≪この国を作った人たちと
壊した人たち≫
9月12日(火)午後1時~3時15分まで
JR尼崎駅近くの
『小田北学習プラザ』で
『尼崎かよううたう会』があります。
詳細は午後フェイスブックから
アップします。
【以下 リンクと書いてますが
全てサイトには
リンクは張っていません】
リンク 【木曜特集カフェブログ:ホール案件・運用編】
https://blog.goo.ne.jp/hondoori_2005/e/a7af88f7d1baf725fdf6de4ac3b4556c
リンク 【日曜鳳カフェブログ特集・アート未来・記念ホールの船出】
https://blog.goo.ne.jp/hondoori_2005/e/81edc2bed67ae0fee477facf7456aea6
上記は、二つ有効です。
090-8237-0985
実行項目の柱です。
引き続きカフェブロを
ご覧ください。
皆さんこんにちわ。
今日が8月最後の日です。
ですが私には
実感がまったくありません。
ただあるのは気の動きのみです。
大きく舵を取ろうとしている
そんな自分がいることです。
〈この国を作った人たち〉
以下のサイト名で
カフェブロで使用している
最新のサイト以外
リンクは張っていません。
検索サイトで
お使いください。
前回のカフェブロは-
【木曜鳳カフェブログ:この国を壊した人たち】
2023-08-24 07:36:27 | Weblog
これからお借りするものとしまして-
リンク 石原莞爾 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E8%8E%9E%E7%88%BE
リンク (文芸春秋8月号 創刊100周年大座談会今なぜこの100人なのか 小坂正康)
https://shopping.yahoo.co.jp/search?rkf=2&stp=0&p=%28%E6%96%87%E8%8A%B8%E6%98%A5%E7%A7%8B8%E6%9C%88%E5%8F%B7+%E5%89%B5%E5%88%8A100%E5%91%A8%E5%B9%B4%E5%A4%A7%E5%BA%A7%E8%AB%87%E4%BC%9A%E4%BB%8A%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%81%93%E3%81%AE100%E4%BA%BA%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8B+%E5%B0%8F%E5%9D%82%E6%AD%A3%E5%BA%B7%29&uIv=on
相変わらず長いよなあ。
そのほかです。
特に 上記いくつかの資料は
今 私が書いているもの
特に日曜日と月曜日書いている者と
平行してご覧いただけば
ありがたいです。
《置き去りにはできない偉人》
{石原莞爾という人物}
リンク 石原莞爾 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E8%8E%9E%E7%88%BE
この人に関しては
どうしても戦後へと引きずらなければいけないのですよ。
以下引用します-
ツール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石原いしわら 莞爾かんじ
石原莞爾大佐(1934年)
渾名 帝国陸軍の異端児
軍事の偉才
生誕 1889年1月18日
日本の旗 日本・山形県西田川郡鶴岡
死没 1949年8月15日(60歳没)
日本の旗 日本・山形県飽海郡高瀬村
所属組織 大日本帝国陸軍
軍歴 1909年 - 1941年
最終階級 陸軍中将
除隊後 立命館大学教授
墓所 山形県飽海郡遊佐町菅里
以上引用です。
{だいすぎも、こんな人間でありたいなと}
人は誰もが
間違いを起こします。
のみならず間違った
考えを持つことも
多々あります。
ただし「あれは間違でした」とか
「あれは至らなかったことだった」
と言う人はめったに
お目にかかれるものではありません。
「お目にかかれるものではない」と
ちょっと丁寧に申し上げたのは
めったに世の中にはいないからです。
{過去にやったこと}
若いころ彼が
中国でやっていたことは
ウイキペディア文中にもありますが
ろくなことはやっていませんでした。
いくら軍人だからと言っても
それは許されるものではありません。
以下引用-
『世界最終戦論』で知られ、関東軍で
板垣征四郎らとともに
柳条湖事件や満洲事変を起こした首謀者。
以上引用とあります。
このことは実は文芸春秋の
8月号に昭和史研究家の
保坂正康さんが
詳しく書かれています。
『満洲事変』
という言葉だけは
聴いたことがあるとおっしゃる方も
おられると想います。
リンク 4-1 満洲事変 | 史料にみる日本の近代
https://www.ndl.go.jp/modern/cha4/description01.html
これは少し読んでおいていただければと想います。
当時の日本軍は
中国大陸で
ろくなことはやっていなかったようです。
{それまでの非を認めた石原莞爾}
では彼がなぜその非を
認めたのか?
ここを知りたいと思うわけですが。
まず上記 文芸春秋で
小坂氏が述べておられる
話を引用しますと-
彼が戦後自らの
過ちを総括し
その意見を自己点検していること。
日本が君臨する
東洋の王道と
西洋の覇道との最終決戦を行うとした
戦前の戦争観を
傲慢だったと反省しています」
以上引用です。
戦時下とはまったく異なる考え方と
新憲法を公定もしているとのことです。
彼はその後度立命館大学で
教授をしていますが
1949年に歿しています。
{自らやったことを
自ら否定するために生きた人だったのか?}
問題はその彼の考え方が
変わっていく経緯です。
以下に興味深いサイトがありました。
特に最後の歴史家の
最後の部分は重要です。
リンク 石原莞爾の思想 -歴史というダイナミズムの捉え方
- 松下政経塾
https://www.mskj.or.jp論考 https://www.mskj.or.jp/thesis/9366.html
さて一様
このコンテンツのシリーズに
区切りをつけさせていただきます。
次回からは「この国を作った人」として
『吉田茂』を取り上げます。
≪編集後記≫
よくよく考えますと
日月と・木曜日のコンテンツが
同時に終わろうとしています。
こういうときはなぜか私の
人生も大きな局面を
迎えることが
これまでにも多くあったことです。
ビッグフェイスという
自分が作ったバンド。
来月10日私は
最後の練習と
その後の打ち上げで
卒業します。
そして堺市立健康福祉プラザで始まった
『「こもれ陽』活動。
西宮北口の
『アート未来・記念ホール』の行く末。
これらは未知数の部分が多いわけですが
分かっていることは
『大阪歌うサークルの会』を
発展させたいことは確かです。
これはまさに
私の使命だと思っているからです。
後のことは今後の出方で
柔軟に対応します。
今回取り上げた軍人・石原莞爾ではありませんが
今後とも言ったことやら
力を注ぐことも
どんどん変化することもありえます.
それでもよろしければ
このだいすぎをご支援いただき
お付き合いいただければと想いますし
「こんなやつ付き合えないな」と思われたら
即刻アドレスを外すなどの
お友達拒否手続作業を願っておきます。
【そこで今回の
勿忘草オガオ川柳3句-
月代る想いは変わることはなし
柔軟さ生きるためには仕方なし
突き動かすものに逆らわず生きる
【長社 だいすぎ】