ふれあいカフェ

鳳本通商店街からお送りします

笑わせない落語?

2011-05-30 13:27:11 | Weblog
マエストロ・ダイスギです(^^).
最近忙しいダイスギですが音楽だけは
きっちりと時間を割いています。
主には作曲とアレンジですが本当に楽しい時間です。


   ≪最新の話題≫


本通りネットメンバーのライブ告知や
その他有意義と思われる催し物をご紹介します。

5月21日(土)こちら鳳本通り商店街で行ないましたが
第1回おおとり、福・福寄席に関するお話を
6回シリーズで書いていますが本日は
桂福団治師匠について書かせていただくことにします。

ダイスギは大の落語ファン。
今回のことで福団治師匠と
これほどまでにお近づきいただく関係にならせていただいたとは
何とまあこれこそがダイスギの役得ということですなあ。
ということで本日はこの福団治師匠につきまして
僭越ながらも少し書かせていただきます、

以下は師匠と何と、3度もごいっしょにお酒をいただきながら
直接お聴きしたお話と、ウイキペディアから引用しますが
こんなお話が書けること事態が、もうダイスギは幸せですなあ。

今の福団治(ふくだんじ)師匠は4代目です。
この名は実は東西の落語会でも実に大きな名前の一つです。

桂福團治(かつらふくだんじ)さんは
1940年10月26日生まれ。
本名は: 黒川亮さんとおっしゃいます。
なんだか売れない歌手みたいなお名前ですな(失礼)。

三重県四日市市ご出身で、所属芸能事務所は
松竹芸能です。

また師匠は関西演芸協会会長としてもご活躍。
上方落語協会理事。
ライフワークでもある日本手話落語会会長もされています。

妻は声帯模写で吉本興業所属の
翠みち代さんです。
美空ひばりの物まねをされていますね。

師匠は結構、人情話がお得意というのが
やはりウイキペディアにも書かれています。
第1回目の福・福寄席でも親子の情愛をしみじみとした
薮入りというすばらしい人情話をご披露いただきました。
上方落語でも独演会などぐらいしかめったに聴けないのではと思います。

子どもを持つ親ならもういけません。
不覚にもダイスギは涙を・・

1975年に師匠は
あの映画『鬼の詩(おにのうた)』で主演されます。
以降、手話落語に取り組むとウイキにもあります。

手話落語を考案されるのが何とこの映画がきっかけだったとおっしゃいます。
撮影中師匠は声をやられます。
話家にとりまして声は命。
半年間その声が出なかったとのことですが
このときに師匠は手話と出会います。
そして耳のご不自由な皆さんのために
この手話落語を考えたとおっしゃいます。

芸にも陰陽がありますが師匠の芸は
ダイスギはどちらかというと陰の芸ではないかと思っています。
師匠、偉そうなことを言いましてすんません。

ただただ笑わせる芸。
落語が、それだけの浅い芸ならダイスギは
落語ファンにはなっていなかったと思います。
次回のおおとり、福・福寄席は8月20日(土)です。
前回チケットを手に入れることができなかった皆さん。
もうお多福寿司では仮予約が入っているとか。
お電話でお申し込みいただいておいたほうがよろしいかも?


   ≪編集後記≫


徒然草という古い書物を通して
現代人の私たちの生き方を考えています。
出典は 徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋先生訳)を
引用させていただきますが第6段です。
偉い人は家族を持たないほうがよろしいという彼の持論の続きです-

「前の天皇の息子や政府長官、花園の長官は
自分の一族が滅びてしまうことを望んでいた。
染殿の長官にいたっては「子孫などはない方がよい。
後々の子孫がグレて不良や暴走族になったら困るではないか」と
言っていたと、世継ぎ物語の『大鏡』に書いてあった。」

ダイスギ
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音楽もやってますんではいな。

2011-05-28 12:58:22 | Weblog
マエストロ・ダイスギです(^^).
土曜日ですね。入梅がいつもよりも早かったようです。
体調管理には十分お気をつけください。


   

≪本通りネットふれあいカフェ・定例ライブ≫



今回は6月12日(日)前回行なった場所と同じ
堺市青少年センターで午後1時より行ないます。
詳しい場所や住所などにつきましては
次号でお知らせします。
今回ご出演の皆さんのジャンルと関係時間です。
以下のとおりです-

 1. 杉山さんの三線と歌。
1時00分から1時40分まで。

 2. 相馬君(木地君)は、インストギターとフォーク。
1時45分から2時15分まで。

 3. 清川君はオリジナルフォーク。
2時20分から3時ちょうどまで。
  【休憩が3時15分までとしましょか】

 4. たぬきばやしさんは、フォークと歌謡曲など。
3時15分から3時55分まで。

 5. かました君は、オリジナルフォーク。
仕事のシフトの関係で連絡待ち。
彼が来られたら
清川君の後に出演とします。
当然皆さんの時間関係もじゃっかん変わりますが
そうなればまた検討しましょう。


   『編集後記』


徒然草のお話。
徒然草 第6段に入ります。
ちょっと以外で癖のある文章なんですが
私は結構好きです-

現代語訳
「自身の身分が世間的に高い人の場合はもちろんのことで
ましてや、死んでも何とも思われないような身分の人は
子供なんて作らない方がよい。 」

後も続いてますので結論は言わないでおきますが
普通でしたら自身の子どもを世に残したいと思うのが人情です。
吉田兼好は、ばっさりといかんと言っているんですが?

ダイスギ
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ライブという言い方よりも実演というのがいいのかも?

2011-05-24 11:54:46 | Weblog
マエストロ・ダイスギです(^^).
人間とは実に変な動物だなあと思うことがありますね。
自分のことを先に片付けておかないと困ると思うのに
人のことから手をつけて結局
自身のことができなくなっちゃった。
だからこそ時間管理が必要ということになるんでしょうけど?
ところが、なかなかそうも行かないのが世の常ですね。


   

≪第1回おおとり、福・福寄席を終えて、その2≫



前回を1として今回を2としました。
福・福寄席のお話。

落語という芸は実に深くて
しかも聴いているだけで人間の本質が分かりますし
教養が自然と身につくものです。

ただ、いけないのがテレビです。
当日寄席が終ってから実は会場になったお多福さんで
師匠と関係者皆さんでちょっと一杯いただきました。
その席で福団治(ふくだんじ)師匠は
興味深いことをおっしゃっていました。

「落語は見るものではなく聴くものなんですなあ。」

今回師匠は人情話をされました。
落語は笑うものだと考えておられる方は多いと思います。
特に大阪の人ほどそれはあると思います。
しかし先にも書きましたが落語は人間の本質や
あるべき生き方をそっと教えてくれる芸です。
ですから、ゲラゲラ笑うだけのものではないんだということを
私たちも知っておきたいと思いますし
今後こちらで行なう落語も、そういう意味では
安っぽいテレビ文化には毒されていない
そんな本格的な落語を皆様には
ご提供できればと考えています。


   『編集後記』


徒然草のお話。
徒然草 第5段
出典: 徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳)

本日は原文ですが人は平凡に生きるのがよろしいのではと
兼好は言っているような気がしながら読んでいます-

「不幸に憂に沈める人の、頭おろしなど
ふつゝかに思ひとりたるにはあらであるかなきかに
門さしこめて、待つこともなく明し暮したるさるかたにあらまほし。
顕基中納言の言ひけん、配所の月
罪なくて見ん事、さも覚えぬべし。 」

世の中、それほどおもろいことばかりあるものではないですし
ましてや、それを他人に求めすぎるというのもよくないと思いますが?
おもろいことは自分自身で見つけましょや。

ダイスギ

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人間一人の力ってすごいですね。

2011-05-22 12:04:32 | Weblog
  マエストロ・ダイスギです(^^).
日曜版カフェ・ブログです。
今日は朝から雨です。
静かな商店街です(ホントホント)。
皆さん、アリオへでも行きましたかいな?


   

≪商店街・取って置きの出来事≫



昨日「おおとり、福・福寄席」は無事に第1回目を終えることができました。
お越しいただいた皆さんには心より感謝申し上げます。
そして快くお引き受けいただいた桂福団治師匠と
弟子の福丸さん、お囃子などをお手伝いいただいたダンディー・原さん
本当にありがとうございました。
最後に、スタッフの皆さんも、まことにお疲れ様でした。
ダイスギが最もほっとしたのは無事故で終えることができたことです。

ところで落語といえば皆さんの多くは
テレビなどでご覧になられることがほとんどではないのかなと思います。
しかし本物の落語会では、テレビとは雰囲気も
演出を含む構成もまったく違います。

今各地では地域寄席が結構盛んに行なわれています。
ぜひお近くの地域寄席にもお出かけください。

しばらくカフェ・ブログでは21日お多福寿しで行なわれました
「おおとり、福、福寄席」の1日の出来事などを書いてまいります。

なお次回は8月20日(土)午後1時からの予定です。
寄席に関する準備や、チケット販売などに関しましての詳細は
商店街のホームページのイベントコーナーや
このカフェ・ブログなどでご覧ください。


   

≪編集後記≫



徒然草という古い書物を通して現代人の私たちの生き方を考えています。
出典は 徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋先生訳)を
引用させていただきます。
第5段に入りました。
前回の続きの現代語訳です-

「源顕基中納言が
『罪を犯して流された島で見る月を無邪気な心で見つめていたい』
と言ったことにもシンパシーを感じる。 」

訳者の先生の注釈を見ますと
顕基中納言
源顕基【みなもとのあきもと】は、源俊賢の長男で
後一条天皇に近侍し、天皇の
死後に出家した人とあります。
いわば政府高官ですね。
四十八才で没するとのこと。

彼がどんな罪を犯してしまったのかは分かりませんが
どういう境遇に合っても月をめでて無邪気に喜んでいるとは?
そういう大きな人間でありたいとダイスギも思うのでありますがあ??

ダイスギ

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明日は落語会だよぅう。

2011-05-20 14:44:39 | Weblog
マエストロ・ダイスギです(^^).
前回の金曜版ブログでダイスギは
「さて、今後鳳本通りネットは音楽だけに留まらない活動を
いよいよ本格的に行なってまいります。」
と書いていますが、その始まりともいえるのが明日の
「おおとり、福・福寄席」。
これは単なる寄席ではなく
ここ鳳の商店街や地域活性化を勧めようという
プロジェクトのひとつでもあります。

この寄席を仕掛けたのが商店街の5店舗の店主さんです。
「鳳に寄席を誘致する、有志の会」です。

そしてこの会に賛同してくれているのが
協賛店舗七つの店主さんたちです。

今後私たちは、これらの店主さんたちを中心にした
鳳の商店街や地域の発展を推進するための
活性化推進協議会を発足させる方向で
実は話が進んでいます。


   

≪週末ですね≫



「しばらく音楽は封印のダイスギさんですか?」
そんなことをある方から言われましたが
そんなことはありませんぞなもす。
ダイスギから音楽をとったら何が残るのか?

最近、まいど出てくるフリーの音楽ソフトを使っての
作曲とアレンジ活動。
これは1時間と少し程度ですが
毎日、できれば触りたいと思っています。

今までできなかったこれらの音楽制作は
ダイスギにとっては子どものころからの最も大きな夢でもあったわけですし
人生最終の夢であったと言ってもいいですね。
後は死ぬだけかよ?】

パソコンを始める最も大きな目的もここにありましたが
11年前にパソコンを始めたころには実は
そんなすばらしい生音の、それも私が使えるような音楽ソフトはありませんでした。
早く退職したい(笑)。

何度も書いてますが明日はこちら鳳本通り商店街にある
お多福寿しでの「おおとり、福・福寄席」ですが
私たちスタッフ6名は、スタッフtシャツを着ます。
お気軽にお声をおかけくさい・・
と言いましても~ちょっと恥ずかしいけど??

今後寄席有志の会では、寄席の運営を一般の皆さんを巻き込んで
ごいっしょにやりたいと考えています。
寄席が大好きな皆さん、ぜひそのときは
ご協力をお願いしますね。
詳細は商店街の「鳳に寄席を誘致する有志の会」のお店。
あるいはあすなろ経絡指圧療院杉本までよろしくお願します。
詳細などはこのカフェ・ブログなどをご覧ください。

なお明日の「おおとり、福・福寄席」のチケットは
すべて完売しました。
まだ主催者には明日の寄席に関するお問い合わせをいただいているようですが
今回チケットをゲットできなかった多くの皆さんは
次回にはぜひお越しくださいね。


   

≪編集後記≫



徒然草を楽しんでます。
出典は 徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋先生訳)
を引用させていただきます。
本日からは第5段です。
これも吉田兼好独特の人間観が描かれています-

現代語訳
「『自分は不幸な人間だ』などと悩んだり嘆いたりしている人が
頭の毛をカミソリでつるつるにするように
ものの弾みで悟りきってしまうのではなくて
ただ意味もなく、生きているというよりは死んでいないといった感じで
門を閉め切ってひきこもり、意味もなくだらだらと日々を漂っているのも
ある意味では理想的である。 」

私は専門家ではありませんので
この意味を解釈しろといわれても
これは、なかなか難しい。

昔はお坊さんになるというのは
ある意味仕事を終えた人たちであり
また終らせて世間から離れたいという人たちだったようです。
ですからこれは若い人へのメッセージではないのではと思うんですが?

「無駄なところへ首を突っ込んでかき回したりして
やたらと自己主張をしたり
言い争ったりして命を消耗させるなら
いっそのこと、家の中にいておとなしく勉強でもしてろい。」
と言っているのではと思うんですが?

確かに、年を重ねてきて分かることは
【変な議論は疲れる】ということですね。
私たちの世代は学生のころからもそうでしたが
どちらかというと議論大好きな世代です。
しかし、本当に疲れますな(笑)。

ダイスギ
コメント
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