大うけで高座を降りました。
彼は、高座を降りてふとお父さんに気づきます。
お父さんは涙を流しておられたとのことです。
あかんあかん・・もうこれだけで涙が||

こうして一人の障害を持つ少年は
大きく蘇生し、自信を持って
強くたくましくこの社会を歩いていくものと私は確信します。

次回は例の寄席終了後のとっておきのお話。
正司敏江師匠のお話ですが
あのう・・お話できることとできないこともありますがあ~~
なるべくとっておきというぐらいですので
細心の注意を払いながら業界の皆さんの足を引っ張らない程度に
頑張って書いてみることにします。


≪編集後記≫



徒然草を楽しんでいます。
出典: 徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋先生訳)
二十九段の訳文は終わりました。

ざっとまとめますと、吉田兼好が
夜遅く、自室を片付けています。
彼はすでに出家しています。

ふと書きつぶしたような不要の紙が見つかりました。
最初分からなかったようですがどうやらそれは
昔死んだ彼の恋人が書き残していたものだったことに気づきます。

今は兼好法師の身。
ですがやはり彼はまだ凡夫だったようです。
その紙の上に数滴の涙が。

ここから原文 --


静かに思へば、万に、過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。
人静まりて後、長き夜のすさびに、何となき具足とりしたゝめ、残し置かじと思
ふ反古など破り棄つる中に、亡き人の手習ひ、絵かきすさびたる、見出でたるこ
そ、たゞ、その折の心地すれ。このごろある人の文だに、久しくなりて、いかな
る折、いつの年なりけんと思ふは、あはれなるぞかし。手馴れし具足なども、心
もなくて、変らず、久しき、いとかなし。
注釈
人静まりて
人が眠る時間。現在の午後十時頃。
反故(ほうご)
「ほご」とも。書き汚した不要の紙。
以上引用です。

この段も大変すばらしい文章ですね。
人間たまに弱味を見せるというのも
本当は、すっごくセクシーなんですね。
吉田兼好という男。
なかなかいいやつですよね。
ますます好きになりました。


だいすぎ
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人情話の名人話家。

2013-07-23 14:28:01 | Weblog
7月27日(土)午後12時30分から
鳳本通り商店街中ほどにある
おた福寿司2階で「第10回記念おおとり、福・福寄席」があります。

今回の出演者は桂福団治師匠と
何とあの、もとどつき漫才の正司敏江師匠。
前座演奏に琵琶の大西麻香さんです。
本通りネットのメンバーとしては大西さんは
実は福福寄席では初のプロとしてのご出演です。


マエストロ・だいすぎです(^^).
それにしても暑いですねえ。
これじゃあまるで夏ですなあ。


≪トピックス≫




ここでは、ダイスギが手にした雑ねたやこねた
掘り出し物の情報などをご紹介します。


さて今月27日(土)
わが鳳本通り商店街のおた福寿司2階で行われる
「第10回記念おおとり、福福寄席」が
午後12時30分から行われますが
本日は御大桂福団治師匠のプロフィールを掲載させていただきます。

あのう・・師匠に関しましては毎回掲載させていただいておりますので
もうええぞお。」という声が
どこからか聞こえてきそうですがあ(汗)||
まあそう言わんと一つよろしくお願いします。

そこで本日は内部向けといいますから「寄席有志会」という
世話人会の資料をお借りしました。
ここから引用です--


桂福団治師匠は
1940年(昭和15年)10月26日三重県四日市市生まれ
1960年:四日市商業高校卒業
1960年:三代目桂春団治に入門
1963年:大阪千日劇場にて初舞台
1965年:桂小春となる
1968年:新作落語「大人になったジュゲム」発表
1970年:ペケペン落語を考案  
1971年:ペケペンポルノ落語「よろめき夫人」発表 
1973年:四代目桂福団治を角座にて襲名
1975年:藤本義一の直木賞受賞作、映画「鬼の詩」に主演
1978年:手話落語を考案
1979年:奈良文化会館にて初の手話落語に挑戦
1981年:手話落語教室を開校
1983年:桂福団治 手話落語生徒の屋号を楽福亭と命名。第一回手話落語発表会を中ノ島情報センターにて公演以降、各地で年に2回程度公演。上方手話落語会を結成
1990年:花の万博(咲くやこの花館)手話落語コンサート
1991年:道頓堀浪花座にて手話落語10周年チャリティ公演
1992年:国立文楽劇場にて真打ち披露公演
1993年:東京・日本橋三越劇場にて古典落語vs手話落語公演
1994年:東京・イイノホール、大阪・国立劇場 独演会(以後、毎年恒例の独演会を開催)
1998年:手話落語ハワイ公演
2002年:「古典落語、手話落語」ニューヨーク公演、11月 上海公演(人民広場 内上海大劇院)、12月 両殿下ご臨席 総理出席の「障害の日」記念の集い
2003年:「古典落語、手話落語」上海公演
2007年:「古典落語、手話落語」シンガポール公演
受賞
1968年「三洋文化新人賞」受賞
1981年「上方お笑い大賞功労賞」受賞
1998年「文化庁芸術祭賞演芸部門優秀賞」受賞
役職
関西演芸協会会長
上方落語協会理事
日本手話落語協会会長
NHK文化センター講師
読売文化センター講師
ラジオ大阪カルチャーセンター講師
摂津福祉専門学校講師
講演テーマ
『手話落語と私』
声帯ポリープという病気により一時的に声を失った福団治が、そこでくじけることなく新たな芸として手話落語を編み出した。その情熱を伝えます。
 
『手話にたずさわって変わった私の人生観』
手話と出会い手話落語を創出する課程でかかわった人たちとの交流と、それが福団治の生き方に如何に影響を与えたのか。
『落語家修行』
師匠から白といわれれば黒も白くなる徒弟制度が残る噺家の世界。礼儀作法を厳しく躾けられた内弟子時代を振り返ります。
『古典落語に見る人情』
むこう三軒両隣、長屋に代表される庶民の暮らしを背景に展開する、落語の中にある親子の情愛など人の情景を紹介。今の世の中に何が不足しているのかを問います。
『芸人・今と昔(昭和に生きた芸人)』
厳しい師弟関係の中で修行を続け、舞台では観客の容赦ない野次に鍛えられ、芸人を磨いてきた従来の芸人と、メディアにのることで売れていく現在の芸人。その違いはどのようなところにでるのか。
 
『落語に見る大阪の文化』
大阪には船場ことばなど独自の商人文化が発達しました。古典落語はその良さを現在に伝えます。
著書
「上方落語はどこへゆく」
「手話小咄集」
「寿限無」
以上引用です。

この資料は寄席有志会共有の文書から引用させていただきました。
もともとはウイキペディアのものを
私が編集したのではなかったかなと思っています。

ところで落語と言えば皆さん
ドッカンドッカンのギャグ~笑いという固定観念がありませんか?
特に上方落語にはそういうものを要求されるところもありますが
実は『人情話』というジャンルがあります。

福団治師匠は実はこの『人情話』が上方でできる第一人者です。
唯一の話家さんだろうと思っています。
私だいすぎは師匠の『人情話』は
まさに名人芸だと思っています。

上方に合ってあえて笑いを取らない『人情話』をされるということ事態
実は大変勇気の要ることでもあろうと思います。

笑いということにこだわったがために
それで精神をやってしまって亡くなられたという有名な師匠もいるほどですのでね。

とにかく、ごくごく単純な笑いを追及しない
しんみりと、そしてどっしりと落ち着いた福団治師匠の話芸は
これぞ『話家』という私の大好きな呼び方にふさわしい方です。

と言いましても今回は「くっしゃみ講釈」だったりして||
ねえ師匠・・
今回もスタッフの立場で・・

さて本日は編集後記はありません。


みっちゃん作詞と歌。作曲とアレンジが、だいすぎ
・君がいるから - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ucR3HJ7QVug


今回は編集後記はありません。

だいすぎ
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今週は福福寄席。

2013-07-21 14:52:45 | Weblog
「第10回記念おおとり福・福寄席」ですが
7月27日(土)。
午後12時30分から、いつもの鳳本通り商店街中ほどにあります
おた福寿司2階で行います。

出演者は、桂福団治(かつらふくだんじ)師匠と
正司敏江師匠です。

なお今回の前座演奏は本通りネットから琵琶の大西麻香さんです。
大西さんは本通りネットからはプロとしては初めての方です。
チケットはお一人様1800円です。
キャンセルがあるとよろしいのですが?

そのほか本通りネットメンバーのライブは同じ火の27日
カズブーが奈良でライブありますので
ぜひ見に行ってあげてください。

http://www.support-m-and-m.com/diary.cgi?no=12

また同じく、ホクホクミュージックスクールも大好評開催中
↓↓
http://www.support-m-and-m.com/diary.cgi?no=13


≪先週の出来事≫



これは先週のふれあいカフェの出来事をお伝えします。

  マエストロ・ダイスギです(^^).

暑いですねえ。
お元気ですかいな皆さん?

昨日こちら鳳本通り商店街で「夕夏鳳祭・夜店とライブ」
のコラボイベントがありました。
その模様につきまして
ちょっとメーリングリストに報告しているものがありますので
1部編集して書いてみます。ここから--



ところで昨日はこれまでにはなかったほどの野外ライブ会場は
立錐の余地がなかった込み方でした。
これまでに経験したことがなかったようなすごい込み方でした。
私たちも高校のグループが終わるまで中へ入れませんでした。

彼らが終わってからようやく入りましたが
その後またまた後からお客様がうまったようでした。
年々観客が増えてはいますが
意ずれにしましても、もうこれ以上は無理です(笑)。
まじで事故対策を考えておく段階にいたっています。

ですが、まあ何はともあれ
この暑い中無事故で終えることができましたし
熱中症の報告もなかったようで
私としましてもまずはほっとしています。

中井さんをはじめ商店街の皆さん
ならびに本通りネット関係者皆さん
まことにお疲れ様でした。
来年も空気から察するにどうやらライブもやる感じですので(笑)
今後ともよろしくお願いいたします。

だいすぎ
以上引用でした。


『連載・正司敏江物語』

をお送りしていますが。
本日が最終回になります。

さて47年間の彼らの漫才はやがて終止符を打つことになります。

ところで私だいすぎはかつてラジオ大阪でやっていた
元タレントの上岡龍太郎師匠の番組『歌って笑ってドンドコドン』に
番組内で読んでいただくための駄文を投稿したものを
師匠に読んでいただいたご縁があるんですが
その上岡師匠のお話。
ウイキペディアから引用-

「『感心したのは正司敏江.玲児。
あれを見たときには、あのコンビはいいなと。
女を蹴飛ばしてね。
今日日(きょうび)、家の中で女をどつく旦那がおらんようになった時代に
蹴るは、どつくは、引きずり廻すは
すばらしい意味で凄すぎるなと思った』と明かしている。」

以上引用ですが彼らが偉いのは
芸暦を重ねて大ベテランと言われる地位になっているにも関わらず
いろいろな施設への慰問をしていたことです。
そこでも迫力のあるどつき漫才をやっていたのは立派ですね。

ところで大阪は芸能文化の街と言うわりには
松竹芸能が管理運営していた古い大きな劇場も
次々に閉鎖していきますが
それでも彼らは最後までビッグスターの地位を保ち続けていたのは偉大です。

2010年に入ると玲児が体調を崩し、同年11月には一旦舞台に復帰したものの
12月10日71歳で死去。

玲児の葬儀は2010年12月14日
大阪市内で執り行われますが
喪主は長男の及川孔児で、弔辞はあの横山たかし・ひろしが読み上げました。

たかし・ひろしは横山やすしの弟子ですので
彼らのつながりは大変深いものがあります。

師匠の正司歌江さんも弔問に訪れていますが
さて師匠がわが弟子を見送るお気持ちとはどんなものなのかと思います。
「玲児は300 400人もの人に見送られた」とあります。

実は現在敏江玲児の芸を模倣しているのが
吉本興業の男女の漫才コンビ『女と男』。
和田のカッコウもまさに敏江さんそっくり。

このあたりの件、つまり「こういう形の漫才をやりたいんですが?」という話が
敏江さんに彼らから事前にあったのかという話などを
打ち上げのときに、じっくりと聞いてみようかと思っています。
以上で『連載・正司敏江物語』を終わります。

本日は編集後記はありません。


だいすぎ
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一つの時代を築いた二人。

2013-07-17 16:32:10 | Weblog

「第10回記念おおとり福・福寄席」ですが
7月27日(土)。
午後12時30分から、いつもの鳳本通り商店街中ほどにあります
おた福寿司2階で行います。

今回の出演者は、桂福団治(かつらふくだんじ)師匠と
正司敏江師匠です。

なお今回の前座演奏は本通りネットから琵琶の大西麻香さんです。
さて残席あるかな?
キャンセルがあればよろしいんですが?
おた福さんを覗いてみてください。
お一人様1800円です。


≪イベントあれこれ≫



マエストロ・だいすぎです(^^).
早いものでもう今週が鳳本通り商店街の夏祭りです。
いよいよ午後6時から<大人たちの文化祭・夕夏鳳祭>夜店とライブです。
暑さ対策を十分とっていただいて
お客様も楽しんでくださいね。
夜店の関係者皆さんも頑張ってください。


『連載・正司敏江物語』


をお送りしていますが。

前回はいわゆる彼ら敏江玲児の
『どつき漫才』が完成されたあたりのことを書きました。
これからが彼らの出世街道代驀進となりますが?

お二人は1969年、第4回上方漫才大賞の
新人賞を受賞します。

その後ステージ上のアクションも次第にエスカレートしていきます。
ウイキペディアにもありますが確かにコンビ晩年は
主に額を平手で叩いて音を出すだけに落ち着いた芸になりましたが
1970年代、世間で仮面ライダーが流行っていた若い頃には
「ライダーキック!」の掛け声と共に飛び蹴りしたりしていました。
あれ当たりどころが悪かったら大変危険な芸です。

そういえば毎年大晦日に行われる『NHK紅白歌合戦』の
恒例の応援合戦に、当時お笑い芸人では
初めてとなる出場を果たしているとのことです。
これは知りませんでした。

全国TBS系ドラマ『時間ですよ』(第31回 - 第65回)に
レギュラー出演しています。
共演/森光子、松原智恵子、堺正章、天地真理、他。
すっげえ顔ぶれですね。

ところがまあ世の中それほどいいことばかり続くものではありません。
順風満帆と思われていた二人に波風が立ち始めます。
玲児の浮気が発覚して私生活では
結婚10年で離縁してしまうということが起きます。

ですがいまや二人の人気は不動のものです。
人気に後押しされてコンビは続行します。
自分たちの立場だけでは世の中は
もう回らなくなっていたわけですよね。

ここは割り切って漫才をやる以外ありません。
ネタも少し変わりました。
二人は養育費問題を始め家庭の不幸すらネタにしてしまいます。
これがまたおばちゃんたちにドッカンドッカン受けます。

敏江さんのねちっこいいやみな突っ込みと
何ともいえない玲児の困った顔。

おばちゃんたちは敏江さんに当然ですがエールを送ります。
「今日はおまえの味方がおおいやないか」と言って
敏江さんの頭を玲児がポカリ。

逆におっちゃんたちは人事やないなという反応を示します。
このあたりの二人の和芸は本当に絶妙な間と呼吸でしたね。

普通漫才の突っ込みは大きな声でと決まっていますが
敏江さんが突っ込むときはまったく違っていました。
ボソボソっと低い声で説教口調で玲児を突っ込みます。
これがまあ私だいすぎが最も好きな敏江さんの芸でした。
今度終了後お会いしたらそのあたりのお話を
飲みながら敏江さんに聞きまくってやろうと思っています。

ところで夫婦漫才が離婚後も組み続けているのは、ミヤコ蝶々・南都雄二
京唄子・鳳啓助以来で、その後に続く者はないようですね。

彼らに共通しているのはいずれも夫婦コンビであること。
そしてまさに漫才の歴史に名を残すほどのスーパースターたちだったことです。

ところでお笑い芸能には落語のような古典芸能という
ある意味伝承芸能と、漫才のように
一つの時代を築いてぱっと終わる芸能があります。

私は、この二つの芸能を火にたとえてみましたが
古典芸能はお灯明で
漫才は花火ではないのかなって思います。

そういう意味では敏江玲児さんたちの漫才は
まさに一つの時代を作りました。
そしてきれいに咲いてぱっと見事に散りました。

彼らの漫才は軽妙なおしゃべりと動き
そして大人に愛される大人の芸だったような気がします。


≪編集後記≫



徒然草を楽しんでいます。
出典: 徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋先生訳)
今二十九段に入っています。

さて前回は兼好が夜遅く自分の部屋の中を整理している場面でした。

坊主頭の彼の後姿を想像してみてください。
「死んだあの子が、歌や絵を書いて残した紙を発見して」というすごい場面です。
その後の文章です。
ここから一気に最後まで引用-

「死んだ人はもちろん、長い間会っていない人の手紙などで
『この手紙はいつ頃の物で
どんな用事だっただろう?』
と考え込んでしまうぐらい古い物を見つけると
熱いものがこみ上げてくる。
手紙や絵でなくても、死んだ人が気に入っていた日用品が
何となく今日までここにあるのを見れば、とても切ない。 」
以上引用です。

これは若い人にはちょっと想像できないことだろうと思います。
またそういう恋愛を経験した人でなければ
彼兼好の気持ちは理解できないだろうなとも思います。
長い時代と時間の隔たりを超えて
一人の男の気持ちが心に迫ってくる文章ですね。

だいすぎ
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いよいよ今週土曜日はこちら商店街の夏祭りです。

2013-07-14 13:07:30 | Weblog
「第10回記念おおとり福・福寄席」ですが
7月27日(土)。
午後12時30分から、いつもの鳳本通り商店街中ほどにあります
おた福寿司2階で行います。

出演者は、桂福団治(かつらふくだんじ)師匠と
正司敏江師匠です。

なお今回の前座演奏は本通りネットから琵琶の大西麻香さんです。
お一人様1800円です。


  マエストロ・ダイスギです(^^).

静かな商店街から、日曜版カフェ・ブログです。

日曜版は本と久しぶりです。
去年の9月に1度以後以来発行なかったようです。
今週もよろしくお願いします。


≪今週の予定≫



以前に使っていた表題を使わせていただいています。

今週20日(土)午後6時からこちら鳳本通り商店街では
『夕夏鳳祭・夜店とライブ』が行われます。
商店街南側アーケードが切れた辺りの空き地でライブをします。

今回も地元福泉高校をはじめとして
8組のグループやミュージシャンたちが出演します。
毎年お客様が増えている夕夏ライブへぜひお越しください。
この催しは鳳本通りネットが毎年協力支援させていただいています。



『連載・正司敏江物語』

をお送りしていますが。

前回はお二人の漫才結成のあたりからでした。
今回はその続きです。
資料はウイキペディアをはじめとして
私が独自に取材した桃の含んでいます。

さて1964年、浪曲師の斎東満夫妻の仲人で
敏江玲児さんは結婚。

ところが1966年、夫婦である事を隠して
兄妹漫才と偽って正司利児・敏江の名で
神戸松竹座(しょうちくざ)から再出発します。
なんだか不自然ですなあ。
まあ事務所の関係やらややこしい事情もあったんでしょうけど。

その後夫婦漫才コンビである事を公表します。
ところが芸の道というものは実に厳しいですね。
皆さんもご記憶のあるあの敏江玲児独特の漫才パターンは
このころはまだ実は完成されていませんでした。
私などはむしろ、その完成前の漫才をぜひ見たいよなあって思いますが。

さて当時の未完成時代のお二人の漫才の様子が気になるんですが
ウイキペディアの資料を引用しますと-
「しかし敏江は台本の覚えが悪いのに稽古嫌いで
いい加減なアドリブで誤魔化してばかりだったため、前座に燻っていた。

ある日、舞台上で怒った玲児が敏江を本気で突き飛ばしたところ
これが初めて客にウケる。」
以上引用。

「開き直り」というやつですかねえ。
「やけくそ」ということもありますが。
いわゆる元祖『男女コンビによるどつき漫才』の形が
まさに完成しようとする段階です。

ですが彼らの漫才の形はこれで完成したわけではありません。
最初は一方的に張られていた敏江さんは
逆に玲児に逆襲することをします。

昔読売テレビでやっていたプロレス番組がありましたが
最初、日本人プロレスラーがアメリカ人プロレスラーに
やっつけられっぱなしだったのが次に逆転して
今度はアメリカ人プロレスラーを日本人プロレスラーが
俄然元気を取り戻して番組終了10分前になってから
やっつけていくというパターンですね。
ある意味ドタバタ芸の基本形です。

いずれにせよ、これで二人の漫才はどっと受けることになります。
これまでの夫婦漫才とはまったく違う
まさに新しい時代にふさわしい
それは「嫁主導の夫婦どつき漫才の型を確立」と
ウイキペディアにもあるとおりです。

この形が完成されて『敏江玲児』の漫才コンビは
その後全国区の不動の地位を確立します。
知らないひとはいないというメジャーの漫才として一躍
彼らはスターダムを歩むことになります。

2人の熱心さにほだされ、周囲の抵抗も次第に解けて行き
1968年には再び『正司』の屋号を許されることになります。

「誰のお陰で正司を名乗れると思うとるんや!という
玲児さんへ言うあの敏江さんの有名な決めゼリフは
こうして誕生したわけですね。

【次回へと続きます】

なお今回は編集後記はありません。


だいすぎ
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